141 | ナノ
セトシン、カジノパロ

ざわざわと騒がしいホール内には、喜ぶ声と嘆く声が頻繁に行き交う。からからと玉が転がる音や、スロットの前での舌打ち、奥にあるカウンターで交わされる濃い酒の匂い。スーツやドレスだけでなく普通の私服まで闊歩する中、シンプルなベストが静かに歩いて行く。
スシャッと上に乗せていたカードを移動させ、シンタローは下の赤と黒の複雑な模様を裏返した。どよ、と目の前の人集りがざわめき、椅子に座った男はくそっとテーブルを叩く。

「こちらの勝ちです」

ぶっきらぼうな声に、男はシンタローを睨む。イカサマだ、と叫ばれようとシンタローには全く痛くも痒くもない、むしろ男の負け犬臭が増すだけだ。
八とKカード。合計ぴったり二十一のカードを、シンタローは纏める。賭けられたチップは回収し、ちらりとさり気なく時計を確認した。

「交代ですので、次の挑戦は彼とお願いします」

丁寧に抑揚のない声で告げ、シンタローはテーブルに入るディーラーに場所を譲った。男の恨みがましい目を何とも思っていないように避け、愛想笑いもせず去る。
別のテーブルから視線を感じるのを気のせいで済まし、シンタローは人と人の間を縫った。
カジノ解禁法案が可決され、日本にはカジノが出来た。合法の賭け事、合法の金の移動。誰もがそれに酔い、カジノが瞬く間に次々と建ち並んでいったのが十年前。今ではカジノ街が出来上がり、ここはそのカジノ街に並ぶ一つ。服装制限はないが、会員制のカジノ。しかもカード提示などではなく、合言葉を言えなければ即お帰り頂くという少し変わった場所だ。けれどその変わった制度が受け、出たり消えたりが激しいカジノ街では小さく小規模な店ながら、なかなか長く続いている。
シンタローは裏へと続くドアへ淀みなく向かい、さっさとくぐった。途端にタバコや酒の匂いが漂い、シンタローは咄嗟に顔をしかめる。ダンボールが積み重なり、ストックのトランプや壊れたり壊されたりした時のための簡易ルーレットの机が通路を狭くして、脇には事務室や更衣室のドア、そして簡易キッチンがドアもなくぽっかりと口を開けている。簡易キッチンを覗けば、大量の吸い殻を盛った灰皿と度数の高い酒瓶がそのまま置かれ、さっきまで休憩していた人間を知らせた。
簡易キッチンに入るのは避け、シンタローは休憩室へと足を進める。かつ、かつ、とゆっくりながらも確実に近付く足音には振り返らない。気のせい、と言い聞かせ、奥へ奥へと歩いていくシンタローの腕を、ついに誰かが掴んだ。
ぐっと壁へと引っ張られ、その力に任せて打った背中の痛みにぎゅっと目を閉じる。肩を押さえ付けられながらけほ、と背中を打った衝撃を咳として吐き出して、シンタローは舌打ちした。

「イカサマなんて、感心しないっすね」

するりと腕を取り、袖口のボタンを外して、中に入れたカードをセトが抜き取る。やはりバレていたかと、シンタローは顔を逸らした。
カードなど一枚も山から引いていない。元々二十一になるカードを袖に入れ、カードを引くふりをして袖から出していただけの、単純なイカサマ。けれど相手に先にカードを配るため、存外バレることはない。
が、どうもこの男は、とシンタローは苦く抜き取られたカードを見た。

「イカサマを注意するならカノだろ」
「それ本気で言ってますか、シンタローさん」

さあ、と肩を竦め、セトの手からカードを抜き取る。予備のカードの傷ひとつなくつるりとした手触りを指で楽しみ、くるっと手を返して袖へ押し込む。はあ、とあからさまに聞かせることを目的としたため息を聞きながらボタンを留めてしまえば、そのまま手首を取られた。

「別にイカサマをするなって言ってるんじゃないっすよ」
「へえ」
「カノはバレないけど、貴方はバレる可能性があるでしょう」

少し強めに手首を握られ、肩を痛いほど押さえる圧迫が消える。首に触れ、頬へ上がり、逸らした顔を向けるように催促され、する、と指先で撫でられる擽ったさに息を詰める。

「ただでさえやっていなくても疑われるんすから、もっと危機感を持ってください。逆恨みは嫌でしょう。いくら自然なように勝算を調整しても、もしもはあるんすから」
「分かってる」
「分かってない」

即座の強い言い切り。思わずだろうか、シンタローが顔を歪めるほど強く握り、琥珀が鋭く形を作る。

「何も分かってない」

ぴり、とセトの微かな怒りに、ぎくりと体が震えた。ふらりと彷徨いそうになる視線を落とし、冷えた心臓が大きく脈打つのを悟られないように必死に噛み殺しながら、シンタローは徐にセトの手を払った。

「やらなきゃいいんだろ、分かったから」
「……やっぱり、分かってないっす」

今度のセトのため息は、自然と吐き出されていた。怒りが収まっていることに安堵し、けれどその言葉にシンタローは苛立つ。

「まあいいっす……。とにかくバレればここだって評判が落ちるんすからね」
「しつこい」
「しつこくないと聞かないでしょう。イカサマなんてしなくても、シンタローさん強いんすから」
「運なんて不確定要素より、確実な方が頼りになる」

