24 | ナノ
セトシン

ごぽ、と排水溝が詰まったような、水中で息を吐いたみたいな、そんな音。溢れてしまったなと思いながらそれを大事に大事に隠した。
彼岸花の群れに、夕日に。ばたばた降り注いでくる雨は反射して真っ赤で。赤いステンシルを細かく切って溶かして地に落とす雲に勿体ないと言ってみた。
赤は彼の色で、俺なら彼をこんなに落としたりしないのに。腕の中で笑っているシンタローにそう言ったらバカだろって呆れたように頬でもつねられるかもしれないから、黙っておくけれど。

バイトは楽しい。色んな人と話すのは幼少期出来なかった事だから更に。腹の中でどんな事を考えていようと、臓器までぐちゃぐちゃになるほど醜いことを腹に持っていようと。
どこもかしこも花の入ったバケツでぐるりと囲まれた花屋は特に楽しい。花の檻のようだ。
そんな花屋のバイトが終わって部屋に帰る。日もあっさり暮れる秋、半袖が寒くなってきた。夏の鬱陶しい暑さがからっと無くなってどこか寂しくなってくる。
大通りとは打って変わって静かに黒く、白い街灯と漏れてくる家やマンションからの灯りだけの道を歩く。たまにポツンと立っている自動販売機が煌々と不気味にある。
かし、とバイト終わりに貰ったもう空っぽの缶の端を一回噛んで備え付けのゴミ箱に放り込んだ。がこん。プラスチックのゴミ箱が鳴く。
今日は何を話そうか。白い寂しい街灯を見上げながら部屋に咲いた花を思い出す。赤や白や黄色やと賑やかな色の花を思い出して口許が緩んだ。
まさか咲くとは思っていなかった。しかしこうして咲いて自分の帰りを部屋で待っているんだと思うと嬉しくなるのも仕方ない。
植物は人間の言葉が分かるらしい。毎日綺麗だと言えば綺麗に咲く。よく聞く話だが、最近まであまり信じていなかった。こうやって実際にすると本当にそうなのだと分かる。
バイトの疲れで重かった足も軽くなり、抑えてないと走り出したくなる。まるで花に恋してるみたいだ。シンタローに呆れられるかもしれない。
足取り軽くアジトに帰る。いちぜろなな。その数字のドアノブに一応手を掛ければ、かしゃんと珍しく開いてあった。いつもは皆寝静まっているぐらいの時間だ。まさか起きているとはと思いながらも外と温度の差を感じる部屋へ入る。
電気の付いた共同スペースに入って本当に珍しく三人の姿を見る。マリーはぺたぺたと裸足で歩いてきて俺にお疲れさまと笑った。それにカノとキドが顔を上げる。お疲れとおかえりをそれぞれのタイミングで告げられ、それに返してソファに座る。

「珍しく皆起きてるんスね」
「ちょっとな......」

気まずそうに言うキドにはてと首を傾げながらテレビを付けた。わっと声が溢れる。アナウンサーの落ち着いた声とアナウンサーの隣で流れる忙しい映像。ぼうっと大変だなあと他人事で観る。
キドもカノもニュースに興味はなさげだったがマリーが観ていたのでリモコンを置いて台所に向かう。ぱか、と開いた冷蔵庫を眺めて昼に作ったんだろうサンドイッチを手に取った。足りないけどさっさと食べれるだろう。冷たいのも構わず口に入れる。
ちょうどマリーの紅茶がほかほかと湯気を立ててポットに入っていた。無地のティーカップを選んで注ぐ。味わう事も無く喉に流し込む。かあっと肺らへんが熱くなった。
全部食べきって空っぽになった食器を洗って水切り籠に置いておいた。くあっとアクビを噛み殺して部屋に向かう。

「セト」

振り返ればカノがこっちを見ていた。その顔はいつもの笑顔だが、欺いているなと分かった。幼馴染みの勘だ。

「何っスか?」
「大丈夫なのかなーって」

キドもこっちを見てカノの言葉に答える俺を見る。
最近まで能力の暴走のような、意図せず誰かを盗む事があった。それのことだろうと思って申し訳なくなる。それを聞くために起きていてくれたのだろう。

