101 | ナノ
セトシン

視界が白くなった。眩しいほどのそれに目を閉じているのか開けているのか判断がつかない。感覚全部が遠退いていく。シンタローさんが肩を動かすほどに呼吸を繰り返す。じわりと感覚が沁みるように戻ってきた。

「ふざけんなよ......!」

ふとここがどこか気付く。自分のベッド、家具、カレンダー、照明。俺のアジトで振り分けられた部屋。
カノがシンタローさんに落ち着いてと宥めている。キサラギさんは焦ったようにシンタローさんの腕を引っ張っている。マリーが俺とシンタローさんの間に割って入る。

「シンタローくん、ちょっと落ち着いて」
「お兄ちゃんだめだってっ!」

ぐわぐわと痛む頭と眩む視界。口の中が切れて血が垂れた。遠慮の仕方を知らないそれは、痛くて、血が出て。キドみたいに慣れていない。シンタローさんの殴り慣れていない手が赤く腫れている。

「シンタロー乱暴なことしないで!」

依頼があった。キドが受けるはずだったものを最近受けれていないと俺が受けて。連日工事現場と交通整備に入っていて。言い訳だなと思う。油断してざっくり、腕を切った。

「お前らが変に恩義感じてコイツを叱らねえからこうなってんだろうが!」

帰る途中でシンタローさんの前で、倒れて。通りすがりだったのか、俺が呼んだのか。シンタローさんの怒鳴り声にああそういうことかと妙に納得する。
腕を伸ばしてシンタローさんの手を掴んだ。包帯がぐるぐると派手に巻かれた腕は熱が込もって痛い。動かす度にぐちりと血が滲んでいる気がする。

「ごめん、な、さ」

この人に殴られたの、初めてだ。白い手が真っ赤に腫れているのが痛々しく写る。その手を握る。シンタローさんがはたと俺を苦い顔で見てきた。
ごめんなさい。久しぶりに口にした言葉。倒れた時のシンタローさんを思い出す。真っ青になって目を見開いて、俺が怪我してる腕にジャージを脱いで巻き付けて。

「ふざけんなよ、ほんと......」

苦い顔が徐々にホッと緩んでいく。俺を殴ったまま固まっていた手の力が無くなる。かたかたと微かに震えるシンタローさんの手に何だかどうしようもなくなる。暴力が嫌いだ、キドもカノも俺も、全員。シンタローさんも。血も嫌いだ、痛いのも嫌いだ、アザも傷も嫌いだ。
だから殴ってくれた。

「よかった......」

困っているような、くたりと力無い掠れた笑顔が俺の視界を撫でる。思わず幸せだと、思ってしまうような。

腕の怪我も塞がってもう日常生活に支障を来すことも無い。利き手だったためにバイトも半泣きで謝って休みを貰い、自宅で休養とマリーが監視で押し込められてしまった。外に出れないストレスで死ぬとぼやいたら犬じゃないんだからとキドとカノに呆れられた。
包帯をほどいて傷を見られる。まだ赤いそれが自身の体にあるのだと思うとぞっとしてしまう。極力見ないように顔を背け、包帯がまた巻かれるまでじっと待つ。

「なにお前だけ逃れてんだよ......」
「シンタローさん顔色悪いっすね」
「お前のせいだ......」

若干顔色が悪いシンタローさんが巻き終わった包帯にぷはーと深い溜め息を吐き出した。何でも傷跡やらをみると自分もその部分がぞわぞわするらしい。俺もっすよと言えば傷に大目の消毒液をたっぷり染み込まされてさっさと治せと怒られた。
シンタローさんは俺を殴った罰として俺の傷を見るという役目を押し付けられている。叱ることは良いことだが殴るのはとかキドが言うには説得力の欠片もない言葉にシンタローさんは分かったと無駄に抵抗もせず承諾した。まあ押し切られるのが分かっているのだから賢明と言える。

