追われる男


(くそっ! しくじったか……)



男は走っていた。

狭い路地裏を追っ手から逃げるために走り続けている。

男の体は真っ赤に染まっていた。

他人の血と腕の傷口から流れる自分の血だった。

「逃がすな、殺せ!」

煩い足音がだんだん近づいてくる。

その数も次第に増えているようだ。

(こんな所で死ぬ訳にはいかない)

鉛のように重たい体を引きずりながら、男は路地裏から出た。

もうすぐ日付が変わる時間のためか人通りはまったく無かった。

「いたぞっ! こっちだ!」

待ち構えていた追っ手の一人が男に向かって銃を撃つ。

男は何とかそれを避けると懐から銃を取り出し、何のためらいも無く引き金を引いた。

弾丸は銃口から真っ直ぐ追っ手の男の眉間を貫き、その命を散らさせる。

男はそのまま走り、林を見つけると柵を飛び越え茂みの中に隠れた。



しばらくすると男達の話し声が聞こえた。

男は息を潜め隠れる。

「くそっ! どこに行きやがった! 見つけたらただじゃおかねぇ」

「おい、向こう行ってみるぞ!」

足音と話し声はだんだん小さくなっていく。

まったく音が聞こえなくなると、男はさらに林の奥へと進んだ。

(ここは……何処だ?)

この街に、このような林があっただろうか。

不思議に思ったが、男は手ごろな場所を見つけると木の幹を背もたれにして目を閉じた。

仕事柄、熟睡することは出来ないが、眠らなければ体が保たないのも事実。

夜行性動物の小さな気配と、木々のざわめきに包まれながらしばしの休息に有り付いた。



そして、夜は明ける。





「ユリアお嬢様。お目覚めになりましたか? 食事の準備はすでに出来ております」

「そう、ありがとう。すぐ着替えていくわ」

一人で寝るには大きすぎるキングサイズのベッドに横たわっていたユリアはゆっくりと体を起こす。

色とりどりの服が並ぶクローゼットから、ユリア自身を表すような純白のワンピースを選んで着替える。

母親譲りのブロンドの髪は銀のバレッタで止め、軽くメイクをしてから自分の部屋を出る。

すれ違いざまに頭を下げる使用人達に挨拶をしながら、食事の用意をされた部屋へと足を運んだ。

部屋にはいつもどおり一人分の食事が用意されていた。



誰にも気づかれないようにユリアはため息をついた。

一人だけの食事が始まったのは、ユリアの母親が亡くなってからだった。

どんなに忙しくても食事を一緒に取るのが家族だと言うのが口癖だった母親。

仕事に追われる父親もユリア達のために一緒に食事を取っていた。

だが、そんな母が病死した後、父は変わってしまった。

仕事ばかりを優先し、顔を合わすことも最近ではめったにない。

けれど誕生日になれば毎年プレゼントを忘れずにくれるあたり、まだ優しい父親のままだとユリアはほっとしていた。

一人での食事を早々にすませたユリアは日課である食後の散歩に出かけた。

散歩といっても庭を歩くだけであって、家の敷地内から出ることはない。父親がそれを許さなかった。

必要なものは全てそろったし不自由な生活ではないが、ユリアは外の世界に憧れた。

テレビや本でしか知れない外の世界はきっと自分の知らない楽しいことがたくさんあるに違いない。

そう思っていた。

「今日は天気も良いし森林浴でもしようかしら」

庭のさらに奥には林があった。色々な種類の樹が植えられた雑木林だ。

今の季節は落葉樹が紅や黄に色を変えてゆく。

そんな林に、ユリアは足を運んだ。


 
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