〇見えない鎖
(総一竜化パラレルの続き)




コンコンと木製の扉が軽く音を立てる。それとほぼ同時に、ゆらりと炎が揺らめき、僅かの隙間風の訪れを総士に告げた。漏れる気配は、常に身近にある愛しい存在のものだ。
しかし、本を閉じながら、部屋に一つしかない入口にゆっくりと振り返った総士の表情は、何とも言えず浮かないものだった。
夜の帳が広がって、暫く経った宵闇の世界で、この一室だけはランプが絶えず煌々と部屋の一角を照らしていた。

「…ノックの意味がないだろう」

溜め息混じりに総士が呟くが、その声には非難の色はない。
寧ろ非難されるのは自分なのだろう。その先の未来が簡単に予想出来てしまって、総士は軽く肩を落とした。
それは、言い訳のように吐き出された言葉だった。

「何してるんだ」

そんな総士の心境を完全に理解しているのか、一騎は自分のとった行動に対して一切謝る様子は窺えなかった。
もしかしたら、敵味方の判断など気配で分かると思われているのかもしれない。そもそも、夜襲に訪れる存在がいたとしても、総士より先に一騎が動き、事を起こすことすらさせないのだろうが。
一騎曰く、夜は生き物だけではなく、木や風、無機物までもが眠るという。全てが眠り、辺りが静寂に包まれれば、必然的に五感が研ぎ澄まされていく。
敵も漸くそれを理解してくれたらしく、夜に襲われることはなくなったのは、有り難いことだった。

「……そういうことか」

そこまで考えを巡らせて、漸く、一騎の行動に合点がいく。
頁を捲る音、布擦れ、息遣い。つまりは、眠ると言って部屋に引き篭った総士が、眠ることも眠る気がないことも、一騎にはすっかりばれていたのだ。
だからこそ、総士を眠らせるために、その現場を押さえにきた。そういうことなのだろう。

「わざと気配を殺したな」
「…普段の総士ならとうに気付いてるはすだ」

しれっと肯定する一騎に、わざとらしく溜め息をついた。
一騎の種族、龍神族は竜の力をその身に宿している。戦闘民族である彼らと違わず、一騎も突飛した身体能力を持っていた。その力を借りなくとも、繰り出す攻撃は俊敏且つ的確で、ある程度の人数の刺客ならば一人で対処できるほどだ。
身体能力の高い一騎にとって、足音だけでなく気配を殺すことなど容易だろう。いや、本能がそうさせているだけかもしれない。
それを失念し、書物を読み耽っていたのは自分過失だった、と悠長なことを総士は言っていられなかった。
普段と変わらぬ柔らかな声色とは裏腹に、一騎の瞳が薄明かりの中ぎらりと瞬く。

「明日も早くにここを発つんだろう。なら、早く寝なくちゃ駄目だ」
「今やるべき用事だ」

ちらりと視線を手元にある本へ向け、一騎は重く溜め息をついた。
竜を象ったチャームの付いた、革張りの本。龍神族について詳細まで綴られた資料だった。
歴史や生態の他に書かれていた、龍神族にのみ効果を発揮する呪文に、この本の価値がある。父親から一騎を従わせるという名目で借り受け、そして盗んだものだ。それを総士は、全く別の用途で使用している。
身体の自由を奪う、言葉を奪う、凶暴化させる、眠らせる、様々なスペルがあるのだから、「竜の血」を封印する呪文も恐らくあるのだろう。
それを使用できれば、一騎を皆城家から解放することができる。

「嘘つくなよ。どうせまたくだらない調べ物だろ」

それなのに、一騎は自分に関する事柄をくだらない、の一言で切り捨てる。まるで、自分自身の存在意義に触れないよう、意識的にその先にあるはずの思慮を欠如しているかのように。

「くだらないはずがない」
「総士がそれを捨てれば……命だって、狙われなくて済むのに」

一騎は苦虫を噛んだような表情で、射殺さんばかりに本を見つめた。
この本が手元にあるからこそ、総士は皆城家から追われる身となった。「この本さえなければ」と一騎が欝陶しく思っていることもとうに知っていた。
しかし、行動原理が総士である一騎が、総士の意を無視し、本を処分できるはずもない。
それを今回だけは有り難く思った。それがどれだけ、一騎を苦しめていると知っていても。

「俺は、総士を守るためにここにいる。守るためなら何だってする。総士が気にすることはないんだ」
「それは、お前に施された刷り込みのせいだ。僕の至らぬ所だったとはいえ、皆城家が…いや、僕がお前を捩曲げた」
「そんなことない!」
「全ては、僕の責任だ。お前がこのようなことになるなら」

出会わなければよかった、と続くはずの言葉は、体内の奥底に沈んだ。
再び、一騎を失いたくはない。
結局、一騎を求めてやまない自分自身の欲求は、簡単に無視できるものではなかった。
自らを守るように組まれた手を、一騎に包み混まれる。

「総士。いらなくなったなら、俺を」
「馬鹿な願いなら聞かない」

そう言いながら、まっすぐ見詰める一騎の話の腰を折って総士は否定した。
総士が自虐的になると、一騎は決まってその台詞を口にする。幾度となく聞いてきた言葉だ。
簡単に己を殺せと懇願できる一騎に、無性に腹が立つ。一騎は総士にとって自分がどれくらいの価値を以て、占めているのか理解できていない。勿論、屑のように簡単に捨てられるはずもなかった。
僕を残して死ぬ気か、と吐き捨てたい言葉は、一騎には八つ当たりでしかない。
どんなにこちらが愛情を以て接しても、一騎が向けてくるのは絶対的で揺るぎない忠誠心だけだ。こちらの感情を汲むことは決してない。「自分は所有物」だと認識している一騎は、感情を向けられるなど、露にも思わないらしかった。
受け入れられることのない感情が、総士の中で汚泥となり沈澱していく。

「…でも今はまだ、総士が望んだとしても殺されるわけにはいかない…ここは、安全じゃないから」

小さな集落の、小さな宿。
周りを閑散とした平野に囲まれたこの土地は、いつ何時狙われるか分からない。
そんな時ですら自分の身の安全を優先する一騎に、総士は思わず手を伸ばそうとして、止まる。
手を包んでいた掌が、不自然に硬直する。総士が声をかける間もなく、俯いていた顔を勢いよく上げた。
総士には何も見えない虚空をじっと見詰めてから、一騎は悔しげに唇を噛み締める。

「……噂をすれば……」

独り言のように紡がれたその言葉で全てを理解できてしまうほどに、総士と一騎は逃亡生活に慣れすぎていた。

「来たか」
「ああ。馬の蹄の音がこっちに向かってる。十頭…くらい、多分」
「準備は」
「できてる」

嫌なタイミングだ、と言いたげな表情を浮かべながら、一騎は歯切れ悪く言葉を返す。

「…一騎、良く聞け」

出立する準備をするために立ち上がりかけたところを、総士は腕を引くことで抑える。
怪訝な表情を浮かべる一騎の、琥珀の目をじっと見詰めれば、一騎も同じように顔付きを変え、総士の正面に向き直った。

「お前は、僕の所有物だ」

だから許可なく離れるなど許さないと、一騎の耳に精一杯の感情を吹き込む。洗髪剤の爽やかな香りが鼻を擽っていく。
頬に掌を滑らせると、一騎は心地良さそうに目を細めた。そのまま若干伸びた前髪を掻き上げて、総士は額に口づける。
一騎と共に在りたい。自己中心的な考えだ。だからこそ、一騎には伝えられない。
一騎が恍惚と微笑んだのは、接吻か、その言葉か、或いはその両方が要因なのかもしれなかった。



[終]



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「総一竜化パラレルの続き」

設定考えるのが楽しくて、終始説明になってしまいましたすみませ…!




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