79 | ナノ
セトシン

皮膚が無ければ、触覚が無ければ。嫌悪感が無ければ、不快感が無ければ。生まれつきだった訳じゃない。何か特に原因になりそうなトラウマとか記憶は無い。生きていく内にどんどん悪化して酷くなっていっただけ。自分の部屋がどれだけ汚かろうがなんだろうが別に気にはしないし、母には何度も掃除しろと怒られたこともある。ただオレが心底汚いと思うのは人間だというだけだ。
人間の体温から皮膚、呼吸、生命活動、声、髪の毛一本に至るまで、オレには酷く汚く見えるだけ。他人に触られればそれだけで蕁麻疹が出るし、近くに居ると言う事実だけで吐きそうになる。既製品は安心して食べれるが、人が作った物は受け付けない。他人が触った物は汚いと見なして捨てるし、常に長袖じゃないと安心できない、電車なんて想像しただけで冷や汗が止まらない。家族に対してはマシな方だが、それでも第三者から見れば酷いと自覚している。あまりに過剰な反応に一度医者にも行かされたが、ただ無駄にカウンセリングを受けただけだった。
対人潔癖症。詰まりそういうことらしい。
それはもう無駄で改善なんてものは出来ないとオレはとっくに諦めている。病気風に言っても精神的な問題で、原因らしい原因も無いんじゃ治しようが無い。厄介どころか社会不適合者にも程があると思う。学校を辞める際、母から説教らしい説教や呆れらしい眼差しを貰わなかったのはここにあるほどだ。
誰も彼もそんなオレの病気を目の当たりにしただけで離れていく中でそいつはオレに懲りずに近づく。二人目だなとぼんやり思えば懐かしさと後悔のような物が胸中を満たす。馬鹿馬鹿しいと笑えなかったのはきっとそこなんだろう。
暑くないのかと言われたら暑いに決まっているだろうと答えるしかないほどの暑さ。それでも長袖を手放せないオレに苦く笑う顔。仕方ないだろ呟いてみてもその苦さが剥がれることはない。
二枚の服の上から腕を掴まれ、鳥肌がぶわりと広がる。今すぐにでも振り払いたいのを抑えてうっすらと背中に浮いた冷や汗に顔を俯かせた。何もしていないのに息がぜはっと肺を打って口から音を立てて溢れる。どんどん血の気が波のように引いて、頬が冷たく感じた。

「もうむり......」

ぼそっと震える声で告げれば、手はあっさりと腕から離れていく。服の上から伝わった体温が残っているようで不快感がぞわぞわとその辺りを覆っている。ふら、と体が支えを失ったように傾いて、そして壁に背が当たった。踞ってしまおうか迷うが、触れられた腕で顔を隠そうと思えるほどまだまだ改善されていない。結局踞ることもなく中途半端に座り込んで触られなかった腕の方で汗を拭った。
そいつが大分近い距離でオレの様子を見ているのが分かって嫌悪感を感じるが、しかしそれに何か言えるほどオレの精神的な体力はもう残っていない。さっきの腕に触られたという行為だけで一週間分の体力を削ったようにも思える。これでもマシになった方だろと言い聞かせて嫌悪感を感じる自分への嫌悪感と不快感を少し薄めさせる。
嫌いな訳じゃない、人が嫌いな訳じゃない。ただ、汚い物だという認識が拭えない。怖い。

「シンタローさん」

呼んでくる声は本当にこんな失礼な反応をしている奴に対して掛けているのか疑問になるほど優しいし、それに申し訳ない気分にもなる。のに。耳を塞いでしまいたい。気持ち悪くて堪らない。
思わず顔を腕で覆って壁に後頭部をわざと強くぶつけた。何を思っているんだろうと、自身の嫌な部分をじくりと自覚し、叱咤する。

「シンタローさん、帰るっすか」

言外に送ると言う声に力無く頷く。微かに笑った気配がして顔を上げれば、取られることを期待していない顔がオレの目の前に手を出してきた。それを暫く見て、一度何も着けていない隔たりもない手を差し出そうとした。しかしそれはその手を取ることは無く、オレは一人で立ち上がる。行き場を無くした手は自然に戻され、歩き出した。その背中を追うようにオレもふらふら歩き出す。
死にたいと思いながら歩き出す。
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