76 | ナノ
カノとセトとキド

見えない。そう言ったときの周りの絶望の吐息を覚えている。顔をしかめている大人や、泣く子。
見えなかった。片目の暗闇が日に日に増して、いつしか闇と認識できなくなる。たまに痛くて痛くて布団から出てれずに汗をだらだら、荒い息をぜえはあと繰り返していた。痛くて痛くて堪らなくて、無理矢理感覚を無くさせるために大量の氷を当てたりもした。
ぼろぼろ涙が出て、キドが怯えながら近くに居て、セトが僕につられて泣きそうになりながら何度も名前を呼んでくれた。痛くないよと誤魔化せば、キドは傷付いてセトはもっと泣きそうになるから、次第に何も言わなくなった。激痛と一緒に痛烈な沈黙が加わるその瞬間。幼い僕らにそれを振り払える誤魔化し方は無くて、兎に角身を寄せあって居た。三人で居た。小動物みたいに体温を分け合うにしては離れて、それでも一定の距離からは絶対に離れなかった。
床に散乱している昼の時間消費の残骸が、真ん丸で穴みたいな月からの光を当てられていた。白いスケッチブックはいっそ青白くて、色とりどりのクレヨンは濃さが違う黒。至るところに貼られた拙い絵は不気味にモノクロ。
痛くて朦朧とする意識の中で、いつの間にここはこんなに恐ろしい場所になったのかと考える。黒くて重くて白黒で、ぐにゃりと歪んでしまう影がいつからか怪物の形を取っていた。壁にぺたりと張り付いたまま、にいっと口みたいな物を歪ませる。かつんこつんとカーペットを敷いているはずの床から硬質な足音がした。

「あはは、二人に心配かけちゃダメじゃん」
「......?」

それはベッドに座り込んでいた。可笑しいと、壁を見る。さっきまで壁に張り付いていたはずなのに、なんだってこんな瞬間移動みたいな現象が。
呆然としている僕に、怪物は話し掛けてくる。にやにや口が弧を作って、まるで三日月みたいに。
怪物の手は優しく優しく、僕のベッドにすがり付くように寝ている二人を撫でた。宥めるみたいな手の動き。

「君にあげたでしょ?ちゃんと心配させないようにあげたでしょ、なんで使わないの」
「なに、......なに......」
「何なんて酷い、僕が君にあげたじゃないか」

けらけらと眠る二人を前に遠慮も無い笑い声。僕は何を貰ったんだろう。こんな、怪物、から。
知らない、男、から。
怪物の笑いが突然ぴたりと止まった。天井を仰いだままの顔がくてんと首が落ちたようにこっちを見た。その動作が不気味で肩が震える。

「嘘を、」

怪物の目がぶわっと奥から赤く光った。頬に指が食い込むくらいの力で僕の顔を掴み、醜悪な左目をにやりと見る。

「つき続けろ」

心配を、させたくないなら。我慢しろ、痛くとも呻くな、倒れるな、籠るな。
だって僕の左目は正常だから。
唐突な理解が脳を掻き荒らす。怪物は僕の潰れていたはずの左目を見てにやりと笑み、僕から手を離した。途端に怪物の存在は掻き消え、何もない空間。
ぼたぼたと汗が吹き出て僕はぐらぐらする頭を押さえた。
推測では十年は経っていたように思える。
あれが、。

その日から僕は奇異の目で見られるようになった。当然だ、潰れていたはずの少年の左目が、たった一晩で何もなかったかのように治ってしまったから。検査のために機械にもかけられ、しかし問題なし、異常なし。
いよいよ僕にはキドとセトしか居なくなってしまった。気にせず居てくれる二人が心地良い。それどころか僕の目を見て嬉しそうに、「見えるようになったんだね」と言うのだ。本人のように喜ぶのだ。
でも二人は知らない。僕を知らない。僕はずっとずっと嘘をついていて、あの怪物と同じ存在なのだ。

「なんで見えるようになったか、分かるかい?」

誰もが聞いてきた。内心では気味悪がったりしながら、そう話しかけてきた。

「怪物が治してくれたんだよね〜」
「は......?」

決まってそう答えてやって、それで手を振る。けらけらとあの日と同じように笑う。まるでそういう反応の相手を面白がっているみたいに、神経を逆撫でる。

「ああ、ごめんね?全部法螺話だよ?」

相手は途端に気を悪くして苛立たしげにもう僕に関わらないようにしてくれる。ただでさえ不気味な上に憎たらしく生意気な僕の反応だから、仕方ない。
だってさ、だってね、正常に正確な話をしてみたら、きっと誰かが僕は隔離すべきって思うんじゃない?頭が可笑しいって思うでしょ?困る。それは困る。二人が泣くのだけは困るんだ。だって僕は二人のために嘘をついてるんだから。嘘をつく以外、僕は何が出来る。
情けなあいと声に出せば、本当に情けなくて堪らなくなった。
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