〇It’s a corpse and ripe fruits.




どうしてそんなことをする、と言ってしまいたかった。
いつもそう思いながら、一騎はそれを態度にも口にも出したことはなかった。
口出しする権利すら、自分にはなかったからだ。

一騎は逃げるように二階にある自室へと飛び込み、未だに敷きっぱなしだった布団へと潜り込んだ。温い布団の中で体をめいいっぱい丸めながら、右手の指に歯を立てた。父親に幾度か注意された癖だが、今はそれに気が付きながらも、止めることが出来ない。
それは、朝食の支度をしているときに、窓の隙間から普段から気にかけている人物が一人、森へと向かう姿を見かけたからだった。
ぎり、と指を噛みながら、空いた手が拳を作るのを抑えられない。

どうしてそんな、意味のないことをする。
……総士。

言ってしまったら、この、何とも言えない距離感の関係すら壊れてしまうことが目に見えていた。罪悪感に苛まれながらも、総士を手放すこともできず、縋りつき、漸く手に入れた立ち位置だった。
もし、総士にあの事件の核心に触れることで怒りを買ってしまったら、自分は更に総士と距離を置かなくてはならなくなる。そもそも、今現在は中学校が同じという理由だけで、総士の傍にいられる状態だ。

数ヶ月前に、一騎は早朝に一人山へと消えて行く総士の後をつけた。
道なき道を歩き、時折立ち止まったりしゃがみこんだりする総士に、目的も何も見えない状態で続いて歩いた。一騎の不安を余所に、求めていた答えは案外早く手に入った。
先程まで総士が座り込んでいた場所、雑草の生えた地面に隠すように、昆虫の千切れた胴体が放置されていた。不自然に破れた蝶や蝉の羽が、差し込んでくる朝日に照らされて、その存在を主張した。
わざわざ人目につきにくい早朝の森林で、総士が数十分歩き続け、そして立ち止まった箇所には昆虫の無残な死骸がある。総士がやったのだと理解するのに然程時間を要しなかった。
一騎がこのことに気が付いたのは最近だったが、あの様子だと以前から行っていたのかもしれない。しかし、それを本人に尋ねるのは憚られた。触れるべきではない部分に触れざるを得ない予感がしたからだった。
結局、一騎に出来ることは、布団を頭から被り、その現実から目を逸らすことだけだった。

昨日の朝も、総士は森へ行った。
それでも、無闇な殺生をしないようにと願っている。その手が汚れていくのをただ見詰めるのは、忍びなかった。
今日は、森へ行かないだろうと。それは総士にとって身勝手な願いでしかないのだと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
しかし、ゆっくりと歩を進める足音と窓から覗いた幼馴染の姿が見えた。カツカツと靴底と石畳が鳴らす小気味良い音は、湯気を噴出している炊飯器の音と野菜を刻む音しか聞こえることのない部屋の中で、異様な響きを持っていた。変わらぬ足取りでその音は近付き、そして遠のいていった。

どうして、そんなことを。

一騎は布団の中で、感情のままに指を噛む。鋭い痛みと共に、鉄の香りと味が口内に広がった。
それが発端となった。
生々しい味に突き動かされるように、一騎は布団を跳ね除けた。そのまま階段を駆け下り、玄関へと走る。乱雑に靴を履き、戸締りもせずに飛ぶように階段を駆け上がった。
総士は一人山へと数歩踏み込んだところにいた。振り返り、何故お前がいるのかと言わんばかりに目を丸くしたまま、こちらを見詰めている。

「総士…」

呼吸が荒れているわけでもないのに、一息ついてから一騎は言った。何も考えずに家から飛び出した結果、今更になって一騎の頭の中で様々な思考が巡り始めた。
混乱しているのかもしれない。そう思ってしまうほどに、入り乱れた思慮のままに言葉を発するのは、一騎にとって途轍もない勇気を要した。
それが、名を呼ぶだけであっても。

「どうしてここにいる」

先程の驚愕を覆うように威圧してくる総士に、一騎の決心がぐらりと揺らいだ。散歩をしていたと言ってしまえ、今なら引き返せると内なる己が囁いてきたからだった。
それでも、一騎はそそくさと自宅へ戻ることはできなかった。既に、触れてはいけないところに触れ、出会ってはいけない人物と出会ってしまった。何より、仄かに残る血の香りが、そうさせてくれない。

