93 | ナノ

意識の色が黒から変わる、いつの間にか起きていた。眠気は無く赤い布越しにぼわぼわした太陽を見ている。いつ寝たか分からないことはある、けどいつ起きたか分からないことは二度寝でもしない限り無かった。はっきりと開く瞼に起き上がる。被っていたジャージを膝に落とすと少し冷たい空気が顔と肺を打った。相変わらず変わらない景色に、ぎしぎしと軋むボートの上。太陽が動いていない気がして、そこまで寝ていたのではないと分かった。訳もなく周りを見回すことに少し呆れを感じる。何か、夢を見ていた。誰か居た、気がする。はあ、と暇の大きさに溜め息をつく。どんな夢だったかを思いだそうとする無謀なことしか出来ないほどには暇だ。どこかに向かうことを知っている訳じゃない、むしろどこかに行こうという気がない。底も知れぬここで泳ぐということは候補にもならない。もう一度寝ようかと思いもするが眠くない。何をしているんだろうと空しさが背中をつけた。真後ろで何をしているんだとそいつが繰り返す。本当に、何をしているんだ。途方もない。
溜め息の代わりに何かを叫びたかったのか、それとも何とかそれを振り払いたかったのか、ぐっと顔を上げて薄くなった宇宙の色を見た視界にぽつりと黒い影が写る。思わず立ち上がりかけてボートがぐらりと傾いだ。ばしゃんと荒い水音が立つ。黒が徐々に複数になり、ゆっくりと大きくなっていく。ざあっとノイズが耳を走って、目を見開いた。ばしゃんと一つが落下した途端次々と降ってくる。水面を叩いてそのまま沈んでいく黒が大きく一斉に鳴いた。耳が痛くなる黒い合唱、ボートを避けていく周りが見えないほどの豪雨。何千の鴉が落下する。水面からもう一度姿を見せないままに、水飛沫と覆っていた葉だけが飛ぶ。喉で何か言ったはずなのに声は聞こえない。あまりに痛い声に耳を塞げば、血液を渡る心音が聞こえた。ふと、ついに思い出す。昔の。

とある君とカードをしている。教室のど真ん中、緑のビリヤード台の上に雑に積み上げられている平たい山。玉があっちこっちに転がっている。向かいの君は考えるように何度も二枚のカードを交互に見て笑う。正しく揃っていない数字の時計、ダーツ板を組み上げて作られた椅子。オレがカードを出すと嬉しそうに一枚出してきた。

「ウノ」

オレの手には八枚ものカードがある。それは最初一人に配られる手札の数を越えている枚数。途中経過が思い出せない。さあさあと楽しそうに急かす君に押されてカードを山に乗せれば、君はにっこり笑って緑の2を出した。君の手にはもうカードはない。負けた。得意そうに嬉しそうに笑われる。

「約束通り一個だけお願い聞いてもらうね」

君が言う。そんな約束をしていたかと疑問になったが、よく思い出せない。した気がして顔をしかめれば、君は少し困ったように笑って手を振った。

「難しいことじゃないよ」

君はそういう嘘はつかないから、その言葉に少し安堵して手札をビリヤード台に置いた。色とりどりのカードは一枚として色が被っていない。違和感を感じたがそれより先に聞いておこうと顔を上げた。君は申し訳なさそうに頬を掻いてオレを見ている。

「お願いはね」

君が山から一枚カードを取った。さっき君が上がったカード。四角の中に納められた色数字。オレに差し出されたそれを受け取ると、君は眉をハの字にして笑う。

「やっぱりちょっと悔しいなあ」

何がと聞こうとして、ふと止めた。君が幸せそうに笑ってオレの真後ろのドアを指している。少し寂しくなってじっと君を見ればころころと君は楽しそうに笑った。

「おめでとう」

サイレンの音が響き渡る。

「うわ、わっ......!これどうやって止めたら......!」

わたわたと叫ぶ端末をおっかなびっくりに操作しようとするセトに寝ていたことを自覚した。昨晩寝ずに日を跨いで何と無く徹夜をしたためにモモとエネとの約束通りアジトに行ったオレはそのままソファに倒れ込んだ。エネが二時間後には起こすと言っていたのを思い出すにオレが寝てから二時間しか経っていないのだろう。すっかり眠気も飛んですっきりした頭に睡眠の偉大さを痛感する。よく寝たわけでもないが、吐く吐くと言っていた二時間前よりずっと気分が良かった。
混乱するセトがいよいよ端末に向かって無駄に口に指を当てているのを見て馬鹿だなと眺める。仕方無く横から端末を奪って止めてやるとセトはホッと息をついた。混乱し過ぎて操作を誤っていたのか、アプリが何個も建っていた。

「シンタローさん、おはようっす」
「もう夕方だけどな......」
「じゃあ、こんばんはっすね」
「コンバンハ」

へらっと笑うセト。ぐっと上体だけ起き上がろうとすれば腕を引っ張られた。さすがにそこまで非力でも無いんだがと思いながら起き上がればセトの頬に黒い線が薄く走っているのが見える。最近工事現場のバイトをなんたらと言っていたのでそれだろう。黒い煤の汚れが似合うと言うのは誉め言葉には入らないか。

「さっきキサラギさんが折角祝ってくれるって言ってるのに、って怒ってたっすよ」
「祝ってくれてるなら昼寝くらい見逃せよ......」
「それは俺に言われても困るっすねえ」

今までソファかと思っていたがどうやらベッドらしいと気付く。セトの部屋でぐーすか遠慮も無く寝ていたとなると少し申し訳無くなるが、まあ仕方ない。ドアの向こうが騒がしい。セトは特に部屋を出ようといったことは言わないのでまだ寛いでても問題はない。二度寝でも決め込もうかと悩んでいるとセトがオレの後ろに手を伸ばしてきた。

「カード」
「シンタローさんのっすか?」
「オレの、......いや、うん......どうだろうな」
「え、どっちっすか」

カードをとりあえず渡してくるセトにまあとりあえずと受け取る。見覚えのある絵柄に複雑そうな顔をしてしまったのか、セトはべたべたとオレの顔に触ってきた。べちっと荒れた分厚い手を叩き落とす。顔を揉まれるのは良い気がしないし男って時点でなんか嫌だ。叩き落とされたことなんてすっかり忘れたように首を傾げてカードを覗き込むセトにふっと軽く溜め息をついた。

「凝ったカードっすね」
「......そうだな」
「どうかしたっすか?」

濃淡を上手く使っている凝ったカードは数字だけじゃなく絵も描かれている。鳥やら花やらと賑やかで、隅に朝日が射し込んでいる。

「別に、何でもねえよ」
「そうっすか」

物分かりが良いのか単純なのか、セトはこくんと頷いた。カードをポケットに突っ込んでベッドから出て立ち上がる。何か喧嘩をしている声が聞こえてくる辺り、カノが何か余計なことをしたか、コノハが何かしたか。もしくは両方か。

「シンタローさん」
「ん?」

振り返ればセトは頬をごしごしと擦って、オレを見る。へらっと笑う。

「誕生日おめでとうございます」

こいつは知らないんだろうけれどどうにもこいつは本当に、文句を言いたくて堪らない。思わず片手で顔を覆って溜め息をつく。なぜかセトが申し訳なさそうに立っている。ドアの向こうでマリーが皿を割った音とヒビヤが悪態をついてる声が聞こえた。
とある短い唄。
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