132 | ナノ
シンアヤ

階段を登る。登る。空に近づく気配。空気が薄くなった気がして、大きく吸い込んだ。誰もいないしんっとした段差、登る登る。
途切れた段、手摺を掴む手が、外への引力で外れてしまった。踊り場でくるり、ヒラっと広がるスカート。たすんっ、と上履きが鳴る。
赤いマフラーを巻き直して、さあ胸を張れ。幕は鉄のドア、小道具大道具なし、この身一つ。息を正してタンタンタンッ。

「シンタロー!」

がちゃんと鉄の幕を開けば、舞台には一人。黒い目がこちらを見て、またヘッドフォンに没頭。あら、ひどい、なんて頬を膨らませる。また呼び掛けても目もくれない。
近付いて側にしゃがみ込むと、邪魔そうに顔をしかめられた。傷付いちゃうな。なんて思いながら、ヘッドフォンを掠め取る。あ、と私のたった一人の相手役はやっと声を出した。

「具合が悪かったんじゃないの?」
「煩い、返せ」
「ダメでーす。うわ、音おっきい!」

仮病なんて、分かっているけどね。気になるのよ、何をしていたか。気になるのよ、君の時間が。きっと言っても、変な顔をされるだけだから、口を縫う。赤い糸で、縫って、赤い色で、塗って。傍目からじゃ分からない。
取ったヘッドフォンをつけると、ぶわっと音が溢れる。ぐあんと鼓膜を太鼓に見立てられたみたいな、衝撃。血液に響くようなギターの音。よく、こんな音の中、外の私の声を拾えたものだ。激しい音の雨。豪雨だ、台風で、にわか雨。
スッと音が急に消えて、シンタローの手元にiPod。ヘッドフォンが取られて、助け出される。

「耳悪くなっちゃうよ、シンタロー……」
「結構なことだな」

シンタローが嫌な笑顔で曇り空を見る。雨は降らないと言っていたけれど、不安になるような空。シンタローに似合っていて、すごく、嫌。
今すぐ晴天になって欲しい。天井はいらない。

「どっちかと言えば、目でも良い」
「シンタローは、眼鏡、似合わないと思うなあ」

似合わないよ。シンタローがふと馬鹿にしたように笑う。そういう意味じゃないんでしょ、知っているよ。でもあまりに寂しいから。
ここは舞台で、私は傷付かない。それでも君は傷付く。

「でもシンタローが眼鏡見たいなら、眼鏡屋さん行こうか」
「行かねえよ」

シンタローがそっぽを向く。揺れる髪に、伸びてきたなあと気付く。思わず髪を引っ張ると、シンタローがかくんと首を動かす。睨まれて、えへへと笑う。
恵まれているなんて、シンタローに思ったことはない。頭はいいけど、憎むものじゃない。私はお母さんがいない、シンタローはお父さんがいない。お互い妹がいて、弟が私にはいる。違うところを見ないで、同じところを見ませんか。そうやってダンスに誘っても、きっと手は取られないけど。
ねえ、楽しんで。

「ねえ、シンタロー」

ヘッドフォンをまたつけたシンタロー。呼びかけても、視線一つ、与えてくれない。
聞こえていない。

「今日ね、誕生日でね」

聞こえないから、ぽろっとヒビ割れた心が、欠片を喉に転がらせた。冬になりかけ、寒い風。外にいるシンタローの手は真っ赤で、私はマフラーをしているから、マシ。握りたいな、握っちゃダメだろうな。
シンタローが私に許してくれることは少ない。

「お父さん、忘れちゃってたんだあ」

何も言われなかった。誕生日にそこまで期待していたわけじゃないけど、まったく期待していなかったわけでもなくて。弟も妹も、三人とも朝早くから祝ってくれたけど。
お母さんのケーキは、あんまり美味しくないけど大きくて。お料理はいっぱいで、食べ切れなくて。
切ないなあ、悲しいなあ。ひっそり、泣きそうで。

「シンタロー、笑って……」

舞台だから、偽物でいいのに。それだけで最高なのに。きっと来年、私はいないから。そう決めているから。
泣かないよ、舞台だもの。笑顔でいるよ、喜劇だもの。

「シンタロー、帰ろう」

肩を叩いて、時計を指す。シンタローがくらりとゆっくり私を見る。もう四時半で、大体の人影はいなくなっている。手を繋いで帰ろうよ、なんてふざけて言ってみると、嫌だと即答。

「じゃあ、どこか行こうよ」

寄り道、道草。いつも敢えなく失敗している。それでも誘うのは、なんでかしら。
教室の鍵を取り出して、さあさあ幕を閉めましょう。そしてまたまた新しい幕。

「どこだよ」
「……コンビニとか!」
「分かった」
「え、なにが?」

シンタローが私から鍵を取って先に行く。はて、彼はなにが分かったのだろう。もしや宇宙の真理だろうか。
なんて。

「行ってくれるの!?」

嫌なら良いと顔が言うから、思いっきり首を振る。しまった、もっといい場所行っておけば良かったと今更後悔。
舞台舞台、君は笑わない。階段を下る、降りる。
どういう風の吹き回しだろう。それともどうにも風邪の引き始めだろうか。

「……ねえ、奢ってって言ったら、困る?」
「……」

すっごく渋い顔。ヘッドフォンから音は漏れない。あらあら、これは。
高嶺の花にダンスを申し込んだような、優越感とか、緊張感とか。シンタローに高嶺の花なんて言葉、可笑しいけど。
聞かれちゃったなと、顔が熱い。まるで子供みたいな、お父さんが誕生日忘れちゃってて寂しいとか。わあ。
走り去りたいけど勿体無くて、結局シンタローの後ろに引っ付く。

「シンタロー」
「……」
「シーンーターロー」
「なに……」

めんどくさそうな、実際めんどくさいんだろうけど、声が答えて。振り返った顔になんて言おうか忘れちゃって、何も言えなくて何でもないと首を振って。
幕は、はて、どこだっけ。

「……っ変な顔すんな!」

シンタローの突然の大声にギョッとしてしまった。顔ってなんだと取り敢えずマフラーで半分隠す。

「っし、してないよ?」

噛んじゃった。シンタローじゃあるまいし。
なんだか変な沈黙が流れて、シンタローが耐え切れずにばたばた降りて行く。ケーキ買ってよ、あんまんでもいいよ、お菓子でもいいな、あったかい飲み物も捨て難い。
でも全部もういいかもしれない。

「……?か、顔あつい……」

真っ赤な耳はもう遠くって、勿体無くって、なんだか悔しい。
シンタロー、赤似合うね。なあんて、ね。


御影石の上に、袋からどさりと出して並べる。ケーキとかあんまんとか新商品や季節限定のお菓子とかあったかい飲み物とか。
からりと晴れた空、寒い風がひゅくりと吹いている。風で表面が削れたのか、凍って砕けてしまったのか、夏はちかちかしていた葉はくすんでひらひら。

「おめでとう」

言えなかった言葉を贈る。今更だけど、今更だから。集めていた漫画の続きとか、欲しがっていた髪ゴムとか。
灰色は賑やかに飾り立てられる。

「好きだった」

お前が生きていたら、好きだって気付いたんだろうか。それとも気付かないで、お前が結婚するのを眺めていたんだろうか。楯山の字は、変わっていたんじゃないか。
今更だなあ、今更でもさ。
マフラーを外して墓に巻く。

「オレは、ヒーローになれたか?」

元ヒーロー、もう寂しくないか?
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