39 | ナノ
シンアヤ

「問題です!」

突然目の前でぴしりと姿勢を正して指を一本俺に向かって立てるアヤノに、俺はがくっと急ブレーキをかけた。弾んでいる声は如何にも楽しいですと言わんばかりに笑いを包ませて、今にもそれが弾けてうふふと笑い出しそうな口は堪えきれずに白い息をするりと逃がしてむにむにしている。こほんと一つ咳払いをし、もう一度繰り返した言葉はやっぱり俺だけに向かっていた。
嫌な予感がふと過る。それを誤魔化す為に俺はアヤノから目を反らした。

「今日は何の日でしょう!」

じゅういちがつにじゅうににちですけど?
と、言ったってこの物好きは引いたりせずにむしろ勢い付けて突進してくるんだろう。ぐいぐい来るこいつのコミュニケーション能力の高さは俺にとっては豪速球だ。
はて、と考える前に出てくるのは二つ。その内一つの可能性が素晴らしく高いわけだが、しかし俺がそれを素直に口に出来るわけがない。
わくわくと俺の言葉を今か今かと待つ期待に満ちた赤いマフラーに、さすがに無視も出来ずぼそっと口を開いた。

「......良い夫婦の日」
「正解!!」

返ってきた反応があまりにも予想とがこーんと外れていて、迎え撃つ気だった俺はどこか恥ずかしさを感じてじわっと汗が一瞬浮いた。そんな内心を丁寧に割れ物の如く何重にも包んで奥に隠し、何でもない顔でアヤノを見る。にやあと似合わないけど似合う顔をするアヤノにぎくりと体が震える。嫌な予感がぶり返す。

「そして良い夫婦の日な今日はシンタロー!って訳で」
「嫌だ」
「え、ええー......。まだ言ってないよお......」

間髪入れずむしろ被せて答えた俺の言葉に、勢いが削がれた情けないへにゃへにゃした声のアヤノがすがってくる。しかしそれを聞いてしまえば俺の今日の予定はこいつによって全権を握られ、下手をすればまた「如月夫婦は今日も仲が良いなあ」などと言われるんだろう。想像に難くない。むしろ考えたくないのに反射で浮かんだ。
ちょっと可哀想な気もするがここは俺のためにとアヤノの横を通って学校への道を歩いた。情けなく後ろを付いてくるアヤノの声。ねえねえちょっとちょっと。お兄さーん良いお話がありますよーって、おい。どこの悪徳商法だ。
学生服を掴んでいた手は暫くしてから肩を叩くようになる。とんとんとんとん、ああうるせえ。

「なんっ、ら......」
「わーい、引っ掛かったー」

いい加減我慢出来なくなって振り返った瞬間、頬に細い指が食い込んだ。典型的な悪戯。珍しく無防備に引っ掛かったことに対してアヤノの情けない声は喜びを全面に押し出す声に引っくり返るのが苛立たしい。
どやあっとこれまた腹立つ顔で手を銃の様に構えるアヤノ。ぷつっと切れた音に素直に従い、俺はそんな生意気なアヤノのマフラーを掴んだ。

「わひゃっ!ししし、シンタローなにしれ、ちょっとー!」
「俺の気分が激しく愉快から全速力で遠ざかる顔を隠している」

長く赤いマフラーをほどいてぐるぐるとまた丁寧にきっちり巻いてやる。顔に。赤い布によって隠れていく顔。それに伴ってじたじたと抵抗する腕。籠った声が不満をばしばしと叫ぶ。仕方ないので巻き終わった俺は親切にマフラーから手を離してやれば、ぷはっとアヤノは綺麗に巻かれたマフラーを剥ぎ取った。

「うぐぅ、髪ぐしゃぐしゃ......」
「それはすいませんでしたー」
「ぼ、棒読み......」

丁寧に謝ったと言うのに不満そうな声とじとりと見てくる目。流石にやり過ぎたかもなと少し思わないでもない。笑いを逃がすためにくはあ、と白いため息を吐いてアヤノに手を伸ばす。またマフラーを掴むと思ったんだろうアヤノはびくーっとマフラーをしっかりと掴んだ。小動物か、これ。
しかし残念。俺はアヤノのマフラーなんか目も止めずに濃く黒いボサボサになっている髪を撫でた。赤いピンを勝手に取って、ポケットに刺す。出来るだけ痛くないように撫でてすいて。まあ整っただろうと思える程度でさらさらの髪から手を離す。お兄ちゃんお兄ちゃんと煩い妹が思い浮かんだ。

