100 | ナノ
カノマリとキドとセト

「私、病気なの」

楽しげに笑う顔は欠片も歪まなかった。まるでその病身を楽しんでいるかのようにも見えて何も言えなかった。諦めも諦念も無い顔がピンクの目を細める。

「いつか死んでしまう」

冗談のようにケロッと両手を広げて言って見せる。けれどそれが冗談では無いことが確信できる空気。ああ死んでしまうのだと落ち着いて飲み下してしまった。白い髪がふわふわと動作に合わせて揺れる。
彼女は産まれながらに毒を持っていた。

とん、とマリーの体が胸に落ちてきたことで我に帰る。さっきまで写っていた景色が若干違うことに石になったことを思い出した。少しずつ赤みを帯びる目に気付いていたけれど気付かないふりをして目を合わせるのを極力避けていたのだけれど、どうやらひょんなことで合わせてしまったらしい。マリーの体を抱き抱えて最近を思い出す。僕はマリーに何かしてしまっただろうかと遡り、しかしその度にその場で消化されてきたのを思い出した。からかって、石になって、拗ねたマリーを宥めすかして、またからかって。飽きることの無い行為を繰り返し。
繰り返し。
怒った顔を見ては楽しんで、真っ赤になる顔を見ては嬉しがって、泣きそうになる顔を見ては焦って。マリーを不機嫌にさせることを僕はしたのかと今日を辿る。文字を指でなぞるようにゆっくり。マリーを抱き抱えた。

「今日は珍しく、寒いね」

問い掛けてみる。返事はなくて、それでも良かった。マリーを抱き上げてベッドに踞るように膝を折って座る。マリーを抱き込んでじっと耐えた。指先が冷たかった。その癖汗がばらばら落ちる。

「マリー」

呼び掛ける。返事はない。
マリーの頬に掛かっていた髪を払う。抱き締めた。

「だれにこいしたの」

震えてみっともない声に、やっぱりマリーは答えない。

異常だと思った。その姿は異常だった。ゾッとする光景の中心でカノは踞っている。息をしているのか分からないほど虚空を見詰めて、そうして誰かを抱き締め続けている。その目に淀んだ空気に吐き気がしそうで口を押さえて下を向きそうになった。
夜も朝も昼も出てこない二人にセトが無理矢理壊した鍵。部屋の中、声が震えて仕方無い。死臭が充満している、ぐたりと投げ出された白く細い腕、髪はもっと色がなくなったように真っ白に写る。

「カノ......」

呼び掛けにも応じず、カノはただあらぬ方向を見続ける。その目に何も写っていないのは明白だった。セトが後ろで掠れた息を吐き出す。がたがた声と一緒に体が震え始めた。ようやくゆっくりと近付いてもカノは何も言わないし動かない。異常な幼馴染みが恐ろしくて怖かった。
取り合えずマリーを離させなければとカノの腕を掴んで引き剥がそうとする。しかし幾ら揺すったり引っ張ってもびくともしない腕に俺は酷く焦った。暫くしてセトがカノの名前を何度も呼んで覚醒を促す。

「カノ、マリーを離して、カノ」

懇願するような泣きそうな声が掛けられる。けれどカノは離さなかった。子供が人形を抱き込んで離さないような、そんな様子。
ああ駄目だと察する。さあっと血の気が落ちた、吐きたくなって奥歯を噛む、しんどい息を大きく吸う。泣きたかった。
マリーの体を隙間からぐっと抱き締めるように腕を差し込んで引っ張りながら脚を上げた。

「キドっ!」

セトの咎めるような呼び掛けを聞きながらカノの頭を思いっきり蹴り上げた。がっと嫌な感触が靴越しに伝わり、膝辺りにぞわぞわとした悪寒を感じる。ごとんっとカノの頭が床にぶつかる様子を見てぜえぜえと息を溢した。

「まりー......」

舌ったらずな誰かの声がマリーを呼ぶ。
駄目だと、確信した。異常に冷えた体、ぐたりと投げ出された肢体、軽いのに重い。思わず掻き抱く。呼吸は聞こえない、感じない、でろりとした目はうすらと開かれていた。光の無い深いピンクは怖い。

「死んだ、どうしよう、死んでる」

声が溢れた。どうしよう、どうしよう。薄々気付いていた非現実な現実に気味の悪い体温を抱き締める。セトがくしゃり泣きそうな顔で、それでも泣かない。
どうしよう、マリー。
カノがゆっくりと起き上がった。俺の腕の中に移動したマリーに手を伸ばしてくる。それに後ずさって逃げれば、カノはがくりと手を落とした。

「キド、外に」

努めて落ち着いた声を作ったセトは俺を押してドアに向かう。その押してきた手ががたがたと震えていて、いや、俺が震えていたのかもしれない。マリーの腕に手形があった。抱いていたカノの物かもしれない。

「う、あ」

カノの口から声が吐き出されていく。それがどんどん大きくなっていく。その声を聞くのが恐ろしくて急いで部屋の外に出た。けれど壊した鍵のせいでドアが閉まらずに隙間が大きく開く。がちゃがちゃと何度も閉めようとするセトの手は次第に固まって動かなくなっていった。

「うあ、ああ、あ、ああああああああああっ!!!!!」

悲鳴みたいな獣みたいな、そんな叫び声。それがドアの隙間から大きく聞こえて、リビングまで満たす。耳を塞ぎたいのにマリーを抱いていて塞げない。セトはドアノブを握ったままガンッと額とドアを強くぶつけ合わせた。はっはっと息が詰まって、ぼたぼたと頬を流れる水。
マリー、と掠れた声で呼んでも、もう答えてくれない。
熱い紅茶は出ない、びくびくと怯えてくれない、楽しそうに無邪気に笑ってくれない、怖がって抱き付いてくれない、呼んでくれない、怒ってくれない。
絶叫が続く。
喉が切れて血が出ても、声が全て嗄れても。

恋をすると死ぬ病気だと彼女は言った。

皆がマリーの死を悼みそれでもどうにか生活している。キドもキサラギさんも食が細くなった、シンタローさんは出来る限りキサラギさんに付き添うようになった、コノハさんたちは古傷に耐えられずあまり来なくなった。
カノは、帰ってこなくなった。
俺が放浪している時のように、軽くて一週間、酷くて一ヶ月。行き先は誰も知らない、少なくとも町は出ていないらしい。そうやって目に届かないカノは皆から後を追わないか心配されていた。マリーを好きだったカノ。そのマリーはカノの目の前で死んだ。ショックが強くて当たり前だろう。帰ってきても何も言わずに部屋に閉じ籠るものだからキドなんかはもっと心配して体調を崩した。
誰も彼もがカノを心配する。

「痛々しいって顔してるな」

シンタローさんが珍しく話し掛けてきた。その声に特に感情らしい感情を確定できない。シンタローさんはそういう所がある。

「......マリーは」

誰かに聞いて欲しかったことがある。ずっと知っていて、ずっと皆に言いたかったことが。俺はカノが後を追わないことを知っている。皆が心配していることを俺は真っ向から首を触れる。

「病気だったっす」

シンタローさんが何かを言いかけていた。けれど声は通らなかった。俺は知っていた、カノも知っている、だからカノは後を追えない。
彼は幸せだからだ。

誰も居ない小さな家、窓にもドアにも板が打ち付けられている。森を抜けた奥にあるお伽噺のような家。昔住んでいた赤煉瓦の家を思い出す。
こう、と目が灯る。いつもの笑顔に出来たかな。

「ねえマリー、僕は」

ぽつんと呟かれた声はくあんと響いて目の前で亡くなっていく。明確な相手が居るのに、その相手にこの声は聞こえない。ねえ君は言ったね、病気だと。

「笑えなく、なっちゃった」

口で精一杯笑みを作っても歪む顔。ああ醜いんだ。鏡の前で呟いた時、もう居ても立ってもいられなくなった。会いに行こうと思った。灰色の母の横に立つ灰色の君に。
時を止めたがった君が、ようやく分かったよ。

メデューサの血は、元々人の血を拒む性質がある。母はその体現だ。入り交じった血が互いに拒み合って出来てしまった虚弱体質、それに能力負荷。母は私にはそれが出なかったと思っていたらしい。人間は短く脆い、メデューサは長く強い。メデューサの血が入っていると寿命は当然長くなる。それは不死と言っても過言ではないほど長く長く。それに短い命の人間の血は耐えられない、よって虚弱体質や能力負荷を起こす。
それは酷く緩やかにゆっくりと、しかし確実に私の中に生きて蠢いていた。
兆候はあった。元々体力が無かったけれど異常に体力をつけにくい体、能力後の多くの体力消耗、メデューサとは言え母と違い成長しにくい身体。確かに合ったのだ。
それに気付いたのは一年ほど前だった。皆がお父さんみたいに先に死んでいくのではと考えて怯えて居た頃、いつもより少し多くの能力を使ってしまった時。徐々に自覚していく体。
私は時間を止めたがった。誰かと一緒にずっと居たかったから、私にぴったりな能力だと思っていた。だって言うのに、それは私の命を知らずに削っていた。
でも止められなかった、能力を使い続けた。だって恋をした。彼を止めたかった。本当に笑う顔を、本当に泣く顔を、本当に怒る顔を、本当に楽しそうな顔を、本当に幸せそうな顔を、本当に辛そうな顔を、本当に驚いた顔を。本物を。
欲張りかしら。
恋をした、恋をしたから死んでしまう。ロマンチックね、なんてキドやモモちゃんに言ったら怒られてしまうだろう。だって置いていかれるのはもう嫌で、だから死んでしまうのは選ぼうって決めた。お母さんみたいに。
私は十分生きてきた。

「好きだよマリー」

あの時言った言葉をまた繰り返す。僕は確かにあの時マリーが答えた声を聞いた。

「好きだよ」

幸せそうに死なれてしまった。時間を止められてしまった。恋をした。恋をした。
僕は強烈な恋をした。
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