154 | ナノ
高校生組

 ぱしょん、かしゃんっと落ちていく水。がだがだと自転車置場のトタン屋根を濡らし鳴らし、暖かかった気温を一気に冷え込ませていく。夏ほどの鬱陶しさはないが、それでも雨というだけで辟易するものだ。くせ毛だから髪は更に跳ねるし、制服は濡れる、靴には水が入る。水たまりを踏んでしまえば最悪だ。雨をまるで親の敵でも見るかのように睨みつける。
 わいわいと賑わう下校の最中。周りは折り畳み傘を開いたりビニール傘を開いたり、とにかくどんどん学校外へと出て行く。校内ではすでに野球部が暑苦しく練習をしており、どこか汗臭い気がする。しかし私はぽつんと玄間に立っていた。いや、一人ではなく隣には遥がいるが、とにかく二人で、立ち尽くしていた。
 ちょうど隣で右往左往していた女子は友達を見つけ、傘に入れてと早々にここから脱する。その背中に羨ましげな視線を送りそうになる前に目を逸らした。
「なんで二人共持ってきてないのよ……」
「んー、持ってきたと思ったんだけど、玄間で忘れちゃったかなあ」
「馬鹿」
 どすっと遥の肩甲骨の間を殴り、空を見上げる。まるで傘を忘れた人間の憂鬱を全て吸い込んだような、そんな重みのある灰色の雲。玄関先でさてどうしようと養護学級クラスは途方に暮れた。
 遥はいつも持っている折り畳み傘を今日は珍しく忘れ、私は天気予報を見る習慣がないため傘を持ってくるというそもそもの考えが無かった。天気予報を見るくらいなら寝る。それにいつもは祖母が傘を鞄に入れておいてくれるのだ。ここで祖母に甘えているということを自覚するが、そんなことより目下今の問題はこの雨。
 雨足が弱ければ近い自宅まで走って帰ればいいのだから、という甘い考えは、そこそこ強い雨によってあえなく崩れ去った。さすがにこの雨を突っ切って帰れば、家で待っている祖母に大目玉を食らうだろう。それは避けたい。
「どうしよう、先生に一回傘あるか聞いてみる?」
「うーん、そうする?」
 遥もこの雨を突っ切る気はないらしい。もしすれば私は直々に鉄槌を下す所存だが。
 じゃあ戻ろっか、と面倒臭く感じながら校内へ戻ろうとした。ドアを押して入ろうとすれば、いつもより軽いドア。おっとと、と思わずつんのめり、私は顔を上げる。
「あれ、アヤノちゃん」
「貴音さん!」
 ちょうど玄間から出てこようとしたアヤノと一緒にドアを開いたらしい。この後輩の目の前でコケなくてよかったと安堵しながら今帰り?と声をかけた。
 そこではたと思いつく。アヤノなら傘を持っているのでは。さすがに三人はキツイかもしれないが、自宅に寄ってもらえれば遥に傘を貸せる。それだっ、と脳内でその考えを自画自賛し、早速とアヤノに目を戻した。
 が、アヤノがいつも持っている赤い傘が、今はその手には無い。
「帰るところですけど、シンタロー待ってて」
「……アヤノちゃん、傘は?」
 少しの沈黙。恥ずかしそうに目をそっぽに飛ばし、アヤノはぼそりと答えた。
「今日は折り畳みでいいかなって思ったんですけど、お弁当を鞄に入れるときに……」
「あ、僕もそれ、よくやっちゃうなー」
「あ、あはは、全滅ってわけ……」
 貴音さんも?という視線に手を振って手ぶらを示す。遥と一緒にここに突っ立ていることで、言わずもがな二人共。察したアヤノがおろおろし出す。
「シンタローが折り畳み傘を持っていればなんとか……」
「オレがなんだって」
 アヤノがううん、と思案していると、その後ろからのっそりとクソ生意気な後輩が顔を見せた。いつも灰色の雲を背負っているようなシンタローは、現れただけでどこか鬱陶しい。舌打ちしたくなる自分を抑え、私は手早く説明した。
「三人共傘が無いって話」
「ご愁傷様」
「た、他人事だと思ってっ。アンタだって無いんだから全滅じゃない!」
「誰が無いって言ったよ」
 カチーンときた頭に素直に従い、私はびしっとシンタローを指さした。けれどシンタローはあっさりとその手に持った黒い傘を持ち上げ、ハッと鼻で笑う。
「アンタが一番持ってきてなさそうじゃないっ」
「失礼にもほどがあんだろ、鳥頭」
「どっちだ!髪型か中身か、どっちだ!」
「どっちも」
 私が社会不適合後輩を殴るために拳を握れば、横から遥がまあまあと必死に宥めてくる。年下だから、後輩だから、それで許せる範疇をとっくに越えている。殴って何が悪い。
 けれど遥に宥められ、アヤノに謝られれば先輩としては収めるしかない。損な生き物だ。可愛げの欠片もない後輩は呑気にあくびをかましているが、全く悪くない私は収めなければいけない。ほんっとうに、損な生き物だ。
「ねえシンタロー、折り畳みは無い?」
「無い。余計な持ち物増やしたくねえし」
「どうしよう……」
 困ったな、と眉を寄せたアヤノに、シンタローはどういうことか察したのか肩を竦める。けれどなにか言う気は無いようで、早く帰りたいと言わんばかりに傘を開く。長い傘だとは思っていたが開かれるとかなり大きく、その傘をさすシンタローがずいぶん小柄に見えた。
「シンタローくん、その傘大きいね」
「……父さんが使ってたやつですから」
 にしても大きいと思うが、しかし子供を連れてさしていたというのなら、これぐらいは欲しいものなのだろうか。外国で忙しくしている両親と雨の日にでかけた記憶は一つもない。病気だったから家からあまり出なかったこともあるが、忙しい両親にそんな暇があったとは思えない。そう思うとその傘が少し羨ましく見えたが、アヤノが複雑そうな、心配そうな顔をしているのが見えて何も言わなかった。
「……ねえ」
「なに」
「その傘なら四人いけそうじゃない?」
「……は?」
 ふと思いつきで口を開いたが、言葉にすると出来る気がしてきた。遥も傘を見て、確かにと頷いている。
「いや無理だろ」
「やってみないと分かんないでしょ。ほら遥荷物、アンタが一番背高いんだから傘持って」
「うん。じゃあちょっとごめん、貸してねシンタローくん」
「いやいやいやっ」
「あ、じゃあ私と貴音さんは背低いし前行きましょうか」
 シンタローを置いて着々と進んでいく。言い分は全員で聞こえないふりをして、傘に無理矢理四人で収まった。前に私とアヤノちゃん、後ろに傘を持つ遥と遥の荷物を押し付けられたシンタローで入る。狭いし押しくらまんじゅう状態でぐっと温度が上がった。恐らく足並みを揃えないとろくすっぽ歩けず崩れるだろう密度だ。
「狭い!暑い!」
「我慢しなさい。とりあえず近い私の家まで行こっか、傘貸すから」
「はーい、じゃあ動くねー」
 シンタローは不平不満を叫んでいたが放っておき、遥の呼びかけで私たちは一斉に歩き出す。が、意外にこれが難しい。少し油断すると後ろの男子たちも足と絡まりそうになる。コケそうになると支えてもらえるが、つんのめったりして傘から外れてしまう。やったことはないが二人三脚のようだ。
「きゃっ、こ、これ結構大変ですね……!」
「貴音蹴るな!」
「先輩をつけろ!」
「うわわっ、あんまり引っ張らないで欲し……っ」
 そうしてぎゃあぎゃあ言って時折立ち止まりながら、四苦八苦して自宅に辿り着いた。最後辺りは慣れたのかそこまで騒ぐこともなかったが、普通に帰宅するよりかなり体力を使ったせいで全員くたくただった。祖母はあらあらと言って上がりなさいとお茶を淹れにキッチンへ消える。
「ちょっと、休んでいって……」
「すいません、お邪魔します……」
「貴音……タオル借りていいかな」
「あーもー動きたくねー……」
 女子より遥かに疲れている男子に情けないと言いそうになったが、よく考えれば歩幅の違う女子を前に合わせて歩いていたのだ。授業終わりにしてはよく頑張った方だろう。じゃあこたつ入っといてと居間のふすまを開け、まだまだ惰性で出しっぱなしのこたつを指した。結構冷えたからか、遥とアヤノはわっとハイタッチをしている。
「おばあちゃん、なんかお菓子ってあったっけ」
「今日ちょうどもらったホールのタルトがあるのよ。二人じゃ食べきれないからちょうどよかった」
「チーズタルト!やったっ」
 てろりと柔らかい黄色の表面、混ざるチーズと甘い匂い。ケーキ類なんて誕生日くらいのもので、うちでは一等特別なお菓子だ。小躍りしたくなるのを耐えて、私はいそいそと食器を出す。祖母は紅茶を淹れ、すぐにお盆に並べてくれた。
「あ、遥にタオル頼まれてた」
「じゃあこれ、あっちに持ってとくからね」
「お願い」
 素早くタオルを取りに行き、ついでに濡れていた靴下を脱いだ。ぺたぺたとしっとりと水を含んだ素足がやたらと床に張り付く。
「遥ータオルー、って、あれ?アンタたちまだ上がってないの」
「ちょっとね。ありがとう、シンタローくん先使う?」
「先どうぞ」
 シンタローと遥は今だ玄間にいて、タオルを待っていた。水たまりでも踏んだのか。
 悪いとは思ったが寒かったので居間に入ってアヤノが先に入っていたこたつに入った。しかしアヤノは顔を突っ伏したままで唸っている。はて、と首を傾げて自分の分とアヤノの分を先にお盆から取った。もちろん、大きい方。
「アヤノちゃんどうしたの、チーズタルト嫌い?」
「大好きです……」
「な、なら良かった。てか耳真っ赤だけど大丈夫?」
「だ、だ、大丈夫くないですぅ……っ」
 大丈夫くないらしい。ぶつぶつ呟いている欠片を拾っていくとシンタローがシンタローはシンタロー。この子は本当に、あんなののどこが良いのだろうか。
「え、てか本当にどうしたの……」
「私たち……後半は結構スムーズでしたよね」
「傘の?まあ、確かにそうだね」
 ぐりっと顔を起き上がらせたアヤノはチーズタルトを見てむぐむぐと言葉を紡ぐ。暑そうだなと判断して温度を下げておいた。
「あの二人の背中、びしょ濡れなんです……」
 どういうことか分からず私はとりあえず頷いた。そりゃあ大きい傘とはいえ四人もすし詰めでは濡れたって。と、そこまで来て私はあれっと自分を見る。足はさすがに全員濡れているだろう、だがどこか特筆してびしょ濡れというほど濡れているところはない。恐らく普通にこたつに入っているアヤノも。
「わあ、やっぱり部屋の中ってだけで暖かいねえ」
「そうっすね……って、なんだよ」
「え、ど、どうしたの?ぼ、僕らなんかしたっけ」
「特には」
 少女漫画かよっ、と盛大に突っ込みたいが、なんというか、ぎゅっとなってる自分がいるのが腹立たしい。そりゃあ濡れないし、スムーズに歩けるし、家に上がれないわけだ。ぐぐぐっとさっきのアヤノと同じ状態になりそうなのを必死に耐える。
 いつものようにシンタローはアヤノの隣、遥は私の隣。今近付かないで欲しい。
「チーズケーキ!あ、タルト?食べていいの、貴音」
「ど、どーぞっ」
「シンタロー……こっちあげる」
「は、いや別にいいけど。お前ケーキとか好きなんだからでかい方食えば」
 また撃沈したアヤノは大人しく食べ始めた。なんでこんなの、と思っていたが訂正しよう。アヤノのタイミングをこいつはことごとく掴んでいるのだろう。ある意味ではお似合いかもしれない、見た目と性格は差し引いて。
「もうあんな無茶な下校しない……」
「え、楽しかったのに」
「はあ?アンタせなっ……疲れるし!アレ!」
 思わず指摘しそうになった言葉を飲み込み、私はタルトに齧りつく。とろりとした舌触りとか、二層になっていて下はさつまいもとか、美味しいのだが集中できない。
 もう二度としない。これからは毎日折り畳みを持っていくくらいの心持ちでいよう。
「えー、でも」
「紅茶冷めるからっ、早く食べる!」
「なに怒ってんだ」
「怒ってるんじゃなくて……ううん、でも分からなくもないなぁ」
 小雨になってきている雨がさらさらと止みかけていた。
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