好きよりもっと 

例えば…。



小さな子どもが甘えるように。



仔犬や仔猫がじゃれあうように。



素直に想いを伝えられたなら…。












好きよりもっと











『もう遅いんだから、そろそろ寝たほうがいいんじゃないか?』



「え?!あ…もうこんな時間なんだ…。すみません、つい長くなってしまって…」



アトリエでの作業を終えて自室に戻った沙耶が『おやすみなさい』を言うためにかけた電話は何時もの如く一言では終わらない。



『いや、俺はいいが沙耶は明日も朝から講義じゃなかったか?少し落ち着いたらゆっくり食事にでも行こう。だから今日はこれで…。』



「はい!頑張って課題を終わらせますね。食事、楽しみにしてます。おやすみなさい。」



『ああ、おやすみ。』



電話越しに聞こえる労るような優しい声に、課題に追われ、連日のアトリエでの作業で疲れた心も身体も癒されていく。



「秀…大好き」



ゴロンとベッドに体を沈めた沙耶が面と向かっては恥ずかしさが邪魔をして、口にできない『大好き』をパタンと閉じた携帯にを胸に抱き締めながら呟く。



学年を追う毎に増えていく課題に追われる沙耶と大学院も卒業の年を迎え、教育実習や就職活動に奔走する松本の生活はすれ違うばかりで、『いずれは2人で…』と借りたあの部屋でゆっくり過ごす時間も取れないでいる。



(この課題を終わらせれば2人きりでゆっくり過ごせるかな…)



目を閉じれば、引っ越しの手伝いをしたあの日、あの部屋で過ごした甘い時間が蘇る。



耳を擽る甘い言葉や熱い吐息。
肌を滑る熱い唇と大きな手。
見た目よりガッシリとした男らしい腕に抱き締められながら迎えた朝。
初めて味わう恥ずかしいけれど心地いい、幸せな時間が忘れられない。



何かに集中していないとつい、あの日の出来事を思い出しては心拍数を上げ、頬を赤くしてしまう。



(ヤダヤダ!私ったら…反芻しちゃだめっ!!)

火照る頬を押さえながら頭を支配する思考を追い出そうと頭をブンブンと振り、自分に言い聞かせるように『もう寝よ…』とわざと大きな独り言を呟くのだった。









―…数週間後…―


「……や…沙耶……沙耶!!」



「…え?………あ、ごめん。何だっけ?」



「だからぁ!課題も終わったし、今夜皆であきちゃんのお店に行かないかって話!」



取り組んでいた課題を提出し終え、講義も午前中で終えたなずなと沙耶は大学近くのカフェで久しぶりに2人でランチを楽しんでいる。
上の空で聞いていた話は、なずな同様仲の良いアキオがバイトをしている店に飲みに行こうという内容。




「あー…今夜ね…」



「あ!わかった!松本さんと予定あるんだ?」



ピザを頬張りながら、ニヤニヤとからかうような視線を送るなずなとは対照的に沙耶の表情は冴えない。


「ううん…予定は無いんだけど…もしかしたら予定が入るかも?」



「えぇ?何そのハッキリしない感じ…って言うか沙耶さ、最近ぼんやりしてる事多くない!?さっきも話聞いてなかったし…」



「あ…、ごめん。ほら、今回の課題大変だったし、疲れてるのかなぁ?」



思い付いたように食べかけのパスタをクルクルとフォークに巻き付けながら、ははは…と笑う沙耶の笑顔は、どこからどう見ても本心を隠す誤魔化した笑顔で。



『まったく…』といわんばかりの呆れ顔のなずなは、大げさに肩を落とす仕草をしながら、ハァ…とわざと大きな溜め息をつき、諭すような口調で話始める。



「ねぇ、沙耶。隠してるつもりなんだろうけど、バレバレだから。」



「え…」



「私には隠してもダーメ!松本さんと何かあったんでしょ?解決にならないかもしれないけど、気持ちが楽になるなら話してよ。最近元気ないから心配してたんだよ?」



「なずな…」



確かに今回の課題はかなり大変なものだった。なずな自身も四つ葉荘のアトリエを借りて沙耶と共に夜遅くまで作業をしていたため、身体的な疲労は確かに感じていた。
しかし、作業に集中していない時間の沙耶は物思いに耽るような、何かに悩んでいるような物憂げな表情で溜め息ばかりついており、それは作業からくる疲労だけが原因だとは思えなくて。



「無理に話せとは言わないけど、元気の無い沙耶を見てると心配だからさ。」



大学での生活は勿論、プライベートでも行動を共にすることの多いなずなは沙耶の良き理解者で、言葉にしない不安や悩みを察し、さりげなくフォローしてくれる。
そんななずなの優しさに、沙耶の気持ちを支配し続けていたモヤモヤが解け、溜まっていた思いが次々と口をついて溢れ出す。



「それがね…。何かあったんじゃなくて……何も無いんだ…」



「え?」



「だから…ね、何も無いの。引っ越しの日からほとんど部屋にも遊びに行けてないし…。お互いに忙しいからゆっくり会う時間も無いんだけど…」



食後にオーダーしたアイスティーに浮かぶ氷をストローでクルクルと回しながら言いにくそうに俯く沙耶の頬は桜色に染まっている。



普段自分の事はあまり話さない沙耶が、松本の引っ越しを手伝った日の出来事を照れながら、でもとても嬉しそうに報告してくれた事を思い出せば、『何も無い』の意味はひとつしか思い当たらない。



「あぁ…なるほど。そういう事ね。私はてっきり松本さんと喧嘩でもしたかと思った…」



沙耶の溜め息の原因が自分の心配していたような理由では無かった事にホッと胸を撫で下ろす。



「…それで?沙耶は何かしたの?」



「え?」



「だからぁ!何もなくてガッカリしてるって事は、『何かしたい』って事でしょ!?」



「えぇ!?ガッカリ!?私、そんな風に見えてたの!?」



自覚していただけに、改めて他人から聞かされる自分の本音に動揺は隠しきれなくて。
沙耶は頬の色を更に濃く染め、熱い頬を両手で挟むように押さえながら『やだー…』と再び俯いた。



そんな沙耶の様子を微笑ましく思いながら、なずなは更に優しく言葉を続ける。



「そんなに恥ずかしがる事無いんじゃない?」



「…え?」



「だって、引っ越しの日の話してくれた時の沙耶、すっごーく幸せそうな顔してたんだよ?『一緒にいたい』『もっと触れ合いたい』って思うのって、すごく自然な事だし、もし自分がそう思って貰えたら嬉しくない?」



「…う、うん…。確かに、松本さんも私と同じ気持ちだったらいいなぁ。とは思う…」



「でしょ!?だったら、待ってるだけじゃなくて、沙耶も自分の気持ちをぶつけてみたら?」



「私の気持ちを…?」



「そっ!もう課題も終わったんだし、『会いたくて来ちゃいました』って会いに行ってみたら?」






    
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