81 | ナノ

「じゃあ僕用事があるから。セトも迷子にならないようにシンタローくん見張っといてねー」

数字が書かれた紙と一緒にひらんと手を振ってするすると歩いていくその背中にちくちく刺した無言のヘルプは届かなかったみたいだった。隣でくあっと欠伸をしながら俺が歩き出すのを待っているシンタローさんにやっぱりマリーとキドについて帰れば良かったと後悔する。
人にこんな感情を持つのは久しぶりで、俺は最近ずっと困惑していた。俺はこの人が嫌いだ。こんなに激しい感情はもしかしたら初めてと言って良いかもしれないと思えるほど。優しい人だとは思う。けど、それが人を好きになる条件になるかと言えば、そうじゃない。優しければ優しいほど何かが掻き回されて、見せ付けられている気分になるのだ。
まあ、嫌いだ好きだにしろ、兎に角歩き出さないといけない。俺は置いておいてもシンタローさんは暇だから付き合ったくらいの感覚だろう。流石に面と向かって帰って良いとは言えない。適当に掛ける言葉も見付からず、邪魔そうに止まっている俺たちを避けていく通行人の視線に押されて歩き出した。取り合えず何か店にでも入っておけば良いかとそちらに向かう。人波も大体はそちらに向かっているようでそこまで人を避けることもせず歩ける。人を避けることが結構苦手な俺は、毎回この流れには少しホッとする。いつかの潔癖性なんて言葉が不意に出てきて、ますます斜め後ろの気配を濃く感じた。
ふと見慣れた本屋が視界の端に見えて、つい振り向く。少し下を見ていた視線は俺の振り向いた気配に持ち上がる。その視線につ、と本屋を指差した。

「良いのか?」

本屋を見て戻ってくる黒い目。少し首を傾げたようにも、ダルそうにも見える微かな動き。
特に何がと言われた訳じゃないのに分かった言葉に、この人は、と何かを思い掛ける。ぎしっと引っ掻いて消したその先をもう思い出さずに、一回頷いた。好きに動いても、きっと気は紛れない。

「ついてこられる体力、あるんすか?」
「悪かったな体力無くて」

ギロリと睨んでくる目には諦めの色でいっぱいで、仕方ないという風な声で。
驚いた。俺はそれにあははと笑って流しながらひやりとしていた。不快に思われたらどうしようなんてこの人相手に考えたことより、こんな言葉があっさり出てきたことに。口が滑ったなんて表現があるが、まさにそんな感じ。
遠慮、出来ない。言葉が、行きすぎる。
重苦しい肺に汗がひたりと静かに内側を滑っていくような。こういう人間が一番怖い。距離が最初から近い気がする人間が。

「恐ろしい」

さっさと先に入っていくその背中に思わず小さく呟いた。それは部屋で感じる物と一緒だ。まさかなんて胸中に過ぎる思いに首を振った。理由がない。大丈夫。胸騒ぎを抑えてその背中から隣まで追い付けば、シンタローさんは端末の画面を覗いていた。歩きながらよく器用に出来るものだ。感心するような呆れるような、見慣れたその姿勢に、ぎょっと目を見開く。
赤い目。
そんなまさかと思いながら、どこかでやっぱりなと思う。俺の様子に気付いていないシンタローさんにそっと溜め息を吐いて目を閉じ、冷静をかき集めた。

「シンタローさん、」

パッと俺の方を見た目がさっきほどで無いにしろ小さく薄く赤く光っている。

「帰るぞセト」

予想外の唐突の帰宅の誘いに思わず顔をしかめた。しかしシンタローさんは何も言わずに急に逆方向に歩き出す。ぽかんと呆気に取られる俺を一回振り返った顔は少し楽しげに笑っている。珍しい表情に俺は取り合えず理由は後で良いかと歩き出す。シンタローさんが何を考えているのか無性に気になった。

困惑気味だったセトを連れて家まで行き、取ってきた紙袋と共にまた歩き出していた。隣でやはりまだ困惑しているセトに、さてどう切り出そうかとオレは悩んでいる真っ最中。
オレはヒーローなんて憧れてない。なれる訳がない。どう足掻いても何も出来ない。人を救ったことも人を助けたこともない。むしろオレは見殺しにしてしまった。何も出来なかった。オレが生きていることはただただ怠惰に過ごすことだけだ。もしかしたらカミサマなんてものに見せつけたいのかもしれない、どっちが生きていることが正解だったか。だから別にカノの言うように引っ張り出したい訳でも救いたい訳でもない。
ふと微かな水音に橋の上に居ることに気付く。いつの間にかここまで歩いてきていたことに驚いた。ぼんやりしていることは確かにあるが、いつもはエネがぎゃんぎゃんちょっかい出して来るからこういう風にただただ進むって時間は無かった気がする。懐かしくも学生の身に戻ってような感覚に、忌々しいなと吐き捨てそうになった。

「帰らないんすか?」

聞こう聞こうとしていたんだろう、セトがオレに尋ねてきた。それに立ち止まって振り返って帰ると言うと、変な感覚がオレを襲う。まるで家みたいだな、二つの家、身に余る贅沢。

「セト」

ちょうど良いと思った。折角だしこのままの勢いで話を続けてしまおうとセトに手を伸ばす。緊張で間接がぎしぎし煩い。

「ちょっと端末貸してくれ」
「良いっすけど、シンタローさんのは?」
「さっき忘れた」

不思議そうにしながらもオレの手に端末を疑わず乗せるセトに思わず馬鹿だろと言いそうになった。家に居たのは精々長くて五分くらいだと言うのにそんな時間で着替えても居ないオレが端末を忘れる訳ないだろ。がちりと緊張していたオレにとっては手間がかからなくて有り難いが、呆気なさで肩から力が少し抜ける。あっさり手に入った端末を眺め。

「あ」

ぽいっと、そのまま川に放った。
じっと犬のようにそれを視線で追っていたセトは、落ちた端末にぽかんと間抜けな顔をする。え、え、と困惑に短い声を上げるセトの手に持ってきていた紙袋を持たせた。狼狽えながらもしっかりと持つセトに大丈夫かと持ち手から手を離す。オレと袋を交互に見るセトは忙しない。

「誕生日プレゼント」
「し、シンタローさん、え、さっきけーたい......」
「連絡先は入れてあるから」

怒ろうか何をしようかと複雑そうな顔にそう言えば、セトはようやく袋の中身が何か察したようだった。はくはく動かしていた口をようやく落ち着かせて深呼吸と溜め息を混ぜたようなものを吐き出す。袋の中で出された箱の中にあった端末にセトが複雑そうな顔をしている。オレも強引かなとは流石に自覚しているからその視線を甘んじて受け入れた。

「何となく、何となく言って良いっすか?」
「ああ」
「お金」

確信を持っているんじゃないんだろう、声は不安げで震えていた。じっと探るように見てくるセトから、オレは返事の代わりにその言葉でふと目を反らす。ああ、やっぱりと言った顔が脳内にはっきり浮かんできた。置いていったものは全部オレだ。カノに協力して貰って宝くじだの馬券だの。たまにケンジロウも使った。何度も何度も、予行練習の産物を。セトが使わないことも分かっていた。

「そう、っすか」
「......」
「なんでっすか」

諦めたような声に視線を戻せば、セトはその声と一緒のような顔をしていた。裏切られたみたいな顔だなと思いながら確かになとも思い知った。カノは伊達に幼馴染みじゃない訳だ。

「お前が受け取らない金と受けとる金の差はなんだと思う」

問い返せばセトは不快そうに顔をしかめて俺を見た。中途半端な時間帯だからだろう、人は全く見当たらない。落ちた端末はもう壊れただろうか。そう言えばこれも立派なぽい捨てになるのかもしれないなと内心ですいませんと謝りながらセトの答えを待てば、セトは言葉をひたすら選んでいるようだった。しん、とした空気が長く続く前にオレは喋り出す。

「罪悪感を感じるか感じないかだ」
「......ずいぶん、知ったように言うんすね」

何も知らないくせに。そんな言葉でも聞こえてきそうな態度に、まあ当たり前だなと心中頷いた。セトみたいな能力がないんだから何も知らないのは当たり前だろ。事実だけ知っても、そいつが何を思ったかなんてオレに繰り返すことは出来ない。

「今日だけは何度でも聞いて貰う。今日が終わったらオレは何も言わない」

セトが睨んでくるのはやっぱ怖い。そりゃオレはそういう喧嘩に縁がないから仕方ない。殴られたらどうしようか、やっぱり痛いんだろうな。
後退りしようとするセトの手首をいつかみたいに取る。軽い抵抗は伺えたが、ここで離される気は無い。出来る限り強く握れば、セトは顔を歪めた。

「アレを辞めろ」

オレに知られずオレがすぐ忘れることが出来てオレに悟られずオレに思い出させないなら、良かった。それならお前はそのままでも良かった。お前の存在感はオレの中で煩い。それだけ。
沈黙がぞわぞわと辺りを囲んでそこまで寒くもない気温を下げる。ひたりと不気味な足音でもしそうな空気。

「辞めて、どうなるんすか」

ようやくぽつりとセトは呟いた。裂かれた不気味さ。けどセトにとってはそんな不気味さはまったく存在していないようだった。俯いた顔が歯を一度がちりと噛み合わせる。

「辞めてどうなるんすか。そうっすよね、あんだけ金があれば、辞めても良いっすよねっ。でも今さら辞めて、どうするんすか!」

さっきの呟きがまるで決壊した合図だったみたいに、セトの口から言葉が出てきた。ばきゃっと不快な嫌な音を立ててヒビが入って広がっていく。びしびし欠片を飛ばしながら広がったヒビは生きているみたいにのたうち回る。

「俺だってやりたくてやってた訳じゃない!けどっ、でも......っ!」

言葉を切って歯を食い縛って、セトは思いっきりオレの手を振り払った。バシッと肌を打つ痛みに顔をしかめるが、それでも怯むわけにはいかない。そのまま勢いで伸びてきた手はオレの胸ぐらを掴んだ。ぐっと絞まる喉と吐きそうなほどの激情への恐怖で足がふらふらしそうになる。

「なにも知らないくせに......っ!」
「ああ知らないな!」

声が震えるかもしれないと思いながら、誤魔化すように声を張った。オレの不意の言葉にぎしりと傷付いた顔をするセトに、勝手なと苛立ちを覚える。胸ぐらを掴んでくる手の手首を掴んで出来る限り力を籠めた。オレの力で離せるわけがないのは一目瞭然で、妥協の抵抗と言える。

「知らないに決まってるだろ、お前の考えてることなんか一個も知らねえ!」
「じゃあほっとけば良いじゃないっすか!」
「ほっといたらお前は役に立ったままで居られたからか?!」

俺の言葉に強張った顔が間近で分かりやすくギクリと震えた。考えてることなんか分かるわけ無い、出来ることだけは考えてることを考えるぐらいだ。オレはただ考えなかった結果を知っている。あの時セトみたいな能力があったら、オレは取り零さなかった日常がある。
存在理由なんて大層な物じゃない。自分に何が出来るかを突き詰めた結果がやりたくもないことだっただけだ。それを言うなら周りだって悪い。だからカノは協力した。

「役にたって、罪悪感感じて、なにが......。俺は、なにもしてない、うけとれない」

セトの声も、肩も、震え出す。掴む手首が途端に少し細く思えてしまう。可哀想に同情を誘うようないっそ哀れで手を差し伸べたくなるような。思わずセトの手首に爪を立てた。

「じゃあ買ってやる」

声は勝手に外に出た。

「お前の心臓全部つぎ込んで買ってやる。一生涯かけてのお前の生命活動全部だ」

無茶苦茶だった。内心馬鹿なことを言っていることに気付いている。けど受け取らないと、何もしていないから受け取らないとかふざけたことを目の前の男は言っていると思うと、腸が煮え繰り返りそうだった。目の細胞がぎちぎち音を立てて急激に変化していくような感覚に吐きたくなる。

「嫌なら今すぐ死んでみろ。オレが知らない所で知らない間に気付かない内に直ぐに忘れて記憶から消えて一生思い出さないように、死んでみろ」

何もしてねえならなんであんなにボロボロになるんだよ。釣り合ってねえんだよ。なんでオレの所に来たのかは知らないしセトがオレを嫌いならそれでも良い。オレだってセトは嫌いだ。明らかに自分の存在を軽んじて人のためにとか宣いながら自殺でもあっさりしてしまいそうなセトはヘドが出る。

「出来ないなら大人しく一生買われてろ」

なんの為に答えなんて視てると思ってるんだ。
するするとセトの手から力が抜けるのが分かって掴んでいた手を離せば、赤い手形が残っていた。直ぐに消えそうな、跡。すとんとセトがその場に座り込んだ。

「シンタローさんって、馬鹿っすか」

セトが放った言葉に言葉が詰まった。顔は落とされ頭の上で手を絡ませて絶対こっちを見ない。視線を合わせるように座り込んでも見えなきゃ意味無いと今更気づいて自分の行動が滑稽で恥ずかしくなる。
その言葉を自覚して激しい自己嫌悪に陥り、そうして頭が痛くなる。勢いとは言え何を言っているんだオレは。誕生日に何言ってるんだろうな。

「てか、俺の誕生日なのにシンタローさんが俺を貰ってどうするんすか」
「どうするんだろうな......」
「やっぱ馬鹿なんすね」
「うるせえよ......」

遠慮の無い言葉に項垂れるしかない。いっそ土下座でもして勘弁してくださいとお願いしてみようか。ぶつぶつ愚痴ぐち文句を肉のスピーカーからだらだら垂れ流してセトはオレのライフゲージをがっつりと確実に削っていく。

「シンタローさん」
「何......」
「大っ嫌い」
「知ってる」

真っ直ぐな言葉にセトの頭を何と無しに撫でてみる。暫くの躊躇いの後、やっぱりべちんと叩き落とされたが。
正解だけを視るというのも、結構役に立つらしい。

「辞める」
「そうか」

ぼそぼそ呟くような声はうっかりすれば聞き落とす。意識しながら聞いても聞き返しそうになる小ささは、多分わざとなんだろう。それでもどうにか聞こえた声に返事をする。
橋の上で男二人、しゃがんで向き合って会話中。なんとも酷くシュールな図だ。人が今でも一人も通らないのは幸運と言っても良いだろう。端末を開けば最後に見たときより時間が大分進んでいた。帰るかと立ち上がって声を掛けようと踞ったままのセトを見る。

「一番煩いから、嫌い」

聞き逃せば、良かったのかもしれない。
言い終えた途端にバッと顔を上げたセトが固まるオレを不思議そうに見てくる。こいつも結構顔の皮が厚い。さすがあの二人と幼馴染みなだけある。

「帰るか」

こくりと頷いたセトが立ち上がって服を払い終える僅かな時間を落ち着き無く端末の画面を眺めたりアプリを無駄に起動させたりして待つ。エネが居れば間違いなく笑い者にされただろう。溜め息を落として紙袋を持ったセトと歩き出す。

(爆弾でも落とされた気分だな)

マリーはそわそわしながら自分が選んだケーキを何度も見てセトを待っているんだろう。キドも今日だけは気にせず全力でご馳走を作るらしい。モモだって今日は仕事を早く終わらせると言っていた。カノはまあいつも通り気持ち悪いんだろう。エネはアジトのパソコンに置いてきたから怒ってんだろうな。
なんて、誤魔化すように全員を挙げていっても、どうしようもないんだけどな。

「誕生日おめでとう」
「今年は最悪っす」
「忘れられなくなって良かったな」

ごす、っと肩を軽く殴られて危うくコケそうになる。前につんのめったオレにふふんと言わんばかりの顔が見下してくる。モモに似てきてる気がして目眩がした。来年になってもっと周りに感化されてたら。

「うわ、嫌すぎる」
「何がか分かんないっすけど、俺の方が嫌っすよ」
「はあ?」

セトがぴっと一本指を立てて口を開く。

「誕生日に男からプロポーズ」

オレはその場に崩れ落ちた。セトが勝ち誇った顔でにっこりとどうしたんすかねえねえなんて聞いてくるからいよいよ死にたい。仕返しのつもりだろうか、こいつ意外にも性格が悪い。いやあんな生活してて性格良い奴なんてそう居ないだろうが。
ああもう、兎に角。
煩いな。
心臓。
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