62 | ナノ


ばちんっとブレーカーが落ちたように目が覚めた。一気に覚醒したことで体は追い付かずにぎしりと悲鳴を上げる。内側からの痛みに寝返りを打った。
寝そうになっていた、微睡んでいたあの瞬間に思ったことを思い出す。
確かにあのデパートへ、オレは行っていない。まず中に入ることすら危ういが、それはどうにかする。
焦る体はぎしぎしと痛みを訴え、中々上手く動かない。まさか一日中歩いただけでこうなるなんて、思いもしなかった。

(行くか)

セトが居るかもしれない。
思考と願望と欲求に体がやっと追い付いた。オレは立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。

おいでおいでと手を打っても、その腕に来ない場合がある。それは周りも同じように手を打っているから。小さな物でも、優先順位によって左右される。
おいでおいで。
じゃあそれがたった一つになったら、どうだろう。

森だった、はずだ。植物として大分歪な造形の木に埋まっていたブロックの綺麗な道は見るも無惨に変わり果てていた。
色様々な四角の踏み石は根によって剥がされ砕かれ散々な荒らされようを表している。いつかこの道を踏み歩いた日、まさかこんな状態になるなんて思いもしなかった。しかしその荒れようも確かに驚愕の一言ではあるけれど、それよりも遥に理解しがたい。
無数の黒を称えて鬱蒼としていた木々はばっくりとまるで大型トラックが木を薙ぎ倒して進み続け、業者が倒れた木を片付けた後のように、そこはオレが予想していた木々の隙間を抜ける困難さをがちゅんと容易く噛み砕いた。
その道は真っ直ぐに一本だけ大きく取られ、デパートの入り口を指している。まるで誘われているような気分になるが、不思議と気味が悪いと言った気分は起きなかった。
ブロックが剥がされかなり歩きにくい道になったその災害あとのような線を歩く。時折足の裏に粗い拳大の岩が地面との隙間に入り込んで転けそうになるのが不満と言えば不満だが、じゃあ森の中を歩くかと言われれば、それには喜んで首を横に振ることだろう。
ようやく終わった悪道に汗をかきながら周りを見た。とてつもない違和感が可笑しいと素直にオレの脳は答えてくれる。
その違和感の答えはすぐに分かった。
オレが横を通り過ぎた木はまるで外壁のようにデパートを無数に囲っているのに、デパートの入り口である透明のドアの向こうにはまるでその階は開いていなかったかのように木は一つも無い。
その違和感は激しさを増してオレを襲ってきた。そうだ、確かにここは人の出入りは激しい、けど、。

こんなこと、有り得るのか?

デパートを見上げれば確かに窓を突き破る木が見える。あれは従業員だと言えばお仕舞いだが、それでもこれは度を過ぎて異常だ。濃い酒の中に閉じ込められたように頭がぐるぐると重たく回る、息を吸えば酸素の濃さに吐きかけた。
ぺたりと手のひらに日を吸収した熱い硝子の温度が伝わる。開かない自動ドアは向こう側を映すだけだったが、しかし次にはがごとんと動きにくそうに開いた。訳も無く涙が滲む。中は冷房が調整されていて冷えすぎていなかった。
ゆっくりと歩き出して中に入る。一人分の足音がこんこんとそのフロアに響いて白い床に反射され、オレの存在を際立たせていた。
後ろの自動ドアはスススと開いた時とは対照的に静かに閉まり、ぴたりとその隙間を埋めてしまった。そして暫くしてテロリストに襲われた時と同じように、しかし今回はゆっくりと急がずに、白い壁のようなシャッターが降りた。それはまるでオレの行動次第によっては直ぐにでも閉まるか止まるかをしそうだったが、自動ドアの四分の一を向こう側に隠してしまった後はもうゆっくりには降りず、ごうんと重々しく落ちた。フロアの床が震え、オレの靴越しの足に伝わる。
オレはそのシャッターを暫く見詰めた後、ポケットからケータイを出した。今じゃ絶対連絡も来ないくせにタッチパネル式のケータイを持ち歩き続けていたオレは、もしかしたらこれを知っていたのかとも思える。

「エネ......」

そこには青い美少女の姿が映っている。
エネはオレを見なかった。

「お久しぶりです、ご主人」

案内係は静かに顔を歪めて、挨拶した。

にわかには信じがたい事実は確かにその少女の口から淡々と語られた。地球の防衛本能、奇病のような原因。まるで出来の悪いSFだと言えば、エネは一度だけああ確かにとけらけら笑った。
エネの指示でオレは広い一回フロアに並ぶ店を通り過ぎる。

「ご主人」
「なんだよ」
「セトさんはご主人のことすごく好きですよ」
「突然なに言ってんだ」
「突然じゃないですよ」

エネが思ったより真剣そうな顔で俺に言葉を投げていて、思わず何も言えなかった。エネの指示が無くなったからオレは自然と立ち止まる。沈黙が雪みたいに降りていた。

「ご主人の現状はセトさんのせいです」
「だろうな」
「責めますか?セトさんを」

答えないで居ると、素直ですねと微笑まれた。その笑みにどきりとする。そういうのと、もう一つ、何か見透かされてしまったような気分が、心臓を撃った。銃口のような目がオレを見る。
嫌な感じがびりっと引っ掻いた。

「エネ」
「お二人とも子供ですよねえ。図体だけ、大きい」
「エネ、なあ」
「今更な偏見と拗ねで意地張らないでくださいね、ご主人」
「なあっ!」

叫ぶような声がフロアにきんっと響いた。手が震えて膝が笑って、息苦しい。はっ、と浅い息を吐いて画面を見る。
エネが変わらず笑っていた。

「セトさん、待ってますよ」
「なんで居なくなったんだ」
「ここを右に曲がって真っ直ぐです」
「おれ、は」
「セトさんが居ます」

エネが強くオレの言葉を遮った。
しかし諦めずもう一度何かを言いかけて、出せなかった。もう思い出せなかった。
ケータイをつるりとした床に置いた。いつの物かも分からない足跡が無数にあるけれど比較的新しい床の上、ぽつりと一つケータイが置かれて、なんだか無償に泣きたくなった。エネの青さが惜しむ手をほうっと微かに照らす。

「私先輩なんですよ、これでも」
「見えないけどな」
「最後まで失礼ですね!」

床に置いてあるケータイと喋っているのは、きっと端から見れば滑稽だろう。誰も居ないから出来ることだ、新鮮すぎて斬新だ。思わず笑ってしまう。
エネがにかっと笑ってさっき言った道を指差した。

「先輩の声を疑わないで、走ってゴーです!ご主人!」
「いや走らねえから」

走らずゆっくり歩いてその道を行く。
後ろからエネがフロアに響くくらいの大声で意味の分からない声援を送ってくる。
それはオレが見えなくなっただろう時にも、ずっとずっとフロアにくあんと広がっていた。

ただ彼女はシンタローさんのことを聞いてきた。

「私はこんな体で、貴方の言う世界の終わりに関わることは無いでしょう。ご主人の側にも居れます。けど、それは違うってことも分かっています。それは確かにご主人を救うけど、それが依存しているだけの関係になるのは目に見えています。貴方はそれを望んでいると知っています、しかしそれは、私が仮想した未来よりずっとずっと、マシなんです。ねえセトさん、貴方は」

「我が儘を、言ってみないと」

にこりと笑った顔は、眩しかった。


一枚の透明な硝子の向こう、休憩用に作られたのか、中庭のような空間。丸く閉塞感を感じさせるような天井もある中庭は途中様々な階が点々と一部を開けて光を入れていて、屋根があるとは思えないほどに明るい。まるでデカイ籠のように見える。
その真ん中に、セトは居た。
きいっと小さな軋む音で硝子のドアを押してそこへ出た。今まで見た中で規格外に大きな樹木。ゲームにでも出て来そうような世界樹などを思わせるそれは、大きく取られた中庭でも少し窮屈そうだった。幻想的とも言えるだろうその大樹に近付く。

