47 | ナノ
コノキド

する、と腕の肉に割って入った銀の板を抜いた。ぶわりと溢れ、ばたたっと零れる赤を、黒く表面にてろりと光を返す液体がたっぷりと詰められた瓶の中へ落とす。揺れる黒の上の赤を眺めて、何年もやってきたこの行為は痛みがあるはずなのにどこかホッと俺を安心させることを実感する。
数十滴落とし、今だ銀の形を覚える傷をぎゅうと押さえたが、はたたと数滴が逃れて仕事机で砕けて染みを作った。やってしまったと思い、近くに置いておいた白い真新しいタオルでさっと机を拭ってから溢れる傷へ当てればしゅうしゅと赤の色を鮮明に付けて身を染める白い。ぎゅうっと腕に当てたタオルをまた新しい布で縛って、筆立てでインクの真っ黒さを一番主張するティースプーンを取り一緒に付いてきてしまったざかくんと荒く刃で削ったごとごとの鋭い鉛筆が、かつんっと机に身を落として大雑把だと俺に文句を言った。しかし構っていられない。本来の用途では全く使われない真っ黒ティースプーンを瓶の中へと突っ込みくるくると回して赤を黒に馴染ませた。また新しい黒に染まるティースプーン。ああ済まないねなんて言いながら、それ以外で使う気は全く起きない。
かちゃかちゃと瓶の呆れ声を聞きながら、十分混ざったことを確認してティースプーンを止めた。仕事机の横に高く作った棚を指で辿り、黄色と青の粉の入った大きな瓶を選び取る。両手で黄色の瓶を持ち、固いコルク栓をぐっと引っ張れば、こぽんっと音を立てて勢いよく開いた瓶。思わず勢いそのまま上に振ってしまいそうになり冷や汗が薄く背中を張った。危ない、全部溢すところだった。
勿体無く床にぶちまけられる難を逃れた粉がしゃかんと安堵の声を俺に投げた気がして苦笑い。その瓶の透明な表面を撫でて落ちて放置されていた鉛筆を筆立てに直してまた新しい、今度は長いオレンジの匙を抜き取った。それを黄色の粉の瓶に入れて少し掬って黒のインクへぱさふと入れる。青の粉も同じように入れ、二本の瓶ともコルク栓をしっかり閉めて元の棚に戻し、匙も忘れず筆立てへと戻した。
ティースプーンをまた回し、今度は二色の粉が黒に溶けるまで掻き混ぜる。なんだかこうしていると紅茶が飲みたくなってきた、あとで淹れるか。十分に混ざったかを掬って確認し、ティースプーンを瓶から抜いて気休め程度に近くのティッシュペーパーで拭って筆立てへ。黒の瓶を持ち上げてくるっと回す。日に透かしても透けない液体をしばらく見詰めて、蓋を閉めた。
縛った布を解いてタオルを取り、止まったのを確認して仕事机から離れる。前止まっていないのに歩いてぼたらと床を汚して同居人が慌てていたのを思い出す。あれは失敗だった。
本が本棚から溢れ返り床にまで侵食へと繰り出している廊下を歩き、ドアを開ける。視界に飛び込むのは白。紐を張ってそこから吊るす原稿で紙のカーテンを作っているリビングへ出た。これでも掃除をしている方だが、全体的に物が、特に本が多くてごちゃごちゃしているのは否めない。どうにかしたいが、これはこれで手一杯だ。
ソファでくあくあと寝息を立てる同居人を無視してキッチンへ入った。友人によって揃えられた茶葉の缶がずらっと棚にきっちり兵隊のように並んで俺を迎える。カップを取り、牛乳を冷蔵庫から取り出した。たぽんと腹一杯の牛乳パック、それを腹八分目にさせるためにマグカップに半分以上注ぐ。小さめの鍋を取って水を底が埋まるほど注ぎ、棚から選んで取った紫の缶の中で香りを充満させていたダージリンの茶葉を適当に入れる。そしてぱちき、とコンロを捻ってぼっと火を吹き出させ、鍋の底を当てた。あっという間にくつくつ沸いて茶葉を広げる鍋の中身。そこにマグカップに注いでおいた牛乳を入れ、沸くまでに茶漉しを探す。たぶん前マリーが来たときは、と思い出して棚を探り、今度はちゃんと用途通りに使うティースプーンと一緒に出した。ちょうどくつ、と沸き始めていた鍋をじっと見詰める。ふわ、と香る匂い。徐々にくつふつと泡を膨らませ始めた鍋に火を切って、シンクの上の棚を椅子に乗って探った。小麦粉やら砂糖やらの奥に見付けた箱に手を伸ばし、コカトと音を立てて蓋を開ける。前見たときより減っている中身に少々イラッとしたり。仕方ないとはっと溜め息を吐いて堪え、その中からチョコチップクッキーを選んで白い四角の皿に乗せた。
それを置いてふうふう白い湯気を吹く鍋を持ち上げた。茶漉しをセットしたマグカップへ慎重に溢さないように、勢いよくざぶっと傾けた。そっとやる方が溢すと学んだ。茶葉を取ってミルクティーでマグカップを満たす。全部流し込んで鍋を置いた。スポンジで軽く擦って水で鍋を満たしておく。固まると厄介で面倒だからな。
マグカップを片手に、クッキーを片手に。リビングへ帰れば同居人はのそろと眠たさで重たい体を持ち上げていた。ピンクの目がこっちをぼんわりと霞んだ意識で見ている。
向かいのソファに座ってミルクティーを飲んだ。うん、上手い。カロリーとか、言わない。寝起きの癖に同居人は早速クッキーに手を伸ばしていた。文句を飲み込んで無くなる前に二枚取っておく。

「キド、なんか書いてる?」
「まだだ。なんで」
「色粉と血の匂いがするから」
「鼻が良すぎるぞ......」

すん、と一回嗅いで、俺の反応から当たったことが分かったコノハはふふと嬉しそうに口の端に子供っぽく食べかすをつけて微笑んだ。気付いて下を見れば皿から無くなった数枚のクッキー。食うの早すぎるだろうと呆れてコノハに視線を戻すが、こてんと首を傾げられて終わった。
色粉は黒のインクに化学反応を起こして色をつける。別に要らないと言う奴も多いが、もう癖だ。色粉を何度も触って爪なんて端から染まっているほどで、女らしくない手はその色のついたペンダコが大きく存在している。

「休みじゃなかったの?」
「ちょっとな」
「そっか、分かった」

へにゃんと笑って空の皿を持って立ったコノハの背中を見た。どうせ覚えちゃいないとは思っていたが、こうも欠片も思い出さずに要られると俺が間違っていそうで不安なんだがな。まあだからと言って書くのを止めるわけがない。
マグカップを置いてクッキーを一枚かじった。良い所の物だけあって上手いな、差し入れてくれたセトに感謝だ。さくさくと一枚二枚とをあっという間に喉の奥へと納め、くるりと乱雑に張られた紙のカーテンを見た。真っ白な原稿用紙を見詰めながらぱんっと一回手を叩いてクッキーの粉を払う。ソファの上に立ち上がって紐に引っ掻けた洗濯鋏を外し、はらっと落ちそうな原稿用紙を持った。また隣の原稿用紙を。それを何度も繰り返し、ソファに座り直して時には三十枚程度になった原稿用紙を膝に置いた。足りなくなったらまた取りに来よう。ミルクティーと原稿用紙を持って部屋へと戻る。途中名前を呼ばれ振り返れば、コノハがひょこっと廊下へ顔を出し、ひらんと俺に手を振った。

「頑張って」

逆に俺がお前の記憶力に言いたい言葉なんだがなと思いながら、俺は手を振り返し適当な返事をして部屋へ入った。
カーテンを開けて日を入れる窓。そしてその日に当たって光る黄緑の瓶によしよしと満足さで頷いた。そこまで意識していなかったが、黄色が強い黄緑の瓶に少し苦笑いをしそうだが。
仕事机に原稿用紙を置き、ミルクティーを一気に飲み干す。かっと熱くなった内側を冷めさせないように、椅子の近くに置いてあるストーブを焚いた。するすると冬らしく、早くせっかちに日が落ちかけている。かち、と仕事机の上に置いてあるスタンドライトを付ければ、明るい黄色い色に原稿用紙が照らされた。
かしゅっとインクの蓋を開け、万年筆を取った。一々インクを入れ換えないといけないのだが、こっちとしては都合が良い。古くなったインク管は捨てて新しいインク管を出し、その中にそっと細いストローを刺して広がって入れやすくなっている先にインク瓶を傾けた。透明なインク管は黄緑をどんどん溜めていく。十分に溜まったのを見て、ストローを抜いた。もう使えなくなったストローはくしゃっと潰して捨てておき、残ったインクは蓋を閉めて棚に置いた。
インク管を万年筆の中に入れてグッと押し込む。下の薄いプラスチックがぷつりと破れ、万年筆の筆の先にインクが通る音が静かに耳朶を打つ。それを手頃な紙にするっと滑らせて確認し、大きく染みを作ったり細すぎるほど細くなったりするのを馴染ませ、均一な太さの線を作った。
ふう、と一段落ついて息を吐いたが、さてここから本番。隅に置いた卓上カレンダーを見て、黄色く塗りつぶした日を指で叩く。明日は十二月二十四日。クリスマスイブともうひとつ。
ぐっと腕を伸ばし体を伸ばし、ぷるぷる震えて限界まで。そしてくはっと力を抜いて痺れる手で万年筆を持って原稿用紙に向かい合う。万年筆を動かせば、黄緑が原稿用紙へ滲んで文字を作った。
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