聞こえた声 「よぉ、久しぶり。やっぱりアンタだったか」 「えぇ。覚えていてくれて嬉しいです。彼女はまた忘れているみたいですから」 「そりゃ、仕方ないだろ。あいつはまだ記憶を持ってないからな」 「それで、記憶のある貴方がわざわざ会いに来たのは?」 「一つだけ言いたいことがあってな。もう、夢物語は終わりだ」 「……本気ですか」 「あぁ、アイツなら終わらせられる。長い運命の輪を外せる」 「信じて良いのですか?」 「信じられないのか?」 「……長い間、ずっと彼女を見てきたのです。それでも、何も変わらなかった。運命は変えられなかった! もう、諦めませんか?」 「そう簡単に諦められるかよ! 俺は嫌だ、アイツばかり傷つくのが! どうしてアイツなんだ、アイツじゃないといけないんだ!」 「……」 「もう誰にも邪魔させないし、傷つけさせない、アイツは俺達のたった一人の――」 ――愛しい女神なんだからな。 「もうそろそろですかね? わりとここは気に入っていたのですが……まぁ、仕方のないことでしょう」 鼻歌交じりでシアンはステンドグラスを丁寧に拭いていた。朝一番のこの掃除はもうすでにシアンの日課になっている。これをしなければ、一日が始まった気がしないのだ。 「さて、女神は一体どなたに微笑むのでしょうね?」 ただ前だけを真っ直ぐと向き、誰か一人を見る事をしない女神が描かれたステンドグラス。それとは反対に女神一人だけを見つめる周りの者達。それなのにシアンは女神が誰か一人に微笑むと言う。 「全ての人々を平等に見ている女神も……所詮は女ですからね。女神の愛を頂ける光栄な人はどなたなのでしょうか」 この世には『男』と『女』そして『生』と『死』しかないとシアンは考えている。 どんなに神々しい女神でも女であることには変わりは無い。ならば彼女とて全ての人々を平等に愛することなどできぬと考える。 願わくば、女神の愛が自分だけに向けられるように……。 それがシアンの男としての望みだ。聖職者としてではなく、たった一人の男としての自分の素直な願いなのだ。 女神に愛されたいなどと言えば、ほとんどの者がバカにしたような目で彼を見るだろう。それでもシアンには関係など無かった。 彼にとって一番大事なのは、世間体ではなく自分が女神に愛されたいと言うことだけ。 それさえあれば他に何もいらないのだ。 あの宴会から二週間。 これといった変化もなく毎日がすぎていった。十月も終わり、風が急に冷たくなってきた十一月の半ば、何のイベントも無くカスミ達は毎日同じように授業を受けていた。 あの宴会以来、何故か大地が昼食に加わるようになった。誰が誘ったわけでもなくいつの間にか自然と一緒に食べるようになった。大地は空気みたいに初めからそこに居たのではと思うぐらいにカスミたちの中に溶け込んでいた。 そして今日も四人で昼食を食べる約束をしていた。たまたま四人とも午後の授業までの時間がかなり空いていたので、今日は外に食べに行くことになっていた。久しぶりの外食で浮かれているのかカスミは授業のノートは取っているものの、教授の話のほとんどが左から右へと流れていた。 (どこで食べるつもりだろ? せっかくだし、家で作れない美味しいものが食べたいな) 時計を見れば授業終了まで後二分といったところだ。もう集中力の切れているカスミは何気なく外を見つめた。 そして数多くの人々の中から見つけたのは、見慣れた赤。 (カナタ兄さんと、早川かな。どうしたんだろう、約束の時間にはまだ早いはず) 十二時に玄関前に集合だったはずなのだが、二人はすでに校門へと向かって歩き出している。後二十分程度で約束の時間なのだが、一体どこへ行くというのだろうか。 授業が終わるとカスミはノートや筆記用具をカバンの中に詰め込んで、急いで校舎から外に出た。校門のほうへと走りながらカナタたちの姿を探した。カナタたちは話しながらゆっくりと歩いていたため、カスミの足でもすぐに追いつくことが出来た。 「兄さん」 「ん? カスミか、どうかしたのか?」 走ってきたせいで少し息の荒いカスミをみてカナタが不思議そうに声をかけた。 「あ、もしかして僕達のこと探してた?」 大地はカスミの後ろにある校舎にかけられた時間を見て、約束の時間が近いことに気づいた。 「いや、教室から見えたから。追って来ただけ」 深呼吸をして息を整えてからカスミが言う。あっさりと返されてしまったので大地は顔には出していないがちょっと残念そうだ。 