「お前の姿が見えたから、追ってきた」
「普段は避けているのに、か?」
「避けてなんか、ない」

張りぼての言い訳を、総士に鼻で笑われる。
目に見える嘘をつく一騎に、総士が何を思っているのか分かるはずもなかった。それでも今は虚勢を張ることでしか自分をここに留めておくことができなかった。

「どこ、行くんだ」
「お前には関係ない」

空は大分明るくはなっていたものの、日も射さぬ早朝、空をも覆い隠すように腕を広げた木々の下にいる総士は、半ば闇に溶け込んでいるようだった。亜麻色の髪をぼんやりと映している僅かな光が、総士の表情をも淡く映し出している。眉間に深く刻まれた皺が、今の総士の感情を伝えてくる。
先程からじくじくと痛みを伴う指先を隠すように握り締めた。もう、後戻りは出来ないのだと、自分を一喝する。

「昨日も、一昨日も、この時間に歩いてただろう?でも、毎日じゃない」

一騎が発した言葉に、総士は何も答えなかった。もしかすると、その事実を知っていたということに少なからず慄いていたのかもしれない。

「何を言おうとしている?」

完全に体を一騎の方へと向けた総士が問う。その声は、先程から露になっている表情とは裏腹に、穏やかだった。
その様子に、より一層、一騎の中で感情が昂ぶっていく。

どうして、なんで、こんなことをするのか。

前々から溜めていた疑問が溢れそうになるのを堪える。
堪えた拍子に衝動的に森へと踏み込んだ。一歩、一歩と総士との距離を狭めたものの、相手は動く気配すら見せない。

「どうして、この時間に出かけるんだ」
「出かけることで、お前に害でもあるのか?」

あるわけないだろう、と窘めるような総士の声が聞こえた気がした。それは恐らく、心の中で呟いていた言葉なのだろう。

「ない……でも、やめてほしいとは、思う」

ここで追求をやめてしまったら、総士は森の奥へと消え、人畜無害な昆虫達を殺めることになってしまうだろう。たとえ小さな生き物だとしても、その手で命を消していくことに耐えられなかった。
びくりと、総士の肩が跳ねた。距離が近かった故に判断することが出来た、些細な変化だった。

「俺……なんだろ?本当は、お前がこの手で、壊したいのは」

少しの好奇心から後をつけ、知ってしまった事実。転々と無残な姿で転がる虫たちを見詰め続け、いつの間にか一騎の中に芽生えた考えだった。
総士は、世間一般で言う優等生だった。学校での行動や言動は勿論のこと、悪い噂など聞いたことがない。そうせざるを得ない事情が、総士にはあった。
総士の父親である皆城公蔵は、一騎の通う中学校の校長を務めている。この、小さな竜宮島でそれなりの権力を持っているのだろうことも、以前父親が参加した島の会合に付いて行ったときに、子供ながら何となく察することが出来た。島民の、総士の父親に対する振る舞いが明らかに違ったからだ。
だからこそ、総士は内に溜まっている憤りを発散することが出来ないのではないか。それが、命を殺めるという歪んだものにしてしまったのは、紛れもなく自分のせいだ、と一騎は断言できた。
自分の冒した過ちが、ずしりと重かった。左目を裂くかのように走った傷は、既に光を映さない瞳は、一騎に何も教えてはくれない。きっと、自分や他の誰にも、本音を吐露することはない。

「俺に、すればいい」

それは、同情と贖罪が混じった感情だった。

「お前がしたいようにしろよ。虫なんかじゃなくって」
「僕が…」

視線を合わせた総士の眼光が、ぎらりと強く一騎を射る。先程までの苛立ちと困惑に満ちた表情はなりを潜めていた。視線を外すことなど、できなかった。
数歩分あった間合いが一気になくなった。それは、今まで微動だにしなかった総士が、一騎へと近付いたからだった。腰に腕を回されて、ぐ、と体を密着させられる。腕を突っ張る余裕すらなかった。
頭痛のようにがんがんとけたたましく警鐘が鳴っている。総士に殺されても良い、と覚悟を決めていたものの、本能はそうは言ってくれないようだった。

「なら、お前を寄越せ」

吹き込まれた言葉に、ぞくりと戦慄が走った。





後編→

(※R指定です…ご注意を)







戻る








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -