67 | ナノ
ヒビモモとコノハ

赤いハート。
マジックチョコレートと筆記体の英字で書かれたアルミの赤い包み紙。それを持ち上げ、日に透かすように翳す。もちろん中身は見えず、私はただそれの微かなチョコの匂いを嗅いだだけだった。赤いアルミの上からでもハッキリ分かるハートの形はバレンタイン仕様なのだろうか。
昨日今日とファンから贈り物が大量に贈られてきた。物は後で家に送るが、生物や賞味期限が近いものは持って帰ってと手頃に、ーーしかしそれでも紙袋三つに纏められたそれに苦戦しながらアジトへと辿り着いた私はケーキやらゼリーやらをアジトの冷蔵庫に詰め込んだ。お母さんが今日明日と仕事で居ない。じゃあ泊まりに来いと言ってくれた団長さんに甘えて今悠々としている。お兄ちゃんも今日はアジトに泊まるらしいし、心配事も無い。
そうして食べ切れない贈り物は、どうにか夜やお茶の時に消化していこうと言うことだ。今日の夜は期待しておけと言った団長さんに、つい嬉しくて笑顔が浮かぶのは仕方無いと思う。
誕生日。ずいぶん乙女な日に私は産まれたものだと感心する。誰かにチョコを贈って告白をするチョコレート会社の陰謀イベントがあちこちで開催され、更には友チョコなんてものがもはや定番化されているバレンタインデー。アイドルの名を持っている私は、手作りだラッピングだと言うそれに乗ることは出来ず、むしろバレンタインデーの為にくるくる踊ってちゃんちゃん歌って。今回辛うじて私が乗れているのはリズムだけだと思う。
しかし尽くした甲斐あってか、大量の贈り物と手紙で事務所がてんてこ舞い。高いはずの事務所の天井に付きそうな段ボールの山はもはや茶色の森で、思い出せば甦る光景は少し恐ろしいほどだ。
つい思い出してぞわっと体が震えたが、気にせずテーブルに乗る小さめの箱から、出した一つのチョコを箱の横に置く。可愛らしい赤いリボンのラッピングに添えられた応援カードは丸っこい字は丁寧に、ちょっと癖で歪んで書かれていた。文面を見るに、お勧めの高級チョコをわざわざ買ってきてくれたようだった。美味しいですよと書いてある通り、その美味しさは庶民舌の私でもコンビニで売っている板チョコとの違いで唸らせた。

「お酒入りだけど......」

ウイスキーボンボンみたいな物だろうか。甘いチョコの中に溶かしたチョコとお酒を混ぜたような、ドロリとした甘いお酒が、そのチョコを噛めば溢れ出てくる。美味しいけれど食べた瞬間くらくらあっとしそうなお酒の強い風味にびっくりして噎せてしまった。まだ残るお酒の匂いと甘さは、だけど普通のチョコとはかなり変わっていて、感想はただただ美味しいの一言。ただ、いつものようにチョコを立て続けに二個三個と食べることは出来ない。さすがの私でもそれをするほど馬鹿じゃない。
残念に思いながら、また暫くしたら食べようと箱を閉じた。小さい箱も凝ったデザインが施されている。蓋に描かれた赤いハートは中が真っ赤に塗り潰されておらず、幾何学模様を細い線で細かくくるくると作られていて、部屋にインテリアとして置いていても全然構わないだろう。店名や商品名もラッピングのリボンに書かれていて、まるで飾られても大丈夫なようにそうやって作られた気もする。マリーちゃんに上げればさぞかし喜ぶだろう逸品だ。
しげしげと暫くその箱を手の中で回して眺め、視覚でその高級感を十分堪能してそれを横に置いた。微々たるスピードではある消費作業に戻ろうと、新しい箱を膝に乗せる。がちゃんと誰かがリビングに入ってきた音にそっちを向けば、コノハさんが部屋から出てきてきょとんと私を見ていた。その視線がゆっくり外され、きょろっと辺りを何か探すように回り、そうしてから小さく呟く。

「チョコ......?」
「あ、食べますか?」

その言葉に、探すようにしていたピンク色の目はすぐに私に戻ってきた。
膝に乗せた箱を軽く持ち上げて問えば、コノハさんはぱあっととても分かりやすく嬉しそうに顔を綻ばせて小走りに私の横に座る。わくわくと効果音が付きそうなほど喜ぶ姿は花が飛んでいても可笑しくないと思える喜び様。それに私の中の何かが負けていく感覚にひたりと思考が止まってしまう。悔しいような、愛でたいような。
私が箱を開けないことにこてりと首を傾げて少し微笑むコノハさんにハッと我に返る。首を振ってそれを追い出し、コノハさんの期待に応える。

「どうぞ」

ぱこ、と開けた箱の中を見た途端にコノハさんの顔が更に輝く。箱の中から一個取って食べるその動作一つ一つに嬉しいという感情がいっぱい漏れ出ている。私より身長も歳も上だけどとても可愛らしく写ってしまうのは花盛りの女子高生として悔しさを感じてしまう。
ハッキリとする負けた気分にため息を堪えて、私も箱の中のチョコを取った。がさがさと探ってやっと取ったチョコに違和感を感じる。チョコが箱いっぱいにたくさん並んでいたはずの中をまじまじと見る。明らかに私が持っているチョコが最後の一個だった。
コノハさんに視線を戻すと、次の箱はまだかとそわそわ待っている様子で、そういえばこの人は大食いだったと思い出す。口の端に食い荒らした証拠であるチョコやビスケットの欠片が残っている。
早くないですか。声に出しかけるのを飲み込んで、思わず箱とコノハさんを交互に見れば、照れたように頬を掻かれてしまった。あ、自覚はしているんだ。
取り合えず手に持っていたチョコを口に入れて紙袋を探った。なんにしろ私だけじゃ全て食べきれないからこれはこれで有り難い。明らかに一人で食べるようじゃない大きな箱を七つぐらい出して、ガラスの板が張っているテーブルに並べた。爛々と輝くピンクの目が箱に向けて分かりやすく期待をとろっと満ちさせている。不覚にもくすくすとその可愛らしさに負けて笑みが溢れた。

「食べて良いですよ」

彼が犬だったら私に飛び付いて喜んだんじゃないかと思われるほどコノハさんはぶわわっと背後に花が咲いたんじゃないかと思うほど私を見て、へにゃっと幸せそうに笑う。並んだ箱の表面を一度全部見てから、コノハさんはぺちりと手を合わせた。にこにこと満面の笑みが箱を幸せそうに見詰めている。

「いただきます」

喜色に濡れた声を出した口はあっという間に色んな物を綺麗さっぱり平らげた。
いっそ感動するような食べっぷりに思わず拍手を打ってしまう。途中でキッチンから持ってきたペットボトルの緑茶も、開封前だった時のたっぷり入った様子を忘れてしまう程、直ぐにこくんと全部飲み干されていた。
その綺麗にラッピングされた箱がゴミの山と化していくのを見ていた私は、今とても不味い具合に困っている。さきほどがちゃんと開かれた外へのドアの音と一緒に入ってきた男の子の冷たい視線が痛い。

「......どういうことなの」
「あ、あはは、お帰りヒビヤくん」

私より少ないとは言え生意気にも結構多いチョコを紙袋に持つヒビヤくんは、黒いランドセルを床に置いてコノハさんを指差してくる。帰ってきて第一声がそれはどうなんだろう。ヒビヤくんは私のお出迎えの言葉をおざなりに返し、嫌そうに顔をしかめて私の膝のコノハさんを見る。
所謂膝枕を、まさかこの歳で男性にやるとは私も思わなかった。くうくうと寝息を立てるコノハさんは白い髪を私の太股の上で軽く乱して、口にはべたりと溶けたチョコを子供のようにつけて寝ている。お腹がいっぱいになったことにより眠くなったんだろう、食べ終わった後うとうとこくこくと船を漕いでいたコノハさんに起こすから寝たらどうかと言えばそれにこくんと頷かれた後膝にこたんと落ちて来てそのまま制止する間も無く寝られたのだ。
何故か気まずい雰囲気がリビングを漂う。
ヒビヤくんは何故かコノハさんの気持ち良さそうな様子を見れば見るほどに機嫌を悪くしていく。背後に黒い空気が漂っているのが視認出来る気がしてきて参ってくる。

「っ、はー......」

溜めまくった空気は色んな物を一緒に吐き出したように長かった。どうしてか私が申し訳無さを感じてしまう。何かに対してころっと謝ってしまいそうになる雰囲気に頬を掻く。ヒビヤくんがそんな私に気付いてか口を一度閉じ、もごもごと言葉を転がしていた。何を言っているのか全然聞こえない上に珍しいそんな様子に私が言い詰まる。

「ええと」
「ごめんおばさん。コノハが、食べたがったんでしょ」

驚いた。心底驚いた。かちりと凍りそうな思考を凍ったそばから溶かしていく。
ヒビヤくんの言葉がぴったり状況を言い当てたからじゃなく、ヒビヤくんが素直に代わりに謝ったことに驚いた。思わずぽかんとしそうになるがそれをぐっと堪えてどうにか良いよと首を振る。そこで油断でもしてぽかんとしてみればいつものように幼い口から間抜け面と嫌味を言われるのは目に見えているのだから。
ヒビヤくんはそんな私の様子に不思議そうに顔をしかめたが、それよりテーブルの惨状を優先したようだった。あからさまに大きなため息が聞こえる。確かにそれはヒビヤくんがため息をついても仕方ないほどに素晴らしく蹂躙された後だった。
箱は開けられ包み紙はビニール、紙、アルミを問わず床にまで散乱し、恐らくラッピングだったリボンはごしゃっと纏められている。食べっぷりに目を奪われていた私も動けなくなってからこの惨状に気付き、どうしたものかと団長さんが帰ってくるのをじりじりと油断せず注意していたほどだ。コノハさんの行動とは言え元を質せば私が原因と言える。

「コノハ起こして。片付けさせないと」
「コノハさんに?」
「当たり前じゃん。分かるでしょ、こいつ意外とお坊っちゃんなんだよ。遠慮しいのくせに、甘えさせたらとことん甘えるよ」

私に近付いて膝の上に居るコノハさんの額をべちんと叩いたヒビヤくんにひやひやする。そんな乱暴で良いのか、起きてしまわないかとか考えるが心配なんて欠片も必要なかったようで、コノハさんは全く起きない。ううんとちょっと顔をしかめた後、また寝息のリズムを整えたコノハさんにヒビヤくんは大人びた顔で額を押さえた。やれやれと言い出しそうなヒビヤくんの様子にううんと現在は同じ立場ながらも同情して慰めたくなる。

「荷物置いてくるから、それ起こしといて」
「分かった」
「あんまりこいつに食べ物やっちゃダメだよ」

どっちが歳上なんだっけ。それを思っても仕方ない、子供を注意するような言葉をかけられる。ランドセルを持っているはずなのに私より歳上にも思えて素直に悔しい。
そんな私の胸中など知らないヒビヤくんの背中を見送って、膝に居るコノハさんを見る。気持ち良さそうな寝顔に起こすことが躊躇われるが、いい加減足が痺れてきた。ちょっと遠慮しながらコノハさんの肩を揺さぶると、白い髪が一房頬から落ちるのを見て、やっぱり整った顔だなと思う。ヒヨリちゃんが一目惚れするのも分かるよ。

「起きてくださ〜い、ヒビヤくん帰ってきましたよ〜」

肩を揺さぶって声をかけても全く反応がない。仕方無いから頬をぺちぺちと叩いてみた。暖かくて白い肌、少し赤い気がするのは寝ているからなのかもしれない。体温が高い。
すうすうと穏やかだった寝息が徐々にリズムを崩してくる。それに好機とばかりに肩を叩いて呼び掛けた。ヒビヤくんが戻ってきたのか、ドアが開いた音がする。

「コノハさ、」

ぱちっと開いたピンクの目にやったと言いそうになる。やっと起きたその顔に思わず笑いかけると、白い睫毛に縁取られた目が私を見てにこりと微笑んだ。綺麗な笑顔だなと思わず呼び掛けの声を途絶えさせると、コノハさんの顔がどんどん近付いてきた。へあ?っと間の抜けた声が私の喉から出てくる。首の後ろに手を回され、ぐいっと下に引かれた。コノハさんは近付いてくる、私は引っ張られる。
ちゅ。小さなリップ音が頬に柔らかく触れた。ヒビヤくんがコノハさんの名前を咎めるように鋭い大声で呼んでいるのが聞こえる。ふへーっと可愛らしい笑顔はまた目を閉じて私の膝にこてんと落ちた。くうくう寝息がまた再開される。
頬を押さえてどういうことかと状況を噛み砕く。次第に現実に追い付いた思考スピードは全く私に有り難くない事実を押し付けてきた。ヒビヤくんが私に近寄ってくる。

「おばさん、ちょ、大丈夫、」
「ひび、ひ、......ひびや、く」

かたかたと声が震える。何が合ったのか分かるけど理解だけが中々追い付かない。ヒビヤくんがコノハさんを私の膝の上から床に容赦無く落としているのを見てなんだかじわあっと涙が出てきた。
いや、口じゃなかっただけマシ。そう、マシだ。頬にキスならお母さんにだってされた記憶があるんだからそう大丈夫。大丈夫。
そう思おうとしても涙が溢れそうになって不味いなと冷静に思った。途端、頬を押さえていた手を取られてごしごしっと頬を強く擦られる。ごしごしコノハさんが触れた頬を拭くようにそれは繰り返され、思わず涙が引っ込んでぐるぐる回っていた思考が摩擦の痛さに少しずつ正常に戻ってきた。

「いた、ちょ、ヒビヤくんいたい」
「なにもされてないから!」

抗議しようとした声が大声で掻き消される。その声の大きさにぽかんとした。そんなに大きな声出せるんだって場違いに感心していたら、ヒビヤくんはまだ私の頬を袖で擦る。皮膚が削れるんじゃないかなこれ。そんな馬鹿なことを考えてしまえるほどに回復したショックと言うか衝撃みたいな物からの目覚め。こんな目覚ましは正直欲しくない。

