114 | ナノ
カノマリ

隣の温度と手を繋げれば良いな、隣の温度が触れてくれば良いな、隣の温度が、一緒に居てくれると良いな。

夏真っ盛りとなると煩わしく感じる蝉がやっと最近鳴き始めた。そうなると静かだった夏が一気に暑さを増して加速しているような気分になる。ああ夏かと強く実感し得るのはやはり聴覚に強く訴える蝉だ。じわじわと羽音が広がり、大合唱を繰り広げる。
暑いなと皮膚に痛いほどの陽射しを手で一時遮った。薄手とはいえ長袖、耐えきれなくなってくると少しだけ捲る。それに感じる敗北感はもう慣れた。コンビニで雑多に放り込まれている一番安い短いアイスをかじる。これでもかと熱気をもあっと届ける風。日陰に居ても汗は止まることを知らない。欺いて涼しげに見せることも可能だが他人にそう見せるだけで体感する温度は全く変わらないのだから不便極まりないものだ。
暑さで若干溶けたアイスが食感を変える。このままでは夏にはキツいただの甘過ぎる液体へと変化しかねない。急いで食べると口内と喉は涼を得る。

「ズルい」
「......こんな炎天下じゃズルいも何もないんじゃない?」

木の棒を口にくわえたままぼんやりとしていれば横からひっそりと文句が飛んでくる。見ると少しむくれた顔が僕を見ていた。日向で見ると眩しいほどの白い髪は日陰で落ち着いている。持っている紙袋を両手で大事そうに抱えているマリーの後ろに、一緒に居たはずの仲間が居なかった。

「キドたちは?」
「他で買い物があるって。カノとゆっくり帰ってきたらって言われたの」
「それはそれは」

お節介どもめ。そうぼやきそうになるがマリーの手前飲み込む。気を使いすぎじゃないだろうか。
じゃあ帰ろうかと紙袋をマリーの腕からすぽりと抜き取って歩き出す。持てるよと慌てて追いかけてくるマリーの声は聞かない。後ろから聞こえないふりをする僕にマリーが少ししゅんっとする。

「なあにしょんぼりしてるのさ」
「だって無視するから。持てるよ」
「じゃあ転けて中身ぶちまけても泣かないでね?」

そう言ってみるとむつりと黙り込まれた。なにを言えばいいか迷っていた顔が僕を見てへにょりと眉をハの字にする。僕を見てそんな顔しないで欲しい。

「意地悪言った、ごめんね。男はこういうの持ちたがるもんでね、仕方の無い生き物だから」

そう言えばマリーはやっと頷いて隣を歩く。
熱中症対策のためか大きな帽子が頭に乗っかっている。子供が横切る度にびくりと大袈裟に震えて僕の方へに寄ってくるのはさすがにそろそろ治した方が良い。

「何買って貰ったの?」
「紅茶とお皿、あと本」
「ああどうりで、意外と重い」

二重になっているお陰で分かりにくいが確かに本のような形が窺える。会計の時一緒に詰めてもらったのか。マリーは持ちたがっていたが、途中で腕が痺れて結局持てなくなるのがオチだっただろう。
舗装された歩道がアスファルトに引かれた黒ずんだ白線だけになる。車道側で暑いとふらふらしているマリーを引っ張った。どうしたのとマリーがじっと見上げてくる。

「あんまりふらふらしてひいひい言ってると轢かれるよ」
「ひ、ひいひいは言ってない!」
「今言ったじゃん」
「......っ!」

反論したいけど確かに言ってしまっている、マリーははくはくと口を動かしてべちんっと僕の背中を叩いた。大して痛くなかったけど反射で痛いと言ってしまう。あははと笑えばカノの馬鹿と何度もぷちぷち罵られた。

「まあふらふらしてることは否定しなかったね、疲れた?」
「......ちょっとだけ」
「あっついもんね〜。どっか入ろうか」
「え、そ、それは、あの」
「あ、マリーの残額に割り勘は期待してないから。奢る奢る」

期待していないの下りでガンッとショックを受けたようだったが、休憩したいという欲求に勝てず大人しく不満そうにありがとうございますと固い声で告げたマリーの顔。ついぶはっと吹き出してしまいそうになったほど不満そうだった。まあ今だ月ワンコインに期待しろと言う方が無理だ。

「どこが良い?」
「どこでも......」
「そんなこと言っちゃう子には服屋に押し込んで店員に任せてきちゃおっかなー」
「あそこのカフェ!カノ、あそこのカフェ!」

真っ青になったマリーがびしっと指したカフェに向かう。はあはあと息が軽く乱れるくらいの勢い、マリーは僕の背中に外じゃなかったら今にも石にしていただろう殺気を揺らめかせた。そんなに嫌がられると苛めた甲斐がある。
いらっしゃいませと落ち着いた声。ドアを押し開けた瞬間ホッとするような冷気。マリーがその冷気に当てられてふはーと殺気を全部どこかへ流す。

「なんか習慣になってるよね、カノと帰るの」
「まあ女王さま時代からの飽きるほど長い付き合いだからねえ」

また背中を叩かれた。今度はむっつりと無言だからさっきの殺気も全部流れたわけでも無いらしい。

「あの夏から早五年、感慨深いよね」
「なんかおじさんっぽいよカノ」
「おじさんって言われるのはヒビヤくんだけで十分」
「相変わらず仲悪いの?」
「悪くない悪くない、良好すぎて困っちゃうほどだから!」
「じゃあヒビヤくんはカノが鬱陶しくて困ってるんだね」
「言うようになったねマリー」