「じゃあ、カスミも一緒にシアン神父のとこ行くか? 昼まではちょっと時間あるからな」 「そうする。残ってもやることないし」 カスミを真ん中にして三人は教会までの道を歩き始めた。 教会に着くとカナタと大地が先に入り、中に居るであろうシアンへと挨拶をした。 「ちわーっす」 「お久しぶりです」 真ん中の通路の奥、ちょうどステンドグラスのまん前でシアンは膝を立てて祈るように頭を下げていた。声をかけられてゆっくりと立ち上がり振り返ってカスミ達に笑顔を向ける。 「はい、こんにちわ。お久しぶりですね。カスミさん、カナタさん、大地さん。ようこそいらっしゃいました」 ただ、いつもと違うのは神父服ではなく、十字架と花をかたどった刺繍のある漆黒の、まるで御伽話の魔法使いが着るようなローブを身に着けていた。 「シアンさんその格好は……」 「あぁ、これですか? 実はこれが本当の私の国での正装なのです」 不思議そうに呟く大地にシアンは困ったように笑いながらローブの裾を少しだけ持ち上げた。 「すげーな、まるで魔法使いみたいだ」 興味津々なカナタはずんずんと前のほうへと歩いていき間近でそのローブを眺めている。カスミや大地もカナタの後に続き前のほうまでやってくる。 「それにしても、変わった正装ですね。シアンさんの出身ってどこですか?」 「こういう神父服は私も初めて見た」 「私の国は小さな国ですよ。ほら、丁度皆さんの足元を見てください」 シアンが自分達の立っている絨毯を指差すと、カスミと大地が続けてそれを見る。その絨毯には様々な模様が描かれていたが、そこには地図らしきものがあった。 「地図?」 「そうみたいですけど、地球のものじゃないですよね……」 (どうして、この地図が? ……っ―――!) 突然の頭痛に大地は米神を押さえる。 「これが私の国です。そして貴方の救う国でもある」 『これが僕の国ですよ。そして貴方が救う国でもあります』 カスミは声を聞いた。 シアンの声に重なるまだ幼い少年の声を……。 「助けてあげて下さい。この世界の闇を……」 『お願いします、助けてください。彼を………』 「『グリアラスを」』 ドサリ。 何かが倒れる音がした。その何かが何なのかは分からない。 ただ倒れる音がした。 大地は激痛が走る米神を押さえながらその音を最後に聞いた。 あまりの痛さに目を開くことが出来なかった。もう、まともに考えることも出来ない。 ただ、その痛みから逃れるように意識を手放した。 『ダイチ!』 最後に誰かに名前を呼ばれた。 けれど今の大地はその声が誰のものなのか知ることが出来なかった。 ただ、呑み込まれていく。深い闇に―――。 「早川!?」 突然倒れた大地をカスミは支えようと手を伸ばした。否、伸ばしたはずだった。 だが、どうだろう。カスミの手は大地に触れることなく、大地はそのまま絨毯の上に倒れる……はずだった。 (確かに早川はここに居たはず……なのになぜ) 消えた、居ない、いない、イナイ、イナイ、イナイ、イナイイナイイナイ―――。 どうして? 何故? 何で? なんで? ナンデ、ナンデ、ナンデ、ナンデナンデナンデ―――。 ナンデイナイ? ナンデイナイ? また、消えた……。 みんな、ミンナ、ミンナミンナミンナ―――。 ワタシヲオイテミンナキエタ。 ナンデイナイ? ナンデオイテク? ドウシテ? 愛シテクレルって言ったのに……。 カスミは頭に響く声から逃げるように、耳を塞いだ。 けれど大して変わることは無かった。 声は止まることなく響いていた。 『愛』が欲しいと叫んでいた。 どうして消えたのかと泣いていた。 その声が痛いくらいに響いていた。 (泣くな! 私が一緒に居てやる! だから、頼むから泣かないでくれ!) アイシテ、ワタシヲアイシテクダサイ。 オネガイダカラ、モウヒトリハイヤ……。 一人は嫌……。愛して私を……僕を……。愛して。一人にしないで……。 ずっと待ってるから。―――が来るのをずっと待ってるから。 何年たっても、何回生まれ変わっても……。―――が来るのを待ち続けてるから。 忘れないで……。―――が居てくれればほかに何もいらないから……。 (会いに行く。必ず行くから……もう泣くな!) 約束だよ……。 やっと納まった声、けれどカスミはもうすでに限界まで来ていた。ふらふらとよろめく体を重力に任せて倒れた。 そして精神的な負担からか、襲い始めた眠気に逆らうことなく意識を失った。 ← → Back |