「えぇっ!?赤ちゃん!?」
「…やっぱり驚くよね?当の本人が驚いてるんだもん。びっくりしないほうがおかしいしね。」
『話があるから』と言う親友の梨香に会うために帰省した実家のリビングに響く自分の声に慌てて口を押さえた。
「ごめんね、大きい声出して…。ホントびっくりだよ!!でも…おめでと。」
「ふふ。ありがと。」
「で、体調は大丈夫なの?」
「うん。つわりが結構辛かったけど、やっと乗りきったとこ。」
そう言いながらお腹を触る少し痩せた横顔は柔らかい笑みを浮かべ、我が子を慈しむ優しい母の顔で。
小さな頃から何をするのも一緒で、くだらない話で笑い転げたり、失恋した時には一緒に泣いたりもした。
そんな、知らない事なんて何も無いと思っていた梨香が、私の知らない人のように見えて何だか戸惑ってしまった。
キミと見る未来
「はぁ………赤ちゃんか……」
親友から結婚と妊娠という驚いたけれど、嬉しい報告を聞いた数日後、沙耶は四つ葉のリビングでソファに寝転びぼんやりと天井を見つめていた。
自分より年上の裕介は友人の結婚式に招かれることも増え、その話を聞くたびに少しは身近に感じていた『結婚』だが、学生であり二十歳を過ぎたばかりの自分にはまだまだお伽噺のように感じていた世界。
それが、先日親友と会った事で何だか一気に身近な出来事のように感じ、梨香の幸せそうで柔らかいあの表情が忘れなれないでいた。
(梨香…キレイだったな…私なんて…)
フゥ…とため息をつき、瞼を閉じれば、母の顔をした親友と親の脛かじりな自分とのギャップばかりが浮かぶ。
裕介と付き合い始めてもう2年になる。
もちろんお互いに気をつけてはいるが、肌を重ねる機会が増えるにつれ気がゆるむ事もしばしばで…。
愛し合えば新しい命を授かる可能性は十分ある。そうなった時に自分は梨香のように笑えるのだろうか…。裕介は喜んでくれるのだろうか…。
数ヶ月後には母になる親友に比べ、自分の恋愛はおままごとのように感じてしまう。
(私だって…可能性が無いとは言い切れないんだよね。)
そう思いながら何となく自分のお腹に触れたその時だ。
「ただいまー…って沙耶!?帰ってたんだ。」
ガチャリと開いたリビングのドアから現れた裕介の姿に、弾かれたように身体を起こす。
「あ…裕ちゃん。お帰りなさい」
さっきまでの自分の思考のせいもあり、何となく目を合わせられず、乱れた髪を直すふりをしてごまかしてみる。
「ん、ただいま。てか、沙耶がここで寝てるなんて珍しいよな。もしかして具合でもわるい!?今腹さすってなかったか?」
「あ、ううん。大丈夫。今日誰も居ないし、ちょっとお昼寝しようかなって…」
「そっか。ならいいんだけど…」
勝手にナーバスになっているのに、裕介に対する態度さえもぎこちなくなる自分に気づかれず、ホッと胸を撫で下ろした沙耶の隣にドサッと身を沈めた裕介は、いつものように甘えてくる。
「…なんか、沙耶とこうするの久しぶりだな。」
「週末は実家に帰ってたしね。」
「…沙耶、いい匂い…」
「…あ…」
沙耶を抱きしめ、首筋に顔を埋めた裕介がそのままの体勢で体重を預けたことから、沙耶の体はソファに倒れ、裕介に組み敷かれる形になる。
実家に帰省していた事もあり、今日久しぶりに顔を合わせるということで、ある程度予期していたこの状況に、今までの沙耶ならば素直に身を任せただろう。
しかし、今は違う。
お互いの愛情を確かめ合うだとか、言葉に出来ない想いを伝えるだとか、そういう事よりも、愛し合えば新しい命を授かる可能性がある。その命を喜び、育てて行けるだけの力が自分にあるのか。そもそも裕介は結婚だとか妊娠だとか、起こりうる可能性があるということを自覚しているのだろうか…。
裕介の腕の中でこんな事ばかりが思考を支配し、身体を重ねるという行為自体に嫌悪感さえ抱いてしまう。
「ちょ…待って!裕ちゃん。」
裕介がシャツの裾を引っ張り出して腰から背中に進入しようとしたその手を阻み、上体を起こそうと身を捩る沙耶の態度に、『そうか!』とばかりに裕介も身を起こす。
「やっぱリビングじゃ嫌だよな。オレの部屋行こ?」
「あ……えっと……」
ソファから立ち上がり、部屋へ移動しようと差し出された裕介の手を、俯きなかなか握ろうとしない沙耶の態度を『久しぶりに会うからって照れちゃって…』と考えた裕介は間違いではない。
「なんだ、なんだ?抱っこしてほしいのか!?ほらっ!裕ちゃんのお部屋へいきますよ、お姫様。」
「え?違うよ!そういうんじゃなくてっ…」
「ん?じゃあどういう事かな?ちゃんと言わないとさらっちゃうぞー!!」
「きゃっ!ちょっと…待ってって!」
「だーめ。もう待ちませーん。」
「裕ちゃん!ふざけないで!もうっ!嫌だったら!!」
わざとおちゃらけた台詞を言いながら、再び抱きしめてくる裕介に悶々とした自分の思考を伝えられる訳もなく、気がつけば両手でドンッと裕介の身体をを押し戻し『いや』という言葉を口にしてしまっていた。
それまでの穏やかな空気が一転し、シーンと静まり返るリビング。
ソファに座り俯いたまま明らかに様子のおかしい沙耶に、『何かあったな』とは感じるものの、自分が何か拒まれるような事をしただろうか…と考えてみるが、答えは『No』だ。
「オレ、沙耶が嫌がるような事した?自分じゃわかんないからちゃんと言ってくれよ…」
「……ごめん。裕ちゃんが悪いんじゃないの。」
「ごめんじゃわからないよ。何かあったんだろ?」
「…………」
自分が気付かないうちに何かしたんじゃないかと思う不安と、理由も分からず一方的に拒まれた理不尽さを感じながらも、なんとか優しい言葉をかける裕介も、黙り込まれたらお手上げだ。
一方の沙耶も、自分の気持ちをどう裕介に伝えたらいいものか、自分で自分の気持ちを持て余している状態。
そもそも、親友が結婚や妊娠をした話に触発されて、ナーバスになっているなんて伝えた所で、男子にこの気持ちを解ってもらえるだろうか…。
仮に解ってもらえたとして、裕介から『子どもが出来たら結婚しよう』なんて台詞を言われたらそれで満足するのだろうか。
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