空いた席に二人で座る。店員からお冷やとおしぼりが素早く出された。ビニールを破く。

「最近どう?」
「可もなく不可もなく、セトと同じでバイト三昧」
「カノもバイトするんだね」
「え、どういう意味」
「なんか......女の人の所に居そうっていうか」
「ヒモとか、酷い......っ」
「え?なんで急に紐の話?」
「ああうん、なんでもない」

誤魔化すようにメニューを広げるとマリーは紅茶を指差す。アイスかと思ったがホットらしい。こんな気温でよく頼もうと思えると呆れたが、寒がりなマリーにしては店の冷房は利きすぎているくらいだと気づく。

「家に帰ったんだって?」
「アジト、もうあんまり誰も使ってないでしょ?カノも出ちゃったし」
「もう皆がたまに集まるくらいの場所だよね」
「キドもやっと出るって決心したんだって。良い機会だから」
「街で暮らさないの?」

キドはマリーに譲るつもりだったらしいが、マリーは森に帰ると言った。そしてアヤノ姉が今住んでいる。てっきりもうマリーは街に根付くと、誰もが思っていたのだ。
マリーは困ったように笑って一瞬言葉に詰まる。

「受け入れても生きる時間が加速する訳じゃないから」
「まあ確かに」
「それにお母さんが残してくれた家だし」
「寂しくない?」
「寂しい、悲しい、苦しい。出来ることならまた、繰り返したいほど」

苛めのような言葉に、マリーの目がスッと細くなる。素直な言葉がするすると蛇みたいに吐き出された。それに面食らう前にパッとマリーの顔が笑顔に変わる。

「できないけどね」
「皆分からないのに?」
「シンタローが居るから。きっと弾いてももう誤魔化せないよ」
「厄介な存在だね」
「カノもだけどね」

店員が紅茶を持ってきた。マリーがわたわたとお辞儀をする。

「分からないふりをして、見てるんだから」
「気づいて欲しくなかった?」
「うん」
「でも気づいちゃうんだよね、これがまた」
「気づかないでよ」
「また無茶を言うね〜」

一口飲んでマリーが微妙な顔をする。どうやらお気に召さなかったらしい。お菓子と紅茶には煩いからなあ。
なにかまた頼むかとメニューを出すけど首を振られた。

「気づいて欲しいことには気づかないのに」
「聞き捨てなら無いなあ、ちゃんと気づいてるよ?」
「例えば?」
「お手製のルーズソックス」
「覚えてて欲しくないこと覚えてるところも厄介!」
「ぶっ、くく、いやいや可愛かったよ?」

がちゃ、とマリーは少し乱暴にカップを置いてぎろっとピンクの目で睨む。目元が少し赤くなっている。

「まあ戻るけど、別に僕は良いと思うけどね」
「なにが?」
「繰り返すこと。感じ方の違いではあるけどね」
「そうは言ってもね」
「例えばそれが誕生日プレゼントだって言ったらどうする?」

マリーがきょとんとした顔をする。

「マリーの気が済むまで世界を繰り返せば良い。それに影響される人間を一人に絞ればバレることも無くなるんじゃない?元々は三人だけっていうことだったんでしょ?」
「それは、そうだけど」
「人数が増えて亀裂が入って広がってしまったと考えると人数を減らすってことは良い考えだと思うんだけど、どう?」
「どうって」

しばらく僕から視線をはずして考え込む。けれどそこまで時間はかからずマリーはうーんと唸った。

「要らない」
「残念、協力するのに」
「協力って」
「いや、セトのバイトを調節して」
「え、まだセトのこと好きって思ってたの......?」
「あ、違うんだ。でもモモちゃんと恋ばなしたとか自慢してたし、居ることには居るんだよね」
「居るけど......」

なんで気づかないかなあとマリーがぼやく。

「コノハ?ヒビヤくん?もしやシンタローくん?まさかまさかのケンジンロウさん?」
「言った人、全員違うよ」
「き、キドとか......?」
「違うよ!なんでそうなるの?!」

マリーがぎょっと目を見開いて否定する。だよねと言いつつはてと首を傾げた。マリーの行動範囲を考えると僕ら以外の人間とは思えなかったんだけど。急な広範囲にうーんと唸る。
はたと考えるのを止めてマリーを見ればタコみたいに真っ赤な顔で睨んできていた。なんでカノが入らないのとか何だとか、僕に対するよく分からない不平不満が漏れている。

「なんか失敗した?」
「......どうせプレゼント買ってないんでしょ」
「あ、バレた?去年大分被ったからさー」
「ここの代金だけで良いよ......」
「ここが美味しかったらそれも考えたけどあんまりだったんでしょ?帰りになんか買うよ」
「......変なの買わないでね?」
「え、そんなに期待されてるの?お答えしようか?」
「要らない!」

マリーが全力で首を振る。そこまで信用無いなんて、ショックだ。
本当はあるんだけど、渡せるわけもない。
マリーがちびちび飲んでいたカップを取って飲み干す。すっかり冷めて温くなっていた。

「そろそろ出ようか」
「うん」

紅茶の代金だけ払ってさっさと出る。冷房のお陰で冷えきった体は夏の気温の中を平気で歩かせた。

「繰り返さなくて良い?」
「まだ引きずる......」
「まあまあ」

嫌そうに聞くマリーを宥めてショーウインドウを眺める。

「マリーを看取るまで根気強く繰り返されてあげようか、ってプレゼントはどう?」
「......上から目線で嫌だ」
「あはは、フラれちゃった」

マリーが深々とため息をつく。僕はそれに肩を竦めてマリーと並ぶ。冗談でもないんだけどなあと冗談めかして言えばちらりと見上げられて小さく笑われる。

「カノのバカ」
「うん?」
「何でもない」
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