27 | ナノ
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ご主人、どうしよう、ご主人、助けて。
俺のケータイで泣いてる声。バイト中にマナーモードだったにも関わらず大音量でメールが届き、開いた途端にそんな懇願の泣き声。接客中だった店長に抜けるとだけ伝えて置いてあっただけの荷物を引っ付かんで飛び出した。
伊達にバイトで鍛えてない。泣いて混乱はしていたが的確に道を教えるエネちゃんに従って走った。暑い日差しはそんな中でも惜し気も容赦もなく矢を飛ばしてくる。じりっと焦げた臭いがしそうな黒く焼けたアスファルトを走り、その先ですと叫ぶように言ったエネちゃんの言葉に横の道を視界に入れる。
倒れた、人。
思わず立ち止まりそうになるのを堪えて駆け寄った。上体だけゆっくり抱き起こして顔色を見る。真っ青、なんてもんじゃない。息が上手く出来ないのかひゅーひゅーと鳴る口が時折かはっと折角吸った息を全部吐き出している。ぐったりと力無い体。目は辛うじて開いているが、濁って光も射さない。
脱水症状かと思ったがエネちゃんは違うとはっきり否定した。
救急車を呼ぼうにも熱中症でも脱水症状でも無いとなるとなんと言えば良いのか。それにアジトに行くだけだったようで身元の証明になるものも無く、しかし呼ばない訳にもと思い電話をかけようとしたがここは入りくんだ細い道の中で更に自分がいない訳にもいかないとエネちゃん思い止めたそうだ。そしてどうにか近くにいた俺を見付けて形振り構わず助けを叫んだ。
つまりこういう事らしい。
意外と焦って混乱していた俺は救急車を呼ぼうと言う考えが付かずに担いでアジトまで連れてきてしまった。ぎょっとしたキドとマリーの顔がしばらくは忘れられないだろう。
扇風機を当てたり体を冷やしたりとしているが思ったよりもシンタローさんの体調は回復しない。道で見付けた時よりもマシとは言え、顔色は常よりずっと酷く、意識も戻っているのかいないのか、朦朧としたまま。

「もうしばらく診てはみるが、そろそろ救急車でも呼んだ方が良いぞ」
「キサラギちゃんはどうするの」
「俺が目隠しして連れていけば......。キサラギはシンタローの身内だしな......」
「そんな中で人に一度も当たらないのは無理だよキド。キサラギちゃんの能力も、そこじゃ厄介だ」
「しかしだな......」

カノとキドがあれだそれだと言い合うのを見て、はてどうしたものかと考える。シンタローさんの状態は全く良くない。かと言って救急車を呼ぶのも困ったことだ。じりっと重い空気に肺がぐるっと唸った気がした。
くいっと、不意に袖が引かれる。弱い力に一瞬マリーかと思ったが、明らかにベッドから伸びる白く細いそれはシンタローさんの物だった。
意識がしっかりしたのかと顔を見るが、濁った目はそのままだ。はくりと口が動く。魚が水中を求めているようなそれに、顔を近付けた。
水。
それだけの言葉。しかしさっきからどうにか水は飲ませている。一応ベッドの横に置いたペットボトルを見せれば、また口が動いた。
もっと。
何を思ったのか、何が分かったのか。脳裏によぎった物は何だったか。しっかり言える言葉はどこにも無かったが、それでも何かが伝わった。
シンタローさんを抱き抱える。カノとキドと申し訳なさそうなキサラギちゃんが俺の行動に顔をしかめた。しかしそれに構っていられない。三人の横を通り過ぎて両手が塞がって開けられないドアは蹴り開けた。ばきりと何か折れたような、みしりと何か唸ったようなそんな音を聞きながら真っ直ぐ歩く。
大声で呼び掛けてくるキドに心中で謝って、そのままやっぱり目的のドアを蹴り開けた。中に入ってシンタローさんを箱みたいな浴槽に下ろし、栓を閉める。シャワーと蛇口を全開まで捻り、じゃあっと勢いよく流れてシンタローさんに打ち付けられる水を見る。はてこれで合っているだろうか、と思いながらもどこかで確信めいた物がしっかりと俺の脳に居座って笑っていた。大丈夫だと、俺が言った。

さて、俺はどうなったのかと思い返してみる。ゆら、と揺れる視界。てらてらとろとろと入ってくる光に水中なんだと、助かったとホッとした。
水中で息を吸う。なんて可笑しな体験だ。
しかししっかりと喉に通るそれは確かに呼吸で、俺はまあ良いかと笑った。髪がゆらりと浮き、ふらふらと揺れる。足がぱきりと動かず不思議に思ったが、しかし違和感はなかった。
安心の中で、外のわんわんとした声が聞こえてきた。何を言っているのか分からないが、言い争っているように見える。
そして誰かの手が俺の腕を掴んだ。引っ張られる。突然すぎてつい抵抗した。手が驚いたように引っ込んで、もしかして出ろってことかと俺は遅れて理解した。
今度は違う手が一回入ってきて、ちょいちょいと手招いた。そして水面を二、三回叩かれ、俺はそろっと顔を出した。
驚いた顔が三個と、困ったように笑う顔一個。肩まで出て、凝視してくる三人に居心地悪くなる。つい足を曲げ、膝を出した。あれ、と声が出る。
いやそんなまさかと思いながらズボンを脱いでみた。足がない。脚がない。
へその下辺りまでざらりとした感触。ざばっと足だったものを水中から出して、そんな非現実なと叫びたくなった。

「人魚、っすねえ......」

セトの言葉に、俺は耳を塞ぐように水中に潜った。息が出来る。視界もクリア。逆に尾がしっかり見えて現実なんだと脳に叩きつけられた。

「嘘だろ......」

出来れば信じたくない。
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