98 | ナノ
カノマリ

白い体毛はふわふわとしている。腰より少し下くらいの大きさで小柄。体に不釣り合いなほど大きな角はがたぼこしている樹皮で、枝分かれをして所々に桜の花をつけている。それはすとんと座ったまま目を閉じ、眠っているように見えた。それの周りの地面には紫で三つに分かれた花が多く、両隣に五枚の花弁の黄色い花が一メートルほどの大きさの木に咲いている。
何となく、衝動に任せて触ってみた。噛まれるとは思っていなかったが、拒否されたらと少し不安になった。だが別に拒否もされずにそれは撫でられる。ホッとすると逆に擦り寄ってきた。答えるように撫でていると次第に座った姿勢から徐々に倒れて眠るように脚に頭を乗せる。

怪我をしている子供が母親を叫ぶように呼ぶ。わんわん大声で泣いて気付いて貰う子供。何てこと無い微笑ましい親子の在り方、お決まりの痛みをまぎらわせる呪文。羨ましいのか妬ましいのか微笑ましいのか、僕は今どんな顔をしているのか。痛みを取り除く魔法を知っている親と痛ませるように呪ってきた親と、あまりにも違うのに。

「魔法ってなんだと思う」

マリーは僕の言葉を暫く無視したけれど、それでも諦めたようにぱたんと本を閉じた。そういう所が僕にチャンスを与えていることをマリーは自覚している。しているからこそ最初はそうやって拒む、けど優しいから結局僕の相手を真面目にしてしまう。難儀な性格だねと一度笑ったことがあるのだが、それにマリーは僕をひたりと冷えた目で見詰めてきた。

「突然どうしたの」
「本当にマリーは優しいね、そういうところ好きだよ」
「からかってるなら聞かないよ......」
「マリー」

呆れた顔でまた本を開こうとしたマリーを呼び掛ければ、マリーは渋々僕の方を見てくれる。別に冗談のつもりじゃないけど、それを言ってもきっとマリーはそれも冗談だと思ってしまうんだろう。困ったね、嘘つき過ぎちゃった。
テーブルの上に古い本が置かれる。白いページの間から覗く灰色の紐。三十分前から見ると少ししか進んでいない。読むのが遅い訳じゃない、しっかり読む。大事に文字を追う、ゆっくり噛み砕く。マリーはたぶんそういう読み方をしている。

「魔法、だっけ。急になんでそんなことに興味を持ったの?」
「純然たる好奇心」
「本当に?」

マリーがじっと見てくる。本当に、好奇心だけか。
多分ここで僕が本当と言ったらマリーは信じる。ここで答えないとマリーは信じないけど話には乗っかってくれる。この答えはどっちにしろ道が同じでしかない。けど僕は答えない。黙ってにこりと笑うだけ。

「知ってるよ」

予想と違ってマリーはぼんやりと答えた。夢を見ているようなふわふわした目。無表情に近い顔なのに笑っている。マリーは繰り返して呟いた。知ってるよ。

「誰も彼も知ってるよ」

それを言ったっきりマリーは口を閉じた。気になることを言われたと内心首を傾げながら僕も黙る。マリーは僕が黙ったことで本をテーブルから自分の手の中に戻した。
マリーは時々何も喋りたがらない時がある。気紛れに何も言わなくなり、日を置くとその話題の続きを喋ったりずっと黙って他の話題に興じたり。それは一種の呪いのような物を思わせる。

魔女ってなあに。くつくつ大鍋で不気味なものを作る人か、箒にのって空を飛ぶ人か。しゃがれた声に黒い衣装、とんがり帽子に魔法の杖。黒猫が無愛想に鳴く。
魔法を使う人。

白い鹿が今日も居る。何となく僕はその前に座る。そうすると鹿は一回小首を傾げて僕を見るような動きをしてくるのだが、目は開かない。その目が開くのを待っている。

「満月になると魔力が増えるみたいな設定、多いよね」

マリーが漫画とかと言って本棚を見る。月収ワンコインのこの子は毎月漫画にそれをつぎ込んでいる。残る微々たるお金も次の月にはもう無い。細やかと言えば細やか、荒いと言えば荒い金遣い。指折りで数えられていくそういう設定を使った作品。
びっしりと並べられた本や漫画、ジャンル問わずといった背表紙の統一感の無さ。

「魔法が使える力って、便利だね」
「生まれつき誰でもあるよ」
「はは、それはどこからの設定?」

笑えばマリーはムッとした顔で首を振る。しかしその顔を僕に見せて直ぐに、ふと困ったように笑う。多いけどねと言いながら、違う違うとまた首を振る。白い髪がふわふわ揺れた。
背表紙をとと、っと指で撫でる。

「誰でもあったら困るよ」
「どうして?」
「呪わない人なんて居ないでしょ」

首を傾げるマリーに笑って言えば、くしゃりと複雑そうな顔をされてしまう。
撫でていた指を一冊の本で止める。古い匂いのくすんだ白。

「合わないよ」
「合わない?」
「日本人の性格は一貫して保身的だから、合わないの」
「どういうこと」

難しいなあとマリーがううんと考える。暫く考え込んで、マリーは少し緊張気味に口を開いた。
本棚から出して開いてみる。細かい字が余白が惜しいと言わんばかりにびっしりと並ぶ。

「本質がね、合う合わないの問題があるんだよ。防御と攻撃があるでしょ、私たちは大抵防御の方なの」
「攻撃も居るんじゃないの」
「そうだけど、でも自分を守りたい人は自分を守るために呪うんでしょ。でも合わない、効果はない」
「成る程、面白いね」

僕が頷くとマリーはホッとした顔をする。上手く通せたことに安堵して、饒舌な口を少し閉じた。けれどまた喋り出す。なんだか義務を果たしているみたいな、そんな雰囲気。
何かの説明文をざっくりと読み飛ばす。

「攻撃も居るんだけどね」
「その人はどうなの、呪えるんじゃないの」
「うん。でもそうなると効くか効かないかなの」
「うん?」

今度は僕が首を傾げる。マリーはええっとねと言葉を拾い上げてゆっくり並べていく。
近付いてきた小さな白い手が僕の目の前でぱたんと本を閉じた。

「防御に攻撃してもゼロだったり少なかったりでしょ?」
「ああ。じゃあ無いものと一緒なんじゃないの」
「そう、だから誰も信じてない」

なるほど。そこでなんで僕にこんな話をしたか分かった。ある時聞いたことの答えかと思ったけれど、それより僕の考えを否定したかった訳だと。
静かに本が本棚に仕舞われる。

「誰も彼も、二択しか持ってない」

攻撃するか、守るか。世の在り方としてはあっているんじゃないのかな。人は見えないものが信じ難く見えるものをこよなく愛す生き物だ。見えないものを信じる人は奇人や変人と貼り紙される。可笑しいね、姿形がそっくりなのに。
何となく見てはいけない物を見た気分で、誤魔化すように髪を触る。

「じゃあ三択があるの?」
「あるよ」
「そう、マリーは魔法が使えるわけだ」

そういうとマリーは微笑する。誤魔化すようでも曖昧な内心に戸惑っているようでも無い。そういう物だと思っている、お婆さんのようなかちかちの諦めが匂う。
気にしていないような態度。

「魔法をかけられる?」

何となく尋ねてみる。かけられる、じゃあかけてみて。そんな会話にして信じたふりをしたかったのかもしれない。けれどマリーはゆっくりと首を振った。
そういえば。

「残念だね鹿野、もうかけたよ」

誰にと尋ねる前にマリーがおめでとうと言ってきた。時刻は0時、日付をあっさり越えている。誕生日、と口の中で呟く。朧気に覚えていた事実は覚えていたことが徒労だったと言わんばかりにすっかり抜け落ちていた。
さっきの本、印刷された字の上にまた字が書かれていたけど。あれ、なあに。

「おめでとう」
「ありがとう」

二度目の言葉に答えれば、マリーは眩しそうに目を細めて笑う。小さな魔女に、祝われる。

白い鹿を見る。知っている、僕はこの子を待っている。まだまだ先の話だけど。
この子に呼ばれて見て貰える日を待っている。
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