「なにもされてないから!」
「う、え」
「それがダメなら誕生日の度の越えたプレゼントってことにして!」
「......あ、ふは、ぷれぜんとかぁ」

必死に叫ぶように言うヒビヤくんについ笑いが溢れた。そんなに必死に、なんて思うと笑っているのが少し申し訳ないけど、それにヒビヤくんが少しホッとしたように目を細めるのが分かる。そんなに泣きそうな顔をしていたのかと思うと年下にこんなに慰められて情けないけど、まあ良いかと思った。吃驚して泣きそうになっていただけにヒビヤくんの焦り様はなんだか可笑しい。
拭う力はどんどん弱くなっていた。撫でるみたいな動作にまさか頬赤くなっているんじゃないかと心配になる。一応アイドルの顔が、片頬真っ赤って。
忘れ去られていたコノハさんがううんとソファの下で唸っていた。そういえばヒビヤくんに落とされたまんまだったと思い出すが、どうにも今は顔を見れないから悪いけど放置させてもらう。しかしそれでも寝れるのはすごい。もぞもぞ寝返りを打つコノハさんを感心気味に見ていると、床に落ちている赤いアルミが目に入った。

「......まさかね」
「は、何が?」

まさか酔っぱらっているなんてことは、無いだろう。うん。急にどっと押し寄せてきた感情を無理矢理抑え込んで訝しげに聞いてきたヒビヤくんに首を振った。しかしヒビヤくんは私の渾身の誤魔化しをあっさり無視してさっきのまでの私の視線の先を見ていた。止める間もなく赤いアルミを持ち上げる。それを広げてあからさまに顔をしかめるヒビヤくんの手の中を覗き込めば、小さな白色の字で「ウィスキー入り」と書いてあった。わあ、食べてたときは気付かなかった。

「おばさん、このチョコ、どの箱」
「えっと、一番端の袋の一番上に置いてあります......」

ヒビヤくんの言葉に私は大人しく素直に正確に答えた。まさかそんなとは思うがヒビヤくんの様子からでは酔っていても可笑しくはないようだ。知らなかっただけでもしかしたらヒビヤくんはコノハさんの被害に合ったことがあるのかもしれない、さっきの私みたいに。
ヒビヤくんが私から離れて言われた通りの袋の中から小さい箱を出した。凝った箱の真ん中に描かれた赤いハートが今は忌々しく感じるんだから不思議だ。ヒビヤくんがその箱を開いて確認するように赤いアルミとハート型のアルミに包まれたチョコを見比べた。
誕生日なのに、仕事もなかったのに、どっと疲れた気がする。もうどうにでもなれと頬を擦って顔を覆う。ああ頬がピリピリ痛い、後で冷やしておいた方が良いかもしれない。

「おばさん、ちょっと」
「なーにー......」
「モモさん」

もう後悔は今更すぎてマリーちゃんとの素晴らしい思い出を思い出して慰めていたらヒビヤくんの声がかかった。
珍しい呼び方にぱっと顔を覆っていた手を開く。それは本当に呼ばれたことは片手で足りるんじゃないかってほど珍しい。
何かあったのかと開いた視界に、存外ヒビヤくんは近かった。ヒビヤくんが私の手首を持ってソファに上ってくる。散々嗅いだチョコの匂いがする。

「僕もチョコ食べてるから、これで忘れときなよ」
「......え」
「誕生日おめでとう。ヒヨリも後で来るってさ」
「......へ」
「着替えてくるからコノハに注意しといて。後、変な顔してるよ、おばさん」

淡々と言われた言葉を全てさっきの行動も一緒に噛み砕く前にヒビヤくんがドアの向こうに行ってしまった。そのまま暫く固まったまま思考はぐるぐる回りすぎて知恵熱でも出そうなほど沸騰した。これは、いったい。
ヒビヤくんに変な顔と言われた顔は熱くてたまらない。今の季節なら寒くても良いはずなのに、熱い。
お酒の匂いもしていて、それに酔ったのか。チョコを食べてないのに口の中でチョコの味がする。
思わず口を押さえた。

「く、口には、されてない......っ」

度を越したプレゼント。誕生日プレゼント、それにしては貰った私の心臓に負担がかかりすぎている。
熱い顔を両手で覆ってさっきと別の意味で泣きそうになった。引っ込んだはずの涙は目の縁に溜まり始める。どういうことだろう、どういう意図なんだろう。取り合えず私の思考、嬉しいとか、ちょっとこれは一体、どういうことなんだろう。
赤いアルミが二枚になってテーブルに置かれていた。
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