94 | ナノ
セトシン

朝と言うものは億劫だ。それこそ満足に睡眠を取れていない状態では天敵と言っても良いだろう。むしろ対抗する術が寝るしかないラスボス風味だ。カーテンを透かしても尚輝く光に布団をもそもそと頭まで被る。ようやく忌々しい仕事が一段落ついて寝たのに、いつの間にやらもう朝とは一体全体世界の時間って物の構造はどうなっているのだ。布団から手だけを出してばふばふと枕やシーツを叩き、爪先に当たった固い感触にそろそろと指を伸ばす。ベッドサイドに置かれてある机の上にとんっと乗った端末、それを掴んでずるずると布団の中に引きずり込んだ。暗く暖かい羽毛の洞窟に住むオレはカッと光る画面が痛く視界を叩いてきてオレにダメージ、思わず呻く。何度も瞬きを繰り返してやっと液晶の輝かしさに慣れたオレは四月も終わる日の下に現れている四つの時間を見て、見なかったことにした。ふうやれやれと端末を外に放り出して二度寝の体勢に入る。目を閉じればすぐに忍び寄ってきた睡眠欲にうとうとと脳を浮かせ沈ませ、さあいざ夢の世界にーー。

「シンタローさん」
「うぐっ......!」

のしっと上に重たさが突然何の前触れもなく思う存分遠慮無くずっしりとのし掛かる。何とか蛙が潰れたような情けない声は出さずに済んだが、重さは依然変わらない。布団を剥がそうにも布団の上からでは剥がせる訳もなく、ただ息苦しさに呻いた。そのまま布団でぐるっと体を包むように何かが腹を一周する。苦しい、重い。ギブアップを示すように辛うじて被害を逃れた片腕をずぼっと布団から出してばんばんシーツを叩いた。すると今までの重さがゆっくりと軽くなり、オレはようやく解放される。布団から顔を出して少し冷たい空気を思いっきり吸い、そして今もオレの上に居る笑顔を睨み付けた。にっこり爽やかと手本のような素晴らしい笑顔で、なんとまあ憎たらしい。

「重い、デカイ」
「シンタローさんに比べたら、まあ」

そこでオレと比べるセトの馬鹿さ加減に冷めた目を送った。セトはなぜか若干照れている。オレの腕とセトの腕を見れば一目瞭然どころか隣に並んでいるのを見られただけで分かることを比べてどうする。こんなことを自覚してもただただ悔しいというかアホらしいというか悲しいというか空しいというか泣きたい。オレに精神的ダメージを食らわせていることに微塵も気付いていない整っている顔から顔を背けた。

「うるせーよ、もう寝かせろよ......」
「ダメっすよ、起きないと」

しつこくまた布団に潜り込もうとするとセトはまったくと言いそうな顔でオレと布団をべりっと引き剥がした。駆け落ちしようとしていたオレは仕方なくその場で止まるしかない。愛しの恋人が浚われるのを黙って見ているしか出来ない不甲斐なさと別れの切なさで顔をしかめた。セトはあっさりとその腕に布団を抱えてベッドから立ち上がり、カーテンを思いっきりギシャッと開け放つ。眩しすぎる光に手を翳して目を細めた。そのまま窓も開けられ布団が外にばさっと干されるのを無情だと嘆く。満足に寝れた日の方が少ないというのに、鬼か。

「太陽の光は眼球から入って徐々に内臓を焼くって知らないのか」
「それが嘘ってことは知ってるっすね」
「折角の休みに思う存分寝かせてやろうって優しい心はないのかよ」
「そりゃ寝かせてあげたいっすけどね、今日だけは起きてくれないと」

にっこりと笑って自分の腕時計を指すセトに深く溜め息をつく。なんて薄情者だろうか、ヘビースモーカーのくせに薄いってどういうことだ。ぶつぶつと聞こえているだろう文句を遠慮無く言いながら面倒を噛んで渋々ベッドから立ち上がる。明るすぎる部屋から廊下に出た。後ろをついてくるセトに不意打ちで肘を食らわせてやろうかと考えるが前にそれをして仕返しにと十数分拘束されたのを思い出す。同じ間違いを繰り返すところだったと汗を拭うふりを心中でした。オレが洗面所に入ったのを見届けてからセトはリビングに向かう。何度か洗面所に行くふりをしてぐうぐう寝ていたことがあるが根に持ちすぎだろう、そろそろ忘れても良い頃じゃないだろうか。セトの目が無ければまた二度寝に、なんて考えているのがバレているからの監視だろう。無駄に学習しやがってと悪態をついて顔を洗う。
顔を洗ってリビングに行けばセトはトースターの前で端末を眺めていた。じりじりとタイマーの音に焼けるトースト。勝手に開けて一枚取った。出ていたバターを適当に塗って口にくわえてリビングから出る。いつも通り行儀の悪さを咎める目に見逃せとひらひら手を振った。ざくざく噛んで飲み込めば、少し喉を通る時苦しくなりけほっと一つ咳をこぼす。こういう時のじわじわと喉をゆっくり落ちていく痛さは幾ら体験しようと慣れない。しっかり噛めば良いだけなのだが、最早小さいときからの癖だ。

