96 | ナノ

「どう書けば、良いかな」

紙を前に考える。彼女は気付いていないけど、それでもいつか気付いて貰えるように。

遥は学園祭の後にまた倒れた。私は目の前で倒れた遥に嫌な緊張と少しの落ち着きを持って救急車を呼んだ。処置が早くて遥は直ぐに目を醒ました。ぼんやりとした黒い目が天井を見詰めてから私を見付け、ああと声を打った。

「貴音だ」

そうよ、私よ。そう言い掛けてそのまま口を閉じる。べちんと遥の額を叩くと遥は無言で額を押さえて声を出さずに悶えた。もう冬になろうかって時期で、そろそろ遥の誕生日を考える時期で。灰色が全体的に薄くかかっている外。遥の肌は白を通り越してもう青白かった。

「言わないのか」
「言わっ......?!」
「遥に」
「はっ?!」

遥がまた居なくなった教室で掛けられた先生の言葉に、私はすっとんきょうな声を上げてしまった。アヤノにバレていたのだから誰かしらに気付かれているとは思っていたけれど先生もとは思っていなかった。はくはくと絶句する私に先生は心外だと顔を歪める。

「通常クラスならまだしもたった二人のクラスで気付かねえ訳が無いだろ」
「だ、だって先生だから」
「それは教師って役割への言葉か俺だからってことへの言葉かどっちだ」

沈黙で答えれば先生は目頭を押さえて私に向かってストップをかけるように手を出した。何かぶつぶつと言っていたが私はそれを聞き流してさっきの衝撃を忘れることに専念する。私はもしかして分かりやすいのだろうか。私が深く関わっている人物で気付いていないのはシンタローくらいだろう。あいつは一生気付かないと断言できる。

「で、言わねえの?」
「......なんで先生と恋ばななんか」
「俺の奥さんはハッキリした奴でな......」
「ここぞとばかりにノロケないでください!」

この先生ノロケたいだけじゃないのか。でなーと緩んだ顔でまだ続けようとする先生目掛け教科書を投げ付けた。がんっと教科書の固い角が壁に当たって先生は一旦口を閉じる。少し固まった後引きつった笑顔で教科書を拾う先生にふんっと軽く笑った。

「オッサンだってなあ、青春話聞いて懐かしい気持ちになりてえんだよ、甘酸っぱくなりてえんだよ。奥さん自慢してえんだよ」
「苺とレモンでも食べて人形に自慢してください」
「おう乙女チックだな、最近流行りの女子力ああなんでもねえわ教科書は置きなさい貴音」

持っていた資料集を置いて机に出していた写真をぱらぱらとカードをくむように見ていく。確認のためだったのにもう満足に見れていない。ざかざかと移動していく写真。最初の写真にすぐに戻ってしまい、私は少し顔をあげる。

「いつでも言える訳じゃないんだぞ」

先生が出席簿をぼんやり見詰めてぼそりと言ってきた。それは二人の教室に響いてよく聞こえる。聞いた覚えのある言葉に先生の顔をじっと見れば、にやっとムカつく笑顔が私に向けられた。

「アヤノも言ってたか?」

誇らしそう先生は言う。アヤノちゃんが見たら苦笑いしそうだなと思いながら私は小さく頷いた。

この写真を同封します。
破ってくださって構いません。
かこんとポストの底に落ちる。遥が死んで新年を越した。除夜の鐘は遠くなり、寒い日はまだ続く。私は大学に通いながらカメラを撮り続けている。何とか引っ掛かった大学で、特になりたいものがある訳じゃない。何となくの時間稼ぎ。

「情けないったら......」

何のために送ったのか、私も分からない。掠れた赤いポストの前で小さく溜め息をつく。遥のお母さんやお父さんの気持ちを考えてない訳じゃない。
祖母がスーパーから出てくる。ぱんぱんのスーパーの袋を両手に三つも持っているのを見てゲッと声を溢してしまった。祖母は車は乗ってきていない。手が痛くなるのを覚悟して私は祖母に向かって歩き出した。

「また......、何回見てるのよ」
「あ、貴音も見る?」
「要らない」

遥はベッドの上でにこにこと上機嫌に両手で広げた紙を見る。何度も黒い筒から出しては広げ、眺めている。よく飽きないと呆れるほどに。
遥は卒業式だけ学校に出席した。無理を推して通ってはいたが三年の冬頃になると医者が止めるようになり、ようやく卒業式には、という感じだ。休み中にはテストを受けたりなんだりとしていたようでギリギリ卒業。当事者ではないがハラハラと不安になっていた私と先生はそこでやっと安心した。遥は遥で嬉しかったらしく、卒業証書を受け取った時、感極まって理事長に向かって大声でお礼を言った挙げ句ぼろぼろと泣き出していたほど。それに触発されて泣いていたアヤノは卒業式が終わった後良かった良かったと遥と泣きながらはしゃいでいた。シンタローのむすりと拗ねたような顔は滑稽で、しかし私も私で複雑そうな顔をしていた自覚がある。

「大学は受験できなかったけど、高校卒業は出来て良かったー」
「うんうん本当に良かった、卒業出来てなかったら殴ってたから」
「......本当に出来て良かったよ!」

まあ本当に殴っていたとは思うけど、そんなに怯えなくても良いと思う。くるくると丸めてある卒業証書は広げにくく、端に文庫本を置いたりしてテーブルに広げている。固い紙に金と黒、黒い筒を隣に置いてふふふと笑う遥。私はそんな遥を窓を閉めながら見る。
卒業式の後は決まっていた入院。大学は受けても暫くは通えないだろうと思って受けなかったらしい。お見舞いのフルーツも出される病院食もぺろっと平らげる食欲のくせに遥の身体は弱いまんま。代わりに私は二年の夏から病気はぱったり無くなっている。

「ねえねえケーキ買ってきてたよね、貴音」
「相変わらず目敏いわねえ......」
「食べて良い?」

きらきらと輝く目は子供っぽい。思わずうぐうと言って後ずさりたくなる期待の視線に溜め息を吐き出した。
確かにケーキを買ってきているがここまで嬉しそうにされると買ってきた甲斐はあるし食い気かと呆れるし。

「はいはい切るからちょっと待って」
「え、ホールのままで良いよ?」
「私も食べるの!」

本当に、一回でっぷりと太ってくれないものか。その方がまだ今より健康的になると思う。ホールのチョコケーキを箱から出して借りてきた包丁でゆっくり切る。

「貴音って......」
「それ以上言ったらケーキ持って帰るから」
「何でもないよ」

綺麗に等分に成らなかったケーキ。遥がじっと見て言葉を選ぶように言葉の端に沈黙したのをぎろりと睨んで抑え込んだ。出来ない分これからまだ出来る可能性が残っているし、綺麗にならなくても腹に入れば皆同じだ。それにほとんど遥が食べる。
中くらいの大きさのケーキを選んでお皿に盛り、遥にはフォークだけを渡す。行儀が悪いけど一々お皿に移す面倒より私の労力はマシだ。目を瞑る。

「これ美味しいね〜」
「アヤノちゃんが教えてくれてね」
「あ、この前一緒に食べに行ったんだっけ」
「食べに行った所も美味しかったんだから」
「良いなあ、今度一緒に行こうよ」

ごくっと大きく飲み込んでしまった。高かったのに満足に味わえずに、なんて失態。へらっと笑う遥をちらりと見ればもうケーキの半分を胃に納めて私を見ている。なんて返そうかもごもごと口を動かしてから頷いた。遥がやったと笑う。

「じゃあ明後日ね」
「明後日?!」
「明後日一旦帰るんだよ?」
「聞いてないわよ!」
「えー、先生に伝えといてってちゃんと言ったよー」

なんて人選ミス。あの人に言っても私にちゃんと伝わる訳がない。一度もちゃんと伝わった試しがないのだから。後で電話してやると決めて思わず立ち上がった私はすとんと座ってケーキを一口食べる。遥は居ない先生に呆れて先生はと肩を落とした。元教え子たちからの信頼と好感度がまた下がった場面だった。

