143 | ナノ
シンヒヨとヒビモモ

言われなくても知っていた。視線の動きやふとした表情、触れ合う数や声の調子、笑顔の種類や交わされる会話。
ずっと、誰より、知っていた。
だからこそ、言われた時に誰よりショックを受けた。頭を殴られたとか足元が崩れ落ちたとか音が無くなったとか、そういうものはなかったけれど、ただ無性に、ああ私はダメだと悟った。

小さい頃から習い事は普通だった。嫌になったことは多かったけれど、誰かに負けたら勝ってやろうと張り切る負けず嫌いで辞めることはなかった。むしろ結構好きな方だったのかもしれない。ドがつくほどの田舎じゃ暇を潰すため服を見に行くとか雑貨を買いに行くなど近場で出来なかったから、忙しい方が暇が紛れた。
でも、だからこそ私には友達がいなかったのだと思う。習い事ばかりで遊ぶ暇もなく、誘われても断る私は、どれだけ人付き合いが悪い奴だっただろう。
では習い事ではどうだったかというと、そこでも友達はいなかった。
負けず嫌いが功を奏して、私は教室一と言われるほど何でも出来る子だった。元々器用だったのもあるだろう。そうして負かしていく内に、前は隣にいた子は耐え切れずに辞めたりどこかのグループへと消えていった。高飛車な性格もあっただろうし、素直な口も災いした。
そして何より容姿だろうか。私は可愛い。自分で言うのもなんだという言葉だが、周りの反応から自覚するのは早かった。
誰もが言う、何でも持ってるねと。私はそれに言った、バカじゃないのと。
私は何も感じないと思っているのか、努力しなかったと思っているのか。バカらしい、そんな訳がない。私は天才ではないのだから、そんなことが出来るわけがない。天から与えられたのは器用さと恵まれまくった容姿ぐらいだ。金持ちの家に生まれたなど、子供が親を選ぶなど言われているのだから私が争奪戦に勝った賜物だろう。
ただ周りは努力が足りなかっただけだ、負けたくないという意思が弱かっただけだ、私はそれを十分に持って全てに臨んだだけだ。自分の怠惰を認められないからと、私が凄いということで誤魔化しているだけ。
だがそんな私にある苦手というものなら、そういう人間がイライラして仕方なく、そういう人間と話すことが苦手ということだ。ある種のコミュニケーション障害かもしれない。あからさまな好意も腹が立つしそもそもそういう目で見られていることが気持ち悪い。女子だけでなく男子まで、私は基本的に嫌いで出来れば話したくなかった。グループで群れて人の陰口ばかりの女子など、もっと嫌いだ。そんなに嫌で治してほしいというなら、じゃあ本人に直接言えばいい、頭が悪い。
だけど、寂しいのも本当だった。
一丁前に嫌だ嫌だというが、友達がいないことは寂しかった。休み時間は暇で、お昼休みは周りのざわめきを聞いても誰とも話せない。
私は友達が欲しかった。
孤立したことで少しでもしおらしくしていれば何か変わったかもしれないが、生憎私の負けず嫌いはそこでも遺憾無く発揮された。もっと高飛車に、もっと素直すぎる口に。一人でも大丈夫というアピールは攻撃的になって、私は特別だというものに変換された。
だからヒビヤの定期を拾った時、私は少し嬉しかった。

平気な声が出せるか少し不安だったけど、思ったよりすんなりと声は口を通った。
「やっとなの、ヘタレ」
「うっ」
ぐさりと何かが刺さったような顔をしたヒビヤをはんっと鼻で笑い、私はソファに座り直す。あの頃より成長した体、顔は、次第に大人へと向かっている。ヒビヤの声変わりの時は二人してぎょっとしたものだった。
にやり、と笑い、ふーんと居心地悪そうなヒビヤをじろじろ眺める。そうかそうかとあからさまに呟けば、耐えられないと呻き出す。
「最初の頃はおばさんなんて失礼極まりない呼び方してたくせに、ねー?」
「若気の至りってあるだろ!」
「はいはい、分かった分かった。まあとりあえず、おめでとうって言うべきかしら」
「……ありがとう」
そんな不貞腐れた礼なんていらないわよ、とはさすがに言わないでおく。ヒビヤは一瞬の沈黙も耐えられないのか、そそくさと立ち上がってそういうことだからと去っていった。やっぱりヘタレね、と本人に聞こえるように呟いたが、泡を食ったようなヒビヤに聞こえたかは分からない。
ヒビヤがいなくなったことでしんとした空間。テレビでもつけようかとリモコンに手を伸ばしたけれど、気が乗らないと引っ込めた。
は、とようやく一つ息を吐けば、体から力が抜ける。ずるずると傾いた脱力した体は、ソファにとすんと受け止められた。思ったより気を張っていたのだと気付いたが、それを悔しいと思う余裕もない。
ヒビヤとモモちゃんが、付き合った。
遅かれ早かれくっつくのは分かっていたことだ。誰が見ても二人がお互いに惹かれてあっているのは火を見るより明らかだった。
だからこの時のために私はずっと心の準備をしてきた。
この時のためだけに。
「……何やってんだ」
がちゃりとドアが開いた音は聞いていたから誰かが入ってきたとは気付いていたが、まさかシンタローさんだとは思わなかった。かけられた声は呆れと緊張が混じって変な響きを持っている。まあ誰が入ってきてもソファから起き上がる気力はなく、別にと素っ気なく返した。
「……パンツ、見えてる」
制服だからそうかもしれないとは思っていたが、それを緊張した声で言うのは結構気持ち悪い。鞄から常に持っている膝掛けを出して下半身にかけた。これで満足かしらと言わんばかり近付いてくるシンタローさんを見れば、何か言いたげだったが口を閉じてそうだなと返してくる。空気が読めるのか読めないのか、分からない人だ。
向かいの、ちょうどさっきまでヒビヤが座っていた辺りに座るシンタローさん。何しに来たのか知らないが、今は奥に引っ込んだヒビヤと私だけだ。テレビどうぞ、とリモコンを弾いて滑らせれば、シンタローさんはそれを受け取ってテレビをつけた。一気に音が溢れ、そこに聞き覚えのある声が聞こえる。
「モモも大変だな」
妹を心配するような、他人事のような言葉。最悪だ、と内心でこぼす。やはり空気など読めない人種だと、そのままのチャンネルで置かれたリモコンを見て確信した。
「シンタローさん、水」
「自分で行けよ」
と言いつつ取りに行くために立ち上がってくれるから、まったくお人好しだ。
つい癖でテレビに視線を寄越せば、モモちゃんがトンチンカンなことを言って誰もが笑っているところだった。モモちゃん本人は何が笑いを誘ったのか分かっていないらしく、困惑して周りを見ている。その可愛らしさに口が緩むが、それに反して胸は苦しくなった。そのまま蹲るように丸まってしまいそうになったところで、シンタローさんが起きろと声をかけてくる。
「……水は」
「変わんねえだろ」
変わるわよ、と内心で言い返し、置かれたマグを覗いた。白い湯気がほこほこと立ち昇るココアがたっぷり入っている。水の方が早かっただろうに、オレが飲みたかったからと言う。
ソファにいるとまた体が倒れそうで、テーブルとソファの間に体を滑り込ませて座った。足を折り畳むと少し安心する。
モモちゃんはお笑いに来ないかと誘われ、冗談なのに驚いて真剣に考え込んでいる。いいかもしれない、と呟く姿にシンタローさんはああもうバカとため息をついている。
ふと、この人は知っているのだろうかと思った。いつもは喧嘩をしたりシンタローさんが怒ったりとしているが、この兄妹は仲がいい。お互いをすごく大事にしている。だが一つも変わらない態度に、はたして知っているのかと疑問に思う。
「ヒビヤと付き合ったらしいわよ」
「ああ、そうらしいな」
知っていたらしい。なんだと残念に思いながら、自身が嫌になる。知らなかったら、どうだった。他人から聞かされて、私ならどう思う。
別に口止めされているわけじゃないし、他の人ならまだ良いだろう。だがシンタローさんは、他の人とは違う。
意外と荒れているなと、気付いていなかった自分の内面を見る。
「シンタローさんは、変わらないわね」
「妹に彼氏ができたくらいで動揺するってシスコンかよ」
「ああ、そう……結構そうだと思うけど」
自覚がないのねと少し哀れんでいると不思議そうな顔で首を傾げられる。それでも、動揺しない。
もっと、綺麗な人でいたかった。この人みたいな考え方ができれば良かった。
「好きだったんだろ、ずっと」
テレビを見て言った横顔に、堪らなくなった。
「私の方が、私だって、ずっと好きだった、ずっと」
この人みたいに、相手が幸せならいいと思えることができれば良かった。
「好きだった……っ」