「十時には家出るっすからね」
「はいはい。待ち合わせって駅だよな」
「あ、変わったみたいっすよ。キドが遅れるから先に食事らしいっす」
「珍しい奴が遅刻だな」

リビングと寝室のドアを開けたまま声を少し張って会話する。クローゼットを開けて衣装ケースから服を引っ張り出した。ベッドに置いて端末を充電器から引っこ抜く。九時半を指すデジタル時計。今はもうエネは居ないし、あの頃の端末とは買い換えたため違う。月に一度は会う顔触れも、色々忙しそうにしている。大体が成人になったのだから無理もないが、唐突に、無性に。片手で目を覆い、大きく息を吐いてそれを払った。端末をベッドにバウンドさせて着替える。着替える度に見る体は相変わらず貧弱で、成人してからは痩せた気さえする。最近恐ろしくて体重計になんか機会があっても乗っていないが、セトが抱き付いてきて神妙な顔で太りましょうと言ってきた時は焦った。肉をやけに勧めて来るのは勘弁したい。焼き肉にと誘われたときは青ざめたものだ。焼き肉とか胃が痛くなる代名詞、その時はコノハを釣って事なきを得た。
着替え終わりポケットに財布を突っ込もうとして中を確認すればいつ使ったか忘れたがすっかりと札は姿を消していた。しかしよくあることだ、ネット通販にどっぷりなオレには。

「あ、無いわ。途中で金下ろして良いか?」
「だろうと思ってたっす......。良いっすよ、奢ります」
「え、わー幸助くん男前ーカッコイー」
「ご丁寧に棒読みでありがとうございます」

年上の威厳なんて等の昔に彼果てている、気にすることもない。いや若干はプライドが傷付いているが、しかし奢ると自主的に言ってくれているのなら甘えるに越したことはない。リビングにひょっと顔を出せばセトは困ったように笑いながら行くっすかと声をかけてきた。言っていた時間よりも十分ほど早いが、時間前行動が基本のセトには普通なのだろう。オレはギリギリまで家に居たい派だからセトのこういう所は分からない。

「バイクか?」
「シンタローさんも行くんすから徒歩っすよ」
「お前本当に二人乗り嫌いだな」

大型持ってる意味が分からん。セトはいやいやと呆れたように首を振って玄関に向かう。何がいやいやだ、人を乗せて事故るのが怖いだけだろうが。大の男が二人して窮屈な玄関に居ると言うのは大変むさ苦しい。何とも言えないむさ苦しさに靴を引っ掻けてドアを開ける。さっさと外に出て爪先を叩いて草臥れた靴をしっかりと履いた。常に端末と一緒にポケットに入れたイヤホンを肩に引っ掻けて片耳だけつける。

「シンタローさん前新しいパソコン欲しいって言ってたっすよね」

ふと思い出したようにセトが聞いてくる。突然の言葉に一瞬何を言っているのかと考えてしまった。マンションの廊下であまり喋りたく無い、そう思いながら結局は無視出来ずにいつも喋っているのだから、手遅れなんだろうけど。極力声は抑えて答え、頷いた。もう五月にしては寒暖の差が激しく、どこか肌寒い気温だ。

「急になんだよ、確かに言ったけど」
「そうっすか、合ってて良かったっす」

にこっと得意気に笑うセトが何となく気に入らなくてどすっと指を揃えて脇腹に叩き込もうとすればセトがあっさりとオレの手をかわしてにっこりと行きましょうかなんて爽やかに言ってきた。そうだこいつこういう奴だ甘んじて受けろよお前。鍵を取り出すセトを置いて階段をとんとんと降りる。がちゃんと鍵を閉める音を降りる背中でぼんやりと聞いた。直ぐに追い付いてきたセトがやけに嬉しそうにしている。

「未成年居るんだから吸うなよ」
「シンタローさんこそ」

一瞬うぐっと言葉に詰まりそうになったのを見逃さずにセトに手を差し出した。分かっているくせに首を傾げて手を置いてきたセトを睨む。しらばっくれようとセトが視線を外す。しかし暫くの長い沈黙の後、ため息と共にセトはポケットから煙草の箱を取り出してしつこく差し出していたオレの手に大人しく渡してきた。封を開けたばかりなのか、二、三本しか減っていない。

「煙草は副流煙、オレは酒だから良いのー」
「どんな理由っすか......」

少し呆れたようなズルいと言おうとしているような、そんな顔が隣を歩く。相変わらず子供っぽいよなと思いながら、もう画面上には誰も居ない端末から音楽を流した。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -