150 | ナノ
シンコノ

 山盛りだったお菓子が空っぽになる。もう手に持っているクッキー一枚。あとは包装紙やアルミ、リボンと食べられないものが残るだけ。いっぱいいっぱい、残りカスが。
 コノハはじっとそのクッキーを見つめ、なかなか口に入れない。食べたくないわけじゃない。コノハには基本的に嫌いなものはない。過剰に苦かったり酸っぱかったりというものはさすがに苦手だが、日常的には好き嫌いは激しくない方だ。ねぎまはもはや好きを超越した別格の存在であるためここでは特筆しない。
 そう、だからコノハは食べたくないわけじゃない。むしろ早々に胃袋へと収めてしまいたい。けれどココアとプレーンのクッキーはどこか、なにかに似ていると囁く内面がいるのだ。
 山盛り大盛り、それはそれは夢の様な詰め合わせ。それが忽然と姿を無くし、たったこれだけのものになる。
 ざわざわすると、コノハはみぞおち辺りを撫でた。食べてはいけないような、むしろそれだけなら無くしてしまった方がいいような。
 むう、と考えこんで考えこんで、コノハはそれを二つに割った。ハートの真ん中、ココアとプレーンの境目がぱっきり折れる。
 そのプレーンの方を食べて、コノハはココアの方は丁寧にティッシュに包んだ。
「なんだ、食べないのか」
 コノハは包んだティッシュをそっと持ち上げて顔を上げた。テーブルのゴミをゴミ箱に流し込んでいくキドが、コノハの持つティッシュを指さす。
「まだおかきとかならあるぞ」
「……あんまり食べると、ダメって」
「ああ、まあな。けどお前の食欲は桁違いだからな、少しくらい抑えて食卓に臨んで欲しいんだ」
 食費が馬鹿にならん、とキドは腰に手を当てた。そもそもお金の概念すら少し危ういコノハはなるほどと形だけ頷いて、けれどクッキーを食べようとはしなかった。
 それよりテーブルの上に何本も残っているリボンをじっと見つめ、キドを見上げる。
「マリーがたまに何かに使うんだ。だからあとでアイロンをかけて残している」
「一本……ちょうだい」
「構わない、好きに取ってくれ。それとおかき、どうする」
「食べる」
 その返事だけ少しはきはきとするコノハに、キドは了解と笑ってキッチンに消えていった。その後姿を眺め、テーブル上のリボンに目を戻す。薄い色や濃い色、ボーダーもある。紙細工の花が付いているものもあったが、それを除けてリボンを一本一本並べた。
 虹色にしようと色を選ぶが、虹がどんな配色順だったか思い出せない。コノハはしばらくリボンを何度か並べてはやり直してを繰り返し、諦めた。
 ぽちりと、コノハの中でなんでも教えてくれるテレビの電源を押す。少し強く押しすぎて、リモコンの端が少し浮いてことんと落ちた。
 大勢の人間が映っている。虹がない、とコノハは見よう見まねで覚えた、チャンネルを変えるボタンを押していく。虹は、ない。大きな音と共に死体が突然映った時は思わずびくっとしてしまった。
 ぽち、ぽち、ぽち。
 虹はなかった。コノハは首を傾げ、そのままテレビを眺める。二人の男女がなにかを言い合っていた。
『どうせあなたは私の事――』
 ヒステリックな女の声。そんなに取り乱す女性を見たことがなくて、コノハはじっと見入る。なにが悲しいのか、なぜか泣いている。それがどろどろの愛憎入り混じった昼ドラであるとは知らず、コノハは女性のセリフをなぞった。
「あそびだったんでしょ……」
「ぶふっ、ごほっ、なに言ってんだコノハ」
「……シンタロー」
 いつの間にかソファからずり落ちてテーブルとソファの狭い間に体を挟み込んでいたコノハは、頭上から降ってきた声にきょとりを首を反らした。そこでそういえばリボンを選んでいたんだったとか、虹を探していたんだったとか思い出す。
 虹は諦め、リボンを等間隔に並べ直した。コノハの背中のソファに座り、シンタローは手元を覗きこむ。はたと、シンタローが物知りであることを思い出し、コノハは虹の配色順を聞こうかと口を開いた。
「あそびって、悲しいの?」
「は?」
 言ってから数十秒、コノハはあれっと首を傾げる。コノハとしてはこれを聞くつもりではなかったのだが、しかし撤回する気にもなれない。まあいいかと納得し、シンタローからの答えを待った。