それだって綱渡りとは知っているが。
セトの呆れた表情を見る前に、シンタローは休憩室にさっさと入った。閉まるドアを見ずにパイプ椅子に座り、置かれているお茶菓子を一つ取る。
バレるバレないという問題なら、そこまで間抜けじゃない。
徒労だろ、と呟いて手首を見れば、うっすらと手形が赤く残っていた。

セトは閉じた休憩室のドアを見てぐしゃぐしゃと頭を掻いた。苛立ちというより遣る瀬無さに近い。
分かってもらえないと思うのは、傲慢だ。言っていないのに分かれと言う方が難しい。けれど気付いて分かって欲しいと思うのは、どうしても止められない。
別にシンタローを見くびっているわけじゃない。あのカノが感心するようにイカサマをするし、まさか間抜けな失敗をするとも思っていない。実際セトだって能力がなければ分からなかった。
けれど、セトが心配しているのはそこではない。
例えイカサマをしていようといまいと、シンタローは性格的に危ういのだ。それに気付かずに、確実に相手を叩き落として行く。
勝ち続けた人間ほど油断している者はいない。シンタローはその勝ち続けるという状態を人為的に作り、賭け金が膨れ上がったと同時にそれを途切れさせる。そしてその一回はまぐれだ、自分はついているはずだからとしつこく食い下がる客を負けに落として行き、奪われたチップをそっくり奪ってしまう。一度負けておりる冷静さを持つ人間ならば、シンタローも深追いせず、次の挑戦者と五分五分な勝敗に持っていく。
テーブル上をコントロールするだけなら、カノ以上と言ってもいい。しかもイカサマをせずとも普通に引き寄せる力はあるのだから、セトは困っている。
分かってくれればいいと思いながら時計を見た。そろそろモモのステージの時間、ゲームをする人間は格段に減る。毎日ステージ前に休憩をねじ込んでいるシンタローの思惑が見え見えで、セトは何度目かのため息をついた。

セトの注意から何日か経った。五、六人の客がテーブルを囲み、シンタローの手元を見ている。顔を見られるよりマシだが、シンタローはこの時間が苦痛で仕方ない。というか、なし崩しにこの道に入った身としては、この場所自体が苦痛だ。煌びやかな明るい光に騒がしい場、酒やタバコ、敗者と勝者。そんな鬱憤を晴らすために、調子に乗った客を叩き潰しているというのに。
しかしセトに注意されたときに流れとはいえしないと言ったため、最近シンタローはイカサマを控えていた。
時折向けられる視線が注意深く背中を撫でていくのが分かる。それを探し出して見返すこともせず、シンタローはカードを引いた。客が悩み、周りはヒットだ、いやいやここで降りるべきだと密かに言い合う。
客の手持ちは計十八、シンタローが破産するのを待つ手もある。けれど客はもう一枚と挑戦してきた。けれどシンタローが引いて渡したカードは、無情にもJ。シンタローが裏のカードを表にすれば、五。表にしていたカードは十で計十五。客の破産に、早々にチップは回収される。がっくりと肩を落とし、客は残念そうに椅子を立った。そして空いた椅子に座ろうとした次の客が、突然割り込んできた男に椅子を横取りされる。客は何かを言おうとしたが諦め、気分を害したようにどこかへ行った。注意しようかとシンタローは口を開くが、言葉は出ない。
それよりこんな客はさっさと終わらせてしまおうとカードを二枚配り、ゲームを始める。
早く帰れというシンタローの念でも通じたのか、男は四、五回のゲームで椅子を立ち、さっさとカジノを出て行った。不思議に思いはしたが、椅子に次の客がついてすぐにまたゲームが始まり、シンタローはその男を忘れてカードを配る。
背中に刺さる視線が、鋭かった気がした。

キドがでは、と開店前の業務連絡を告げる。夜も更けてきた頃となると自然と眠くなってくる。しかしアクビでもしようものなら飛んでくるのは叱咤ではない、キド直々の鉄拳だ。
セトの隣でふわあとアクビをしたカノはゴッという音とともに床に沈む。キドの手から書類で膨らんだファイルが消えていた。

「最近カジノでディーラーを脅す強盗がいるらしい。ナイフで脅してチップを根刮ぎ盗っていき、それを換金して逃げるという強盗だ。各自気を付けるように。特にシンタロー」
「なんでだよ!」
「……俺が強盗なら狙うからだ」

暗に女でも簡単に脅せそうだと言っていることに、キドは気付いていない。むしろこれでもオブラートに包んだ方だろうが、シンタローには意味はなかった。悪かったな貧弱そうでとぶつぶつ文句を言うシンタローをモモはうわあという顔で見、エネはシンタローのケータイからけとけとと正しくですね!と声をかける。

「まあ、とにかく気を付けろ。そこの寝ているバカは玄関マットにでも持っていけ、では解散」
「おーい、生きてるかカノ。起きねえと玄関マットでヒールに串刺しだってよ」
「わ〜、なにそれ痛そう。代わってよケンジロウさん」
「嫌に決まってんだろー」

カノを立ち上がらせたケンジロウはじゃあ頑張れよとだらだらしながら全員を見送る。エネもいつの間にかケータイからパソコンに移り、ぱたぱたと手を振ってきた。
どんどん出て行く人の中、セトはシンタローを盗み見る。憂鬱そうに仕事に臨む姿はいつもと変わらない。

「シンタローさん、強盗気を付けてくださいね」
「そんなに狙われそうか……」

まあ、と濁しながら答えたセトに、シンタローはなにか刺さったかのように胸を押さえる。まだ仕事ではないからか、仕事中のとげとげした雰囲気はない。

「まあ、お前も気を付けろよ」
「狙われやすそうっすか?」
「……いや、うん、一応」

口ごもったシンタローはもういいだろとセトから離れ、テーブルに向かう。本当に心配していると、まさか思っていないのだろう。
叱られるから早く自分のところに行けと追い払うシンタローに、セトは苦笑する。開店になれば人が変わったように素っ気なくなるくせに、基本的には優しい。

「気を付けてくださいね」
「はいはい」

チップを入れていくシンタローの背中に繰り返すが、返ってくるのは適当な声。さっさと行けと振り返りもせず手を振る後ろ姿。
やっぱり分かってないと、セトは呟いた。

キドは拭いたグラスを戻していく。カウンターとはいえ、あまりこちら側に話しかけてくる客はいない。基本的に勝った人間とヤケ酒の人間に分かれるからだ。もっと奥の方にはテーブルが数個あり、そこで一人の客がウイスキーを瓶でヤケ酒をひっかけている。
奥まっているお陰で音は最小限に抑えられ、流している音楽の方が耳につく。休憩や雰囲気に飲まれた客は静かに飲み、勝った客はほくほくと勝利の美酒を飲んでいる。

「マリー」
「こ、溢してないよ……!」
「いや、そうじゃなくて」

帰ってきたマリーはびくっとトレイを抱き抱えて否定する。安堵している様子で帰ってきているのを見ればそんなことは一目瞭然なため、最初から疑っていない。違う違うと手を振り、キドは料理を渡した。今でもたまに派手にぶち撒けるが、常連は慣れているしマリーのあまりの謝りように文句も言えない。それでも言ってくる客には、エネの鉄槌が下る。具体的には電子機器という名のもの全てが壊れる。
やり過ぎでは、という言葉には耳を塞ぐ。足がつかないのならばいいのだ。

「これを三番に。ゆっくり行くんだぞ」
「分かった!」

大きく頷いたマリーは、本当にゆっくりと持って行く。手に持っている料理に集中し過ぎてこけやしないかハラハラするのも、悲しいがもう慣れてしまった。常連はマリーが無事に持ってくれば褒めたりデザートや紅茶を与えたりと甘やかす。従業員のはずが、いつの間にかすっかりモモに次ぐアイドルになっている。
ちら、と腕時計を確認すれば、そろそろステージにモモが上がる時間帯。そしてシンタローの休憩が終わる時間。会員制とはいえ、合言葉はするすると広がっている。この近隣の店は粗方その強盗に会い、しかもグループなのか証言者たちの顔は全員バラバラ。警察は今だ尻尾すら掴めていならしい。
ふと心配になるが、まあ大丈夫だろうとキドはステージの方を見る。シンタローを見ている番犬はちゃんと仕事をしてくれることだろう。アップテンポな曲が流れ、ステージにモモが出てくる。奥まっているせいで知られていないが、意外とここからモモの姿はしっかり見えるため、知る人ぞ知る穴場となっていた。知っている常連がカウンターに座り、キドに酒を頼む。目線がステージに集まるのを感じてよしよしと誇らしげに頷き、キドは酒を出した。

変な客だな、とシンタローはカードを配る。ステージに目もやらず、ただゲームをしてくる客はこの前順番を割り込んで来た男だとあまり顔を覚えないシンタローは思い出す。一々ヒットに時間をかけ、破産しても顔を崩さずに次を求めてくる。別にヒットするか考えているわけではなく、なぜかシンタローの様子や周りの様子を伺っている。勝ち負けを求めているわけじゃなく、時間を見計らっているようなゲーム。男が破産し、シンタローも破産、双方の破産はディーラーの勝ちとなる。男の手からチップがなくなり、シンタローはホッと息をついた。
もう終わるとチップを回収しようと手を伸ばした瞬間、突然その手首が掴まれる。男の不気味さに思わずヒッと悲鳴をあげたが、ステージの音楽に掻き消され、幸いにも聞かれていないようだった。

「あ、あの」

シンタローは男の顔を見てゾッとする。にやにやと嫌な笑いを貼り付け、手袋をした手はシンタローの手首を離さない。じわ、と湧き上がる嫌な予感。キドが言っていたことが脳裏を過ぎり、まさかと青褪めた。そんなに狙いやすいかよと心中で毒づくも、誰も見ていない中ではどうしようもない。ナイフで脅す、という言葉を思い出すと刺されるかもしれない恐怖で体が竦んだ。

「すいませんお客様」

詰んだ、と絶望で涙が滲んだ瞬間、シンタローの後ろから声がかけられた。シンタローが振り返れば、先ほどまでバカラのテーブルに居たセトがにっこりと笑いながらこっちに近付いている。
その姿が見えたのか、男は笑みを消して余計なことを言うなと言わんばかりにシンタローを睨みあげて手首を離した。

「何かございましたか?」

いやちょっとね、と言葉を濁す男にセトはそうですかと近付き、シンタローの腕を引いてテーブルから出す。それに男はあからさまに顔をしかめたが、大丈夫ですよと言って椅子から立った。だがセトは男の腕を掴んで引き止め、男が訝しげな顔をした瞬間、突然思いっきり捻りあげてテーブルに男の上体ごと押し付けた。ガタンッとテーブルが動き、ぎしりと軋む。男は痛みにテーブルに押し付けられた顔を歪め、何が何だか分かっていない様子でぎょろぎょろと目を動かしていた。

「お客様、ご存知無いんですか?」

丁寧な口調がセトの口から冷たく言い放たれる。シンタローですら後ずさるほどのそれに、男はセトを退けようともがくのを止めた。セトはシンタローの腕を離して押さえ付けた男の腕を無理矢理下へ曲げさせ、折り畳み式のナイフを自分の手に落とす。それをひらりと男の目の前に見せ付けるように振ったセトはパチンとナイフを広げて見せる。

「ナイフ、及び刃物や凶器の持ち込みの一切を」

ズダンッと男の目の前、まさに瞼と一センチもない目の前に、ナイフが深々と刺さった。男は目を見開いて涙を流し、荒い息を唾液とともに吐き出す。セトは男からもナイフからも手を離し、笑顔を消した顔で男を見下ろした。

「禁ずるって、項目」

男はずるずるとテーブルから崩れ落ち、ヒッヒッと引きつった声しか出さない。それをコノハが突然襟首を掴んで引きずって行く。途中でごめんね、とシンタローに向かって告げたのは、コノハが今日の見回り役だったからだろう。
あっという間に終わった目の前のことに、シンタローは暫し呆然と立ち尽くしていた。夢かと思うような速さで去ったものは、深々と刺さったナイフと散らばったカードで夢ではないと証明されている。ドッと吹き出す極度の緊張感からの疲れに、シンタローはふらりとその場にへたり込みそうになった。しかし、それを許さない手が伸びて、シンタローの腕を掴む。

「分かってない」

怒りを込めた声が、鋭い目とともに向けられる。思わずビクッと肩が跳ねるほどのそれに、シンタローはセトにされるがまま連れて行かれた。聞こえるステージの音でセトの足音は掻き消されていたが、ぐいぐいと遠慮なしに引っ張られる腕にその荒々しさは容易く想像できた。
奥へと入ったセトに、テーブルはと問うこともできない。そのまま更衣室へ入り、セトはシンタローを振り向いた。シンタローの腕を離した手が肩を強く掴み、ドアへと押さえ付ける。

「いっ、た」
「刺されてたらこれくらいじゃないっすよ」

痛みを訴えてもあっさり切り捨て、セトはシンタローの目をじっと見た。怒っている、という感情にあてられ、シンタローは何も言えなくなる。珍しい、どころではなく、見たことがない。セトが怒っている姿など。

「言ったっすよね、気を付けてくださいって」
「言われた、けど」
「不自然な客ってことくらい分かったでしょう、なんでコノハさんに近くにいてもらったりカノと変わらなかったんすか」

肩がどんどん痛くなり、若干呼吸が乱れる。セトの手首を掴むが、さっきまでの恐怖を引きずっているのか力がまるで入らなかった。指先が痺れ、震えている。それとも、今が怖いのだろうか。

「怪我するかもしれなかったんすよ、なんで大丈夫って思うんすか」
「思って、ない」
「じゃあ人の言うことくらい素直に聞いてくださいよ!」
「素直に聞いたところでお前は見てるだろ!!」

大丈夫だなんて、一度としてシンタローは思ったことはない。強いわけがない、なにか出来るわけでもない。いざという時、無力しか感じない。
セトが怒鳴ったことで、シンタローの線が切れる。忠告や注意を聞いても、視線が刺さる。

「お前がっ、見なけりゃ……!」

セトがシンタローの言葉に肩にかける力を抜いた。残るじんわりとした痛みに、セトの手をぱしんと打ち払う。

「ずっとずっと見て、なんなんだよ!言いたいことがあるなら言えばいいだろ!いっつもいっつも注意ばっかで、言いたいことはなんだよ!」

心配されていることくらい分かっている。けれどそれとこれとじゃ話は違う。じくじくじくじく、夜中視線で刺されるそれを、どうしろと。

「言われなきゃ分かるか……っ」

どんっとセトの肩を殴り、シンタローはドアを出る。バタンッと勢い良く閉めたドアから一歩でも早く離れようと、シンタローは走るように外へ出た。制服のままだとか荷物を持ってきていないとかはどうでもよくて、ただただ肩が痛いということに思考が絡まる。
優しくして欲しいわけではない、怖かったかと聞かれたいわけではない、ましてや叱られたいわけでもない。ただ分かっていないと言うのなら、セトの方にこそあると分かってもらいたい。
シンタローは自分の流されやすい性格がこの職業に向いていないことを知っている。恐らく強盗の男は最初に来た時、テーブルにあたりを付けてああいう風に割り込みを行ったのだろう。注意する気の強いディーラーなら、もしかしたら刺されることを覚悟で助けを求めたりむしろ反撃をする恐れがある。けれど注意できない気の弱さなら、刺される恐怖に竦む確率は高い。
それぐらい、分かっている。そしていざそうなり、シンタローは竦んだ。カノのように誤魔化せない、コノハのような力もない、キドのように姿も消せない、モモのように目を集めたり、マリーのように相手を固まらせることもできない。
セトのようにも、できない。
半ば走るように出てきたシンタローは、駅前に出てやっと立ち止まる。まだまだ人の多い駅前はどこかホッとした。
迷惑をかけたくないと思うことも、迷惑か。人に、迷惑をかけたくない。
知らず食いしばっていた奥歯が痛み、シンタローは息を吐く。何もできないことは、酷く辛い。

