夢物語の始まり



そこには、何も無かった。
否、正確に言えば無くなってしまった。

新藤カスミという人間が。
早川大地という人間が。

忽然と消えてしまったのだ。
何も残さずに。



「行っちまったな」

「えぇ、行きましたね」

「それにしても、面倒なことになりそうだ。帰りたくねぇ……」

「そのようなことを言っては、貴方を待っている“緑の御仁”が可哀想ですよ」

「こき使われるのが分かってるんだ、帰りたくなくなるだろう」

二人の人間が目の前から消えたというのに、カナタとシアンは何事の無かったかのように驚きもせず、話し始めた。

「それにしても、運命ってのは悲惨だな。また、こうして俺達は出会っちまった」

ずっと待っていた、彼女に会えること。だが、会いたくもなかった。
会ってしまえば、また彼女は消えてしまうから。自分達の前から、初めから何も無かったかのように。

「仕方ありませんよ。生まれたときから、私たちはこうなる運命の下に居たのですから」

「……相変わらずお前は嫌なことを平気で言うよな」

「事実ですからね。それに、そういう貴方こそ相変わらず過保護な方ですね」

「……るせぇ」

くすりとシアンは口元に手を当てて上品に笑う。
そんな仕草がさらにカナタを苛立てる。八つ当たりのように奥の部屋へ入るときにドアを思い切り音を立てて閉めた。
そんなカナタを見てシアンは困ったように今度は声を立てずに笑った。

「本当に何も変わりませんね。私も、貴方も、彼女も、彼らも……。いつになったら変わるのでしょうね」

シアンの目線の先にはあのステンドググラス。
何千年も前から一言も間違うことなく紡がれる伝説。
そしてこれから先も間違うことなく、それは紡がれていくだろう。

そう、何も変わらないまま。



「変われるさ、きっと。ずっと前から変わろうと思えば、変われたはずだ。けど俺達はそれをしなかった」

奥の部屋から出てきたカナタは緑を基調としたチャイナ服のようなものを着て、腰には両刃剣が提げられていた。

「えぇ、そうですね。私たちは変わるのが怖いのですよ。彼女と二度とめぐり合うことが出来ないことが。だから、どんな悲劇だろうと彼女と再び出会えることを、無意識のうちに選んでいるのです」

「でもな、いい加減俺は飽きた。夢を見続けるのが」

最後の仕上げと言うようにカナタは翡翠の腕輪をはめた。そしてシアンの隣に立ち同じようにステンドガラスを見つめた。

「おや、珍しく意見が合いましたね。私もそろそろこの役から下りようと思っていたところです」

シアンに微笑まれると、カナタは心底嫌そうな顔をしながら彼を見た。

「……なんですか、その顔は」

「いや、な……お前と意見が合うなんて、不吉なことが起こる前触れだと思って」

「失礼ですね」

「悪かったって。……それじゃ、始めるとするか」

気を取り直してカナタは真剣な表情でシアンを見た。

「そうですね、では始めましょうか」



「最後の、夢物語を語ろうか」
「最後の、夢物語を語りましょう」

――教会の鐘が鳴る。



クラスの女友達に誘われて、これから外食へ行く森下唯はその音色を聞いて立ち止まった。

「唯どうしたの? 立ち止まったりして……」

「ねぇ、こんなところに教会なんてあった?」

「教会? 知らないよ」

「あたし知ってるよ。20年くらい前に潰れたらしいの。もう中は入れないくらいボロボロだって。小学生のとき肝試しで入ったんだけど、中には綺麗な女の人のステンドグラスがあるの」

「へぇー。って唯どこ行くのよ」

「いつもの店でしょ、先行ってて!」

唯は教会へと向かって走り出した。何故かは唯自身良く分からなかったが、ただ何となくその教会が気になったのだ。

ボロボロな入口の戸を蹴り破り唯は教会の中へと入った。中は荒れ果てていて、友達が言っていたステンドガラスも跡形もなく、変わりにベニア板が打ち付けられていた。

そして当たり前だが、誰もいない。だが、何故かそこにはボロボロのバッグと、教科書やノートが落ちていた。何と書いてあるかは唯には分からなかった。

(今、鐘がなった気がしたんだけどねぇ)

気のせいだと思った唯は来た道を戻り始めた。



――教会の鐘が鳴る。
現【うつつ】ではなく夢の中で。
その教会に初めから神父など居なかったのだ。

鐘が聞こえた三人は……初めてこの教会に来たときからすでに覚めない夢の中。
弱いからこそ美しく、脆いからこそ切ない、繊細で儚い――人の見る夢。



 

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