「どうだ」
「キツくないっす」
「痛みは」
「無いっす」

救急箱に全て仕舞われ、鋏が机の上に置かれた。最後に頬に貼られた湿布をばりっと一気に剥がされる。ぐきっと首の骨が嫌な音を立てそうな程動かされ、腫れ具合を見られる。冷えたそこに確かめるように触れるシンタローさんの体温。

「中々腫れが引かないな」
「まあ殴り慣れてない人なんてそんなもんすよ」
「悪かったって」

俺の言葉が責めているように聞こえたのかシンタローさんが謝ってくる。そんなと言おうと前を向けばシンタローさんは湿布をばりばりとナイロンから剥がしていた。特に悪いと思ってなさそうな顔にホッとする。

「何回も言うけど、恩義と強く出ないは違うからな」
「はい」
「また怪我するような無茶したら、殴る」
「肝に命じて置くっす」

シンタローさんの手の腫れはもう引いている。殴り方が悪くて骨折などは無く俺はホッとした。親指を握り込んで殴ると親指が折れている時があるが、シンタローさんは腫れるだけで済んでいた。
ぺしりと頬に湿布が貼られる。

「しっかし殴ると痛い、手が」
「シンタローさんは手が出来てないっすからね」
「ああ、平らになってるんだよな」

ここ、とシンタローさんが拳を作って指で段差が出来ている場所を指差した。そうそうと頷きながらシンタローさんの手がそうならないことをじっと祈っている。そんなことを、シンタローさんに。
思い出してじわりと汗が滲む。そんな手の人が多く居た。

「まあ加減を覚える方が、良いんじゃないっすかね」
「そんな殴る予定無いからどっちも良い」

シンタローさんの手を取って言葉に頷く。それなら、良い。良かった。

「そうっすか」

ぶはっと可笑しな声が聞こえてくる。握ったシンタローさんの手が震え、俺は顔を上げた。くっくっくっと笑うシンタローさんに何が彼の琴線に触れたのかと首を傾げる。

「いや、あからさまにホッとしてるから」
「そんなに顔に出てたっすか?」
「出てた」

この人のツボがどこに埋まっているのか分からない。顔をぺたぺた触ってみるがもちろん分かるはずない。そんなこと分かりきっている。少しでも誤魔化すことが出来るなら。
シンタローさんがそんな俺の行動も可笑しく感じるらしく、俺を見ながら笑う。ぐわっと。なんか。

「か......っ」
「か?かがどうした」
「っいえ!」

か、わいい。

最近可笑しい、すごく可笑しい。あの日からずっと可笑しい。どうしよう。

「もうほとんど治ってるな」

包帯を扱う手が慣れてきている。もう分かりやすく顔色が悪くなったりしなくなった。傷を見るために腕を掴む手から、今すぐ逃げてしまいたい。そんなことをすれば見れないだろと怒られたからもう出来ないが。すり、と微かに指が腕を撫でるのにぞわわっとした。意図してやってない、やってない。

「やっぱどっか痛いのか?」
「いえ!そ、んなこと、無いっす」
「でも変だろ、お前」

じっと見てくるシンタローさんの目。どうにも真っ直ぐ見れなくて顔を背けた。シンタローさんが顔をしかめて咎めるようにこっちを見てくる。痛くなったのを我慢して腫れたときシンタローさんに散々説教された後直ぐに言えと半ば脅されるように約束させられたことがある。痛くない、痛いところはない、本当に。

「痛くないのは、本当っす。ただ」

言って良いのかなと不安になる。背けた顔を前に向けてシンタローさんをちらりと伺えば訝しそうな顔で先を促された。聞いている間に済ませてしまうつもりなのか消毒液を含ませた脱脂綿を片手に持つシンタローさんの目が俺の腕に注がれる。それにホッとするような、残念なような。腕がちりちりと表面を焦がされていくような。

