112 | ナノ
セトシン

俺はガラスの箱の中にいる。
手をついて歩き回るとぐるりと一周してしまう。つるりと冷たくすべらかな感触に手がたまに引っ掛かる。上は透明で見えない。向こう側はすべて白でガラスも触らないと分からない。
歩き終わるとどこからともなく時計が現れた。ゴーンゴーンと鐘を鳴らす。そして鳴り終わったと同時に時計盤がぽろりと落ちてネジや歯車を吐き出してくる。ばらばらばらばら。それが山になって、まるで砂時計みたいに床を埋めていく。
俺の膝くらいまで溢れたら、今度は急に止まってみせる。そのネジや歯車が徐々に真ん中へ集まって折れて割れて砕けて溶けて凝縮された。人の形をするその鉄はシルクハットの形をした鉄を脱いでお辞儀をする。俺も慌ててそれに習えば、その人のようなものはにこりと笑ったようだった。
そして徐に二本しか指がない手のようなものを上げて器用に指を鳴らして見せた。けれど通常のぱちんっという音じゃなくてぱきゃんと鉄が割れた高い音だった。
その音が合図だったのかピシッと側のガラスの壁が割れる音がする。ピシッピシシッとヒビが広がる音。まるで限界を越えたみたいに突然水がバカンッと壁を割る。
鉄人間を探すと水筒みたいなものの中にひょいっと入って、ひらりと最後に手を振られた。
水がどんどん入ってくる。あっという間に俺の身長を越してみせた水の深度。息を止めて目を閉じる。ごろごぼと空気が渦巻き上へ上る音が耳を掠めた。
ばちんと目を開けると予想していた視界とはまったく違うものでごぼっと少し空気を逃がしてしまった。
岩が高々とあり、ふじつぼがその岩肌にびっしりと張り付いている。砂が絨毯のように広がり、足を踏み出すとぶわりと砂が舞った。上から降り注ぐ光がぬらぬらと変な影を作る。まるで海底だ。
ふと力を抜いてみたけど体は浮かばなかった。砂の地面に足をつけたまま、いつもより重力が薄いくらい。とりあえず歩き出してみるとなぜか息をずっと止めていられることに気付いた。
しばらく歩くと水の中なのに湖のようなものがあった。水の中、そこに水が溜まって張ってあることが分かる。何となく触ってみたら波紋が出来た。底を覗いてみるとコートが無数に泳いでいる。すいすいと袖を動かして魚のように進んでいて、なんだか滑稽だった。
進んでいくと携帯電話がジリリリリと着信音を掻き鳴らして大慌てで泳いできた。俺の目の前に止まって急かすように自分の体をアピールする。哀れに思ってボタンを押すと向こうから外国の言葉でぎゃんぎゃんなにかを叫ばれた。そんな叫びに耳を塞ぐと満足したように携帯電話は泳ぎ去る。そして俺の背中を一回だけ押した。
携帯電話の言うように歩き出すと、窓が一枚ぽつんと海中に浮いていた。
留め金は開いているようで、行く宛も無しと開けてみた。そして中に飛び込んでみると、途端にそこは海底から変な店に変わっていた。
椅子がずらっと並んでいる。様々な椅子がひたすら真っ直ぐに。果てが見えなくてぽそっと頬を掻いた。値札が椅子の前にあり、それを見ると到底俺が手を出せる金額じゃない上に数字が漢数字も入り交じってよく分からなくなっていた。中途半端な額が、とりあえず数字を並べました感を醸し出している。
値札から顔を上げるとボール状の丸い檻があった。それを持ち上げてみると、中に赤い金魚が水もないのに泳いでいる。そして突然爆発したかのようにぼんっと音を立てて燃え始めた。しかし金魚は平気そうに空中を泳いでいる。
そしてまるで外に出たそうに檻すれすれを泳ぐ。くるりと檻を回して開ける場所を探してみると真ん中にぐるりと一周の線を見つけた。ぐっと力を込めてみると簡単にぱかりと線を境に檻が真っ二つに開く。金魚はするりと尾をひらめかせて出ていく。
そして何かをつついた。四角い黒い箱が一際豪華な椅子に置かれている。俺がそれに近付くと金魚はひらりと逃げていった。
酷いなとぼやきながら箱を見た。黒く、光沢がある。ガラスを深い黒に染めたような。
その箱の躊躇いながら手をかける。
今まで遠慮なくばかばか開けたり押したりしてきたことが嘘みたいにぎちぎち心臓が痛みそうなほど緊張した。く、は、と息を吐く。
重い蓋に力を入れて持ち上げる。ごと、と箱と蓋が当たって音が鳴る。

「ああ」

俺はやっと声を出した。
ホッとしたような驚いたような。何でも良かった、兎に角酷く力が抜けて蓋を落とした。床に落ちて当たった途端それはぶわりと花びらに変わる。真っ黒な色がじんわりと薄くなって赤くなった。
箱の中には思い付く限りの真っ赤な花が敷き詰められていた。緑と赤が混じる。
箱の中に居た。

「そうっすか」

なぜだかどうにも笑えてしまえて。
くしゃりと黒髪を撫でる。両手で耳を塞ぐようにして持ち上げた。不健康そうな肌の色。隈がある閉じた目。

「そうっすね」

持ち上げた拍子にどろりと断面から赤が滴り落ちて床に当たって広がっていく。
その額に唇で触って、笑う。
ああ酷く幸せだ。
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