 最初はなんのことかさっぱり分からないと首を捻っていたシンタローだが、テレビを見て、さっきのコノハの言葉を思い出して思い至ったらしい。けれど途端に難しい顔になり、あーと唸る。
「相手が遊びでも、こっちが本気だと悲しいんじゃないか」
「……?」
「お前が本気で野球するだろ。で、お前は相手も本気なんだと思っている」
 分かりやすいように喩え話で攻めてきたシンタローに、コノハは精一杯想像力をフル回転させて考える。
「でも相手は本気じゃなかった。遊びで、また試合をしたいと思っていたお前とはもうしないって言っている。どうだ」
「かな、しい」
「それがお前の一番好きなものだと、もっとだろ。それがあの女の人には好きな人だったってことなんだよ」
 こくりと頷いたコノハに、シンタローはふうと息をつく。そういうことだろ、と締めくくったシンタローは、リモコンをさらってチャンネルを変え始めた。コノハより早いテンポで切り替わっていく画面。
 それから目を逸らし、リボンを見た。悲しいことを知ってしまった気分を、どうにか塗り替えようと一本一本手に取る。そこで一本の赤のリボンを手に取り、シンタローと見比べた。一緒と少し顔を緩め、赤いジャージに合わせる。
 コノハの奇行にはすでに慣れたようで、シンタローは少しも反応しない。持ってきたコーラを飲んで、バライティーの番組を見ている。
 コノハは早速そのリボンを先ほどのクッキーを包んだティッシュに巻きつけた。結べば完成、そんな状態なのに、コノハはぴたりとリボンを巻く手を止める。
「……あ」
 その帯が、どこか嫌だった。くっと息を呑んで必死に瞼に焼きついた一本の赤を消す。
 リボンを床に落とし、ソファに顔を埋める。少し強く握ってしまったクッキーは、幸いにも割れていないようだった。
「コノハ、悪いがおかきが無かったから煎餅置いとくぞ」
「ん……」
「なんだ急に、元気がなくなったな。シンタローにイジメられたか」
「してねえよ、なんだその言いがかり」
 キドの可笑しそうな声にシンタローが反論する。それがどこか画面と被って、コノハはソファから顔を上げた。
「キド」
「どうした、シンタローを懲らしめて欲しいなら言えよ」
「だからしてねえって」
「キドはシンタロー、好き?」
 ごふっと二人が同時に噎せた。キドは動揺の末にシンタローの胸ぐらに掴みかかり、シンタローは変なことは教えていないと必死に否定した。
 騒ぎの渦中であるはずのコノハは二人が何故ヒートアップしたのか理解できずに首を捻る。
「好きな人と……えっと、遊びはかなしいって」
「どういうことだ」
「あー、さっき昼ドラで……。ベタな私とは遊びだったんでしょ系シーンの説明を」
「変なこと教えているじゃないかっ」
「勝手に見ててコノハから尋ねてきたんだってっ、オレ悪くねえだろっ」
 しばらく二人は言い争っていたが、どんどん首を締め上げられていたシンタローがギブ宣言してやっと収まった。キドはこほんと一つ咳払いし、答えを待つコノハにたじろぎそうになりながら言葉を探す。
「コノハ、そういう好きはな、恋愛感情ってものなんだ。好きっていうものには色々ある」
「色々?」
「……シンタロー、責任持て」
「中途半端で投げ出すって団長として……あ、すいません、はい」
 キドに怯え萎縮したシンタローが後を続ける。
「ねぎま好きだろ、コノハ」
「好き」
「じゃあキドは好きか、いってえな!分かりやすくしてるだけだろ!」
「なんで俺なんだ!」
「オレで聞いてもし首振られてみろ、死ぬぞ」
「このヘタレ!」
 そうだヘタレだと開き直るシンタローと怒りに震えるキドを交互に見て、コノハは首を縦に振った。
「キド、好き……」
「お、おう、ありがとうコノハ」
 照れたように頬を掻き、晩飯作ってくるとそそくさ台所に消えた後ろ姿。その後ろ姿をコノハは綺麗だと思うし、何でも作ってしまう手をすごいと思う。きっと絵本で見た魔法使いなのだと、信じて疑っていなかった時もあった。それら全部合わせて、キドが好きだ。
「じゃあコノハ、ねぎまとキドの好きは一緒のものか」
「え……」