「変なんす、なんか、頭とか」
「どっかで打ったのか?」
「いえ、そういうことは無くて」

もう染みない消毒液のつんっとする臭い、伸ばされて冷えていく傷。ひんやりする脱脂綿がゴミ箱に放り投げられる。縫った方が良いと言われたが明らかに刃物で切った腕を医者に見せるわけにもいかない、何故と聞かれれば困る。そこをどうにか誤魔化せば良いだろうと言われたが俺にできる訳もない。

「心臓とか、目とか。やけにキラキラしてて、変な音がして」

へーとシンタローさんは興味無さげな返事をしてくる。別に聞いていない訳でもないけれど、そんなに言うほど興味が無い訳でもない。ガーゼが当てられビーッとテープが伸ばされる。

「やけに可愛くて、抱き締めたくて」

包帯を取り出した手が一瞬ぴた、と止まった。それから何事も無かったかのようにぐるぐると急いでいるように早く巻かれる。キツいっすと言えばはたと急に気付いたように包帯がほどかれた。

「触られるとぴりぴりして、思わずぎゅうってしたくなって、息が、苦しくなって」

ようやく巻き終わった包帯を入れて、ばたんっと怒っているような手荒さで救急箱が閉められた。シンタローさんの耳が赤くなっているような気がする。かわいい。

「こっち、見ないかなって」

かわいい。あの日から、力無い笑顔を見たときから。

「しょ、少女漫画暗唱されてる、気分......っ」

シンタローさんが耐えられないと言うように顔を覆う。シンタローさんって少女漫画読むのか。一つ知れると嬉しいとか、こうやって終わったら彼が戻っていくのは寂しいとか。

「もう良いから、寝てろ」

はーっと大きく息を吐かれる、若干顔が赤い。帰るのだろうか、いつも通り。救急箱を取ろうとする手を掴んだ。あの日と同じように俺を殴った手、白く細いけれど男の手。じわっと熱が広がるような、謝って離してしまいたい、けど握ってたい。どこにも行かないで欲しい。

「あっ、の」

ぎゅうっと握ってシンタローさんが立ち上がらないように軽く引っ張る。ぎょっとしたシンタローさんの顔も可愛くて、かわいい、どうしよう。心臓がぎゅうっと痛い、やっぱり痛い。

「抱き締めちゃ、ダメっすか......っ」

拒否されたらどうしようと不安になる。ぎゅうって、思いっきり抱き締めたい。ああ駄目だって言われてもたぶん抱き締めてしまう。
見上げたシンタローさんの顔が驚いているものからどんどん真っ赤になっていく。

「な、なに、こっぱずかしいこと......っ」

あ、ダメって言われてない。そう、言われてない、もう無理。
手を引っ張ってシンタローさんが倒れてくるのを受け止める。そのままぎゅうっと腕に力を入れて抱き締めた。柔らかくない、固いし良い匂いがするわけでも無い。けどぶわわっと何かが喉元までせり上がる。顔がかあっと熱い。

「おいっ!おま、なんか変だぞ!」
「だ、だからっ!」

シンタローさんの焦ったような声とばしばし背中を叩いてくる手。だから、俺は。
あ、そうかと妙に納得する。

「俺はっ、変なんすよ!シンタローさんのせいでっ!」

逃げないように腕に力をいれる。シンタローさんがはたと硬直し、次第に困惑した声を微かに漏れさせる。
ばくばく肋が打つ。

「は、はああ?!」

困惑した叫び声。どうしよう、俺はどうしたら良いんだろうか。ずっと変だ、あの日からあの笑顔からずっとずっと変だ。心臓が痛い、目が眩しい、頭がぐるぐる可笑しい、可愛い、可愛い。シンタローさんがかわいい。

「大好きっ、なんです!」

好きになってしまった。すごくすごく好きになってしまった。俺が笑わせることが出来ると本当に幸せで、俺を殴った姿も綺麗で、真っ赤な顔が、すごく可愛いって感じて。
俺はシンタローさんのせいで、もうすっごく変になっている。
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