「ピン止めるぞ、......なんで真っ赤なんだお前」
「なんれ、も、なんでも、ないです......」
「...ああ、うん。そう?」

噛んでるぞと指摘した方が良いのか迷ったがあまりにも耐えているような顔で、俺はピンを止めて離れる。しばらくあぐあぐと何かを言いかけていたアヤノは、やっぱり止めたのか口を閉じてぱたぱたとまるで冷やすように顔を手で扇いだ。
寒くないかそれ。

「あー、い、行こっかぁ、シンタロー」
「ああ、そうだな」

まだ赤い顔は何故だかさっきよりずっとむにむにとしている。ハの字の眉。情けない顔だが、機嫌は治ったんだろう。ぱたぱたと落ち着き無く歩きながら腕を振るアヤノに俺も付いていく。遅刻じゃないのに急ぐようなスピードは危なっかしく見え、いつもは落ち着いているのにと首をかしげた。

「はっ!忘れてた......!」
「忘れ物か?お前の頭は常に学力を忘れているんだ、取れるなら取ってこい」
「ち、違いますー」

むうっと仄かに赤い顔にちょっとした動揺を染み出させながらも、さっきまでのコイツの楽しげな雰囲気が戻ってくるのを感じた。あ、マズイ。
何かを口にしようと俺は使い込まれた言葉の辞書をばらんと開き、選択しかけた瞬間、アヤノの声は俺より早かった。

「結婚ごっこしよーう!」
「......はあ?」

この物好きは突然何を言っているのかな。
聞かなかったことにしてしまいたいが、それは無理だろう。なんてったって俺の反射神経は即反応してしまったんだから。くそ。

アヤノが言うには「良い夫婦の日」なんだから将来の夢が「お嫁さん」である自分は「結婚」ごっこをして勉強する必要があるんだとか。どや顔で言われたこれは正に幼稚で馬鹿馬鹿しく、実際お前馬鹿だろうと声に出したほどだ。お嫁さんとか、幼稚園児か。いや昨今のやたら背伸びして大人みたいに振る舞う幼稚園児でも滅多に居ないんじゃないか。まあ俺の妹なんて大きくなったらテレビになる!と将来家具サイボーグ宣言までしているけれども。

「しよーよー」
「馬鹿だろお前」
「否定は出来ないね......!」

悔しげに拳を作って耐えるポーズをするアヤノにため息が喉を通る。今日じゃなければ俺だって全力で拒否したのに、何故今日に限ってそんな語呂合わせがあるのだろうか。だめかなー、むりかなーとチラチラ不安げに見てくるアヤノが視界に居る。ああああ、と頭を抱えてしまいたいが、仕方ない。ああ。仕方ない。

「......具体的に何をするんだ」
「......!え、えっとねー」

俺の言葉にぱあっと顔を輝かせたアヤノが嬉しそうにそのごっこ遊びの概要を語り出す。概要と言うほどの物でもなかったが。

「ブーケと指輪持って日向ぼっこしよう!それかデートしよう!」
「それは結婚ごっこの意味はあるのか」
「無いよ!」

堂々と腰に手を当てて言うアヤノに、やっぱり止めようかと言う気持ちになってくる。が、アヤノはだらしないふにゃふにゃした顔で俺を見てくるのだ。これは結構情けない、男として頂けない程に。

「よし!お父さんには私とシンタロー休みって言ってるから、行こう!」
「なんっ?!勝手に人を欠席させるなよ!」
「計画通り!」
「やっぱ俺帰るわ」
「ごめんなさいー!わーん待って待って!」

くるりと返した踵はアヤノの手によって遮られ、俺が渋々後ろを向けば両手を合わせたアヤノが上目使いで俺をジッと見ていた。捨て犬を見た気持ちになってきてしまった。何度目かのため息をついて、俺はさっくりと諦めてやった。分かったよと、アヤノに言う。
アヤノは諦めた俺にホッと安堵の息をつき、俺の手を取った。......どきっとしたのは、あれだ、手が柔らかかったからとかじゃない。不整脈。発作だ発作。

「デートしよう!」
「結婚ごっこは」
「一生に一度の物を練習する必要なし」

今の俺は大分呆れた顔をしているんだろう。申し訳なさそうな照れを含ませた笑顔が俺に向かう。今度は逃げないように、力を少し強めて握られる。

「行くぞ」

ため息は飲み込んで引っ張ってやれば、アヤノはちょっと目を見開いた後、嬉しそうに、嬉しそうに、笑った。マフラーが犬の尻尾のようにぱさっと揺れる。

「うん!」

今日くらいなら、付き合っても良いだろう。誕生日ってそういうもんだろ。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -