〇step-by-step





三百年前だろうが一千年後だろうが、この世に明けぬ夜はない。それは此処、グレッグミンスターでも同じく言えることだった。
カーテンの隙間から漏れる光は強く、街に朝がやってきたことを伝えてくる。外れにある小さな家に住むテッドにもしっかりと伝わったようだった。
目許を擦りながら大きく欠伸を一回。寝癖を手櫛で何となく直しながら、朝日を遮っていたカーテンを開けた。
空は小気味よく澄み渡り、青の絵の具を垂らしたかのように真っ青で、雲一つない。チチチ、と鳥の囀る声にすら気分に拍車をかけられる。
呪われた紋章に体を蝕まれてからというもの、追われる身である精神的な逼迫のためか、深い眠りを味わったことがなかった。今日も例外ではないが…こんなに清々しい目覚めは珍しい。
この気分がいつまでも続けばいいのだけれども。
うっすらと暗雲立ち込めるこの思考回路は、三百年余りで培ってきた経験上仕方のないことだった。そして、その予想は大抵外れない。
矢先に、聞き慣れた音が耳に入ってきて………テッドは外見にそぐわない重い溜め息をついた。その音の根源は確実にこちらへとやって来ているのが分かったからだ。
幾度も聞いた音、育ちは良いはずなのに行儀悪くバタバタと足音を立てながらやってきた招かれざる客人を、テッドは窓を開けることで迎えた。

「あっ、テッド!グッドタイミング!」

先程の溜め息の原因でもある黒髪を靡かせながら走ってきた少年・ティルは、あからさまにぱあ、と笑みを浮かべてこちらへ全速力で向かってくる。

「お前さあ、毎朝毎朝…」
「テッド!ごめん、後で聞くからちょっと匿って!」

窓から眺めながら、小言の一つでも言ってやろうと開いた口は、ティルに会話を被せられたことによって用無しになってしまったどころか、こともあろうに、ティルはそのスピードを落とすことなく軽やかに窓から侵入してきたのだ。しかも、ご丁寧に靴は脱いでいる。
テッドは、棍術で培った身軽な体に半分感心し、仮にも赤月帝国五将軍の息子が泥棒紛いな行動を、と呆れ返っていた。
かくいうテッドも、ティルの奇抜な行動にも全く動じないほど耐性がついてしまった…ことが普通ではないことに気付いていない。
勝手知ったる何とやら、ティルはするりとワードローブに忍び込み、華奢な体を更に縮こまらせた。

「また、グレミオさんに悪戯したのかよ」
「違うって!ただ、今日は見付かったらまずいんだよ…考えたくもない」

彼の従者兼家政婦であるグレミオとの追いかけっこは、また、と言い切れるほど良くある出来事だった。
服の間から顔だけ出し、口を尖らせているティルを、ニヤニヤしながら小突こうとしたテッドは、存外に真面目な顔で呟かれて、からかうのをやめざるを得なかった。

「本っ当に、まずいんだからな!お願いします、匿って!」

この通り、と手を合わせる様は、どうやら本当に殊更重大な何かがあるらしい。普段は早々に降参するティルが、匿えと懇願してくる様に、こちらまで何かあるのかと身構えてしまう。
断ったら死んで化けて出てやるぅ、などと不謹慎なことを言うティルを諌めて、テッドは了解した。

「後で何でも言うこと聞けよ?」
「何でもいいから!じゃあ僕隠れてる!」

信じてるからな我が友よ、という言葉に思わず笑みを浮かべながら、テッドは先程と同じような足音が近付いてくるのを耳にした。

「テッドくーん、朝早くにすみませーん」

コンコン、と遠慮がちに叩かれたドアと優しげな声は、その人柄を表しているようにも思えた。息が乱れているのは、
噂をすればだな、とテッドは友人を見遣るが、既に奥深くへと潜り込んでしまったらしい。微かに服が揺れるだけで物音一つしなかった。

「おはようございます、グレミオさん。…で、何かありました?」

おはようございます、と挨拶を返すグレミオは、ニコニコと普段と変わらぬ微笑みを浮かべている。ティルの話した「今回はまずい」ようには見えなかった。
…両手に握られた、束ねたロープを見なければ、だが。

「ええ、何があったも何も大問題ですよ!坊ちゃんもこんな日に限ってぇ…」

溜め息と共に、グレミオはオーバーな泣き真似を披露してきた。

「こんな日?」
「今日は正午からミルイヒ様主宰のパーティーがあるんです。テオ様と坊ちゃんで出席なさる予定だったんですが…目を離した隙に坊ちゃんが逃げ出しちゃいまして」
「あれ…テオ様が行くなら、ティルはわざわざ行かなくてもいいんじゃないですか?」
「それが!今回は坊ちゃんがいないと駄目なんですよー!って、それは良いとして、坊ちゃん、来てませんか?」

