36 | ナノ
ヒビモモとコノハとヒヨリとエネ

今日は、何だか居心地が悪い日だ。
ヒヨリのお姉さんには頭を撫でられヒヨリからは珍しく殴られる事は無いけど頬を引っ張られコノハは僕の後ろをちょろちょろ付いてくる。何なんだ。
アジトに行こうとすればコノハが僕を引き留める。あれしよこれしよあれ食べようこれ食べよう。挙げ句いつの間にか野球チームの練習にふらりと参戦中。僕はベンチでぐったりと冬に近い空気を肉のようなテレビの中で解剖されたてろりと不気味に光っていた袋にいれている。ぼうっと夏より高くくすんだ感じを抱く薄く灰色がかっている青の天球を見た。夏よりずっと短く回るようになった太陽でも強い光らしく、星なんて小さな物はすっかり見えない。まあ夜になって黒い深い高い洞窟みたいな空に見えるだけマシなんだろう、人間に見えている物質なんて高々4パーセントなんだから。
かきんっと小気味良い音が冷たい空気を震わせた。思わず見れば、コノハが高くを見詰めて鉄の腕みたいなバットを振りかぶっていた。ボールを探そうと思ったが、止める。白髪を揺らして走るコノハのピンクの目はどこか嬉しそうにほんの少し細められていた。

「満足?」
「うん」

傍迷惑にも場外ホームランをかましたコノハを引き連れて高いフェンスを潜る。ボールはどこかに行って見つからないようで、監督だろうおじさんの呆れたような視線が恥ずかしくて堪らない。コノハは申し訳無いとは思っているんだろうけどそれでも持ち前のマイペースさでふわふわした思考回路。ぽかんと呆ける監督とチームの子達に丁寧に謝って行こうと僕の手を引っ張ったのだ。いや、探せよ。そう言いたいが待つ僕が面倒だしごくんと噛まずに飲み込み立ち上がってコノハの後に続いた。
ふらりとただ歩くだけ。枯れた緑は茶色くなって、僕の視界の端を不愉快に掠めた。死を、連想するものが、苦手になった、な。
コノハはもう存分遊んだからか、あれほど行くのを邪魔したアジトへの道を歩く。無表情みたいなぼうっとしている顔は、あの電脳少女のエネさんが見たら激を飛ばしそうだ。

「ヒビヤ、帰ろっか」
「は」

一回振り返って言われた言葉は、僕が意味を解する前にまた背を向けられた。どこに。帰る。ヒヨリのお姉さんの家、じゃないか。ぼうっとしながらもしっかりと歩く道は知っている。帰るって言い方で合っているのか。いや、間違っているだろう。だってあそこは家じゃない。
タイミングを逃して否定し損ねた部分が僕の脳にべたり。ああ、面倒、だ。
白髪は振り返らず、歩く。黒いどろどろを敷き詰め固めたそこから立ち上る湯気はきっと肺に入れば害になるんじゃないかなんて思うような、固い道を。対照的な色に、目眩。

「ただいま」
「お邪魔します」

声は二つ。入る時の言葉なのに、全く違う意味で響く。しん、とした部屋。どこかに行ったのかもしれないなあと思う僕を置いて、コノハは勝手に入っていく。良いのか、ダメだろ。そう言ってもきっと聞かないから、僕も少し遠慮しながら足を入れた。コノハが真っ直ぐ奥のドアに向かい、僕を手招いた。おいでおいで。

「開けて」
「なんで」
「ヒビヤが開けて」

いつもはぼんやりしている声が、しっかりと僕の背中を押すように。何か悔しいものを感じながら一回上顎を口内でざりっと舌で撫でて、ドアノブに手を引っ掛けた。グッと回す。かちゃんとドアがくらりと倒れるように、部屋への入り口を作る。
あまい匂いが、隙間から。

「おめでとう」

なんだ。なんだ。ああ、これ、なんだろう。
近い距離にある顔が笑んで、暖かい腕が僕の背中を回って。あ、あ?
凍結されていた脳がレンジで水分を揺らすように、しっかりと溶けていく。じわじわと目の前が確かになる。ちょ、え、あ、なに、何してんの。
かちっと奥歯が一回鳴った。舌が痺れているのか声が出ない。

「おめでとう、ヒビヤくん」

二回目。ぞわりと肌を刺した震えが一番古い場所を揺すった。あ。今日だ。そうだ。ちかちか目眩、くるくる視界。目の奥がじわんと熱くなる。あの夏の熱が甦ったみたいに、僕の心臓を叩いた。
みわみわ泣く子は居なくなったのに、僕の耳の中は煩い。思わず腕を回した。服を掴んで、癪だけど肩に顔を埋めた。甘い匂いが鼻を通る。

「おめでとう」

しつこいよ。いつもなら出てくる声なのに今日だけは違って素直に脳で溶けた。ほろ、と目が溶けて溢れる。熱いからきっと溶けたんだろうな。僕の目はこんな季節に産まれただけあって熱さに弱いらしい。溶けて落ちる。癪だ。本当に。

「お誕生日、おめでとう」

あー、今年の誕生日まで色々あったなあ。あんなに繰り返してたからすっかり忘れてた今日。苦しいぐらいに抱き締められて、今日の居心地悪い正体に行き着く。コノハって結構不器用なんだな。しかも分かりやすい。僕はそれが分からなかった鈍感だ。情けない。けど、あまいにおいが僕に笑うから、もう良いやって思えてくる。

「モモさん、苦しいよ......」

ありがとうなんて素直に言えないから、今日だけこうやって呼ぶから。息苦しいのはきっとこの人のせいだから。
コノハもたまには賢いなあ。ただいまだ。うん、ただいまで、合ってる。

「ただいま」
「おかえり」

返ってきた声が、こそばかった。


おめでとう。
産まれてきてくれておめでとう。




「良いんですか?」

画面から声がする。いつの間に見ていたんだろう。お姉さんみたいな優しい顔が私を見る。青い髪は綺麗に液晶の液体に反射したみたいに光っている。

「貴女の役目じゃないんですか?」

優しい声は、宥めるとか諭すとかからかうとかそんな感情一切無くて、ただ私に問い掛けるだけにある声で。ああ、この人は本当に私より年上なんだって思う。そりゃ、コノハさんと一緒だもんね。なんだか可笑しくって笑ってしまう。

「良いんです良いんです、あんなのにモモさんは勿体無いけど」
「随分な言い様ですね!さすが!」
「ふふ」

ぺちぱちと手を控えめに鳴らすエネさん。ふわんと浮かんで私に近づく。それでも画面からは出れないけれど、それでも。近い顔は、ふざける言葉でも優しいまま。この人に妹が居たら、きっとお姉ちゃん大好きな子だったんじゃないかな。私にはもう居るから、ダメだけど。

「私がやっちゃダメなんです。これはね、コノハさんでもダメ。お姉ちゃんも。あれは頑固だから、もっと頑固にさせちゃ可愛そうだもの」
「そうですか」
「そうですよ」

くすくすと笑い合う。
ダメなのよ。ダメなんですか。ダメなんです。バッテンばっかの会話。ダメダメ。ヒビヤは本当にダメダメだ。
きっと、きっとね。ヒビヤは気付いていないけど、私は気づいちゃったけど。

「こいじゃなきゃ、救えないわ」

掬えないわ。
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