〇未完成、つまりは不安定




※注意 パラレル









口内を犯されるというのはこういうことを言うのだろう。
顎の裏を舌先で舐められ、ぞく、と形容し難い感覚が下半身に集まる。これが快感なのだろうかと、拙い経験を基に結論づけると同時に、長い長いキスも終りを迎えた。ほう、と吐き出した息は熱が篭っていた。

「もうこんなにして…はしたない」

そう言うと、彼女は下半身に手を伸ばして、淡く反応しはじめた性器を人差し指でつう、と一筋布越しに撫で上げた。
思わず息を漏らすと、彼女は嬉しそうに笑った。

「あなたのせいでほら…私ももうこんなに…」

服を托し上げ、しとどに濡れた股間を見せ付ける。太股をたらりと伝う液体に男は唾を呑んだ。それは熟れた果物のように芳しい蜜をたっぷりと含んでいる。今すぐにでも貪ってしまいたい衝動を、拳を握ることで抑える。
目の前の彼女は口角を吊り上げ、挑発的な上目使いで見上げた。

「責任、取ってくれる?」

さあ、と無邪気に笑って見せる。衝動を抑えることなく、その白い首筋に顔を埋め…

「…一騎」

冷め切った番茶を片手に、総士は俯き筆を走らせる一騎を覗き込んだ。
机に広げられた原稿用紙には、幾分か幼く見える女性の淫らな姿が描かれている。

「あ、お茶か?」
「…いや…そういうわけでは…」

カップの中身が少なくなっているのを見たのか、素っ頓狂な返事をする一騎に、総士はがくりと肩を落とす。
いやそうではなくて僕が言いたいのは……
喉まで出欠けた台詞を無理矢理飲み込む。今、それを一騎に伝えてしまったら、じゃあ此処にいなければいいだろ、と言われること間違いなしだ。

「あと少しなんだよ……あとはセッ」
「口に出すな、十分分かってるから」

恥じらいもなく話そうとするのを制すると、一騎はこの距離感だからこそ判別できるくらいうっすらと、眉間に皺を寄せた。
一応仕事中なんだからキリの良いところまで作業させてくれ、と一騎に言われてから、ゆうに二時間は経過していた。
一騎は漫画家だ。本人曰く漫画家の端くれらしい。
そして今いるこの場所は、自分には何に使うのか皆目つかない道具がずらりと並んだ、一騎の自宅兼職場だ。
一騎にとって漫画家は天職だったらしい。元々引きこもり気質であった彼は、常に拘束された生活を苦ともせず、快適な空調の中仕事を楽しくこなしている。そのような姿を見ていると、毎日暑苦しい中駆けずり回っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。

「一騎、お前最近寝てないだろう」
「睡眠くらい摂ってる、と言いたいところだけど、ざっと二日」
「いい年して徹夜とか、よく出来るな」
「お前、妙に爺臭いな…人間慣れれば何でも出来るんだぞ」

顔が陰に隠れていても分かる、目の下の隈に総士は眉を顰めた。よく窺えば、一騎は先程から欠伸を何度も噛み殺している。
いくら月刊誌とはいえ、一騎はアシスタントを一切雇わないという、珍しい部類に入る漫画家でもあった。アシスタントがいないということは即ち、多忙な生活になるということと同義だ。
元々、体が丈夫である彼に対して、あえて言葉にしたことはないが、総士としては、一騎が体調を崩してしまわないか、不安だった。
どうして総士が同性相手にここまで世話を焼いているのかというと、一騎とは所謂恋仲、と呼べる間柄だからだった。

「で…今回はどんなものを描いてるんだ」
「父親に性的暴行を受けている少女が、学校の先生に惚れてしまって、愛情表現を知らない彼女は体を使って誘惑しつつも先生に好きになってほしい、と言う気持ちもあって、」
「その内容はさすがにまずいんじゃないか…?」
「…という脳内設定を入れつつ描いた、ただの男女の性交」

いつの間にか濡れ場真っ最中のシーンになっていた原稿用紙を指差しながら、これでも彼女は成人しているから、と一騎はいやに堂々と言った。それにしては妙に胸が小さいものだと思いながらも、とりあえず相槌を打っておく。
正直、総士は漫画をあまり読む方ではないため、一騎の描いた漫画であっても購入することはない。こうして傍から原稿をちらと一瞥するに留まっている。衛に言わせれば、それは頗る贅沢なことらしいのだが。
初めは客人用ソファに座ることを促していた一騎も、背後から作業工程を見守る総士に最終的には折れ、現在は何も言わずにデスクチェアを用意してくれる。所詮部外者な自分には漫画家のメイキングを見るというこの行為がどれくらい貴重なのか知る由もないが、自分はこれを、一騎の信頼の証だと考えていた。
再び仕事に戻ってしまった一騎の横顔を覗き見る。
先程の通り、一騎にとって漫画家は天職で、一つのことに打ち込む彼はとても綺麗だ。何事にも本腰入れて取り組む、その誠実さも惹かれた一つの要因だった。
しかし。