「明後日ね......」
「やっぱり、急?」
「そりゃあ急だけど」
「だよね」
「元々出掛ける気だったし、良いよ、行こ」

申し訳なさそうだった遥の顔がぱあっと明るくなる。不覚にもそのクリームべたべたの笑顔に一回跳ねた心臓。置かれていた箱ティッシュを差し出しながら顔を背ける。
教室のあの時から遥はもっと休みがちになって結局ずっと言えていない。なんであんなことをしたのかも聞けていない。拭き終わったティッシュをゴミ箱に入れる遥を見れば、変わらない笑顔を向けられる。

「遥、あの......」
「うん?」

言い淀む。沈黙が続いて遥が首を傾げた。私の名前を呼んでくる。

「......やっぱ、何でもない」

遥は不思議そうに私を見てからまたケーキを食べ始めた。やっぱり無理だったと急にケーキが重たくなる。三分の一くらい食べた後、遥にケーキを渡した。それをぺろりと完食する遥を見てそっと溜め息をつく。能天気に、人の気も知らないで。教えてないのだから当たり前だろうと私が言う。

もうそろそろ一年かとはたと気付いた。レポートなどに追われる生活に高校の時より長い夏休みが不意に与えられる。じゅわじゅわと鳴く蝉と日焼け止めが無いと泣く肌。ふと道路にぺかぺかの変わった車を見付けてシャッターを切った。
服屋本屋レコードショップ雑貨屋ケーキ屋と列なる店を見ながら最近買い換えた端末の受信メールを開く。待ち合わせはカフェになっている。それらしい店を見付けてメールに乗せられた店名と看板を見比べれば英字が一文字間違っていた。
ドアを押し開けばからんからんと鈴の音が鳴る。涼しい風を受けてほっとすれば愛想の良い店員が何名か喫煙席かを聞いてきた。それに待ち合わせを告げれば丁寧にお辞儀をして奥のテーブルを指してから戻っていく。爽やかな笑みに当てられたのか視界がちかちかする。指されたテーブルに真っ直ぐ向かえば、先客は私に軽く手を挙げた。

「久し振りですね、先生」
「おう。もう先生じゃねえけどな」
「他に呼び方が思い付きませんし。アヤノちゃん最近どうですか」
「保母さんになるって勉強中」

煙草を押し潰す先生の言葉に動物の絵のエプロンをしたアヤノを思い浮かべた。似合うなと思わず納得する。何となく勘だが、天職だろう。
久しく会っていなかったが先生とはまだ連絡し合っている。卒業すれば疎遠になるんだろうと思っていたし実際はそれが普通なんだろうけどアヤノを間に挟んだり一ヶ月に何度も見掛けたりで疎遠どころか友好だった。それから先生が今クラスを持ってない事と私と遥だけのクラスだった事もあるんだろう。

「それで、今日はどうしたんですか」
「遥の親に頼まれた、返しておいて欲しいって」
「ああ、......そう、ですか......」

差し出された封筒は見覚えがあった。住所を書いている字も、切手も。やっぱりなと思いながら受け取れば、何だか無性に肩から力が抜けた。
先生がメニュー表も渡してくるが、何か食べようとか飲もうって気になれずそのまま開かずに置く。けど頼まないのも何だかな思いコーラでと告げる。通り掛かった店員に先生が注文するのを聞きながら封筒を見詰めた。

「隠しときゃ良いのによ」
「......私もそう思います、けど......なんででしょうね」
「泣いて渡されたんだぜ」
「......」

しんっと沈黙。静かな空気の中で店員がコーラとコーヒーを置く。頭を下げた時に何故か先生を一瞬睨んだように見えた。もしかして私が先生に苛められているとでも思われたのかもしれない。
コーラを一口飲んでテーブルに戻す。冷えた液に頭が覚めた感覚に意を決して封筒を開けた。

「っ」

さっき飲んだはずなのに急に喉が渇いた。先生ががさごそと紙袋を漁る音がする。震える手で私はテーブルの上に写真を乗せた。
そこに遥の姿も病室もないありふれた風景写真。ずっと前、確かに私が撮った物だ。

