48 | ナノ
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ぴかぺかと窓が光を入れてるのを目蓋の向こうで感じる。ストーブも焚いていない部屋は冷えに冷えて、暖かくふかふかの羽毛を退けるのに渋ってしまうほどで。しかしこのままごにゃごにゃと布団にくるまっていてはお腹が空いてしまう。それは僕にとって酷く生活を狂わす大事であり、仕方なく勢いをつけて一気に上体を起こした。すうっと体を一気に撫でてくる冷気に体が縮こまった。
ふらっとベッドから起き上がって窓の掛け金を下ろしてグッと押せば、窓の隙間から部屋の中以上の冷たさがひゅうっと入ってきた。思わずはあっと溜まった息を吐けば白さが空気に色をつけてするりと消える。ぼやぼやしていた思考は白が入り込んではっきりと形を浮かばせてくれた。
僕の部屋にも溢れ返るキドの本の間を通り、顔を洗おうと洗面所へと足を進める。途中でキドの部屋に通りかかったけど今日は挨拶をせずに通り過ぎた。書いている途中のキドはイヤホンをしていて話し掛けても答えてくれないから、切ない。一回外して話し掛けたらすごく怒られたんだよね。
流石に本は置いていない洗面所のドアを開いた。籠からタオルを取って、洗面台で蛇口を捻って水を流す。しゅかっと勢いよく流れる水に思わずぼうっと眺めそうになり、ハッと我に帰った。流れている水ってなんでこんなにじっと見ていたくなるんだろう、不思議だ。
キドに買って貰った黄色の歯ブラシと同じ色のコップを取ってコップに水を入れた。水を一旦止めて、歯磨き粉を絞る。ごしゃごしゃ口の中の石を洗い、体重をかけていた冷えた足の短い指を何度か開いて閉じて。コップに入れた水で口内を濯いで蛇口をまた捻り、指を冷やす冷たい水を手に溜めてばしゃっと顔にかけた。ひやっとしたそれに残っていた眠気は欠片も無くなる。冷えた頬にタオルを当てて、櫛を引き出しから出した。歯ブラシはコップに立てて元の位置へ。ぐしぐしと顔を拭いて、タオルを壁に引っ付いた棒へ引っ掻けた。櫛をがしがしと動かして、適当に結う。開けっ放しにしておいた引き出しへ櫛を戻し、洗面所を出る。
ぱたったんと軽く鳴る足音でキッチンへ入った。冷蔵庫を開けて牛乳とビニールに包まれたバケットのサンドウィッチとバターロールの袋を取り、ぱたふ、と閉まる冷蔵庫。取り出した物を一旦置いて、キドの大事な原稿用紙が吊り下がるリビングに戻った。ストーブのボタンを押し、またキッチンへと戻る。
封を切り具を抜いたバケットと四個のバターロールできちきちなトースターの扉を閉めた。ジッと摘まみを回して放置。キドと色違いのマグカップを出して牛乳を注ぎ、それをそのままレンジへ入れてボタンを押した。
ビニールは捨てて、牛乳とバターロールを冷蔵庫に戻しながらふと気付いたチーズが上に乗ったベーグルに魅了されかけたけど、我慢して閉めておいた。バレたらキドが怖い。じりじりと微かな音を立てる二つにくぅとお腹が鳴る。それを振り払うようにキッチンを出て火を持ったストーブの前へ急いだ。ぼわっと吹いてくる暖かい風にしばらく水で冷めた手を当てて、牛乳と一緒に僕も暖める。
ぴーっと甲高い音にレンジを覗けば、牛乳がほあっと湯気を立てているのが見えた。開いてホットミルクを取り出し、トースターも覗く。マグカップの体が思ったよりも熱くて思わず落としそうになったが、焼けてきている匂いに熱さよりもずっと惹かれる。ほかほかの牛乳を一口飲んで、喉の奥がふああっと暖かくなるのに幸せを感じながら、大きめのお皿を一枚出してトースターを開いた。まだ焼けたと知らせる声はないけど、素直に待って焦がした過去を思い出すと到底大人しく待つ気にはなれなかった。焼けたバケットと溶けたチーズ、その中に退けておいた具を挟む。パンでお皿を埋めて片手で持ち、もう片手にマグカップでリビングへ帰った。ストーブの風で暖かくなったリビングの深緑色のソファに座り、テーブルに朝の荷物を置く。そしてテーブルの端で寂しく置かれていたリモコンをテレビに向けた。ぱちんと弾けるみたいな音の次に画面は鮮やかに色を映した。
じゃく、とサンドウィッチをかじる。中に入っているトマトとチーズにレタス、卵。うん、これ美味しい。ホントはホットミルクじゃなくて砂糖も牛乳も無い紅茶の方が良いんだけど、僕が淹れると渋くなって結局飲めなくなっちゃうから、残念だけど淹れない。最後の一口を口の中に放り込んでテレビを見る。男の人が読み上げるニュースはなんだかいつも通りに感じる。中身は違うはずなのに、やっぱり物語とかとは違うんだよね。バターロールに手に持ち、ホットミルクを飲む。どんどん取り戻されて更に高くなる体温にほうと息を吐いた。
がたたっばったんっ、と大きな音がテレビから溢れる音に被さった。ぽかんと意識がどこかへ飛ぶが、また僕の元へ帰ってくる。我に帰って急いで立ち上がり、大きな音のした廊下を覗いた。
緑の髪がざらん、と広がっていた。

「キド、大丈夫......?」
「そろそろ書斎でも作るか......」
「うん、そうした方が良いね......」

本に躓いたんだろうか、隅に寄っているはずの本は廊下の真ん中に広がり、キドはその上で寝心地悪そうに倒れていた。うん、まだマシな方だとは思うけど、多いもんね。
散らばっていた原稿用紙を拾い集めたキドに手を貸してそこから立ち上がらせる。くあっと欠伸をするキドの手をそのまま引けば、思っていたよりずっと大人しく着いてきてくれた。暖かいリビングに入れば、後ろの体が少しホッとするのを感じる。
するりと手は離れ、ぼすんとソファに大きく腰掛けたキドをジッと見た。そんなに急ぎな仕事なんだろうか。キドの手は黄緑のインクで染まり、寝不足で綺麗な目の下に隈が出来ている。くあっとまた欠伸が聞こえた。

「書けた?」
「書けた......」
「大丈夫?」
「当たり前だろ......」

当たり前じゃないよ。
いつものしゃんとした姿じゃなくてぐたーっとだらしなくソファにもたれ掛かるキドに、口の中で転がす言葉を心の中で投げ掛けた。ずるずるとソファに落ちていくキドの体。
ぐたりと力無くソファから落ちた手がゆるっと持ち上げられ、僕をかくんとダルそうに手招いた。こく、とホットミルクの最後の一口を流し込んでキドの近くに寄る。ごと、と落ちた手はそのまま床をとんとんと叩き、そしてキドの体はがばっと起き上がった。キドが叩いた場所に座り、キドを見上げる。

「目、開けてろ」

キドは原稿用紙を片手で持ち、ばしゅっと勢いよくもう片手が原稿用紙の表面を滑った。原稿用紙は微かに震え、まるで指を針で刺したみたいにぷくっと黄緑の水滴を溢れさせる。その水滴は今にもころっと落ちていきそうに原稿用紙の表面で浮かび、キドはそれをポケットから出した小さな瓶に原稿用紙を丸めて水滴を落とす。あっという間に溢れそうなぐらい溜まった水滴は瓶の中で透き通っている。

「タイトルは?」
「後で言う」

ぶっきらぼうに言われた言葉に大して不満もない。大抵は最初に言われるけど悩んでいるときは一日も待たされたことがある。決まっているのは決まっているんだろなあ。
キドが僕の額に冷たい手を当てた。冷え症だから、いっつも。体温がキドの手に吸い込まれていくような感覚を感じながら目を開ける。そこに、黄緑が流し込まれた。
ぶわりと視界は一気に歪んだ黄緑になり、奥へと流れ落ちていく。原稿用紙から剥がしたインク、キドの血を飲み込んで物語の想いはインクに染み込み、そして物語の色をつけ、書かれ、僕に流し込まれる。インクを飲んだ目は情景を映し、脳に送られた物語は僕の精神の本棚へと。そして僕はキドの書いた話を全て記憶する一冊の本となる。
こぷん、と最後の一滴が流れ、目を閉じた。じわんと目に広がるそれは徐々に波のように引き、全部が落ちた視覚に文字の列が一気に浮かび上がった。高速で流れる文章に脳が熱くなる。
ばちんっと目を開けた。キドは色の落ちた黒の文字付き原稿用紙をテーブルに投げていた。ぽかんと僕はそんなキドを見る。びりびりと余韻の物語の痺れが僕の脳に、そして目の前にちかちかと浮かぶ光景。一冊の本が僕の中で出来上がり、そして大切に、一番分かりやすい場所に置かれた。タイトルはまだない。

「キド......?」

困惑で僕は一仕事終えたと背凭れに思いっきり体を預ける彼女に呼び掛けた。キドがよく書く話はキドの本である僕が一番よく分かっているから、だから僕は困惑した。
また思考にノイズが入るように、目蓋の裏に残った余韻がその光景を映した。ただただ広がっていくその話に、僕は思わずキドの手を握る。らしくないのに、らしい。なんて。キドが手を握ってきた僕に仕方なさそうにちょっと微笑む。

「情けない顔してるぞ」
「......うん」
「泣くなよ」
「うん」

こくっと一回頷けば、ほろっと滴が降った。キドがぺちぺちと僕の頬を軽く叩いて涙を拭ってくれた。ぼうっとする半透明のビニールが張ったみたいな視界が、はっきり明瞭になっては曖昧にボヤけてを繰り返す。きゅうっと喉が空気を逃がして鳴った。

「キド大好き」
「......お、う」
「大好き」
「わ、分かったから!」

べちっと額を強めに叩かれた。キドが居心地悪そうに肩を竦めて僕から目を逸らす。顔の筋肉が徐々に緩んで、知らず僕は笑んだ。更に居心地悪そうにするキドが頭をがしがしと掻いて、耳をいつもより暖かく染めながら口を開いた。

「おめでとう、コノハ」

僕に降った言葉は優しくて、ああそういえば去年はキドの仕事と僕のメンテで無かったんだっけなあと思い出す。すっかり頭の片隅に追いやられ、その上からまた何かを積んで埋もれてしまった記憶を掘り当てる。持ち上げてみたら軽すぎるほどに軽くて、また置いていきそうだと思った。

「ありがとう」

ああ、僕は生まれて、良かったなあ。そう思いながらキドを思いっきり抱き締めて、苦しいと怒られた。
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