86 | ナノ
セトシン

フードを深々と被り俯いて、髪の色も隠すように歩く。ふと、何故こんな歩き方をしているのか不思議に思う。そろっと目を上げ、すらっと延びていく道を見る。それは閑散としていて、人影はどこにも一つも無い。ただうっすらと暗くぼんやりとボヤけている。フードを落として誰も居ない道をひたりと見詰め、兎に角進めと脳からの指示電波に草臥れたスニーカーを操った。
進んで行く度にどんより曇る空を思う重たい脳が分かってきた、これは森だとようやく気付く。周りをふあふあと曖昧に見渡せば木々の鬱蒼さに薄暗いのだと分かった。その深緑色は重たく、今にも灰色をまとっているような樹体から落ちていきそうなほどだ。街灯がぽつぽつと存在しているが、この十分な暗さでも灯ることがない。街灯のランプ部分はかなり凝っていて明かりが灯ればさぞ綺麗に見えただろうに。

(変な所、だ)

純粋にそう思ったのは何も木と街灯だけでの判断じゃない。まるで虫が薄い青を食べてしまったようにぽっかりと黒く穴を開ける空、歩く度にそこからぐわんと踏まれた場所から波を立てて赤、黄、青、緑紫黒橙桃茶、名前も知らぬ色と色、変色する延々とした長い道、風が吹いていないのにさやさわと密やかに騒ぐ白と黒だけの花。
不気味とも言えるそんな場所は、それでも歩みは止まらない。とこんとこんと地をゆっくり打つ足音が一本道を歩いていく。何処に行くのかと問いたい心が有っても、それを誰かに問うことは出来ない。
久しぶりの一人きり。それに酔ってしまおうか。あれ、はて、さて。俺はいつもは誰と居たんだっけ。
急にぽおんと道が綺麗な音を立てた。足元から波紋が立って輝くように白くなっていく道にビックリしながら、もう一歩。けれどその音を立ててからいくら踏めど叩けど色は変わらない。可笑しいなあと下を見て歩いていたら、がんっと頭を思いっきり打ち付けた。
その衝撃にようやく我に帰ってパッと見渡せば、さっきまで見ていたはずだった黒が削れ日焼けしたアスファルトの道、つるりとした赤と白の道路標識、赤と水色のような緑のどちらかを灯らせる信号、黒い広がりにてんてんと描かれたざらりとした白線は見当たらない。不思議な白と黒にも見える深い色が視界を貼り付き脳を侵す。こうして見覚えのない道ならぬ道に迷い込むことはよくあるが、なんでこんな所に歩いているのだろう。不可解な現象を自覚し、混乱し出す感情は荒い、しかしどうしてだか足は止まらず歩き続けた。脳内で引っくり返しても見付からない先程経験として更新した真新しい今日の記憶に言い知れぬ不安を抱く。延々続く一本白と延々続く囲む木と、時折街灯。
あまりに代わり映えのしない景色にそれが動くのを止めたのに暫く気付かなかった。いくら念じようと歩くことを止めなかったと言うのに、ふと、何故か足が止まっていた、突然でありながらあまりに自然に。いくら叩こうと色の変わらぬ道はこれだけ暗いと発光しているように見える色彩で、それを見詰めていてようやく一本道だったと思っていたその白線に脇道が存在することを知った。まるで急に現れたように視界の端で埋まっていたその道の近くに白い看板。道の先を指す矢印と崩しすぎた筆記体で幾何学模様のように複雑に絡み合った英字が書かれている。ペンキにしてはぬったりしない白い看板に細工のように赤い線がくるりくるりと踊っている。生憎英語は不得意な俺は読めない看板の文字を撫でて矢印に従って歩き出す。この景色に対する恐怖感などは元から無かったが、さっきまで脳を占めていた混乱はどこかに綺麗さっぱり消え去っていて意図した左右の繰り返しは自然に開始できた。
その先の白線もさっきの道と変わらず果ての無い長さに見えたのに、指された目的地は思った以上に近かった。ぽんっと音を立てて魔法のようにそれが突然現れたような気さえする、濃い鬱蒼とした木々をケーキに見立てて丸く包丁でさくんとくり抜いたような白い地面の広場。その真ん中に進み出て近付いて、ようやく道と同化していた物に気付く。
それが何かと言われると答えにくい。しかしありふれた知っている言葉で示すなら、それは桜に似ていた。純白と言っても良いだろう眩いほど白い巨大な幹に明るい緑の苔が樹皮の凹凸を這い、伸びる枝には無数の花が咲いている。桜にしては仄かに色が濃い、薄紅色の花弁。はらはらと泣くように次々と落ちるその色の雨の儚さは桜と酷似していた。一瞬で思考すら奪い、ただ見惚れる。しかし呆然とそれを見詰めていれば視界が焼かれ、霧の向こうのように霞む。霞む視界にその木から目を反らす。眩しい白に、濃い黒に近い色、休まる色が這う苔くらいだろうか。目を擦り、木の裏へ回った。また道がないものかと思ったからだったが、新しい道よりもずっと虚を突く存在がそこには居た。
白い中で隠れることも出来ない鮮烈な赤は見間違いと済まされない。こんなに広く白く眩しいとその赤は痛さを持って眼球を貫く。知らず手を伸ばしてその後ろ姿に近付いた。

「あ、」

掠れた声に気付いたのか、後ろ姿が振り返る。俺に向かって口を開きかけたその人に、俺は声をかけられる前に側へと辿り着いた。急いでいたのかもしれない、どうしても近付きたくて、大股で二、三歩地面を蹴り、地面に落ちて積もっている花弁も蹴った。足の裏で空気を含んでふんわりと積もっていた花弁が踏み荒らされ踏み潰され、蹴りつけた最後にパッと舞う。

「し、ーー」

何かを告げようとした声は喉を容易に通らず、つっかえにつっかえた末最初の文字だけを掠れた声で漏らす。続く言葉は落ち葉で詰まった排水溝を作り出し絶対に外へ通さない。ひゅっと息も詰まる。切なくて堪らないような。
伸ばしていた指先が辿り着いたことによってその人の肌を触り、耐えられないと言うようにその細さを掴んだ。冷たいとも温かいとも言えない温度が手のひら全体に広がり、そしてひたりと何かを残す。今度は呼べそうで、。
瞬間、ぱしんっと乾いた音と共に掴んだ感触が消え失せ、張り付くようなしっとりした欠片が手のひらを撫でて落ちた。視線を落とせば手に残ったかき集め掴んだような大量の薄い色彩と、。

「......壊れ者、な」

誤魔化そうとする響きを持たせながら無愛想な声がそっと呟く。呆れたような、何か悪いことをしたと思っているような、慣れているような、表情が入り雑じって読みにくく俺を見る。掴んだ腕が無かった。俺の手の中にとかそういう意味じゃなく、ただ純粋に元からそこには腕なんか無かったかのように存在しなかった。はら、と手のひらを撫でる花弁にぞくぞくと震えが走る。
赤い服、腕捲りされて露になっていた肘より下、そこから正常な線は無い。ぼろぼろとまるで肌の下に隠している肉のように舞う花弁と同じ花弁が周りにも降る。砕けてしまったのか、弾けてしまったのか、何にせよそれが俺が触れたせいだとははっきり分かった。そしてそのまま落とし続けてしまった視界にぞっとする事実が目に入ってくる。恐らく俺の行動の結果は掴んだ所から千切れた、ようで。

「本当に取れた訳じゃねえから」

だから大丈夫と、言葉にしないそれの響き。固まった俺を見る顔は見えないけれど。
花弁の上にくたりと横たえている腕。しかしそれをよく見ようとした所でぱしっと軽い音が空気を揺らして腕は花弁の山へと変わった。その人の体内を垣間見たと、何か悪いものでも見てしまったような気分。
く、はっと、苦しげな息に顔を上げれば、さっきまで薄紅だった肌から元通りの形を取った腕を擦る人が居た。ぞわぞわと余韻の悪寒が肌から去らない。脳の裏側を掻き抉りたい。

「どういう......」
「単にこれが媒介なだけだ、お前と違って」

これ、と指した白い木。それは理解が出来るような、出来ないような。曖昧な疑問に首を傾げてしまいそうになるのを必死で堪えて、最後に付け足された嫌味みたいな言葉を咀嚼した。俺と、違って。
聞いてみようかと一瞬思うが、それはごくりと閉じ込めた。刺のある言葉を吐いた瞬間睨んできた目が不満を訴えているようで、それを思い出すとこれ以上何かそれに触れるのは躊躇われた。しん、とした沈黙が落ちる。不機嫌そうな空気を漂わせていた彼も、次第に沈黙によって居心地悪そうにきょろきょろと落ち着かなくなった。

「......はー......帰るぞ」
「え、」

深いため息にびしっと背筋を正し、帰ると言う声に反射で頷いた。しかし声は名残惜しむような響きを持つ。そこで俺はまるでここに残りたいのかと言うような思考に気付いた。そういう訳じゃない、はず。だけど。いや、。いや。
彼はなんだろう。果たして誰だろう。誰と言う表現で合っているのだろうか。
そこからまた沈黙が下りてきてその中で物言いたげな俺の視線に気付いたのか、彼はため息を付きながら俺を促すように軽く手をひらりと振った。それに甘えて俺は息が許す限りの数多の疑問を吐こうとして。

「、......あ」

声が出なかった。いや出せるだろう、出し方も知っている、さっきは普通に喉を打ったのだから。出ないのは疑問として出したい言葉だけ。彼が訝しそうに顔をしかめてぱくぱくと何も言えない俺を見た後、ふと何か気付いたように眉を潜めた。喉にひたりと手を当ててみたが、何とかなる訳じゃない。不安に思って意味もない音を出せばするすると声は響いた。

「迎えに来た」
「迎え、」
「変なところまで迷い込むなよ、帰るぞ」

暫く考え込んだ末に面倒臭そうに彼はゆっくりと俺に伝わるように言葉を吐き出した。説明することは放棄したのか、簡潔にそう言った彼は俺をじっと見て返事を待っている。それに何と無く頷けば、ようやく彼はホッとした顔で俺から顔を反らした。そういう顔、を。頬に伸ばしかけた手をはたと空中で止める。そういう顔を、を、?声も出なければ思考も止まる。中途半端な感情。
しかし歩き出そうとする彼の後ろ姿を見ればまた手は自然と伸び、赤い服を掴んだ。くん、と引っ張られて立ち止まった姿に今度は千切れなかったと安堵しながら勢いのまま声を出す。やっぱり声は出なかったが彼には伝わったようで、すごく嫌そうな顔をされた。

「そういうこと、聞くな」

悔しげに吐き出された拒みに、俺は特に返事も出来ずに彼を見た。一緒に、。一緒?に、帰れる。あ、れ。
彼はいい加減空気に耐えきれなくなったように俺を睨んで腕を掴んできた。彼からは体温を感じない。暖かくも冷たくもない、ただ掴んでいると言う感触だけがそこにある。
あれ。あれ。

「これで良いか」

彼が俺の後ろを見て言うから俺は振り返って彼の視線の先のそれを見る。

『ありがとう。』

小さな子供が出来るだけ大きく書こうと無理をしたような、そんな歪な文字が木に書かれていた。何かがゾッと背筋を走る。いつの間にとそれを見詰めていれば不意に何かさしゅんさしゅんと音が近付き、次にはどんっと何かに背中を押される。勢いよく彼と一緒にその場から退けられる。ばきんっと白い広場の地面が割れ、さっきまで立っていた場所にじゃしゅんっと黒い柵が落ちてくる。その向こうで桜の花弁に似た色が黒に変わり、黄緑色になって全てが散っていく。
ぞっとする、悪寒が鳥肌が嫌悪感が止まらない。何かが吐き気を忍ばせる。

「あ、」

なんだっけ。なんだっけ。これ。
目の前がちかちかするような、ずっと悩んでいた答えが導き出せたような。洪水が脳を全部満たす。色が鮮明に鮮烈に。彼が少し目を伏せた。

「ーーさん、」

喉を打つ。喉を打つ。呼ばないといけない。
こんなの望んでない。カミサマ。

「シンタローさん!」

あ、俺。
彼が見る。俺を見る。仕方ないなって優しい顔で笑う。好きな好きなすきな、笑顔、で。待って待って待ってください。カミサマ、。

「真っ直ぐ帰れよ」

思い出した。思い出した。なんで嬉しいかったんだったか、何を聞きたかったんだったか、そうだそうだそうなんだ。
俺、シンタローさんの代わりにここに、。
腕を伸ばす。頬に触れる。腕を掴む。

「もう来んな」

シンタローさんの代わりに、閉じ込められようと思ったのに。
抱き締めた途端、彼が散った。笑って散った。

「カミサマ!」
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