正しい門限の破り方 

『…じゃあ…おやすみなさい。』





微笑みながら小さく手を振るキミのいつものセリフを聞く事になるまであと数十分。



(さて…どうやって切り出すかな…)



美味しそうにデザートを食べるキミを、コーヒー片手に穏やかに見つめる胸中といえば穏やかではなくて。




『父の反対を押しきって上京したので、なんだか申し訳なくって…』



容姿端麗な上に素直で優しい自慢の彼女は、上京の条件のひとつとして父親から挙げられた『門限は22時』を守り続けている。



管理人がいるシェアハウスで暮らしているとはいえ、それなりの理由を付ければ22時を越えて帰宅する事や、朝帰りする事だって不可能ではない。それでも、娘を想うが故の親心をきちんと汲んでやれる恋人は自分には勿体ないくらいに感じる程だ。




しかし…




数週間後に迎えるキミの二十歳の誕生日には、22時の門限を守る訳にはいかなくて。




「わぁ!このケーキおいしーい!ねぇ、智也さんも食べてみて?」




一口分のケーキをフォークに乗せて俺に差し出そうとする無邪気なキミに、柄にもなく緊張している様子を悟られないよう、いつもと変わらぬ笑顔を向ける。




「あのさ…沙耶の誕生日なんだけど調度土曜日だっただろ?一日…というか、次の日の朝まで一緒にいてくれない?」






さて、どう突破しようか。





パパのgateを…









正しい門限の破り方













「うーん……どうしよう……」



自室のベットに寝転がる沙耶が先程からもう何度目になるかわからない寝返りをうちながら、やはり何度目かわからない独り言を呟く。




ハァ…とため息をつきながらふと壁に掛けてあるカレンダーを見れば、一週間後の土曜日に付いているマル印と『誕生日』の文字。




週末のデートで砂原に言われた『朝まで一緒に』という言葉を思い出す度にトクンと高鳴る胸の鼓動は、不安と期待が入り交じる不思議な感情を沸き起こさせる。




(どうするもこうするも、二十歳の誕生日に彼氏に誘われたのに、『門限が…』なんてあり得ないセリフだよね…)




『どうしよう』なんて口にしてはいるものの、沙耶の頭の中はといえば…

『新しく買ったあのワンピース着ていこうかな…』

『あ!泊まるなら着替えとか要るけど荷物はどうしよう…』

『っていうか、泊まるってやっぱりそういう事だよね…。それはそれで怖いような…』




大好きな人と過ごせる事は沙耶だって素直に嬉しいと思う。それは初めて夜を共に過ごす事への不安や緊張さえ忘れさせてくれるほど。




しかし、こうして誕生日に想いを馳せながらも、楽しい時を過ごすには、父親との約束である『門限は22時』を破らなければいならないという、どこか後ろめたい気持ちが胸の奥をチクリと刺激する。




「パパね、あんな風に言ってるけど、本気じゃないのよ?ただあなたの事が心配で大袈裟に言ってるけど…」




「わかってる。私だって東京はちょっと怖いし?夜道は一人で歩かないし、遅くなるときはちゃんと管理人さんに連絡する。ま、送り届けてくれる彼氏ができれば別ですけどね。」



「あら!パパはそっちの方が心配すると思うけど?」



「あはは!そんな事言ったら門限どころじゃなくて外出禁止になりそう。」



「ふふっ!ま、素敵な彼氏が出来たらパパはともかく、ママには教えなさいよね。」







思い出すのは四つ葉荘へ引っ越す前夜、酔っぱらいながら『門限は夜10時だ!』と言い放った父が去ったリビングでの母との会話。






父が本気で門限を守らせようとしているわけでは無い事は百も承知。
見知らぬ土地で、親しい友人や知人も居ない都会で始める新生活を案ずる気持ちと、手塩にかけて大事に育てた可愛い娘が、自分の手から離れて行ってしまうような寂しさを素直に表現出来ない父親の、父親らしいエールだ。






確かに父の気持ちは大事にしていたつもりだけれど、『門限』という言葉を盾に、自分の気持ちに素直になれずにいただけかもしれない。
今までだって、『泊まって行けばいいよ。和人には俺から説明するし。』と言われた事が何度かあったのだが、自分の決心がつかない事は隠したまま、門限を理由に帰宅していた。





「…そうだよね。智也さんとのお付き合いは後ろめたい事なんてないもん。 パパのせいにしていつまでも逃げてちゃダメだ!」





モヤモヤとした気持ちを振り切るように、ガバッとベッドから身を起こすと、テーブルに置いてある携帯を取り通話ボタンを押す。




「あ、もしもしなずな?あのね、明日ちょっと買い物に付き合ってほしいんだけど…。うん…そう。今度のデートで着る服買いたいの!」

















『あのっ……今度の土曜日なんですけど…その…日曜日までずっと一緒にいてもらえますか?』





あと数分で日付が変わろうとしている静かなオフィスで、残業をこなしていた砂原が携帯を耳にしたまま、驚きのあまり書類やファイルをバサバサッと床に落とした。





「え…?『ずっと』って……つまり、外泊OKって事…なのか?」




まさか彼女からこんな電話がかかって来るなんて想定外の出来事で、落とした書類もそのままに、呆然と立ち尽くす。




「…は、はい。………ダメ…でしたか?』




反応をうかがうように、恐る恐る返事をする沙耶の声にハッと我に返る。



「いや、嬉しいよ。嬉しいけど。…ただ、いいのか?『門限』は…」




そう、気になるのはただ一つ。
これまでにも何度か外泊の誘いを断られる原因になっていた『門限』の事。




もちろん、沙耶の優しい性格から察すれば、父親の気持ちを大事にしていたのは本当だろう。
しかし、異性と付き合うのは初めてな彼女だから、外泊はかなりハードルが高かったはず。
まして、彼氏からのそんな誘いを断るなんて、自分の事よりも相手の事を優先する彼女にしたら相当心を痛め、辛い思いをした事だろう。





そんな沙耶の気持ちを察してやれなかった自分の大人げなさと、これまでの恋愛ではあまり経験した事のない『誘いを断られた』という事実は、砂原から自信も積極性も奪い、つい先日やっと誕生日のデートに誘った後も「また断られるんじゃないか…」と内心ビクビクしていたのだ。





『良かった…。あの…私、本当は今までずっと智也さんとならって思っていたのに、いざ誘われると恥ずかしくて…。それでつい、門限を理由にしちゃって…。本当にごめんなさい!でも、智也さんとのお付き合いには後ろめたい事なんてないし、自分の気持ちに正直になろうって決めて…それでっ…』





    
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