「セト」

呼び掛けるまでもなくそれはセトだと分かった。


「セトは我が儘言わないよね」

それは本当に突然だった。
今までぼうっとお互い何を話すでもなかったのに幼馴染みはすらっと今まで喋り合っていたように口を開いて言葉をかけてきたから。突然の流れに何かを言わなければと義務染みた物が芽生えるが、それを上手く声に出せなかった。
ぷつんと置いていかれたシンタローさんのケータイの電源がボタンで画面を黒くされ、テーブルに置かれる。勝手に弄っていて良いのかとは思ったけれど本人は戻ってくる気は無さそうで好きにさせていた。

「セトはさ、我が儘言わないよね」
「二回も言わなくても聞こえてるっすよ」

もう一度繰り返された言葉は何故か嫌な響きを持っていた。それが繰り返される度に増えるんじゃないかと言う怖がりが声を出した。当たり障りの無い声で当たり障りの無い言葉がカノにかけられる。
カノはそうと一回頷いただけで可笑しそうに笑う。しかし長年の付き合いでそれが面白いと思っている顔じゃないことが分かった。
兎に角気に入らないと、カノの不満が覗いた。

「そう、いつもいつも、我が儘は言わない。何の流れも変えないように出来るだけ控え目に自分の意見をそっと組み込んだ会話をする。だってそうやっていれば楽だし相手も困らないもんね」

にこにこにこにこ。
お手本通りの笑顔を顔に張り付けて友好的な身近に感じるような笑顔をするカノが、不意に顔から笑顔を消した。残ったのは無表情だけ。
その激しい落差は思わず言おうとした言葉を全部飲み込ませた。

「セトは自分の言葉で人が困ることが嫌なんだよね。我が儘を言わずに相手を言葉で思った通りに誘導するなんて面倒なことしちゃうくらいだもんね。僕よりずっと時間をかけてそれをやっちゃうくらいだもんね」

ぱっとまた笑顔が戻り、分かる分かると同意するように頷く仕草をする。でも目が赤く分かりやすく光っている。
何を言おうと思ったのか。

「セトは、小さい頃から分かってたからね、我が儘を言えばどれだけ相手が困るか。それが小さな物でも大きな物でも相手は好ましく思わないとそれを困ってしまうって。扱いに困られて、置いていかれるのが、一番怖い」

息をひゅっと飲んだ。
カノはまた無表情になり、今度は俺じゃなくてシンタローさんのケータイを見た。その目に見えるのが何なのか、分からない。
さあさあ梅雨の音に混じってかつこちと音がする。がちがちと歯車を回し針を回し数字を指す時計を見れば、短い針がローマ数字の三を指していた。

「欲しがらないと、今度は欲しいものがセトを置いてっちゃうよ」

今みたいにね。
カノがシンタローさんのケータイを投げて寄越した。

「シンタローさん」

呼び掛けられる声は脳に広がらずにオレをしっかり捉えていた。すうっと一回だけ空気を吸って後ろに振り返る。
思っていた通りの姿がそこに立っていた。
緑のツナギに黒い髪、樹液みたいな目に黄色い髪留め、オレとは比べ物にならない体、笑顔。
覚えていた通りの姿がオレから一メートルほど離れて立っていた。何も変わらないように見える姿。

「セトだな」
「ええ、俺っす」
「でも違うな」
「はい」

違います。そう言いながらセトは右腕を差し出した。何の代わり映えもしないような右手右腕が、急速に風化していく。ざらりと表面の砂を落として肉にも見えるような真っ赤な木の実や花弁を落としていき、そしてぴたりと急に止まった。セトが左手でそこを覆うように撫でれば、左手が去った後には幻だったように風化の跡は無くなった。ただ残ったのは砂と花弁と木の実だけだ。

「人形みたいな物っすね」

左手をぐーぱーさせながらセトは右手の向きを変えた。くるりと上を向いた手の平。オレの手が乗せられるのを待っているだろう手。
オレは迷わず手を取った。
セトが意外そうにオレを見て、嬉しそうに笑った。

「話をしましょう」

セトは今までで一番嬉しそうに笑っていた。


丸が二重。これが世界。
真ん中が現実で外側が夢の世界。夢と言っても夜に見る夢とか精神世界のようなもの。それが二重になって世界が出来ている。地球は何度も滅亡を繰り返している。それこそ何千何億と数えきれないほどに。その度に人間は精神世界へ閉じ籠り新しくなった地球へ戻ってきていた。しかしそう何度も何度も繰り返される滅亡に地球が学習を始めた。
今度の滅亡を回復するために人間の活動停止と回復への増進を図る植物化。そうして人間をわざと精神世界へ閉じ込めた。
しかし一つ問題が生じた。人間が精神世界で現実を作り始めた。あまりに静かに閉じた現実に人間が精神と現実に折り合いが付けられなくなった。その為に人間の脳は何でも思い通りになると言って良い精神世界に定着が始まった。
だから、一時的な脳の置き場が必要となったのだ。

「人間の脳置き場」

シンタローさんが呆然といった様子で呟いた。それにこくんと一回頷き、とんっと指でシンタローさんの頭蓋骨を叩く。皮膚の下の骨の中で思考を動かす役割をくるくると展開させているはずの精密な肉。

「何でも思い通りになれば当然ほとんどの人間はそこに依存し出します。それは当然の心理で、楽をしたくないと思う人間は稀っす。けれど例えばそんな思い通りが続いたら人間は次第に人間は飽きてこう思うようになると思わないっすか?」

「退屈だ、死にたい」

するりとシンタローさんの喉から言葉が落ちてきた。それは確かに俺が言おうとしていたことで、シンタローさんが思ったことがあることだ。感情を一切合切洗い流した後、詰まらないと言う退屈そうな顔をぺたりと貼り付けた顔が、無感情な黒々とした目で俺を覗く。

「お前には能力の特殊性があり、尚且つ脳の管理と言う状況に対してそれは最適で、更にはオレの代わりを負担し続けたから、」
「そう。俺は多分地球が戻っても、もう戻れないっす」

流石と言わざるを得ない理解の早さに拍手を打ちたくなるけれど、きっとシンタローさんには嫌味にしか聞こえないんだろうと分かったからしなかった。しんっと沈黙が耳に痛いほどきいんと落ちてくる。シンタローさんの目は変わらず俺を見ていて、何もかもが見透かされているような気になってきた。
意思が残るのは正直分からなかった。けれど個の人体への花の許容量が増えた場合、人間を昏睡状態にさせずとも養分が回るんじゃないかと考えた。木となるため足りなくなった栄養は意識を落とすと言う行為でのエネルギーの貯蔵と日々に使うはずだった体力とを使って補う。それを肺に咲いた花だけで済ませてしまえば意識を落とすことも無く精神世界へ自我が引っ張られることもなく定着する。
しかし問題は、それの過剰摂取によって肺が完全に植物化し、恐らく人間に戻ったところで息が出来ずに窒息。良くても一生ベッドで空気を送り込まれる毎日だろう。
そして緩やかに穏やかに迷惑を多大にかけて死んでいく。冗談じゃない。

「オレを置いていったのは、何でだ」

シンタローさんは暫く何か耐えるように考え、恐らく一番聞きたくて一番回答が出なかっただろう所を聞いてきた。まるで心臓の中でもとびきり柔らかいところに鈍くも鋭い鋏を突き付けられた気分になった。その感覚を息を吸うふりをして軽く払い去る。

「俺がこれを知ったのは偶然で、でももう手遅れな時期だったんす。そこで一番に思ったのが、俺は貴方とどれだけ居れたのか、どれほど貴方の心には入れたか、」

中庭は外の温度とそう変わらない。日光が直接射してこないだけマシかもしれない程度だ。俺はもう温度がどれだけあろうと汗はかかないけれど、次第に体が渇いていくのを感じる。
シンタローさんは暑いんだろう。ぐいっと汗を拭って木陰に入っている。シンタローさんの首に触ってみると、手のひらに水分が吸収された。

「こういうの、好きって言うんすかね」

ひらっと手を離して一回振れば、シンタローさんは変な顔をした。泣きそうにも見えて、顔を覗き込む。一歩後ずさったシンタローさんにしまったと一歩下がった。そんな俺の行動に、今度はシンタローさんがしまったといった顔をする。

「好きって言っても、多分間違いじゃないと思うっす。けどやっぱ、こう言った方が正しい」

シンタローさんが恐る恐る俺を見るために顔を上げてくれた。それだけで嬉しくて、反らされない目で十分にも思える。好きだ、と。それは確かなことで、思えば俺はずっとそれを持ってシンタローさんと接してきていた。

「一緒に居たいって思ったのが、シンタローさんなんすよね」

そう言えば、シンタローさんは俺から目を反らした。やっぱり気持ち悪いのかなと諦めのような、寂しさのようなノイズ。ばちばち煩くて、でもそれは飲み込んで置かないといけない物なんだ。

「わかんねえ......」

俺の我が儘に、シンタローさんは途方に暮れた声で呟いた。

分からないと呟いた。
取り合えず今日はここまでにしましょうかと話を終わらせたセトは、ちょっと行ってきますと言ってどこかへ消えた。
オレは果たして、何と言えば良いのか。
地球の回復まで恐らく最低でも何十とかかるだろう。その間オレはたった一人の人間としてセトと生きていくことになる。それは抗いようもなく、結局それを拒んだところでオレはセトの元へ帰ってくることになるのは目に見えている。第一あの時迷わず手を置いたことで他に行くという選択肢は無くなっている。
正直、どうすれば良いのか分からない。セトをどう扱えば良いのか困惑している。
あらかじめ置かれていたんだろうベンチに腰を下ろし、木陰の中で上を見上げる。葉と葉の間から日が溢れ、キラキラと夏の気候のまま輝いている。それは緑に見えず、逆行も相俟って黒に見えた。黒の葉の海が、空になっている。
オレはセトを見付ければ良いと、結局そう思っていた。しかし話はそう簡単には終わらない。それが愛していた恋人だったとしたら、二人は幸せに暮らしましたで終わる。けれどオレ達は恋人どころか一方通行の関係だ。これが女ならもっと簡単だったのにと性別を憎む心も出てくる。
エネは居ない。直感でしかないが、エネがこれを手伝ったのはあいつに何かメリットがあってのことだろう。例えば一時の思考の保存をセトが受け持ったとか。まあ有り得ない話ではない。
そう思うと更に重く問題は落ちてくる。
オレがセトを好きになれば良いのだろうか。ふと浮かんだ考えに、オレはどう頑張っても答えられないだろうと決断が舞台の幕を閉じるように落とされる。偏見とかではないし、時間をかければそうじゃないのかもしれない。けれどそれは未来であって現状でそう簡単に好意を持てる訳じゃない。
色んな考えが浮かぶが、首を振って考えを文字をばらばらと落とし、すべての枚数を白紙に戻す。
オレは、どうしたい。
エネの言葉がからからと甦る。オレはセトを責めたいんだろうか。これの答えは、元からオレの中に無かったのかもしれない。
それはある意味、答えじゃないのか。


「よく、寝れるっすねえ......」

帰ってきてみれば、シンタローさんはベンチで腕を組み、首をがくりと折って寝ていた。首が痛くならないかと心配になる。と言うか普通に寝苦しそうだ。
隣に座ってシンタローさんをそっと倒した。膝に感じる重さが落ち着かなく動いた後次第に寝息を整えていく。ちょうどシンタローさんの閉じられた目に当たる日を手で覆って遮った。
少しは警戒心がないと自惚れても良いのかと、自分の手で見えない寝顔に問い掛ける。
依存して欲しかったのかと言われると、そうかもしれないと思う。しかしそれはヒントの一つであってああそうかもと思うだけで、確かにそうだと思うものじゃない。好きになって欲しいのか、依存して欲しいのか、どれもが部品で、心臓部じゃない。
我が儘。
そう言われて思ったのは、兎に角この人と居たいと思ったことだった。拒絶をされたくない訳じゃない、されて当然のことはしている。
俺がやったことじゃなくても、俺はそれを止めようとも思わず、誰にも言わなかった。黙って利用した。ズルいと分かっている。この人の選択は受け入れるにしても受け入れないにしても、俺と居るしかないのだ。
風が吹いて葉のカーテンが向きを変えた。ざわざわと静かな木の鼓動。脈々と水を蓄え、日を受ける。
シンタローさんの視界にはもう眩しいほどの光は当たらないのに、それでも手を退ける気はなかった。もう見て欲しくないと、そう言うのはきっと馬鹿馬鹿しいんだろう。

「シンタローさん、俺マリーのことが好きだと思ってたっす。きっとマリーと生きて子供でも作るんじゃないかなーって漠然と思って。キドはそういう対象にはならなかったっすね。なんか近すぎて、女の子って分かっていても、そういう扱いは出来ても、なんか全部違ってたんす。キサラギちゃんは可愛いとは思ったんですよね、良い子だなって。ヒヨリちゃんは年からしてそういう対象じゃなくて、エネちゃんは貴方とセットだって思ってたっす」

寝ているシンタローさんにただ思っていたことを言っていく。いつかぶちまけるかもしれないこれを、先延ばしにするために言っておく。
まさか男が好きなのかと思ったこともあったけど、結果はやっぱり無いなと吐きかけただけだった。世間の目とか、偏見とか、差別の対象とか、知っていた。実際理不尽に不条理に、叩かれている人を見たこともある。

「全員、好きっす。好きで、好きで、大事で。マリーなんかは、宝物みたいに大事で」

でも知っていた。あの森で出会ったことが衝撃的だっただけだと。嘘をつかない目が好きだっただけだと。仲間意識に似たものだったんだと。それでも恐らく、ずっと一緒に居たら、遠からず一緒になっていたんだろう。だけど、気付いた。
今更過ぎると自分を罵りたくなった。もっと早くに気づいて、諦めて、他の誰かを選べれば。
貴方は俺を選ぶことは絶対に無い。例えば世界と俺を天秤に掛けられたら、必死にどっちも救おうとして、結局俺は負けてしまう。選べず弱る優しいシンタローさんに。
俺を置いていくことが出来ないから、この人はここに居る。

「シンタローさん、好きです......」

声が震えて、人形の体の癖に。
偏見がなくなった今の世界で、選んでもらえるかもしれないと微かに思ったことは確かにあった。それでも、シンタローさんは選ばない。俺が女だったり、二人ともお互いの性が別々だったりしたら、きっとそういうことも無かったんだろう。

「側に、居たいんです」

選ばれなくて良いから、ズルくても良い。嫌われたままでも。シンタローさんの側に居れるなら、もう良かった。
俺の、最後の我が儘を。

「お前は、」

突然、シンタローさんの規則正しかった寝息は途切れて声を吐いた。ぎくりと体が固まり、ばく、っと心臓が大きく鳴った。
シンタローさんの目を覆う手が、シンタローさんに取られる。黒い目はこっちを見ていた。

