159 | ナノ
ケンジロウ

 ぼんやりと目が覚める。霞がかった頭はいつもより濃く、まだまだ寝ている時間なのだということをケンジロウに知らせた。なぜ目が覚めたのだろうかと疑問に思うが、睡魔が押し寄せて考えていられない。最近寝ても寝ても回復しない疲労でただでさえふらふらなのだから。ごろりと左側に寝返りを打ち、枕に顔を埋めて寝入ろうとする。しかし、そこで感じる違和感がケンジロウの眠気に待ったをかけた。
 なにか、ない。気付いた途端に強烈違和感を感じて虚ろに目を開けて何がないのかを確かめる。アラームをかけているケータイは枕元、パソコン、掛け布団もある。なんだ、大丈夫じゃないか。そう見逃しかけて反対に寝返りを打った瞬間に目に飛び込むのはチューブ。それはどうやら右腕に繋がっていたらしい。針が抜けたそれが白いシーツに赤い色を散らしていた。
 ケンジロウは頭の何処かが冷えていくのを感じて、チューブを視線で辿る。上へ上へ、吊るされているのは赤い袋。輸血パック。
 ケンジロウはそんなものを使った覚えはなく、ここは病院でもないことを知っている。なぜこんなものが。絶えず湧く疑問に、睡魔はいつの間にか消え失せていた。
「う……あ」
 声が枯れている。掠れた声しか吐き出さないその喉を撫でようとして、また違和感。なにか異常なことが起きていると理解したケンジロウは起き上がろうと腕に力を込めた。中途半端に起き上がった体は、バランスを崩してベッドへ倒れる。
「う、あ、ぁ」
 ぞっと体中が震えた。ケンジロウは目を見開いてその異常を見る。
 あるはずのものが無かった。昨日まであったはずの、それがなかった。
 ケンジロウは右手で左肩を撫でる。包帯が巻かれて赤く滲んでいることよりも、冷や汗と意味の分からない恐怖で息が乱れていく。
「なん、で」
 掠れた声で凝視する左肩。そこから先に伸びる腕が、無かった。寝ている間に、掻き消えていた。
 思わず叫びそうになる口を残った右手で押さえる。寒気、怖気。理解できない現象に吐き気すら覚えてきた頃、こつりとドアがノックされた。それだけの音にビクリと派手に跳ねる体。
「せんせい」
 向こう側から聞こえてくるのはゆっくりとしたコノハの声。ケンジロウは少しの間体を強張らせていたが、しかしドア越しでも伝わるどうしたらいいのかという困惑にふっと息を吐き出した。
 なにかを知っているのはコノハかもしれないという冷静な判断。恐慌状態に陥るギリギリで声をかけられ、なんとか無理矢理落ち着かせた状態。
 とりあえずコノハを迎え入れなければとベッドからどうにか起き上がって出来る限り声を上げて入室を促した。そっと入ってくるコノハはケンジロウの姿に小さくほっと顔を緩める。
「おはよう……」
「あ、あ……はよ」
 声は強張ったままだが、ケンジロウは絞り出してなんとか言葉を返した。
「あの、よ……コノハ、こ、れ」
 ケンジロウが引きつった喉が質問を吐き出せば、コノハは眉尻を下げて首を振った。何も知らない、と。コノハは嘘がつけないのだから、それは真実だろう。そうか、と返した声は情けなくも震えていた。
「昨日から、無かった」
「きの、う」
 覚えはない。そんな物騒な事件や事故に巻き込まれた記憶は、ケンジロウには一切ない。
 どくどくと鼓動するような左肩の喪失。ぐるぐると回る視界で熱が出ているかもしれないことを悟った。
「せんせい、これ刺しておかないと……だめだよ」
「え……あ、ああ」
 コノハはケンジロウが記憶を探っている間に近付いていたらしく、ケンジロウに抜けた点滴の針を差し出してきた。輸血のそれは、左腕を失った時に大量に流れたであろう血液の代わり。なぜこの家にあるのか。
 また震えそうな思考に、どろどろと考えを押し流していく眠気。なにかが強制的にケンジロウを眠りに落とそうとする。
「この、は……なんで、ゆけ、つ」
「……?」
 そういえばなぜ何も知らないコノハが輸血のことなど知っているのか。誰もいないのだからこんなことをするのはコノハしかいない。
「せんせいがしろって」
「……ぅえ、」
 ぐるぐると視界が回る。白が走る目の前に、ケンジロウの意識はどんどん落とされていく。
「せんせいが……説明してくれた」
 失くなったパーツの証明のように、軽くなった体はベッドへと戻ちる。コノハはこてりと首を傾げ、急に意識をなくしたように眠ったケンジロウを眺める。そっと起こさないように慎重にベッドに座り、失くなった腕を労るように左肩を一度だけ撫でた。
「せんせいの、どこ」
 自分を撫でていた手はどこに行ったのか。コノハは少し眉を寄せてベッドから離れ、ドアを閉めた。
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