(もう少し…構ってくれてもいいだろうに)

再び静寂に包まれた部屋で、総士は溜息をつく。
一騎は今、一つのこと、つまりは漫画を描くことに打ち込んでいた。そのお陰で、こちらはすっかり蔑ろにされている。
ただ、アポイントなしにやってきた自分に非があることは重々理解している。だからこそ、不満を口には出さずにこうして溜息で解消しているのだ。
願わくば、自分の溜息が彼の筆を動かす音を少しでも通り抜けて、この心情を理解してくれますように。

久々に、一騎に会えた。
正確に言えば、一騎が会えなかったのだ。一騎が脱稿前で多忙な生活を強いられていたがために、総士は会うことが敵わなかった。
だからか、何かに急かされるかのように午後からだった逢引の予定を半ば強引に午前中に割り入れた。
失敗だった、と総士は思った。自分より原稿を優先している事実が、酷くどろりとした感情を湧き出させた。
ここで一騎は読者に夢を与えている……のなら、まだ割り切れたのかもしれない。
今も艶かしい表情をしながら執筆作業に勤しむ一騎は、世間で言う大人向け、つまりはR指定作品を連載する作家だった。

「ふー…終わった、って総士?」
「一騎…」

漸く一段落ついた一騎に、後頭部から抱き着いていた。ぐえ、と一騎が一度苦しそうにもがいたが、待っている方が何倍も辛かったのだと棚に上げて、更に一騎を腕の中へと閉じ込める。
彼の使っているシャンプーの香りがほのかに漂う。掻き抱いた一騎の体温を服越しに伝わる。

「え、なんだよ、どうした?総士」
「僕より他の男を優先するのか」
「…は?」
「これ、絶対に世間の男達のおかずになってるぞ」
「ああ、まあ…そういうためのものだし」
「つまり、だ。僕を放って他の奴の自慰を手伝ってるということだろう?」
「…考えが飛びすぎだけど、否定はしない」

これも仕事だから、おまえをいつでも優先したい、たとえ偽りでもそんな言葉をかけてもらえたら、自分の気は晴れるのに、事実を淡々と述べる一騎が総士は少し苦手だった。
彼は誠実で、まっすぐで、嘘がつけない人間だと知っている。知っていても尚、自分はそこを好いて、そして少し嫌っている。
更に力を込めて一騎を抱くと、一騎が腕の中で笑った。それと同時にトントンと宥めるように背中を叩かれる。
お前も大概子供だよな、と一騎は言った。

「子供じゃない」

体に絡めていた腕を解き、あらぬ方向へ回っていた背凭れへ一騎を押し付けた。目を見開いてこちらを見上げる一騎の、先程まで言葉を紡いでいた箇所にそのまま噛み付こうとしたが、間に手を差し入れることですかさず回避される。

「しょうもないことにヤキモチ焼いて、勝手に拗ねる。これのどこが大人だって?」

そう言うと、一騎はくすくすと笑みを漏らした。
ぎしりと音を立てて、椅子から立ち上がる。

「…どこへ行く」

立ち上がった一騎に縋るように自然と手を伸ばしながら、不安に駆られて総士は言った。同時に一騎から本日始めてのため息を一つ貰った。
一騎は仕事着とも呼べるジャージを脱ぎ、先刻まで自らがいた椅子へと投げる。それがちゃんと着地したかを確認することなく、目の前に手を差し伸べられる。日に焼けることのない、職業病とも呼べるペンだこが付いた、白い手。

「仕事、終わったんだぞ?」

差し出されたのが彼の手だと言うことは、何をどうやっても間違えようがなく。

「僕は決して子供じゃない。…これも、恋人として、手を繋いでるんだ」

半ば声高らかに言い放つと、一騎はゆるゆると頬を掌で隠していった。
先へと踏み出した足が、ふらふらと宙をさ迷い、元の場所へと戻る。

「…総士…恥ずかしげもなく…そういうこと言うなよ…」

棒立ちのまま固まってしまった一騎が、再び溜息を漏らす。
掌に隠されていない耳が朱に染まっているのを見留め、総士は笑みを深めた。
表情のバリエーションの少ない一騎の、こんな一面を見られるのは恐らく、自分だけなのだ。

(不意打ちじゃなければいいのか?)

不意打ちは卑怯だ、と紡がれた一騎の独り言がしっかりと届いてはいたが、意地の悪い問いは遂に発せられることなく、総士は自分が手にしている存在を離さないとばかりに、力を込めていた。



[終]



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誰得設定でした/(^O^)\



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