「美味しいからねぎまが好きなんだろ。じゃあキドも美味しいから好きなのか?」
「ううん」
「それが違いだ、とオレは思う」
 キドをにやにやと見ていた目が、コノハに向き直る。
「その中で恋愛感情はまた特別なんだよ」
「とくべつ……」
「基本的にはたった一人だけに向けられれるんだ」
 なんか小っ恥ずかしいなとシンタローはそれで説明を止めた。コノハはテレビ画面に戻ったシンタローの横顔を見る。
 床に落としたリボンをテーブルに戻し、黄色のリボンを取った。それをゆっくりと結び、ソファの上に登る。
「……あげる」
「さっきからなんかしてたけど、これか」
「ん」
 もう一度あげると繰り返すと、シンタローは少し目元を綻ばせてサンキュと貰ってくれた。ホッと肩から力が抜け、コノハは少しどきどきと脈打つ心臓を撫でる。
「シンタロー」
「ん?あ、これクッキーか」
「僕……シンタローも……」
 はっく、と口が閉じた。あれ、とコノハは喉に手をやる。シンタローがどうしたとコノハを伺ってくるが、コノハにもどうしたのか分からなかった。
「え、あ……なんでも、ない」
「そうか?まあ、お前のことだし風邪はねえと思うけど、気をつけろよ」
 ぎこちなくシンタローに頷き、コノハは喉をなぞった。キドに言ったように、同じように。またぱくぱく口が動き、声は出なかった。
「こっちか……」
 シンタローが懐かしそうに言う。なぜかその小さな笑顔が、喉を圧迫して息も止めた。

 夕暮れの教室で、遥は最後のクッキーを日に透かした。先ほどまで一緒にいた貴音とアヤノは、揃って職員室に行っている。残っているのはシンタローだけで、先程からずっとケータイ画面でなにかを見ていた。二人の間に会話はないが、遥はそれでも嬉しそうに足を揺らす。
 ぎいこ、ぎいこ。
 古びた椅子が、軋んで鳴く。二つの机を合わせた真ん中に、細かな粉が残ったティッシュが広げてある。ほんの数十分前まで山盛りだったクッキーは、跡形も無い。
「シンタロー」
「んー」
 遥は手に持っていた最後の一枚を半分に割った。ぱきっと心地よい音と共に真っ二つ。
「あげる」
 その二つの白い方をシンタローに差し出して、遥は黒い方を口に入れた。ケータイ画面から目を離し、シンタローはそれを受け取る。
「あんたって、いっつもそっち食うな」
「ん、シンタロー、ココアの方が好きだったの?」
「違うけど」
 そもそも半分こなど女子かと思っているなどとは言えない。シンタローは大人しくクッキーを口に放り込み、甘さを噛み砕く。バターの匂いが、指に移っていた。
「色が濃い方を取る、気がする」
「……バレちゃった」
 えへへ、と笑い、遥は惜しむように指を舐めた。
 無意識的にやっていると思っていたシンタローは、意図的だったのかと少し驚く。そういうことができるのかと、思ったのだ。
「たとえば僕の心臓を二つにしたら、さっきのクッキーみたいになると思うんだよ」
 黒と白。二つに別れたハート型。
「シンタローにそんなの食べてほしくないんだ」
 遥は手をおろし、にこりと笑ってシンタローを見る。口内の甘さが増した気がして、シンタローは舌で上顎を撫でた。
「愛って思っときます」
「そうだね」
「でも」
 シンタローはケータイを置いて机に手をつく。ちょうどクッキーを載せていたティッシュを下敷きにし、欠片が手のひらにちくりと刺さって砕けた。
「そっちも食べてみたいんですけど」
「……シンタロー、そんなにココア好き?」
 こてりと首を傾げる遥に、シンタローは少し黙ってからため息を付いた。遥の鼻を一回摘んで引っ張り、またケータイ画面に戻る。いたたと鼻を撫で、遥はシンタローの肩を指で叩いた。
 胡乱げにそちらに顔を向けたシンタローは、あまりの近さにぎょっとする。
「もうちょっと待ってね」
「……あんたそういうとこズルいよな」
 ダメかな、と遥は不安げに見える笑みで尋ねる。だがその目に小さなふざけの色を見て、シンタローは肩を竦めた。
「好きだよ、シンタロー」
「あー、ズル」
 人前では平気でいたがる恋人に、シンタローは口を曲げた。
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