ずっと可愛いと言われてきた。
自分の容姿のことはよく分かっている、むしろ自覚するなという方が難しい。私より可愛い子がなかなかいないことだって分かっていた。実際周りには私より可愛い子なんていなかった。可愛いと心の底から誰かに思ったことすらない。
だから、テレビでモモちゃんを見た時、驚いた。こんなに可愛い子がいるんだって。私なんか目じゃないくらい可愛いって。
お父さんからリモコンをひったくって急いで録画した。両親にモモちゃんが可愛いと何度も言い、何度もテレビを眺めた。録画した番組を観て、お小遣いを使ってインタビューが載っている雑誌は必ず買った。
こんなに可愛い子、見たことない。ライブには逆立ちしたって行けやしない、せめてサインだけでもと。だからお義兄さんの話にはもちろん飛び付いた。
陶酔といってもいいかもしれない。それほど好きだった。実際会えた時など、もう何もいらないとも思ったくらいに。

吐露した瞬間、我に返った。
けれど一度切った蓋はもう役に立たず、どんどん胸が苦しくなって溢れかえる。今まで見ているだけで、溜まりに溜まったそれが喉を圧迫して息も苦しい。
「私だって好きなのよ、なのに、ズルい」
ズルいズルい。子供みたいに、碌なことも言えない。ただ気に入らないから否定して、計れない物に私の方がと主張する。
シンタローさんが目の前にいるのも忘れて、どうしてと。
「おかしいって分かってたわよ!」
奥にいるヒビヤを思い出したけど、いっそ聞かせてやろうとすら思った。叩きつけて、きっと、離れていく。
「キスしたい触りたいって、普通思わないわ。そうよ、頭おかしいでしょう私。抱きしめたいって、一緒にいたいって、それだけなら良かったのに!」
ぶわっと涙が出てきて、死にたいと思った。
私は頭がおかしい。これなら欠点になるかしら、きっと見下げたてしまう。誰も彼も、異常者だって。
「そうか、お前」
ようやく目の前にいるのがシンタローさんだと思い出した。揺らぐ視界で表情なんて見えないけれど、怒っても困ってもいなかった。
「モモが好きなのか」
静かな声に、崩れるように蹲った。
どこから、いつから、そんな風に見ていたんだろう。また遊ぼうと言われて嬉しかった、天にも昇る心地だった。笑顔が好きだった、元気な姿が、少し押しに弱い性格も、好きで好きで。
可愛いと、初めて心の底から思った人だった。
キスしたい、抱きしめたい、好きって言って、好きって言われたい、手を繋ぎたい、一緒にいたい、触りたい。

私の隣に、いて欲しい。

膝を抱えて泣く。嗚咽が零れ、肩が跳ねた。
どっちも好きだ、ヒビヤもモモちゃんも。だからどっちも嫌いになれない。嫌いになれれば良かったのに、嫌いになれないまま苦しくなる。
私の初めての親友をとらないで、私の初めての可愛い人をとらないで。
「好きなのに……っ」
いつの間にか隣にいた体温が頭を撫でる。
「嫌いに、ならないで」
「ならない」
シンタローさんの声に、もっと涙が出た。
「ならないから」
強く言い切ったシンタローさんに、とうとうしがみつく。
好きだった、大切で、相手が幸せならいいって思いたかった。そう思えないけど、それでも。
一人ぼっちにしないで。


知っていたことがある。
ヒビヤとモモが付き合うと聞いて、真っ先に心配になったのはヒヨリだった。それを聞いて更に我慢することは分かり切っていた。
コノハが好きという態度を崩さないヒヨリが、実はモモが好きだということを、オレだけは知っていた。
「オレはモモに、結構似ているらしいぞ」
泣き疲れたヒヨリが膝で寝ている。真っ赤な目元にまだ涙が残っていて、頭を撫でながら付けっ放しのテレビを観た。モモが出ていた番組は終わり、ドロドロに関係が拗れた昼ドラがやっている。
「なんてな……」
テレビを消し、冷め切ったココアを飲み干す。

髪をほどいたヒヨリは、あいつによく似ていた。
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