119 | ナノ
親子

叫ぶような泣き声が、森にくわんと響いている。喉がぴりぴりと痛んで、その内声が嗄れてしまうだろう。キョロキョロ焦っているツキヒコが名前を呼ぶ。ツキヒコの声に気づいてほしいと、もっともっと泣き声が大きくなる。
こっちに来て。
早く見つけて。
草を掻き分けて進む。声が大きくなる。
緑のなかで、絶対に忘れない姿。

「シオン、おいで」

両手を広げて招く。ひっくと肩が跳ね、上がった顔がくしゃりと歪む。不安で折った膝をふらふらと立たせ、シオンが起き上がる。お母さんと呼びながら、コケそうになりながら腕の中まで走ってきた。
ツキヒコが後ろから来てホッと顔を緩ませる。わんわん泣くシオンを抱き締めて、背中を何度も叩く。
愛しい我が子を安心させる。

ずっとこんな日が続けばいいのに。

シオンはくるくると巻き戻る時計を眺める。デジタル数字はかしかしと音を立てて一まで戻り、ゼロを見せる。世界がやり直されていく。

「親が子供を愛するのは、なぜだと思う?」

まるでナゾナゾのように気さくに尋ねられ、アザミは巻き戻る数字から目を離した。シオンは数字を見たままで、その横顔は穏やかだ。記憶のなかの子供とは違う、それを実感する度、アザミはぎりぎりと罪悪感に苛まれる。

「自分で産んだから、ではないか」
「そうね」

他人事のような答え方だった。シオンのなかには別の回答があって、アザミの答えはそれと違ったらしい。

「私は女だから、だと思うわ」

にっこりときれいに微笑んで、シオンはアザミを見る。身長差が生まれてしまったなとアザミはぼんやり思う。見上げるような位置に、シオンの顔はある。不老不死の自分と、僅かでも薄まった血を持っているシオン。緩やかに緩やかに、成長する女性。

「女は無意識に自分が好きなの、そして自分を肯定するような言葉が多い。だからね、女は自分の細胞から産まれた子供が愛しくて可愛くて大好きで、愛してしまうのよ」
「よく、分からん」
「そお?」

シオンは子供みたいに首をこてりと傾げた。
立っていることに煩わしさを感じたのか、シオンはその場に座り込む。アザミもそれに習い、座る。
ざわっと空間が揺れて、二人はいつの間にか暮らしていた小さな家のなかにいた。二人は向かい合って座いる。本棚から溢れた本が床に積み上げられていくつもの塔を作り、二人でも狭いように感じさせる。

「そして男が子供を愛するのは、愛する女の細胞だからなのよ」
「随分な綺麗事だ」
「文学的でロマンチックじゃない?」
「それは浪漫がどうこうの問題なのか。それに、愛さない者もいるだろう」
「子供を愛さない人はね、無意識的な考え方が違うのだと思うわ。自分の愛せないところが子供として産まれてしまったと、そう思っているのよ」

遠い目をしてシオンは窓の外をふと見詰める。アザミははたと十年ほど前にやって来た、色素の薄い少年を思い出した。そして水着の少女、自分の孫。

「我の目には、もういない」
「ええ、知っているわ」
「愛とはなんだ」
「なんでもないわ」

シオンのすっぱりした言葉に、アザミはぎょっと目を見開いた。何十人と考える問題を、なんでもないと言う。さっきまで愛を語っていた口で。
シオンはアザミを見て小さく吹き出し、くすくす笑う。

「ええそう、なんでもないの。感情でも思考でも脳でも、ハートでもないの。形も言葉も、本当は世界中のどこにもないのよ」
「......」
「ふふ、そんなに面白い顔しないで。だからね、愛って軽々しく伝えられるものじゃないの。与えられるものでも、与えるものでも、簡単にはいかないわ」
「人間に、毒されすぎだろう」
「お父さんの血は毒?」

シオンの言葉にアザミはぐっと黙る。
アザミの脳裏にシオンと同じ色の男がよぎった。

「あるからといって、あるわけじゃないの」
「分からん」

ぼんやりとしている宙ぶらりんな言葉。アザミは不明確なそれから顔を逸らすように、シオンからも顔を逸らした。なんだか図星をつかれたような気分がアザミをくわりと襲う。

「いいえ、お母さん。お母さんは私を愛してくれたでしょう?」
「それは違う、蛇だ。目をかける、蛇だ」

シオンがアザミの答えに悲しそうに一瞬だけ笑った。

「女は自分が好きで、男は女が好き」
「なんだ、それは」
「女は自分を綺麗にしてくれる男が好きで、男は綺麗になってくれる女が好きなのよ」

変な話だとアザミは思う。
シオンはにこにこと笑い、膝に置いていた手をテーブルに乗せる。

「お母さんは綺麗よ、とても」

それだけを言って、シオンは口を閉ざした。目も閉じて、まるで眠っているように。

ツキヒコは泣き疲れて眠ったシオンを抱き、森を歩く。しきりにごめんねと言う声。家が木々の隙間から見えてくる。

「アザミには敵わないね」

なにがとは言わなかったが、分かった。とん、とん、とシオンの背中を、ツキヒコは優しく叩く。
身長には大きな差ができた、顔つきが変わった、手も足も大きくなった。彼は老いていく。

「私を呼んでいたからな」

ツキヒコが苦笑う。シオンが大声で涙ながらに叫んだ声。

「母親は強し、か......。妬けるなぁ」

ツキヒコが呟いた言葉に、なにも返さない。

ずっとこんな日が続けばいいのに。
確かに共に願った彼は、老いていかずに、置いて往った。
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