「どう、して」
「どうしてだろうな」
「か、返すんじゃ」
「それはな。あっちは返せねえってよ」

どういう意味かと顔を上げれば先生が雑誌を開いていた。どこかのページを探すようにばらばらと雑に捲られていく。どこかのページでそれはぴたりと止まり、くるりと雑誌が反対を向く。頭が真っ白になる。
向けられたページに私は思わず立ち上がった。クーラーが効いているのに汗が吹き出て身体が震える。

「金賞だってよ、おめでとう」

それは写真を投稿するコンクールだった。私でも聞いたことある有名なもので、何度か買って見たことがある。してみようかと写真を撮っては投稿できずにだらだら過ごすの繰り返し、だったのに。
金賞の字の下に遥の、あの時の写真があった。
白いカーテン、窓の奥の青い空、清潔そうなベッド、管、カーテンで隠れた心電図。遥。笑う、遥。

「泣いて謝ってたよ、勝手にごめんなさいって。お前の祖母も、ごめんって」
「どうしてっ......!」

泣きそうだった。遥の写真が掲載されていることも、遥の両親が何を考えているか分からないことも、祖母も、何もかも。
先生も立ち上がって私の肩を叩く。それだけでがたがた震えていた私の身体はすとんと椅子に落ちた。先生も、また座る。

「遥がお前の写真を好きだって言ってたから、だってよ」
「でもっ、でも......!」
「貴音、最後に人を撮ったのはいつだ」

先生の言葉にぎくりと固まり、ゆっくり顔を上げた。雑誌はぱたりと閉じられ、紙袋に入れられていく。

「遥から、撮ってないんだろ」

撮ってない。そうだ、近所の馴染みのおじさんに言われても、大学の子に頼まれても、私は人を撮っていない。遥を撮ってから、撮っていない。

「俺が渡すべきじゃねえんだけど、返ってこないことに躊躇って渡せなくなるのは困るって預かった」
「こ、れ」
「墓参り、行けよ」

紙袋を押し付けられる。雑誌だけじゃない重さに困惑すれば、先生は千円札を置いて立ち上がった。からんと音がして一人になる。私だけ残されて、泣きそうな思いと居づらい雰囲気にふらりと直ぐに立ち上がった。他の客からの視線に視線を落として伝票を店員に渡す。ありがとうございましたとお釣りを渡されてドアを押せば、後ろで店員がまたどうぞと言ってくれた。
熱い日差しの中、ふらふらと帰る。途中ぶつかった何となく見覚えのある女の子に心配そうに声をかけられたがぎょっと後ろを見て目を見開き私に謝りながら傍に居るフードの子と路地に入っていく。私は何故かやけにその背中をじっと見てしまい、しかしその子たちが路地に消えた後はあっさりと視線を反らせた。

誰も居ない病室を眺める。壁に貼ってある今まで描いた絵を今度は眺める。紙は切れてもうないから絵を描けないなとぼーっと過ごす。壁に絵を貼るなんて普通なら怒られるだろうけど、それが許されている今、僕は気付くしかない。
やけに今まで描くのを避けてきた彼女を描きたいと思った。

帰ってきて直ぐに部屋に上がった。祖母は居ないようで家の中は静かだ。ばたんとドアを閉じ、紙袋を床に置く。紙袋は一人でバランスを取れずぐらりと倒れて中身をばさりと床に広げる。遥の絵が床になる。絵の具や鉛筆画、色んな物で描かれたそれは大量だった。持っていた手がまだひりひりと痛む。その中で雑誌はどこか気持ち悪い色をしていて雑誌だけを拾って机に置いた。込み上げそうになる何かを懸命に飲み込んで紙袋を引っくり返す。

「......卒業証書......」

中からことんと落ちた黒い筒、遥が何度も見ていた卒業証書。なんでこんな物がと思いながらそれを手に取る。はたと、思い出した。最後の最期まで遥の近くにこれはあった。それが遥の絵の中に入っていると言うことは、つまりそういうことなんだろう。思わず遥らしいと笑った。
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