53 | ナノ

くとん、と落ちた滴に洗面台に張った水に波紋を作る。濡れた前髪を掻き上げ、鏡を見てからはあっと思いっきり息を吐き出した。消えないモモの個性的すぎてちょっとちょっとアイドルさんと哀れみの声で書道でも勧めたくなるほどだ。書かれていた時に仄かに臭ったインクにまさかとは思っていたが、まさかまさかの。こんな所で大正解を導き出しても嬉しくないどころか、なんでその止めれなかったと後悔が沸くだけだ。
ごしっと一回タオルで拭うが、結果は同じだ。黒いインクは線を描き文字を書いて俺の頬から離れやしねえ。石鹸でもすぐ落ちるかどうか。更に今口を負傷中の俺にとっては石鹸なんて素晴らしく敵対関係。石鹸の傷への痛み過剰加算を想像しただけで石鹸に手を出すのは躊躇われる。
そこでふと気付いたが、まず石鹸がなかった。いつもなら置いてあるから恐らく今日使いきったのだろう。
じりっと痛い唇を舐めて、冷えた液体鉄を飲み込んだ。なにか他にそういう物は無いのかと探して、やはり何もなかった。こんな字を顔に引っ掻けたままオレが帰れるわけない。つまりオレは逃げられない。思わず脱力して座り込んだ。ちくしょう。
仕方なく立ち上がり洗面所から出て戻れば、男子のみ。むさっくるしいアジトの様子に思わず顔をしかめたって仕方ない。可愛らしくカラフルな場に男とかなんのサプライズ、むしろ嫌がらせの域だろう。更に揃いも揃って......、いや止めよう顔面偏差値格差社会。オレは静かに悲しい事実に蓋をした。
涙なんて出てねえよ枯れたわなんてそのむさい光景から顔を逸らしかけたがそれより早くカノがオレの存在に気付いた。じっと暫く見られ、とんっと指で頬を指された。

「あれ、シンタローくん消さないの?それともそういうプレイ?ごめん!僕そういうアブノーマルさは持ってないから相談ならセトに」
「いやお前はっ倒すぞ!油性だよ!」
「然り気無く俺の性癖捏造しないで欲しいっす」
「ヒビヤ、プレイって何?ゲームするの?」
「ちょっとカノさん、うちの天然ボケに飛び火させないでよ」

被害甚大とはまさにこれか。けらけら笑う愉快犯カノの処遇は大きく丸めた新聞を振りかぶるセトに任せておいて、オレはぐしっと一回頬を擦ってテーブルに置かれていた二本の黒のペンを持った。横で何をするの楽しいことかと好奇心旺盛な一番年上でありながら一番年下のヒビヤと明らかに立場が逆だろうコノハは見ないことにする。めんどくせえと顔にありありと書いているヒビヤだが、手慣れたように流しているのは流石の手前だがそんなことよりオレの実の妹の馬鹿さにオレは意識を取られる。
手の中のペンは百均に売ってあるような油性と水性の黒。分かりやすく黒字に濃い黄色ででかく書かれた油性と水性の字。恐らくはオレに使うはずだったろう水性は真新しいまま、油性は蓋が若干緩んだまま。かちっと音を立てて蓋を閉め、さてあの馬鹿どうしてやろうと頭を抱える。

「キサラギちゃんは凄いね、ある意味」
「ああ、是非本人に言ってやってくれ」
「やだよ、絶対怒るでしょ」

セトから盛大に贈られた痛みから復活したカノがオレの手の中のペンを見てうわあと楽しげに笑った。こいつほんと懲りねえなと思うが癖なのかもしれない。笑うのが癖なんて頭可笑しな奴だ。セトもオレからのそんな視線に哀れんだようにカノを見て一回頷いた。

「今すごく落とされた気がする」
「気のせいだろ」
「気のせいっすよ」
「気のせいじゃないの」
「カノって頭可笑しいの?」
「気のせいじゃないよね?!ほら!気のせいじゃないよね?!」

まあコノハなら仕方ないと思える。ねえ?!とオレを揺さぶる煩くうざったいカノの顔面をセトから投げられた新聞を受け取って叩いて黙らし、ペンをテーブルに置いた。何度擦っても消えない線にため息を付こうとして、止める。
今更だなとセトに視線を投げた。

「石鹸、無かったけど」
「あー、そういや朝切らしたまんまで出してなかったっす」
「出そうかと思ったけど使ってたの切れてたんだよ。キドに出して貰おうかってほっといたんだよね〜」
「俺もカノもどこに何がとか把握してないんすよ、申し訳ないっす」
「......つまり」
「キドならマリーの部屋だから」

お前らの仲間の過失だろ!と怒鳴りたいが俺の妹の馬鹿さだ。結局オレが行くしかねえのか、くそ。
面倒くささに項垂れてマリーの部屋へ向かおうとして、くいっと服を引っ張られた。何かに引っ掛かったのかと後ろを見れば、ヒビヤがそこに立ってオレを見上げている。オレも小学校の時こんくらいだったのか、でかくなったなと染々実感。昔は見上げていた母も、今じゃ俺より背は低いんだから、成長って感慨深いよな。

「シンタローさんが行っちゃ不味いでしょ」
「......?なんでだよ」
「兎に角不味いって。コノハに行かせるから」
「僕?」
「石鹸どこにあるか聞いてきて。ちゃんとノックしないとダメだからな、ヒヨリが出ると思うから中に入らずヒヨリを通して」
「分かった」

お前ら逆だ、逆。そんな言葉は飲み込んでおく。
てってっと頼られた嬉しさでか楽しそうに歩いていくコノハを見送り、オレはヒビヤに礼を言った。それに少し居心地悪そうに別にと返す素直じゃない小学生の頭を撫でて、コノハが帰るまでぼふっとソファに座り込む。
カノが少し残念そうにコノハを見ているのに気付いて、一回だけで良いからと殴りたくなった。こいつそういうの知っててオレを行かせようとしたのかよ。

「シンタローくんが詰られる絶好のチャンスが」
「なあ、あいつっていつ沈められんの?」
「近い内にした方が良いとは思ってるっすよ」
「止めて?!」

カノが煩くなったが、まあ良いかと目を閉じた。コノハまだかよ。
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