セトはロッカーを背に座り込んでいた。前髪を手で掻き上げ、自分に向けてため息を吐く。先ほどまで強盗にあっていた相手に、なにをしているのだろうと。罪悪感に苛まれ、自己嫌悪に責め立てられる。
掴んできた手が震えていたことに気付いていながら、それでも激しく苛立った。どうして不自然と分かっていながら相手をしたのか、どうして気を付けないのか、なぜ分かってくれないのか。

「そりゃ、そうっすよね……」

言われなきゃ分からない。最後に言われた言葉にごんっとロッカーに後頭部を打ち付けた。素直に言えない奴が、素直に聞けとは、なにを言っている。
カードを配る手、その時に動く肩甲骨、ふっと肩越しに見える顔。好きなのだと、気付いた頃も覚えていないほど。
シンタローがここにいまいち馴染んでいないことも、ここを苦手と思っていることも、職業を気に入っていないことも知っている。鬱憤を晴らすように相手を叩き落としても、手持ち以上を取ってマイナスにさせることはない。自身が勝ち続ければ、わざと負けていることも知っている。
流されやすく優しい。心底向いていない。
がちゃ、とドアが開き、あららと呆れた声が聞こえた。セトが顔を上げれば、情けないと言わんばかりにため息をつかれる。

「シンタローくんはどうしたのさ」
「……逃げた、っすかね」
「ええ?うわ、荷物全部置きっぱ」

カノがシンタローのロッカーを開けて顔をしかめた。なにやってんの、と刺さる視線に、セトは何も言えない。

「テーブルに二人はいないし、シンタローくんのテーブルにはナイフ刺さってるし、コノハは知らない男をボコボコにしてるし?未遂でも強盗が入ったからって今日は店仕舞いだってさ。たぶん明日も休みだと思うよ」
「そうっすか」
「そうっすか、じゃないよ。シンタローくんに何したのさ、事と次第によっちゃ女性陣の前で洗いざらい吐いてもらうからね」

それは鉄拳が怖いと笑おうとして、セトは笑えなかった。開いているシンタローのロッカーには荷物が全部置かれ、服もかかっている。あの格好のまま、セトが放り出したに等しい。
黙り込んだセトに、カノはやれやれと首を振る。

「ほら、話してごらんよ」
「シンタローさんがあまりにも、で、その……責め、ました」
「え、なにやってるの?馬鹿なの?」

ぐさっとカノの言葉が降ってきた槍のように刺さり、セトは思わず膝に顔を埋めた。どこかにかけたケータイを耳に当て、カノはシンタローの荷物を漁る。繋がらなかったのかケータイを切り、持って行ってはいるみたいだねと少し安心したように呟いた。

「早く謝りなよ」
「うっす」

片付けてくるとドアを潜ったカノを見送り、セトは立ち上がった。開けっ放しにされているシンタローのロッカーを閉める。如月、と殴り書きのプレートにごんっと額を打ち付けた。

シンタローは憂鬱を咬み殺す。机の上には綺麗に畳まれた制服とメール画面を開いたケータイ。思い浮かぶのは置いて行った私物と服。
額に手を当て、起きたばかりの格好で悩む。服はいいとしても、財布は困る。鍵だって置いているせいで下手にどこかにも行けない。休みになれば基本引きこもりだが、間が悪く今日の夕方に代引きの荷物がある。配達を延期してもらえないこともないが、頼んでいるのは新作ゲーム。

「延期は、ない……」

思わず苦渋に満ちた声がシンタローの口から零れ落ちた。待ちに待ったゲーム、明日に配達を頼みたくとも夕方から仕事。仕事までに配達が間に合ったとしても、財布はない。となると届くのは明後日。そこまで待てる、生憎とシンタローには堪え性はない。
行くしかない、とグッとコーラを飲み干す。昨日の出来事が色濃く記憶に残っているせいで、仕事前だからという憂鬱ではない重たさが肩にのし掛かる。のろのろと着替え始め、ようやく着替え終えた時には、時計は二針とも頂点を指していた。
エネは昨日一晩ずっと無視を貫いてケータイにはいない。モモはマリーと遊びに行くと準備中。さっさと言ってしまおうとケータイをポケットに突っ込み、制服をカバンに入れる。玄関で靴を履いている途中でふと思い出し、キドにカジノを開けておいてくれとメールを送る。数分後にあっさりと了解のメールが届き、財布を持ったら飯行くかとシンタローは自分を奮い立たせ、外へと出た。

カノにも慈悲があったらしい。先ほどまでキドにこってりと絞られていたセトは、カジノの裏口を開けながら思った。これが女性陣全員で無かっただけ、大分マシだろう。他には言ってないから、と笑ったカノに感謝するしかない。
セトは中に入って、キドが言っていた時計を探しに休憩室へ入った。休憩室のに入って目に入った長机に、シンプルなデザインの腕時計が置かれているのをすぐに見つける。長針が三、短針が十二を指してちくたくと正常に動く。

「忘れ物なんて、珍しいっすね」

キドが好みそうなデザインで、確かにキドの腕にあったのを見たことがある。しかし腕時計なら何個か持っているはずで、わざわざ取りに来るべきものだっただろうかとセトはうーんと首を傾げた。
何はともあれ達成できたと休憩室を出ようとしたセトは、ふとがちゃんとどこかのドアが開閉した音を聞く。ドッと背中を流れ落ちる冷や汗に、いやいやそんなそんなとセトはふうと息をついた。エネのような存在がいるのだから、と捕らわれそうになる思考を払ってそっとドアを開けて隙間からするりと出る。音を立てないようにと静かに歩き、音の近さ的にここだろうと更衣室の前へ。
ガサガサとロッカーを漁っているかのような音に、強盗かと顔をしかめてドアノブに手を掛けた瞬間。

「服持って帰るのは面倒だよな……」

さっきの勘違いとは違う意味でドッと汗が吹き出す。ドアノブを握った手がパッと離れ、もう一度握ろうとすることを拒む。聞き間違えるわけがないシンタローの声に、セトの心臓は嫌な鼓動を響か、緊張で物音ひとつひとつがやけに耳について確かにそこにいることを知らせた。ドアが薄いということを今ほど恨んだことはない。
キドの腕時計などただセトをここに向かわせるためだけの言葉で、恐らくカノとキドからのお膳立て。時間をあまり置かない方がいいとは分かっているが、思わずその場に蹲りそうになる。

「こんなもんか」

荷物をまとめ終えたのか、物音が止む。セトはぎくっと震えるが、シンタローはもちろんセトに気付いているわけもない。すたすたと何の気取りもなく近付く足音に立ち竦んでしまえば、ドアが開くのは早かった。
とん、とゆっくり開けられたドアに、セトの足が当たる。

「あ、どうも……」

訝しげに顔を上げたシンタローが目を見開くのを、セトはへらりと引きつった笑顔で対応した。数秒の沈黙、その後、シンタローは顔を思いっきり歪める。素早く閉められそうになったドアに、セトはほとんど反射で動き、あ、と行動してから間抜けな声を上げた。
がつんっと衝撃が響く。びりっと伝わって目の奥も刺激する痛み、一瞬視界が揺らんだのは気のせいと思いたい。ついつい漏れ出そうになった声を飲んで押し殺せば、慌ててドアがまた開いた。

「ば、かっ、お前なにして……!」

反射でドアを掴んで挟まれた指は皮が捲れて血が滲む。シンタローがその手を見て罪悪感で押し潰されそうな顔をした。それに大丈夫と手を握ったり開いたりを繰り返すが、握る度に皮膚が突っ張って痛む。第一自業自得で、シンタローのせいではない。けれど完全にそうとは思えていないシンタローは、セトの腕を掴んで休憩室の方へ引き摺り込む。前と逆だな、と漠然と思いながら、シンタローが座れと指した椅子に座った。

「一応商売道具だろ、なにやってんだよ」
「ついつい考えるより先に手が、あいでっ」

無言でごすっと救急箱で額を小突かれた。バカだろ、と冷たく言い放たれて返す言葉もない。セトの前に椅子を持ってきて見せてみろとシンタローは手を差し出してきた。まさかそれだけのことでセトが緊張しているとは露ほども知らないシンタローは、ゆっくりと乗せられた手に痛いのかと小さく聞いてきた。痛いといえば痛いが、挟んだ時に比べればまだ平気な方だ。余韻のように残っているだけで、仕事などには支障はない程度。

「大丈夫っすよ」

大丈夫、と繰り返せば、シンタローは顔を俯けた。ぐっと唇を噛んで、セトの指を見る。
ごめん、と小さく謝られ、セトは苦笑した。先に謝られてしまった。

「自分が怪我しても大丈夫なくせに、他人はダメなんすよね」

迷惑をかけたくない、という過剰な気遣い気質。自分が黙れば大丈夫、我慢すればいいという思い。ならば一人でいいと思うが、一人にはなれないものがある。

「鈍いにもほどがあるでしょう」
「なんだよ、急に……」

他人の感情の揺れに疎く鈍いから、どうなれば迷惑をかけないか分からない。言わなくてはいけないことまで黙ってしまう。
厄介だなと思いながら、セトはとんとんとシンタローの手を叩いた。

「心配してるんです、だから頼って大丈夫なんですよ。もっとなにか言っても、大丈夫です。怪我しないで欲しいとか、なにかに巻き込まれて欲しくないんです。ただでさえシンタローさんは愛想がないんすから」
「一言余計な」
「多少なりとも、まだ昨日のことは許してないんで」

わざと誰も呼ぼうとしなかったでしょう。
セトの言葉にシンタローは視線を下に落とす。

「考え過ぎだろ……」
「仕事中だから迷惑だろうとか考えたでしょう」
「考えてない」
「いやもう、ほんっとシンタローさんのそれだけは腹立つんです。言わせてもらいますけど、そっちの方が迷惑っす」
「だから考えてねえってっ」
「じゃあ見ましょうか?」

シンタローが顔を上げてセトを睨むが、それに続く言葉はない。薄々ながら自覚していることを他人から突かれるのは、恥とも嫌悪ともつかない感情が湧く。

「シンタローさんが分かってないのは、自分のそういうところが周りには逆に作用しているってことっすよ」

シンタローの手を離し、セトは自分で手当てを始める。消毒液とティッシュ、湿布とテープを出して箱を脇に退けた。

「ただの一緒の職場の奴だろ」
「俺らは仲間だって思ってるっすよ」
「じゃあ仕事仲間」

捻くれてるっすねぇ、とセトは呆れて言ってしまう。シンタローがあからさまに顔を少ししかめるのを見るが、言葉を収める気にはなれなかった。

「シンタローさんのそういうのって、やけに関係性を淡白に見てるせいっすか。友人とか結局疎遠になるってずっと思ってるタイプっすよね。けど人より我が儘、と」
「なんかオレが面倒な奴みたいな……」
「みたいじゃなくて事実面倒っすよ」

はっきりと告げれば、シンタローはぐうの音も出ない。

「だから一度、俺と関係性を変えましょう」
「簡単に言うなよ」
「好きです、付き合ってください」
「……うん?」

なに言ってんの、とシンタローが固まる。分かりやすくぐるぐる考えるシンタローに、セトは顔を逸らして笑うのを堪えた。思った以上にシンタローにダメージが与えられていることに、顔が緩む。

「なんで見てるのか聞いたじゃないっすか、そういうことっすよ」

ついに堪えきれずに笑いながらそう言えば、シンタローは勢い良く立ち上がろうとして自分の足に引っ掛かって地面に倒れていく。がしゃんっと椅子も巻き込んでいるシンタローにセトは手を差し出したがその手は取られず、派手にこけたシンタローに小さく死にたいと呟かれた。

あれからシンタローはセトを振り切って速攻で帰って徹夜でゲームに没頭し、眠りについて起きれば仕事の時間を大幅に遅刻という大失態に苛まれた。なぜか理由を大まかに知っているキドがお咎め無しにしてくれたが、向けられた視線と労わるような微笑みは明らかになにかを誤解していた。あんな微笑みをもう向けられることもないと思うが、シンタローとしてはトラウマ一歩手前くらいの位置するものになった。
そしてやっとそれが薄れてきたのは一ヶ月以上経ってからだった。
シンタローはカードをセットし、チップを出した。早めに終わったキドの話のお陰で早くに準備が終わり、くあ、と思わずアクビをする。暇に任せてカードをきって広げては戻して戯れにカードを弄ぶが、しばらくすると飽きてしまい、トランプの束を脇に置いてテーブルを拭いた。
まだ開店に十五分、暇を持て余す。

「そんなに暇なら俺とお話ししませんか」
「うっわ、出た」
「カノみたいな扱いしないで欲しいっす」

カノが来ようとセトが来ようと、厄介度でいえばどちらも同じだろう。こうして度々シンタローのところに来ては話をしようと持ちかけられることが毎日。よく飽きないなとシンタローはセトにしっしっと追い払うために手を振った。

「邪険にされても諦めないっすよ」
「今すぐ諦めてくれよ、オレの精神のために」
「無理っすね」

爽やかに告げられ、色々と参る。毎日のようにこんな会話が繰り返されては時間が過ぎる。無駄な時間だなと思うが、シンタローが暇している時にだけ見計らったように来るのだから、どうも拒みきれない。
最近ではまあいいかとシンタローの方に諦めが入っている。それをセトに言えば嬉しがることは分かっているため意地でも言う気はないが。
ところで、とセトが不意に真面目な顔になる。

「シンタローさん、この間の告白の返事が欲しいんすけど」

最近では許容してきたが、一つ苦情を言うならこの催促だなとシンタローは気付かれないようにため息をついた。あまりにも毎回聞いてくるからしつこいと伝えれば、そうじゃないと答えないでしょうとあっさり言われたのは記憶に新しい。
確かにそのままなかったことにしていただろ。むしろシンタローとしてはそうしたかった。

「そんなくだんねえこと言ってないで開店準備しろ」

拭き終わったテーブルに、布巾をパッと広げて畳む。
いい加減面倒だなと適当に返したせいか、セトはあからさまにムッと顔をしかめてシンタローの腕を取った。

「くだんなくないっす」

セトの真剣な雰囲気に飲まれそうになるが、シンタローはセトの手から逃れて近付いた距離を離した。ため息をつき、カードを取る。下らないし、面倒だ。関係性をそこまで変えるくらいなら、もっと順序を踏め。

「じゃあ、このトランプで」

テーブルに一気にカードの山を引いて並べる。綺麗に弧を描いたカードの真ん中に指を当て、スッと一枚引いて表に向けた。
大きな模様を取り、セトの胸をそのカードで叩く。

「オレに勝てたら、告白の返事でもなんでもしてやるよ」

ふっと笑って、シンタローはセトを見た。このゲームに乗るだろうということは、容易く想像できる。あれだけ催促されれば自覚せざるを得ないだろう。
そして予想通り、セトはシンタローの手からカードを取る。