「もう、大丈夫っス......」

笑って答えたが、声が申し訳なさで小さくなった。これでは我慢してるんじゃないかと思われてしまう。心配そうに眉を寄せたキドにぱたぱたと手を振った。

「平気っスよ」

今度は普通の声が出た。納得はしていないようだったが、キドはそうかと言い、カノは少し気まずそうに笑った。マリーの心配そうな目に、つい居心地が悪くなる。思わず逃げるように部屋に向かった。
そういう顔をさせたいわけじゃない。けど上手く行かない。心配されるのは申し訳ない。こく、と色んな物を喉の奥に流す。
少し気分を落としながらも部屋に入る。ふわ、と香る匂いと鮮やかに光るようにある花にホッと顔が緩んだ。

「ただいま」

そう言っても返される言葉は無い。けど、それでも全然構わなかった。花が密集するように咲く方へ歩いていく。葉っぱが頬を掠めてこそばい。
ただいま、ともう一度、花びらを撫でて声をかける。

「今日はちょっと疲れたっス......」

ベッドの端に腰掛けて、ため息をつく。バイトもある。さっきのことも。明日も気まずいだろうか。それだけは勘弁したい。
願うように赤い花に口づける。

「綺麗っスね」

毎日毎日、欠かさずに。枯れること無く有るように。水の代わりと言うように。

「ーーーーー......、」

ああ、幸せだ。


あれはいつの話か。
真っ赤な花、確か彼岸花。それがいっぱい溢れ返るほど咲いていて、夕日で反射した雨がちかちか光って地面を濡らしていた。狐の嫁入りだったかな。
セトがそんな雨を見ながら俺のようだと呟いた。ばかだなと笑ったのを覚えている。ばかだなあ。って言ったかもしれない。言ってないかもしれない。
セトが俺を見て腕に力を込めながら、ああ幸せだと言ったのが、一番ばかだと思った。

起き上がってカーテンを開ける。目に射す光をしばらくぼうっと見て、机に置いてあるシフト表を見た。今日の日付に休みと赤で書いてある。ゆっくり出来るなとアクビをして延びをする。ばきばきっと骨が鳴った。

「ご飯だよ」

ドアの前で声を掛けられる。マリーの恐る恐るといった声に返事をした。返事を貰えたことにホッとしたマリーの声が待ってるからねと言って離れた。足音が小さくなっていく。

「今日も、綺麗っス」

花に向かって声をかける。日に当たって一層生き生きする植物。今日も頑張れる。あまり当てすぎると元気を無くすから、昼頃にはカーテンを閉めないとな。近くの花を撫でて部屋を出る。ぱたんとドアを閉じた途端甘い花の匂いはあっさり無くなる。毎回少し残念に思いながら朝御飯に向かう。

「おはようセト」
「はよーっス、カノ」

ソファでぐったりしながら手を上げてくるカノに呆れながら返す。ぐにゃぐにゃと眠そうにソファと一体化するカノは朝の名物だ。
キドの叱咤が程なくしてカノに飛んでくる。お前はだらしないとか何とかかんとか。いつも通りの言葉。そしてカノが余計な言葉を言って殴られてはっきり目を覚ます。マリーはそわそわと椅子に座って朝御飯を待つ。
いつも通り。
苦笑いで二人をどうにかテーブルにつかせて、やっと朝御飯。痛む頭を押さえながらご飯を食べるカノにもう呆れて何も言う気が起きなかった。

「あ、そういやさあ」

皿の上にある料理を腹に納めていく中、カノがそうだそうだと言わんばかりに俺の方を見て声を出した。その時思わずか箸で俺を指してしまいキドに横腹へチョップを貰っていた。懲りない。
横腹を押さえ、ぷるぷると小刻みに震えながらそういやさあと繰り返したカノの言葉を待つ。

「セトって香水つけてんの?」
「俺そういう類いは動物に嫌われるからしてないっスよ」
「でもセトなんか匂いしない?」

はてと自分で嗅いでみる。すん、と微かに匂ったのは花の香り。キドも気付いたのかフードを掴んで俺を引き寄せ嗅いだ。首が若干絞まって苦しい。
気が済んだのか、パッと離され息をつく。死ぬとは言わないが、息苦しい。喉に違和感が残ってつい手で喉を擦った。

「なんの匂いだ」
「花、だと思うんスけど」
「あー、なんだ、じゃあ納得」

あっさり引いたカノは朝食をさっさと掻き込み早々に席を立った。ソファにぼふっと勢いよく座りテレビをつけて雑誌を読もうとしたが、キドに睨まれてカノは雑誌をテーブルに素早く置いた。
いつもあんな風にしゃきしゃきしてたらキドの怒鳴りも減りそうなものだが。
テレビをぼうっと観る。ぽちぽち移り変わる画面がぴたりと何かのドラマで止まった。

「あ、最終回なんだ」

真っ赤な夕焼けが陰って黒を持った雲に消されていく。隙間から覗く夕日に、雨がちかりと光った。雨の飛び降り自殺が真っ赤に染まって。
綺麗じゃない。
そう思った途端食欲も何もかもが失せた。霧散したみたいに。目の前に残っている食事も、全部地面にぶちまけたい気分だ。そんなことすればキドに殴られるか心配されるかだからやらないが。
残った物を無理矢理喉の奥に流し、部屋戻るっスとキドに声を掛けた。ああと返事をしたキドの声を聞きながら部屋に向かった。
ばたんとドアを閉じて、強く目を閉じる。シンタローを無性に抱き締めたかった。


最初は何だったか。大量の赤があった気がする。次第にそれは黒になって、俺の口から出た。その色が濃さを増す度ぞわりと過る冷たい空っぽの身体に呻いた。
セトは黒くなった俺を見てただ欲しいとだけ呟いた。それがどんなに俺を安心させたかセトは知らない。夜より濃く、そんな物を体に貯めている俺を、見捨てないんだから、物好きすぎる。
最期はなんだったか。ひたすら赤い所で俺に好きだのなんだのと惜し気もなく言葉を降らせるセトに、俺は何も言わなかった。全てぶつけて、呪いのようにまとわりついて、そうしていつか忘れられる惨めな話にはなりたくない。
俺の体から肉から骨から内蔵から、養分でも飲み込んで花でも咲けば良いのに。桜の木みたいに。律儀に毎日声を掛けるコイツが容易に思い描ける。
ごぽ、と口の奥から黒が迫る。排水口が詰まったみたいな、水中で息を吐いたみたいな。

花の奥に、シンタローは要る。眠るように死んで息をするように花を咲かせる。まさか貰った体から花が咲くとは思わなかった。桜の木の下に居るわけでもないのに。

「シンタロー」

抱き締める。茎が折れた音がした。それでも構わないと抱き締める。シンタローから咲いた花。甘い匂いと鮮やかな色。最期に出した赤の混じった黒を塗り潰すように色が咲く。
冷たい体。
最期の最期まで言わなかった。愛してるだとかそんな類いを。この口は最期はどろりと血を吐いて自分を濡らして笑った。急速に冷たくなる体を抱いて、真っ赤な風景に溶けてしまいたかった。そのまま雨になって地に吸い込まれて彼岸花になれれば、それほど幸せなこともなかっただろう。まあそんな事を思った俺より先に花になったシンタローだけど。
最初は死を受け入れずに暴走もした。泣いた。それでも咲いた。俺以外の人目に触れず、部屋に居るだけのシンタローに。


愛してるだとかそんなことを言うよりも、繰り返し咲く花に、ずっとずっと俺を想って死んでしまえば良いのにと、目を閉じた。
過ったのは走馬灯じゃなくて、

「綺麗っスよ」

ああ早く死んでしまえば良い。そしたら今度は俺をそこに引きずり込めば良い。

部屋は花に囲まれて、檻のように。

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