等価交換の原則
人は、何かを得るためには、それ相応の代価を棄てなければならない。
では、それは必ずしも正しい選択なのだろうか。
棄てずに得る“モノ”はないのだろうか。
それら全ては神が決めた“コト”であり、人はそれに逆らうことを許されていない。
だが、もし、それらを全て無視することが、逆らうことができ、等価交換という法則が行われなかった場合、神は我等に何とお声をかけるのだろう。
今回の等価交換は何なのだろうか。
失ったモノが彼であるとすれば、私は何を手に入れることができたのか。
得たものは何だ。
失ったものは大きすぎて私を侵蝕し続けているというのに、得たものは一つもない。
等価交換ならば、私が得たものが有ってもいいはずだろう?
私が得たものは幸福か幻想か命か真実か。
いや、どれも違う。
幸福など、彼を失った時点で無くしている。
幻想など、初めから持っていた。
命も幻想同様だ。
……では真実か。
…真実など、明かされているわけがない。
彼が私にそれを話してくれるのはまだまだ先のはずだ。
真実は私の中にはない。
ならば私は何を得たのか。
この身に起こった、等価交換により得たものは何か。
それを私は得ることができていない。
つまり、等価交換は行われていない。
ならば、これは法則に背くのではないのか。
神が決めたこの法則は、間違っているのではないだろうか。
私はその回答を知らない。
知る術を持っていない。
ただ、あるのは、
目の前で静かに横たわり、息をしていない“彼”がいるという、現実だけである。
等価交換の原則
(目の前にある現実を、誰か嘘だと言って。)
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超突発的作品。
元ネタはハガレンより。
亡くなった“彼”の代わりに彼女は何を得たかったのだろう。
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