出された条件にセトは唸りそうになる。しゃっしゃっとカードをきって、シンタローは二枚をセトに渡してきた。
条件は、どちらも破産すればシンタローの勝ち。もしイカサマをされた場合、イカサマをちゃんと指摘できればシンタローの負け。けれど能力は使わない。
たった一回勝負。

「どうしますか?」

丁寧に尋ねてくるシンタローに、セトはカードを裏返した。テーブルに置かれるカードはシンタローのと合わせて四枚。セトのものは二と三、シンタローのものは五と四。五と九。
ヒット、と告げれば一枚滑るように飛んできた。それを受け止めて裏返せば、九のカード。シンタローもヒットし、三のカード。十四と十二。
八から上は破産、けれどここで止めてもシンタローが破産する可能性は低い。
セトはブラックジャックが苦手だ。大丈夫だと思っても突然破産する、逆に保身に走れば負ける。ディーラーは十七を越えるまでヒットを止めてはいけない。逆に言えば十七ぴったりが出れば止めなければいけない。限られた数字でシンタローは勝って負けて、けれど勝利したことの方が多いだろう。たった一枚で、勝敗が大きく左右される。

「ヒットで」

シンタローがカードを引いて渡してくる。嫌な緊張感だなとセトはカードを裏返した。
六のカードが現れ、元の三枚と並ぶ。計、二十。安堵の息が落ち、セトはシンタローの手元を見る。
そしてシンタローがカードを引いて裏返し、セトは顔が引きつるのを感じた。
十のカード。計、二十一。
ブラックジャック。

「マジっすか……」
「お前が言ったんだろ」

シンタローはくつくつと悪どく笑い、目を細めてセトを見る。

「イカサマしなくても、オレは強い」

そこを素直に聞き届けられているとは思っても見なかった。テーブルについたセトの手には力が入り、血が止まって指先が白くなる。

「で、どうする。ヒットしますか、それとも敗者になりますか?」

いつの間にかシンタローはカードを引いてセトの前に持ってきた。見たことのない笑顔は、今でなければ見惚れたかもしれない。だが現在の状況では人の不安と挑戦を一緒に煽る厄介な顔でしかなかった。
破産しては負ける、このまま降りても負ける。しかしヒットしたところでAのカードが来る可能性は低い。
けれど負ければ答えてはもらえない。それは、困る。
シンタローがセトの言葉を待ちながら腕時計を見た。あと五分、とは開店までの時間だろう。

「ヒット、」

シンタローがカードを差し出してくる。
どく、と嫌に心臓が大きく響いた。

「しません。降りるっす」

その手を止め、セトは顔を上げる。シンタローの意外そうなきょとんとした表情が不意にどんどん冷めていき、詰まらなさそうな無表情へと落ち着いた。それはどこかを抉るような、興味をなくして行く顔。
自分のカードを山に戻し、シンタローは早く戻れよとセトに声をかけた。

「俺は負けっすか?」
「計算できるか?」
「できるから、言ってるんすけどね」

ふっとセトは笑い、シンタローは訝しげにセトを見る。

「二十一」

カードでシンタローの胸をとんと叩いた。ひらりとテーブルに落ちたカードは、大きな模様一つ。シンタローがこれで勝てとセトに渡した、最初のカード。

「スペードの、A……」

シンタローは呆然とそれを見詰め、呟く。回収し忘れたのはシンタローであり、セトは元々渡されたカードを計算したに過ぎない。

「Aは十一にもなるんでしたっけ。でもそれだと破産するんで、一で、数えてください」

にこりと告げたセトにシンタローはくっと少し笑う。そして山に戻していなかった最後に差し出してきたカードを裏返す。

「……どういう」
「さあな」

ハートのAをシンタローは山へを戻す。
弄ばれた気がして、セトは客用の椅子に座り込んだ。ヒットするか、しないか。シンタローの手のひらの上で転がされていた脱力感。テーブルに突っ伏してセトは深々とため息をつく。その頭をシンタローは数回叩き、あと二分と嘆かせる時間を与ず告げる。

「戻るっす……」
「オレのおもちゃお疲れ」
「ああああ言わないでくださいい……っ」

シンタローが愉快そうならばいいかもしれないと思ってしまう自分自身にも、セトは内心で頭を抱える。
もう今日は勝てる気がしないとセトは椅子を立ち上がって自分のテーブルへと戻ろうとした。しかし支えるためについた腕の肘をとんっと手刀で折られ、がくっとセトはテーブルに倒れかける。

「ちょ、シンタローさんなにして」
「ある意味お前が勝ったから半分答えてやる」

危うく打ちそうになった顔を上げようとすれば、シンタローの手が押さえ付けて顔を上げさせない。

「視線一つが気になるほど、オレはそんなに視線に慣れてないわけじゃないぞ」

その言葉の後にすぐに離され、やる、とスペードのAを胸ポケットに入れられる。尋ね返す暇もなく客が入ってきたため、セトは慌ててテーブルに戻った。流されるままにゲームをし、勝ったり負けたりを繰り返す。
そして開店から一時間ほど経った頃、やっと言葉の意味が追い付いたセトが動揺のあまりゲーム中にカードもチップも全てぶちまけたのを、シンタローは腹を少し押さえて肩を震わせた。震える手でそれを掻き集め、セトは真っ赤な顔でその背中を睨み付ける。
視線は、まだまだ交わらない。
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