あまりに明るいニコニコとした笑顔での問いに、テッドはつう、と背中に冷や汗が流れた。

「来てません」
「ふふ、テッド君も大概嘘が下手ですねぇ」
「本当に来てないんですって」
「知ってました?テッド君って、嘘をつくとき鼻を擦る癖があるんですよ」
「えっ!?」

つい声を上げた様子に、グレミオは浮かべている笑みを更に深くした。にっこりと言うよりもニヤリと。
しまった!とテッドは今更になって気が付くが、後の祭りである。

「…グレミオさん、嵌めましたね?」

テッドの問いにグレミオは微笑むだけで、答えることはなかった。
大人の癖に容赦ないな、と思いながら、300年も生きてきたのにこんな手に引っ掛かってしまったことに悔しさを覚える。

「テッドくーん、坊ちゃんのことは気にせずに、正直に話してくださって良いんですよ?」

終始笑顔を崩さないグレミオのその言葉は、暗に「ティルを出せ」と言っていた。言葉通りに出すとは思ってないのかもしれないが、恐らくティルに関する何かしらの情報を持っていると踏んでいるのだ。それも、黒に近いグレーの判定で。

「どうして、そう思ったんですか」
「テッド君、私の顔を見ないんですもん」
「うぐ…」
「あと、寝ぼすけのテッド君がこんな早朝にノック一つで起きてくるなんて、私より先に誰かが来て起こされたとしか思えないですからね」
「うぐぐ…」
「そして、こんな非常識な時間に余所様にお邪魔するテッド君の知り合いなんて、坊ちゃんくらいしかいませんよ」

形勢が悪くなると共に、自然と俯いていく。
さりげなく酷いことを言われているが、そんな内容も気にならないくらい、テッドの頭の中でけたたましく警鐘が鳴っている。恐らく、傍で聞き耳を立てているティルも同様に。
まずい。非常にまずい。

「あはは…やっぱりグレミオさんにはばれちゃうか!」

声を出して笑いながら、
もうどうにでもなれ、とテッドは心の中で土下座した。

「あいつを捕まえたら、まず常識を教えてやってください」
「言われなくとも、そうしますよ。…普段から、教えているつもりなんですけどねぇ」

再教育ですね、と手を口許に当てながら呟く姿は、正に母親だ。いい年した青年には見えない。

「で、坊ちゃんはどこですか?」
「ティルなら来ましたけど、ここじゃすぐにグレミオさんに見付かるぞ、って言ったら、慌ててあっちの方へ駆けて行きました」

街の外れにあるこの家の南東、鬱蒼と木々の生い茂た森を指差して言った。

「ありがとうございます。今夜はテッド君の好きな煮込みハンバーグにしますからねっ!」

グレミオはぎりっと手元のロープを握り締めると、一つに束ねられた金髪を靡かせ、途方もなく広がる森へと駆け出していった。
その様子をドア越しに眺めながら、テッドはプラプラと手を振った。なるべく早めに諦めるように願いながら。
同時に、下手をしたら夕暮時まで帰って来ないのだろうとも思う。
グレミオはこの時代に珍しい、馬鹿のように人を信じる人だ。先程のように明らかに嘘を付いていると分からなければ、あっさりと信用する。

「…俺は良心が痛むよ」

足音が聞こえなくなったのを確認してから、ワードローブから這い出してきたティルに対して呟いた。
…だからこそ、俺らみたいな悪餓鬼にしてやられるんだろう。
先程心の中で土下座したのは、絶対に見付かるはずのない少年を探しに森の奥深くへと向かった青年に対してだ。
その探されている本人は、横で大きく伸びをしてから、おはよう、と微笑んだ。

「助かったよ。ありがと、テッド」
「あのなあ、俺の寿命を縮めるようなことさせるなよ!縮まないけどなっ!」

肩をバシバシと叩いてくるティルは、テッドに残る蟠りなどどこ吹く風だ。
がっくりと肩を落としたその流れで布団に潜りたくなったが、生憎先程の一騒動で目はぱっちりと冴えまくっている。

「そういえば、逃げてた原因って何だ?ミルイヒ様のパーティーとか言ってたけど」

ベッドにどかりと座り、頬杖をつきながらテッドが尋ねた途端、ティルは表情を凍らせた。

「パーティーは好きだろ?」
「パーティーは好きだよ」
「となると…原因はミルイヒ様?」
「…………」

ティルは彼の父親が家にいることの方が少ないからか、誰かと共に何かをすることにこだわる。テッドが半居候になった頃は酷く、食事や風呂はおろか、本を読むときや眠るときでさえ傍に誰かがいなくてはならないほどだった。
今、それは大分緩和されてきたが、その名残か、大勢と何かをすることが好きだ。だからこそ、テッドはパーティーが原因だと思えなかった。
しかし、彼は生まれながらの“お坊ちゃん”で、故に自らの立場を知っている。嫌いな人がいる、などという理由で公の席を欠席するほど、子供ではない。
ティルは黙していたが、それこそが肯定の証でもあった。









戻る








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -