31 | ナノ
遥貴

やる気のないだらーっとした教師の背中がドアの向こうに消えて、ぱったんぱったんと勢いの無いスリッパを床に叩き付ける音を遠退いていく。
完全に聞こえなくなった所で私はぐたりと机と一体化した。布団には断然劣る私の睡眠場。どうやっても腕が痛くなるか顔に跡が付くのが欠点だが、それを除けば他に悪い所はない。正確な使い方をしてやれないのは残念だが、それはもうこの机も呆れて諦めてくれただろう。
机の冷たさを頬に感じて私は目を閉じる。もうどんな体勢でも良い、ひたすら眠い。頬に真っ赤な跡が付くんだろうけども、まあ仕方無いと言えよう。ゲームは私の睡眠時間を確かに削り取っていくけれど、それでも止められないほどの魅力を持つ。私はその魅力に惑わされ捕まれその魅力の虜となり、人間の三大欲求の一つである睡眠を喜んで差し出したのだ。泣く泣くでは無いところがポイントだ。
しかし、それは日々のストレスを増加させ、苛立ちは最早私の一部とまで化してしまった。目付き鋭く隈をこさえた女子高生。ついでに彼氏も居なければ居た試しも無く、勿論の如くナンパ経験はからっきしだ。私の財布事情より遥かに酷い。
一応弾けんばかりの若き肉体を持っており、祖母には「笑顔が可愛い」と言わしめ祖父からは「天使だ」と言われた恐るべきチャームポイントを持つ罪深き女だと言うのに、一体全体男どもはどこを見ているのだろうか。
まあ十中八九化粧付きの活動時間中は常にずっと可愛い顔と脂肪を詰め込んだ胸だろう。でかけりゃ良いんだろうよ、男なんて。形が歪だろうとでかけりゃよお。しかもまた趣味を疑うような我が儘ぶりっ子寒気がする女にでれえとしている男どもだ。女グループを見てみろ。中身どろどろ腐った卵よりずっと臭くて気持ち悪いものがぎゅうぎゅう詰めだ。影口は日常会話、褒め合いは褒められるのを期待する猫かぶり。ああ嫌だ、男はこれだから趣味が悪いのだ。誰が好き好んで趣味の悪い男とバカな女の乳くりあった吐き気のする非子作り運動話を聞きたいと思うのか。クラスで明け透けに話す男も女も吐き気がするったらない。
まあ私だって趣味が良いとは言えないが、そいつらよりマシだろう。
色んな考えを巡らせていればぱたぱたと少し急ぐ足音が聞こえた。眠くて引っ付いた瞼をべりっとこじ開ける。ちょうどクラスメイトがドアを開けてドアにぶつかると言う、実に器用にバカなことをしてくれていた。

「のあっ......!」
「......焦るのは分かるけどその四分の一程しか開けていないドアを全開にすれば良い話だよね」
「あ、あ、そっか......!おはよう、貴音」
「おはよー......」

からからとドアを開けて全部開いたのを確認して入ってくるこのバカは全くバカだ。全開とは言ったが入れるほどになったらさっさと入れば良いものを、全開になるまで待つそのゆっくりした体内時間はどういう事だろう。
丁寧にドアを閉めて机に向かってくる遥に頭突きをかましたくなった。衝撃でちょっとはハキハキ出来るようになれば良い。しかしそれは朝早くも祖母にゲームオーバーにされ、睡眠不足の苛立ちと言う毒を持つ私には酷いダメージだ。残っているヒットポイントなど微々たる物、黄色ゲージはとっくに入っただろう。そんな数少ないヒットポイントは授業と言う一時間毎の定期ボスイベントによってがっりがりと遠慮容赦無く削られていくのだ。無駄にできない。
こんな所までゲームかと考えると自然口は弧を描いた。自嘲。遥が不思議そうに見ていたが無視した。もう面倒だ。

「貴音はまた夜更かし?」
「睡眠時間を削ってまでやる価値はあった......。次はあんな物じゃないからね......」
「面白かったんだね」

ふふふと怪しげに笑う私をそうかそうかと微笑んで頷く遥。こいつはホントに引くとか萎えるとかそういう感情が欠落しているんじゃないか。そうだそうだ、こんなゲーム中毒者に微笑んでくるなんてこいつきっとネジをぼろぼろ落っことしてるに違いない。じゃなきゃバカだ。
それでも微笑んで貰えて嬉しがっている私も居るんだからバカだ。くそ、ここにはバカしか居ない。担任はクズだけど教師らしくバカじゃな、あ、いや嘘、やっぱバカだ。
ついこの間実験用の使い古し薬品染み込みまくり埃まみれだったビーカーでコーヒー淹れて特性スープを腹に持ったバカ教師の伝説を思い出す。ああ、なんであの人あんなバカなんだろう。だから必然的に生徒もバカになったんだ。なんだあのクズ教師、傍迷惑なウィルス撒き散らして。

「貴音、貴音」
「なにー......」
「見てよこれ」

嬉しそうな声が私の思考にノイズを入れる。こいつはこいつで厄介なウィルス持ちだ。私の思考を即効で鈍らせるなんて。もしや麻痺じゃないか。声に麻痺を持つ敵なんて厄介過ぎる。
敢えて遥の席を視界に入れないようにドアの方を見ていた私は遥の声で窓の方を向いた。
視界にばんっと突然飛び込んできたのは黄色い花のタンポポ。久しぶりにちゃんと見た。小さい頃はしょっちゅう摘んでいた気がする。
がたっと音を立てながら机から頬を剥がして机に置かれたタンポポを見た。その他にも白詰草、三つ葉、四つ葉、四つ葉...。

「え、なにこれ」
「見付けたんだ〜、あげる」
「いやくれるのは良いけど四つ葉って、四つ葉って......」
「珍しいよねー」

珍しいって言うか私始めて見たよ。一種の感動を持ちながら四つ葉を見る。四つ葉はキーホルダーで売っていたりするが実際見ると嬉しいものなんだ。
ふと思い付いて鞄に入れっぱなしの小さな文庫本を机に置く。がたがたと先生の引き出しをあさり分厚めの紙を拝借した。どうせ使わないだろう。そこに三つ葉四つ葉と並べて本に挟んだ。帰って辞書でも置けば出来るだろう。

「押し花」
「そう。始めて見たし」
「そっか」

嬉しそうに机の上の押し花文庫を見る遥に少し居心地が悪くなる。手の中のタンポポと白詰草をくるっと回した。
遥が何かを思い付いたのか、突然花に手を伸ばして貸してと言ってきた。元はと言えば遥の物だからすぐに手に乗せる。
にこにこ。
だから何故私がドキドキするのだ。

「貴音、指」
「指?」
「手、手貸して」

せっせと花を弄っていた手が止まり遥が言う。全くなんなのだこのマイペース我が道を突き進む男は。と思いながらも手を出す。
近かったからと言うこともあって左手だ。ここで余計な体力を小さな事でも使わない私の素晴らしい計画的さが発揮された。小さな事だからこそ輝く私の賢さ。もっと褒めて良い。
うふふと心の中で自画自賛の嵐を自分に乱雑に叩き付けながら遥を見る。小さいか、いや大きいか。何かを計っているように私の手と弄る手の中の花を見る。
ついには納得が出来たんだろう。遥が私の上げ疲れで痺れていた手を取った。びくっと肩が跳ねたのは見ない方向で行こう。見て見ぬ振りは時と場合で日本人の美徳と化す。らしい。
何故か気恥ずかしくなって手持ち無沙汰な片手を机に肘つける。手に顎を乗せて、ドアの方を見た。なぜこんな状況。
心臓がどきどきと常より早く大きく脈打つ。奥歯を噛んで気恥ずかしさを払った。手に触れる遥の手が暖かくて、それを吸収したように手汗が出そうなほど手が熱くなった。

「できたよ貴音」
「全く、なによ......、っ」
「可愛いでしょー」

返した視界にタンポポと白詰草の指輪。器用だとは思っていたけど本当に器用だ。得意そうに言う遥の言う通り、確かに可愛い。しかしだ、しかしと遥に問い詰めたい。いやもう襟掴んでがっくんがっくん揺さぶりたい。なんでこの指。
左手、指輪。そうくればもうベタベタすぎて使い古されただろうぐらい容易に想像が付くだろう。そうです薬指!当たった貴方は私と遥を殴る権利を差し上げましょう。さあレッツボコりタイム!

「なんでこの指?!」
「え?何が?」
「薄々分かっては居たけど気付いててよ!左手薬指!はい答え!」
「え、結婚した人の指だよ?」

あっけらかんと言う遥に何か言おうとはくはくと口が動く。しかしこいつ手強い。
知ってるならやらないでよ、これは一応恋する乙女として止めときたい。期待するじゃんとでも付け加えることが出来れば良いんだろうがそんなこっぱずかしい事を私が言えるわけがない。
じゃあ私の指は。と聞くか。いやこいつなら普通に「左手の薬指だよ?」とか返してきそうだ。想像に難くない。しかしこれ以上黙れば気まずくてもう一日中話さないなんて事になるかも知れない。あああどうにでもなればいい。
戦の火蓋を切って落とす覚悟で口を開いた。

「私の指は?」
「左手の薬指だよ?」
「......もう、良い」

ここまで予想通りだといっそ呆れの顔も出来ない。こいつはどれほどワンパターンなんだ。期待した私がバカだった。どうせ何も考えていないんだこの男は。ああ私も随分趣味が悪い。
コンテニューの文字が瞼に浮かぶ。一機墜落、二機発進。宇宙人と戦争でもしている気分だ。

「ねえ、どうしたの?」
「なんでもない」
「貴音」
「......私の事お嫁に貰ってくれるのかって思っただけー」

机に突っ伏して日光降り注ぐ眩しい窓を遥の後ろに見る。ああ青春を謳歌している少年少女に相応しい体操服着て男は何も考えず男子教師に叱咤され、女は日差しを気にしながらする体育日和だ。なんて私と無縁な世界。さようならさようなら、無駄に体力を使うなんて勿体無い体育さん。私は机と椅子と宜しくしときますよ。

「え、もらって良いの?」
「別にいーけ、......ど?」

あれ?なんて言ったこのネジぶっ飛んだ宇宙人。人外語?明らかに適当に並べただけで意味なんて考えちゃいない安っぽいゲームの宇宙人語?
がたっと机を鳴らして起き上がる。いつも通りの遥の顔だ。聞き間違えか。

「もらって良いの?」

なんだそれ。
聞き間違えじゃなかった事に混乱する。聞き間違えだったと言われた方がずっと現実味があるってもんだ。なんだこれ、遥なりの精一杯ジョーク?
はく、と一回動いた口をきつく閉じて応戦する。遠くから行こう。手榴弾で。

「なに、欲しいみたいに聞こえるけど」
「え、うん、そうだけど」

攻撃失敗。一ゲージも減らせずにむしろ打ち返された手榴弾が私のヒットポイントをがりっと引っ掻いた。がっと胸の下に火がぼっと燃えた。きゅうと喉が詰まる。

「だって貴音がお嫁さんだったら楽しそう」
「ああそう」

純粋な思いなんだろう。楽しそう。それ以外の他意は無い。ぎゅうっと眉間にシワが寄って、声が固くなった。なんてことだ、こいつの攻撃は毒と混乱と麻痺まで起こす。その代わりが睡眠を弾き飛ばす心臓の音だ。耳の後ろがどくどくと音を立てた。
もうヒットポイント赤。回復アイテムは効果無し。辛うじての盾はちっぽけな指輪のみです。いっそずがんっと心臓でも撃てば良い。ゾンビみたいに起き上がることもなく期待することも無くそんな自分に自己嫌悪することも無くなるはずだ。宇宙人のくせになぶり殺しとは性格の悪い。

「それにさ」

まだまだ続く遥のターン。私はひたすら防御に専念。どこからでも来たら良い。フルアーマーで耐えてやろう。ラスボス間近で手に入る最強防具のしつこさを見れば良い。
しかし最強装備にやたら「フェニックス」が付く気がするのは、気のせいなんだろうか。

「貴音可愛いし」

がんっ。肘が机に当たる。膝が机に当たる。痛いはずが私は気にせず遥を見た。目が限界まで開く。消えた火がまた燃えた。それで沸騰していく血が顔にも巡った。熱い。
内側から焼けていくんじゃないかとバカなことを考える事も出来ずに遥に何かを言おうと勢いに任せて口を動かす。

「ば、ばば、ばっかじゃないのっ?!」

がたたっと机が鳴る。ぎゃぎゃっと椅子が引きずった音。立ち上がって遥に言う。息が上手く吸えない気がして、声が空気の量を大きく間違えた。寝不足とは思えない大音量。かっかっと顔が燃える。足ががくっと震え、肋を伝って肺を痛ませた。
ヒットポイントが残り一ゲージ。これは迷うこと無くあるコマンドを選ぶべき時。
ゲーム癖か、私はそのコマンドを実行する。ドアに手を掛け勢いよく開け放しダッシュでその四角い脱出ゲートを潜った。遥の焦った声が後ろから響く。

「貴音、授業は?!」

そんな声を振り払って全速力。だんだんっと足音が誰もいない廊下を小さく揺らして消えていく。どこまで走ったのか、目の前に見えた見慣れた白衣に飛び付いた。白衣を握って顔を隠す。後ろからの不意打ち女子高生タックルにごほげほ咳き込む先生の声が聞こえた。
プリントかノートが落ちる音がしたが離れる気は全く無い。こういう時くらい役に立って貰いたい。仮にも先生なんだから。

「おい貴音、ちょ、何してんの。離してくれねーか、先生大事なプリントぶちまけてんだけど」
「言えません離せません理事長」
「好きなだけ引っ付いとけ!プリントなんて後で良いもんな!」

クズ。
あっはっはと大袈裟に笑う先生の白衣をぐいぐい引っ張って遠慮無く引っ付かせてもらった。
くそ、バカ、遥のバカ、バカ。視界の隅に遥がくれた花の指輪が見える。目の奥がかあっと熱くなって喉が渇いた。
可愛いなんて言われた。あんなバカに可愛いなんて。始めて。思い出すとぎゅううっと肺の真ん中が痛くなる。
バカ。遥のバカ。
ぶつぶつ遥に文句を言い続ければ、先生が呆れたように、仕方無いなあって声で授業を遅らせてくれた。

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