66 | ナノ
シンセト

肺がギリギリする。
不定期に起こるそれは、肺と言うより肺の奥辺りをギリギリと締め上げていた。じわりと汗が出て体の節が錆びたような感覚を起こす。それがここずっとオレを悩ませていた。病気かと思うが病院に行くようなものじゃないだろうと勝手な素人判断でこうやって過ごしているが、しかし最近それは質量と言うか範囲みたいな物をかなり急に拡大させていた。一人の人物だけに。

「シンタローくんは今日も愉快な顔してるねえ!」
「愉快な顔ってどこがだ」

アジトでテレビを見て暇を潰していたオレの隣にどかっと座って腕を回すカノが楽しげに声をかけてきた。それはそれは本当に楽しそうでいっそ憎らしいし何よりもウザい。
カノに対して心中をウザいと言う言葉で満たしながらカノを睨めば、にやりとまるで悪巧みでも思い付いたかのような笑みがオレの顔を覗き込んできた。近い距離が不快で堪らない。

「愉快って言うか面白そう。なんか悩んでる?後輩の憂いをのぞくのもやっぱり先輩の仕事じゃない?」
「お前は除くんじゃなくて覗く方だろ」
「つれないこと言わないで暇潰しに付き合ってよ」

はっきりとその口から出た暇潰しという言葉に一気にオレは欠片程度も無かった頼る気持ちはあっさり吹き飛び跡形も無くなる。これ以上口を開けばオレは捕まって言葉巧みに望んでも居ないのに相談を、カノに、相談をしないといけない。ぐいぐい引き寄せようとする腕を無視して詰まらないテレビに目をやれば、カノがくつくつと隣で笑った。

「悩み事を否定しない辺り思い悩んでるんじゃないのー?少なからず顔に出ているってことも、自覚してるみたいだしい?」

なるほど、遅かったわけだ。
自然とテレビから視線が外れてオレはカノの方を見てしまう。それはカノにとって十分で、考え無しの行動はカノの格好の餌食となる。にたりと笑う顔はそれはもう悪人面で、ぎくりと思わず肩が震えた。

「それとも可愛らしくて頼り甲斐のあるエネちゃんに任せようか?」
「それだけは止めてください」

オレの低姿勢にカノは盛大に噴き出し、笑いすぎて噎せた。

起き上がる度に巻き起こる怒濤の罪悪感。それを飲み込めもせずため息として出して、いつもより早い起床時間を叩き出す端末の画面を切る。肺の謎の感覚は止まず、解決らしい解決もせず、更には鬱としか言えないこの寝起き。
隅にぐしゃぐしゃと貯まっている服と漫画やコンビニの袋でごちゃごちゃとしてる部屋の床に足をつければ、若干落ち着いた気分になる。しかし気分だけだ。

「死にてえ......」

顔を覆って本気で首でも吊って遺書で延々と謝ってしまいたい夢の断片を嘆いた。
最近夢を見る。健全男子思考のオレは内容をオブラートに包んで言えばきっと責められないだろう夢を、毎晩、流石にこれは引かれるかもしれないが、毎晩見ている。しかしそんなこともあるだろうと納得はするだろう。
けれど相手が問題だった。それだけが問題だ。他は別に良いんだ、問題は相手だけだ。
それが仲間内で中性的ながらも美人な団長とか親近感湧く白い美少女(ただし外見ロリ)だったら罪悪感を感じはするだろうがどんなにマシだっただろうか。むしろ相手がそれと真逆な位置に居た場合、どうしたら良い。
黒い髪と金色の目。赤くなった体は紛れもなくオレと同じ性別の物で、それでもそれにオレは興奮して。泣く顔がオレを見上げるのが、堪らないとか、自己嫌悪で吐ける。
複雑な感情を持って立ち上がろうとして、止める。結局治まるまでオレは立ち上がれなかった。
そこでじゃあ二度寝でもー、なんてことにならない辺り、最近の夢見はあの日から最低だった。


「鈍い」
「は?」

カノは真顔で呟いた。
オレは長くもない悩み事を吐き出してそこまでスッキリすることもなく、しかしこれでカノの一方的な話を聞き流せば終わりだろうと安堵をしていた為、カノの反応は意外だった。思わず聞き返すように声を返してしまったがカノはそれに気付かなかったのか無視しているのかはわからないが、オレから大きく距離を取っていた。目安でも余裕でオレらの間に人が二人程度座れるんじゃないかって距離だ。

「シンタローくんちょっと頭可笑しいって言うかなんかすごい恥ずかしいんだけど寄らないでくれるかな移る」
「お前はオレに喧嘩を売ってるのか?」

移るって病原菌扱いに少なからず傷付きながらオレは息継ぎもなく捲し立てたカノを見た。オレの居る方にある片耳を塞いでまるで吐きそうと言わんばかりに口に手を当てるカノに素晴らしい程苛立ちを覚える。
こんな反応をするくらいなら最初から聞かなければ良かっただろうに、カノは自分から聞いてきたくせにさっきまで垂れ流していた楽し気な雰囲気を取っ払っていた。
暫くぶつぶつとよく分からない単語や失礼極まりない言葉が聞こえてきたが黙殺し、ようやく落ち着いたカノをじっと見た。

「ごめんね、思っていた以上にアレで......」
「は?あれってなんだよ」
「まあこれはこれで楽しまないとね」
「だからあれって」

だめだ聞いちゃいねえ。
諦めてカノがうんうんと自己完結しているのを冷めた視線で見詰めて置いた。もう面倒だなとカノを置いて立ち上がり、ポケットから端末を取り出す。どっかの部屋借りて静かにネットに繰り出そうとして、。

「まさかシンタローくんがホモだなんて思わなかったよ」

カノの言葉にごとんっと端末が床に重く落ちた。
なにか恐ろしい言葉を聞いた気がする。
混乱と困惑でしっちゃかめっちゃかになった思考を正常に戻そうと、オレは震える手で端末を拾おうとして、横から掠め取られた。カノがオレの端末を持ってさっきの真顔を無くしている。
にっこりと笑う顔がオレを見ていた。
こいつ、なんて言った。

「自分で気付かないと〜、なんて親切なこと、僕思わないから。ごめんね」

心にもない楽し気な声の謝罪が、オレの手に端末と一緒に落ちてきた。オレは何かに反論しようとして、口を閉じる。

「それにしてもアイツかあ、難儀だねシンタローくん」

意味の分からない苛立ちが唐突に襲ってきた。目の前のこいつを殴りたいと心の底から思い、しかしそれをするには体はオレの言うことをまるで聞いてはくれない。脳だけが煮たっているように熱く、あまりの熱にぐらぐら視界が沸騰しているように揺れた。
カノがそんなオレを見て笑う。
何かを言いかけた口は、ふと止まった。がちゃりとドアの方から開錠音がしたからだろう。

「あれ、二人とも居たんすか?なんで鍵かけて......」

セトの声がオレらに向けられるが、オレはそっちを向けなかった。
カノの口は止まらなかった。声もなく発した言葉は一文字一文字丁寧に告げられた。

「セトお帰り」
「......シンタローさん苛めてないっすよね、カノ」
「酷いね、僕はただ面白くしただけ〜。じゃあちょっと散歩してくるよ、シンタローくん」

くすくす笑う声に、オレはやっと床に落としていた視線をカノに向けた。ひらりと振られた手とにやけた顔。腹が立って、たぶんセトが居なかったら掴みかかっていただろう。
カノが出ていくのを不思議そうに見るセトの横顔に肺がギリギリした。

「すいません、カノがなんか言ったっすか?」
「いや、別に」

ギリギリギリギリ、。
罪悪感が胃を回り、吐き気を起こして喉を絞め、そして脳を酸欠にさせて思考を一つで占めさせる。自己嫌悪。
セトが心配そうな顔でオレの近くに寄ってきた。バイトで疲れているのならそのままほっておけば良いのに。伸ばされる手が純然な親切で構成されていることに、果てしない後悔が止めどなく溢れた。
知りたくなかった感情には一足飛びに名前がつけられてしまった。

「シンタローさん?」

その手を引っ張って押し倒してキスするところまで一瞬で妄想したオレを誰か殺して欲しい。

『襲ってみたら実感するんじゃない?』

やっぱり今すぐ追い掛けて殴りたくなった。
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