「オレの名前を、呼びすぎだ......」

呆れた顔で、俺の頬を一回撫でた。

告白された回数を言うなら、たった一回。現在進行形で吐露されている物だ。残念ながら夢にまで見た美少女からとかそこまで高望みしない妄想での可愛らしい女の子からとか、そういうことは一つもなく、むしろ性別自体からして真逆な方だった。
視界を覆っていた手を退ければ、セトは情けない顔でオレを見ていた。目を反らそうかオレから離れようか、迷っている顔だった。
人形の体で、泣けるのかと思う。今にも泣きそうな顔に、手を這わす。気付かれない程度に躊躇ったことが馬鹿らしくなるほど、人間の肌の感触だった。手を触った時や、首に触られた時に感じた砂っぽいような、そんな感触は無い。

「お、き......」

痺れているような舌を懸命に動かしているように、震える声は降ってきた。くしゃっと歪んだ顔は嘘をついたオレを責めずに、悔やんでいるように歯を噛む。そうしないと歯も鳴りそうなほど震えている。
まるで起きていたオレが苛めたように思える。何かを言おうとするが、何を言えば良いか分からなくなる。結構勇気を出して声をかけたのに、これじゃあ台無しだ。

「忘れてください」

何か思い付く前に、セトはオレに逃げ道を作る。先延ばしにしようと、悪癖を。ああ、セトの悪癖だ。肝心な自分のところで、それに人が関われば関わるほどに。
オレは起き上がってセトの顔を見る。さっきの歪んだ顔をうまく誤魔化す笑顔。

「オレお前のそういう所嫌い」

嫌いとはっきり言うのは緊張する。人を傷つけると知っている言葉はとてつもなく体力を削る。

「イケメンなのも気の使い方もオレより力があったり心が広かったり、全部嫌いだよ。好きなところって言われてもみつかんねえ」

セトが困ったように笑う。
オレの声はさっきのセトみたいに震え出した。

「なんでオレだよって思うし、オレは女が好きだから男とか論外だ。ホモかって思うと気持ち悪いとかより気分が悪い。オレが対象じゃなかったら引くくらいで終わったんだぞ。なんでオレだよ。良いところなんか一個もねえし、人のこと妬んで羨ましがって、そのくせ変えようとか思わねえ。自分にムカつくけど変わろうって気にならないんだ。そんな奴なんだよオレは、お前が好きって言ってるのは、なんで、」

なんで。
なんで好きなんだ。なんで一緒に居たいんだ。なんでオレなんだ。なんでマリーじゃないんだ。なんでお前なんだ。なんで呼ぶんだ。なんで。
なんで、。

「なんで、そんなになってまで、オレなんだよ」

そんなことをされる価値がオレには無いのに、なんでお前はそれをする。もう戻れなくなって、それでも生かして、オレを。
セトがうつ向いたせいで、顔は見れない。

「問題を間違えちゃダメっすよ、シンタローさん。俺は貴方を閉じ込めている。それの上に罪悪感を乗せても、結局は貴方は俺と居るしかない」

セトの言葉は強かった。絶対にそれだけは通そうとする意思が声に籠っている。確かにオレはセトと居るしかない。紛れもない事実だ。

「シンタローさんの側に居たいって、我が儘っすよ」

それでもその我が儘を受け入れるには、オレはこの関係に意味を見出ださないと、納得できないんだ。悪いとは思う。罪悪感だってある。

「どっちか、選んで貰うっす」

木になるか。お前と居るか。
ここまで酷い二択も無いだろう。

「セト、」

いつまで経っても止まないオレの名前を呼ぶ声。知ってるか、今も声は止まないんだ。脳の中で反響する。それがどんなに化け物を生かしているか、お前は知らない。
結局とっくに答えはあるのだから、オレは悩むふりを止めた。
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