61 | ナノ


引きずり込んだ。
焼けていなくて不健康だと思う俺より細い腕を引っ張って、その日確かに腕の中に引きずり込んだ。梅雨冷えのする日で、どしゃどしゃ落ちてくる水滴とは言いがたい大粒が傘の無い俺を打っていた。

その板の先に、望んだ光景は無かった。ホッと息をつくより前に、乾いた笑いが込み上げる。何を今更期待したんだろう。
自分自身の愚かしさに歯を食い縛った。分かっていたことだ、だってここは真っ先にオレが見た場所だ。
何もない、空洞みたいな部屋。
がらんと人の気配はもう無くなっていた。空っぽでベッドくらいしかない部屋。日は射し込んで白いシーツを目に痛いほど照らしていた。
思い出したからなんだって言うんだろう。無理矢理体を開かされた記憶に何の答えがあるって言うんだろう。笑ってしまう。
希望を持った。嗚呼はっきり言おう、持っていた。現実味の無い世界にぼうっと漂うように生きて孤独をどうにか奥に仕舞い込んで生きてきた日々に聞こえた人の声に。幻聴だったそれに、もうこんな生きているのかいないのかすら分からなくなるようなこれがどうにかなるんじゃないかって。冷たい土の中に埋められてオレはひたすらそこをさ迷っているんじゃないか、そうしてオレはいつか地上に出れるんじゃないかなんて、馬鹿馬鹿しい。
ドッと一気に疲れた体を歩かせ、真新しいように感じるベッドに体を落とした。空気が布の間から逃げていく音だけが響く。
誰も居ない。話す声は無いし煩わしかった雑踏も無い。人の気配は色濃く残るくせに誰も居ない。誰か。
ようやく現れた弱音は堰を切って大きく溢れ、オレの体をどろりと重くする。

「せと」

くはっと開いた口は、呼ぶ。
ついに声に出たのは嫌悪の対象であったはずの名前だった。誰かなんて言わない、セトで良い、最低な奴で良い嫌いな奴で良い。嫌悪感の塊でも良い。オレがムカつく姿で良い。
確かに泣いた顔があの時あった。
やっぱりまだ駄目だとベッドから勢いをつけて起き上がり、床に足の裏を置いて立ち上がった。探さないといけない。木を見ていない、セトの姿を見ていない。
セトが呼んでると思った。

血の味がする。その唇を舐めれば、その味は毎回必ず俺の舌に付いてきた。冷えているようにも思えるそれは、確かに暖かな人肌を持っている。リップなんてしない唇は荒れて皮はちくりと乾かせていた。温い味。

「なんでこんなことするんだ」

慣れてしまったから、もう反応は固まっていた。離れたら少し顔をしかめて俺から目を反らす。だけど今日は違った。もう慣れきって呆れているような顔で、それでも嫌悪感だけは隠しきれずに少量称えていて。
だからつい、。

「好きっす」

言った途端シンタローさんは少し目を見開いて俺を見た後、ふうと息を付いた。思っていたよりずっと小さい声だったのに、シンタローさんにはちゃんと届いたようだった。雨がざらばら降っていて煩いのに、聞こえたのかあと少し後悔が走る。輪郭をすっと走る滴がくすぐったさを残していく。

「正義のヒーローなんて居ない、世界の命運に立ち向かう勇者も居ない。俺はそれになりたいなんて思わないし、なれるなんて自惚れても居ない。どうしたって世界が終わるって言うなら、それを知っているのが一人なら、もう誰にも言わずに居たら良い。静かに全部終われば良い。世界が静かになってようやく事の重大さが分かるならそれでも良い。後悔しても良いしその責任が降りかかるなら重くなるならそれだって、ただ、」

堰を切って声が出た。シンタローさんがよく分からないと言う顔で俺を見ている。
ただ、ただ、ただ、

「一緒に居たいって、思っちゃ、駄目っすか......」

目を開いた。

珍しく一日中体力が尽きるまで歩いたオレは、もう夜と言って良い時間帯にそこへと帰り、風呂にも入らずベッドに倒れた。しっかりと記憶されているここの見取り図、風呂くらいどこにあるのか知っている。けれどもう疲れて何もしたくない。
明日は筋肉痛かもしれない、明日も歩き回らないと。
ヒキニート時代からは考えられないほど健康的な時間帯にベッドに身を預けて微睡んでいる、そう考えると少し笑えた。
もうほとんど見に歩いた。しらみ潰しに歩き回って、階数ごとに探して。どこに居るのか検討が付かず、ひたすら声の間隔を頼りに歩いてきた。小さく長くなるほど焦って近付こうとして、精神も、もう眠りを誘っている。
目を開けていることが出来ない眠気。
メカクシ団アジトの一室。セトの部屋。家に帰るのも億劫で、オレは思わず近かったこのアジトに入った。休息をひたすらに求める体を今すぐにでも休ませたかったから、仕方ない。
くらくらとしそうな眠気は思考に泥を纏わせる。身体中に泥が詰まってもう動くこともしんどい。とろとろと脳に注がれていく抗いがたい欲求を素直に受け入れ、オレは目を閉じた。
あとどこ探してないっけ。駅の方はまだか。県外だったらどうするか。そういえば住宅街は行ってないな。居るかわかんねえけど。
そういえば。

そういえば、あのデパートの中は、見てねえな。

オレはそこで意識をふつりと落とした。

空気中に見えないほど小さな種子と花粉が舞い、それは肺に入った途端壁に張り付き受精する。そうして何千という単位の種子は芽吹き、肺を覆い尽くしてしまう。そこで自然界らしいのがその芽はそれから競争を始めることだ。より多くの養分を求めて隣から奪い大きくなる。そして人間の体内で異物を取り除こうとする抗体に打ち勝つ花が咲く。そして花は短いながらも寿命を迎えて枯れ、根を残したまま大きな種子と蜜を残す。種子は喉に違和感無く張り付き、蜜は血液に混ざり身体中に巡って血管をもっと柔くさせる。その血管を守るために人は急速に体を変え始めた。余った栄養を使って肌を固くし、それは樹皮のように。余った栄養は肺から送られる。また咲いた花や根によって補われた栄養は情報が組み込まれており、人の体は静かに異常を発達させた。
喉に張り付いた種子は芽吹き、蔦を伸ばし、喉を通って脳に巻き付く。余った栄養は溜まり、人はそれを発散しようと枝を伸ばし、蔦を這わせ、花を咲かせ、そうして木は出来てしまう。出来てしまった。
地球が取った防衛行動とでも言うべきか。温暖化により壊されていく自身に地球は一つの防衛策を投じた。人類動物その他、全てを植物にして回復を待つという慈悲に溢れながらも馬鹿馬鹿しく残酷な策を。
そうして出来上がったこの植物世界、人類最後、世界終焉。静かに静かに閉じた。
暇だなと空を仰いだ。放浪癖も発揮できないし何よりどこに行っても人は居ないのなら行く意味は基本無い。更に電車なんて欠片も動かないのだから通行手段も絶たれているのだ。
目を閉じて、暇潰しに寝ているシンタローさんに一回だけ呼び掛けてみる。
シンタローさんに思い出して欲しかった反面、思い出して欲しくもなかった。記憶を読み取れる俺は所謂記憶を支配する物への干渉が出来る。少し弄っただけでデリケートな情報は直ぐに崩れてしまうから滅多にはしないけれど、あの日だけ、抜き取った。
声が溢れて止まらなかった。何もかも言って許して貰おうかとさえ思った。側に居たい側に居たい側に居たい。
それだけ欲しい。ただ、。

「シンタロー、さん、......っ」

側に居たい。

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