99 | ナノ
セトシン

自分に合わないって言葉が人間一つや二つ、それこそ十や二十あっても可笑しくはないだろう。その合わない言葉も聞いた人の解釈それぞれだし、複数の意味を読み取って何十と答える奴も居る。勿論それはオレにも存在する。

「好きっす」

そろりと這ってくるような声が言葉を作る。囁く声音がそっと自己主張してくるのに思わず目を閉じた。ぐたりと体から力は抜けたように上手く動かない。そのくせ変な所に力は入ったままで妙に疲れる。掴まれた腕にどうにか力を込めて逃げようともがくのに、こっちは力の差だ。ぐっと腰に手を回されていて逃げにくい。せめて顔を背ければふと軽く笑まれた気配と耳元に寄せられた息。耳にかかってぞわぞわと奇妙な感覚がまとわりつく。

「やめ、ろ」
「すきっす、シンタローさん」
「うるさい......」

直接耳に叩き込まれる言葉にじわりと波が広がる。そしてその波が視界をくわんと歪ませた。やばいと思いながら自由な手で抵抗を示すがこういう場面で大人しく言うことを聞くやつでもない。むしろ聞いているならとっくにオレは解放されているはずだ。
合わない言葉は人に存在する。

「シンタローさん」
「......見んな」

ねえ、と問い掛けるように覗き込んでくる顔がいっそ清々しく感じるほど笑いを隠さない。こめかみに緩やかにカーブした唇が寄せられた。それに思わず目を閉じればはたと何かが落ちる。柔らかい肉の感触が去り、目を開ければ、また新しい波が寄ってきた。しかしさっき落ちたことによって波と落下の感覚が早くなる。耳を塞ぎたいと願いながら目を閉じれば、笑みの微かな息が髪を少し揺らす。

「お前、いい加減にっ」
「はい、好きっす」
「......ほんと性格、わりいな」

全く意思の疎通もキャッチボールもしない言葉に呆れた。ふつりと力が抜けたオレの腕を離した手はそのままオレの頬を撫でる。労るように目元が指の腹で撫でられ、ぼやける視界を開いて一歩後ろで眺めた。
こいつはオレが嫌がっているのを分かっていてやっている。趣味も悪ければ性格も悪い。だが顔は良い。ただしイケメンに限るとかそういうのはこいつに適用されるんだろう。まあテレビに出るようだというほどでも無い顔ではあるが、女子は好きだろうなって、顔。ああなんでこいつのこと褒めてんだろ。こいつが聞いたら目を輝かせそうだ。
濃い笑みの気配、少し申し訳なさそうにしながらも笑んだままオレを見ている。それが何と無く分かる。好きだ好きだと告げる声からいっそ逃げたい。
合わない。

「面白い、人っすね」

お前はどうでも良いがオレが面白い訳ないってのに楽しそうに耳に吹き込まれる。息が詰まる声を出したくなくて固い胸を押せば些事だとくすくす笑われた。戻ってこい、初見のお前。そう願わずには居られない。
窓の向こうから夕方を告げる音楽がたらんたらんと流れてくる。硝子が水色がかった白と黄色に染まり、部屋内の照明が更に明るく見える。

「すき」

オレがその言葉に合わない体質なのはご存知だろうセトさんよ。ああこいつ本当にメンドクサイ。

金色と琥珀、光の度合いによって変わる目がいつもよりでかい。それはオレのせいで、こいつのせいで。迷うようにどちらかの歯がかち、と鳴る。ぼろっと落ちる。ああ、と嘆く。ああ、やってしまった。後悔の渦中。
過去にも無かった訳じゃない。母親は知っているし、モモだって家族だから当然。一度小さいモモに大好きと抱き付かれてやってしまったのだ。その時のモモと言えば、そんなに自分が嫌いなのかと誤解をしてわんわん泣き出した。必死に宥め慰め言い聞かせ、もうオレの中で語彙が尽きるほどに何時間も言葉を聞かせたものだ。違うから、オレもだから。少年の時期にはあらゆる言葉に対してちっぽけなプライドがあったものだが、その時ばかりはそんな物星の彼方に飛んでいった。
その時のモモと同じ顔。ああ本当にメンドクサイ。

「え、と」
「誤解だから、ちょっと待て......」
「は、はい」

セトに片手を上げてストップを掛けた。困惑と少しの傷付いたと言う顔は罪悪感が少々オレを痛め付けてくる。オレの言葉に頷きながらもいつもなら浮かべるだろう苦笑や微笑が無い。こいつでも笑顔を置き忘れるのかとどこか感心したような納得したような心持ちで大きく息を吐いた。痛いほどの喉とぐらぐらする頭、それを落ち着かせる。ようやく溢れなくなったとホッとして落ち着いてセトを見れば、何事かを考えている難しい顔がはたと呟いた。

「こうやって話しをされるってことは、望み薄って訳じゃないんっすかね」
「お前なんでそんなにプラス思考なの」

驚いたというより呆れる。さっきまでハラハラとオレを見ていたこいつはどこに行ったんだ。いえいえそれほどでもなんて言いそうな顔で頭を掻くセトにカノやヒビヤやエネには劣る強烈な苛立ちを感じる。今すぐ何の説明も与えずにここから去ってやろうか。

「ところで、えっと......聞いても良いっすか」
「嫌だ」
「し、シンタローさん......」

躊躇いがちに切り出された言葉に間髪入れず断ってみると情けない顔で情けない声に名前を呼ばれる。少し気分がスッとした。いつも余裕綽々で腹立つことも情けなくなるような年下がオレの一言で情けないのは面白い。知らずにニヤニヤと笑っていたのか、セトはオレの顔を見て情けない顔をあからさまに安堵させる。主人の顔色を伺う犬か。

「言葉アレルギー、のような」
「アレルギーっすか」
「症状は、......情けないけど、見ただろ」

口にするのが嫌で言葉を濁す。まじまじと見てくるセトの両目に平手をお見舞いしてえなと思いながら顔を反らすとぺたりと頬を触られた。止めろと思わず叩き落とすが気を悪くしたでも傷付いたようでもなく、何でもない顔でセトは手を下ろす。情けなくそんなセトにホッとする。そんな奴じゃないとは知っているが殴られたらとか想像してしまった。

「はあ......、シンタローさんって変だ変だとは思ってたっすけど、体質も変なんすねえ......」
「ほっとけよ!しかもお前オレのこと変なんて思ってたの?!」
「そういう所も含めてす、......可愛いと思ってるっすよ」

危うくまた言われそうになった言葉にじろっと睨み付けるとセトはあっさりその言葉を引かせて新しく舌を動かす。いや十八歳の男に対して可愛いもどうよ、内心ドン引きだわ。オレの顔を見て何となくでも思っていることが分かったのかセトは曖昧に笑う。

「たかが言葉一つで、ホント、困る」

それをドラマで聞こうが道端で聞こうが一緒だ。オレに対してじゃないってのは分かるのに、その言葉一つでこの様で。目に入れるのさえ、だからな。いつからと明確な記憶はない、もしかしたら生まれつきかもしれない。その言葉にトラウマがある訳でもない。自分で言うことなんて今までそんなに回数は無いが、それもアウト。告白なんて出来るわけがない、まあ勇気自体無いのだが。

「引くだろ」
「いいえ」

自嘲しながらセトに同意を求めれば言葉が切れるか切れないかの瞬間、すぱっと否定される。無理しなくて良いぞとセトの方を見れば、いいえと今度は首を振られる動作までつけられた。真剣な顔に疑いの余地はなく、逆にそれがオレには冷や汗モノ。

「やっぱり俺は」

その次の言葉に思考が先回りする。バッと手を上げて耳を塞ごうとすれば一歩早くセトがオレの手首を掴んだ。ぎょっとしてセトを見れば少し赤い顔がオレを真っ直ぐ見ている。

「シンタローさんのこと、好きっす」

あ、言いやがった。言い切りやがった。ふわふわ笑いやがって。
ふざけんなと言おうとした口が詰まる。ああ本当にふざけんなよ。ぐっと歯を噛んで耐えようとするがそれは無駄に終わっていく。徒労と言われようと何でも良い、オレは嫌なんだよ。

「くそっ......!」

泣きたくない。
ああちくしょう本当にふざけんな。

それからセトは隙有らば、特訓だとか克服だとか言いながら好きだ好きだと言い出すようになった。必ず決まって二人になれば、誰かが居たらその言葉を匂わせてさらっと部屋に誘われる。うっかり最初がうやむやになったために好きスキと何度も何度もただ告げられる日々、その度にぼろぼろ泣くオレ、徐々に嬉しげになっていくセト。まさか爽やか好青年が好きな子は泣かせたいタイプだとは誰も思うまい、オレも思っていなかった。すき好きスキ。耳がイカれそうだ。

「その、だな......シンタローとセトは、付き合ってるのか?」

がしょんっと思いっきりテーブルに肘をぶつけた。紅茶のカップと皿が震動で震える。目の前のキドはオレの反応に何か誤解をしているのか責めるつもりはと弁解し出す。この団長さんはなに言っちゃってんのかな。痛み痺れる腕をテーブルから退けて擦り、どうにか落ち着く。アヤノに女の子に向かって怒鳴っちゃダメだよなんて耳にタコが出来るほど繰り返された日を思い出して堪える。

「......なんでそういう結論に至った」
「ち、違うのか?」
「ちっ!......がうっ」

危うく大声で否定しそうになったのを飲み込んで努めていつも通りに答える。絶対信じていないキドの目に学生時代が再来しそうになった。静まれ、オレの黒歴史っ。ジクジクと過去の古傷が痛むのを服の上から押さえる。キドが不思議そうに見てくるが気にしていると叫び出して舌を噛みたくなることまで思い出しそうだ。

「で、なんでそう思うんだ」
「昨日帰ってきた時にだな、セトの......いや良い」
「いやいやそこまで言うなら言えよ!」

ふと訳を話そうとするキドが急にピタリと言葉を止めてオレから顔を背ける。なんで気になるところで止めるんだ。本人が良かれと思って止めているからカノより余計たちの悪いことになっている。言ったらきっと殴られるから言いはしないが。
キドはオレをちらちら見てうぐうぐと唸る。顔も若干赤い気がする。最初にあの言葉が出ていなければ告白フラグかとドキドキ出来たのかもしれないと思うと何だか切ない。意を決したようにキリッと顔を引き締めたキドに思わず姿勢を正す。

「昨日スーパーから帰ってきた時、アジトには誰も居なくてな」
「おお」
「けど鍵は開いて居たから誰か居るとは思ったんだ」
「まあそうだな」

アジトの合鍵は住んでいる奴以外は一応団員全員持っている。コノハは無くしそうだと言う理由で、エネはそもそも持てないと言う理由で持っていない奴も居るが。こんな辺鄙な所に泥棒が来るのかとかそういう言い分もあるにはあるが、しかしこいつらにとっては家みたいな物だろう。外出時には鍵を掛けることを全員約束させられている。

「じゃあマリーかと思ったんだがセトがキサラギの家に送っていっていたのを思い出してな」
「確かに、マリーが家に来てたな」
「そうだ。だから次にカノかと思ったわけだ」
「まあ、......道理だな」

冷や汗が背筋を伝う。いつもそうだ、ミステリは先が読める、謎かけは即答。面白くないとむくれられたのも分かった。
キドは真剣な顔で先を続ける。しかし今にももう無理だと机に突っ伏しそうな緊張感をふるふると震える拳が漂わせ、オレもその緊張感に飲まれた。今さらいや分かったからもう良いとは言えないし、オレから言及したという枷。

「そこでカノの部屋に行こうとして、隣、セトの部屋だな。そこから話し声が聞こえてきて」
「ああ......うん......」

片や何かを耐えるような顔、片や顔面蒼白。そんな二人が向かい合っている図はなんて可笑しいんだろうなと当事者ながらぼんやり思う。先を促した後悔と先を知れて心構えが出来たことで出来た開き直りと自棄が胸中を一色にする。

「お、思わず能力を使って中を覗いて、しまって......」
「お前にも野次馬根性って合ったんだな......」

場違いな感想が口から流れた。常なら否定するか睨んでくるキドもその時の状況を言葉にすることに必死でオレの方を見やしない。むしろ極力見ないようにしている。更に険しくなっていくキドの顔。どんどん下を向くキドの顔。

「......見たんだな」
「......見た」

こくんと言い訳もせず素直に頷いたキドに顔を覆う。死にたい、これは死にたい。ここの団員になった時より遥かに高い死にたさ。話し終えたことによってキドは落ち着きが取り戻せたのかふうと軽く息をついて紅茶を飲む。流石団長、切り替えが早い。

「別に否定はしないぞ」
「いや、誤解だ。付き合ってはない」
「......あれでか?」
「オレの意思であんな状況になってないから!」

訝しげなキドにばんっとテーブルを叩けば落ち着けと宥められた。落ち着いてると怒鳴りそうになったが怒鳴ってる時点で落ち着いてない。横に避けていた紅茶を一気に飲み干してカップをかしゃっと置いた。飲み干すには熱かったせいでぴりぴりと舌の表面が痛む。

「誤解なのは分かったが」
「何よりだ」
「じゃああれは、不思議でしかない」

キドがさっきまで付けていた険しさを取っ払ってオレを不思議そうに見る。ぐっと言葉に詰まるしかない。オレだって異常性に気付いていない訳じゃない、むしろずっと感じていた。アプローチとは言えない、アピールとも催促とも言えない。

「良いのか?」

セトが答えを欲していない点についてだろうな。良いのか、それに良いと答えるのは至極簡単。嘘偽り無い。メンドクサイが放置すれば良いのだから。聞く、泣く、それが繰り返される。

「良い訳、無いだろ」

溜め息混じりに答えればキドはそうかと答えた。満足そうに頷きながらそうかと繰り返した。同じ状況ならカノもそう言うのだろう、セトも。こいつら三人、筋金入りのブラコンでシスコンだな。

「好き」の言葉アレルギー。そんなことを告げられたら間違いなくオレなら引く。ドン引きだ。普通なら大体の奴は引くだろう。なのにその普通から漏れた奴。
今日も部屋に連れてこられる。他の三人の部屋よりずっと見慣れた部屋。それでも見慣れない物は多い。

「今度はどこに迷ったんだ」
「二県くらい東っすかねー」
「......程ほどにな」

さらっと軽く言うが軽い距離じゃない。しかしセトにしては比較的マシな方だなと思い直す。ここが無かったらこいつはどこまででも行くだろうな、それこそ全国。有り得ないとは言えないセトの行動力と好奇心。犬みたいな帰巣本能は確実にここに向いている。普通の飼い犬と違って人間に飼われていないから本能が生きているんだろうな。

「電車って便利っすよね、一日で帰ってこれる」
「良かったな」

にへらと笑う顔に心中毒づく。お前がふらふら楽しんでいる間にオレはキドに有らぬ誤解を確認されていたんだぞ、半端無い罪悪感だったんだぞ。キドの満足そうな顔を思い出して歯を食い縛る。オレが悪い訳じゃないが、殴られたいと思った。マゾじゃない。申し訳無さがぐっと声帯を掴むような感覚。

「シンタローさん」

ふとセトがオレの名前を呼ぶ。声音は変わらない、表情も変わらない、けれどそれだけで次の言葉が分かる。既に波が来た。特訓だの何だの言いながら、悪化している。そんなオレに気付いているのか、いないのか。そんなことどっちでも良いけれど。

「セト」

ひたりと、セトが言う前に開いた口に手を置く。一個だけ目から落ちる。セトがオレをじっと見て口を一回閉じた。二人で居てこんなに黙ったことが合ったかと思い出してみる。合ったとしてもきっと最初に言われる前なんだろう。懐かしいと言うほどでもないのに、沈黙に耳が痛い。

「これを特訓ってお前は言うけど、何の特訓だ」

答えようとしたのか手の下で口が動いた。けれど何も言わずに弧を描く。ゆっくりとセトの手が伸ばされ、オレの手首を軽く掴んだ。大して力も入れていなかったオレの手はあっさりとセトの手によって下ろされて握られる。

「克服って、なんだ」

にこりと笑うだけで答えようとしない。いつもなら何を聞いても大抵は答える奴だ、だからオレの考えは恐らく合っているんだろう。

「お前、最初に言った時にオレが泣いたの、トラウマだろ」

徐々に歪む顔がオレの肩に落ちた。

「好きっすよ」

ぐっと奥歯を噛むが、耐えられるものじゃない。あっという間にオレはぼたぼたと落とす。緑のフードと黒髪の境界がぼわぼわと混ざる。

「泣いてるシンタローさんも好きっす、本当に」

セトの震えた声を聞いたのは久し振りだった。最初に言われた日、こいつも緊張するんだと思ったのだ。オレはセトを何だと思っているんだろうな。何でもオレより上だと、同じ地面に立っている気がしてこないのは確かだ。同じ人間の言葉とは思ってなかったから、男から言われてるってことに嫌悪しなかったのかもな。
握られた手が酷く痛い。

「拒まれたって良いっす、嫌悪されたって構わない。けど」

泣かれるなんて、思ってなかった。
小声で、下手すれば聞き逃していたかもしれないほど。震えていて、聞きにくい。肩に額を押し付けているから、だから聞こえたのかもしれない。

「好きっす、シンタローさん。怒鳴ってても、面倒そうでも、滅多に見れないっすけど笑ってる顔も声も」

手、痛い。そっと言ってみるが力は弱まらなかった。震える声に伝染するセトの体。お前ちょっと盲目だろ、エネに言ってみろよ、きっと全力で良い精神科探してくれるぞ。癪だけど想像するのは容易いほどだ。ちょうどタイミング良くエネの笑い声がドアの向こうから聞こえてくる。

「なあ、セト」

さっきから涙が止まらない。目の奥が熱くて喉が痛い。水分を出しすぎて喉が乾く。ここ最近泣きすぎて目の下がひりひりする。

「オレだってほだされるぞ」

ぼそっと呟くように言ってみる。セトがようやくオレの手を離す。
背中に回った腕の力が強くてやっぱり痛かった。セトのうなじに手を置く。

「ほだされて、シンタローさん」

その声が情けなくて、オレは少し笑ってやった。
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