片恋の月 

見上げた夜空には上弦の月。



片側が欠けたその姿は、今の私の気持ちを表しているようで。



満月へと向かうこの月のように、私の恋も満たされる日が来ますように…。
























「おはようございます。」


「あれ…おはよう。早いんだね。」


「はい。目が覚めてしまって…。朝食の準備お手伝いしますね。」


「ありがとう。助かるよ。」



誰かを想って眠れない夜を過ごす…なんて、漫画やドラマのような事が自分にも起きるとは思いもしなかった。
恋をすると皆、こんな風に胸を焦がして眠りにつくんだろうか。
昨日も…というかここ数日は、なかなか寝付けなくて、屋上でしばらく夜空を眺めてからベッドに入るのが日課になっている。



「…ちゃん?おーい、沙耶ちゃん。」


「えっ!?あ、はい?」


モヤモヤとしてスッキリしない思考な上に、寝不足がプラスされた脳はまだ覚醒していなくて、和人さんの声にも反応が鈍い。


「ぼんやりしてるけど大丈夫?」


「すみません!大丈夫です。」


「もしかして寝不足なんじゃない?」


「えっ!?…どうして…?」


「ははっ!そんなに驚かなくても…。最近よく遅くまで屋上に居るし、食欲も無いみたいだし。それに、よくあくびをしてるから、そうかなってね。」


「えっ…あくび!?やだ…。」


屋上と食欲はともかく、和人さんが気になるほど頻繁にあくびをしていたのかと思うと、恥ずかしくて居たたまれない気持ちになる。



「何か悩み事でもあるのかな?」


「あ…えっと…」


穏やかな口調だけれど、心を見透かされたような的確な質問に、しどろもどろな返事をしてしまう。


「あー…いや、詳しく話せって事じゃないんだ。沙耶ちゃんくらいの若者は悩むのが仕事みたいなものだからね。ただ、俺で良ければ話を聞く事くらいはできるから、あんまり悩みすぎないようにね。」


そう言いながらテキパキと調理を進める和人さんの手にはフルーツの盛り合わせ。


「ん?あぁ、これ?食欲無くてもフルーツならたべられるかな…ってね。沙耶ちゃんパイナップルとキウイ好きだっただろ?」



「!!」


和人さんの気遣いが嬉しくて…でもそれ以上に申し訳ない気持ちで一杯になる。


「あのっ!…ありがとうございます!!」


「うん。朝ご飯食べないと悩む体力もつかないからね。さ、コーヒー淹れるから座って?」



男性ばかりと聞かされて、初めは不安だったシェアハウスでの生活だったけれど、和人さんが管理人さんだったから住むことを決断出来たのかもしれない。
こんな風に付かず離れずの絶妙な距離感で見守ってくれる人はそうそう居ないと思う。



「千尋だけど、来週には帰ってくるはずだよ。」


「え…?」


何の前触れもなく耳にした片想いの相手のなまえに、思わず和人さんを見上げたまま固まってしまう。



「来週には帰国するって、昨日連絡があったんだよ。」


「あ…そうですか。凄いですよね、フランスまでピアノのレッスンに行っちゃうなんて。」


和人さんにまで聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいドクドクと脈打つ鼓動と、動揺した態度を隠すように、努めて明るく振る舞う。



「そうだね。ピアノに関するストイックさはここに来た頃と変わらないな。」


「ピアノの練習に集中している時は、夕飯の時間も忘れてますもんね。私も何度かアトリエまで呼びに行ったことがあります。」


コンクールの前や新しい曲を練習し始めた時は特にそうだ。
いつまで待ってもリビングに来ない菊原さんを誰がアトリエまで呼びに行くか、じゃんけんやアミダで決めるのも恒例の風景で。


「あいつね、前はもっと馴染まないっていうか…まぁ、今でもそんなに率先して皆の輪に入る方じゃないけど、それでもかなりリビングに出てきたり、一緒に食事を摂るようになったんだよ?」


「え…そうなんですか?確かに、大勢でわいわい騒ぐイメージは無いですけど、バーベキューとか誰かのお誕生日とか、皆で集まる時は必ず参加してましたよね?」


お酒が入って賑やかに話す桜庭さんや翔ちゃんを横目に、時々和人さんと話をしながら静かに皆の輪に入っているというのが
菊原さんのいつものスタイルだ。


「そうだね。沙耶ちゃんがここに住むようになってからはね。」


「え…?」


「まぁ、これはあくまでも管理人の立場から見た客観的な意見だけど、沙耶ちゃんが来る前と比べたら、確実に参加率は上がってるよ。千尋は皆の輪を乱すような事はしないけど、団体行動は苦手な所があるしね。そんなあいつが色々と顔を出す機会が増えたっていうのは俺も嬉しく思っていたんだ。」


そう言いながらカップを傾ける和人さんは、視線だけ私に向けて意味深に微笑む。


「寝不足の原因があいつなら、案外早く解決するかもね。」


「え?それはどういう…」


動揺のあまり目を泳がす私を尻目に、『さて、そろそろうるさいやつらが起きてくるぞ』と言って、和人さんはキッチンへ向かってしまう。
和人さんの話をかなり前向きな思考で解釈すれば、菊原さんのイベント参加率が上がった理由は私が居るから…ということになる。それはつまり、少なくとも菊原さんに嫌われてはいないということ。
欲を言えば、好かれていたら良いな…。なんて。


リビングに残された私は、『おっはよー!!腹へったぁ…』と言いながら起きてきた桜庭さんと挨拶を交わすまで答えの無い考えを一人巡らすのだった。
















    
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