3.徳川カズヤ
暗闇に目が慣れていくと、黒かったシルエットが段々と鮮明に見えてきた。
「………」
「………」
「………」
「………先輩?」
馬乗りになっていた人物と目があった。
正体は、同じコートで一緒に練習している唯一の女子。そして先輩。
「あれ、起きちゃった?」
「先輩…」
「おかしいなぁ…カズヤは一度寝たら中々起きないって奏多が言ってたんだけど」
こうなったのは実は初めてではない。既に初めて顔を合わせたその日に襲われた…というよりも抱きつかれたのだ。何でも、俺の顔が本人の好みだったらしい…入江さんから聞いた話だから本当かどうかはよく分からない。しかしそれ以来毎日のように筋肉を触らせて欲しいだの大好きだの色々言っては俺に近づいてくる彼女の真意は、中々読めなかった。知っている事は、テニスが上手であること…それだけだった。
「先輩、降りてください」
今先輩が俺の上に乗っていても大して重くは無い。あまりにも軽すぎるから、もっと筋肉を付けた方がいいのではないのかと思うくらいだ。そんな事をぼんやりと考えても仕方ないのだが、とりあえず言ってみるしかない。
「カズヤって、良い筋肉してるよね…うん…」
俺の胸の辺りをぺたぺたと触りながら先輩は言った。俺の話なんて聞こうともしていない。
「はぁー…やっぱり良い筋肉……鬼くんも良い筋肉してるけどカズヤの筋肉が一番いいね…」
「一体何をしに来たんですか。今何時だと…」
「んーっと、夜這い…かな?」
「…?」
「え、知らない?夜這い………ちょ、ッ!痛い!」
気が付いたら先輩を蹴落としていた。俺を見下ろす先輩の姿に何故か血の気が引いた。
夜這い。あまり聞きなれない言葉ではあるが耳にしたことはある。しかし何故男の俺が先輩に夜這いされなくてはいけないのか。
「いたーい!もう!どうしよーカズヤのせいで私のカラダ傷物になっちゃったんだけど!どうしてくれるの?」
「…それくらいなら打撲で済みますよ」
「責任とって嫁にもらってくれるんだよね?」
「何言ってるんですか」
「私カズヤの事だいすきだから問題ないよ?家事も頑張るね?」
「………」
「あ、もしかして私がカズヤの筋肉しか見てないと思った?そんな事ないよ!カズヤのぜーんぶが好きだからね!」
笑いながらベッドによじ上り再び俺の身体に跨る先輩を見て普段あまり使っていない顔の筋肉がひきつったような気がした。
「降りてください」
「カズヤは黙って私のされるがままでいればいいの!」
「退いてください」
「いいからこのまま押し倒されてよ!」
「出て行ってください」
不毛…だ。このやりとりに名前を付けるとしたらそれしかない。俺の言うことを全く聞こうとしない先輩。本当は先輩に対してこんな事を言っても、やってもいけないと思うが、仕方ない。仕方ないんだ。
「いい加減にしないと…本気で、怒りますよ」
「!? カズヤ…っ?」
先輩の脇の下に手を入れて先輩の身体を持ち上げ、俺の上から移動させる。ふわりとシャンプーの匂いが鼻をかすめる中、壁際に追いやり先輩の顔の横にある壁を思いっきり叩いた。まだ夜中であることをすっかり忘れていたが…仕方ない。このままだと本当に襲われてしまいそうなのだから。
身長も実力も力も俺の方が上なのに、こんなに軽くて細くていつもへらへらと笑っているような女に馬乗りにされているだなんて…男として、俺にも我慢の限界がある。
―――もちろん、理性も。
先輩の顔が良く見えるところまで距離を縮めると、お互いの鼻が触れてしまいそうだった。
「頼むから…大人しくしてくれないか」
無意識に敬語が抜けてしまったにも関わらず「はい…」と、いつもの先輩からは想像できないような、か細い声が聞こえた。
もしかして…これくらいの距離で話せば、大人しくしてくれるのか?顔が朱色に染まった先輩に疑問を抱きつつもこれから先輩に困ったら近づいて話そうと、そう決めた。
気が付いたら、俺はすっかりおとなしくなってしまった先輩の頭を撫でていた。
「そうやって、ずっといい子にしていてください」
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