「おはよう」
「え?」
ふと、突然隣から聞こえてきた声に反射的に顔を向けてしまった。
視界に入ったのは制服のボタンで、なまえは少し顔を上にあげて声の主を見上げる。
「花京院……くん…」
「ああ…。わたしの名前を覚えててくれたんだ」
「う、うん。転校生だし……」
なまえに声をかけたのは、転校生である花京院だった。
花京院よりも前にいたはずの承太郎が来ていないのにどうして、と一瞬なまえは硬直したが、彼はここ最近学校へ来ていなかったのだ。今日だって気が変わって帰ることにしたのかもしれない。
しかしその思考はわざとそうしているわけで、何故かなまえは無意識のうちに、目の前にいる花京院について思考することを自分の脳に止めさせるように警戒音を鳴らしていた。
こちらを観察するような、品定めするような。
それでいてどこか達観しているその視線に、背筋が凍る。
「それ、痛そうだね。大丈夫かい?」
花京院がそう指差したのは、なまえの左腕についた鋭い切り傷。
なまえは花京院から目線をその傷に移した。
「う、ん。大丈夫。痛くないし…水道で少し洗えば平気だよ」
「一応、消毒したほうがいいんじゃないかな?」
こうして見れば、個性的な前髪とピアスをしているただの高校生である。
こちらを心配してくれているその表情も、作り物とは思えない。
先ほどまでのことは気のせいだったとでもいうように、彼はあまりにも普通だった。
「わたしは昨日保健委員になったばっかりなんだけど、もし良かったらわたしに手当てさせてくれないかな?」
「え?そんな、大丈夫だって。そんな大げさな…」
結局彼が保健委員になってくれたのか、となまえは花京院の提案を断りながら昨日の彼女を思い出す。
きっとこれからは保健室を利用しようとする女子生徒が増えるのだろうなあ、などと思いながら、その第一人者をどうにかして回避しようと思考をフル回転させた。
しかし、結果的にそれは失敗することになる。
「保健室の場所だけは覚えてるから、迷子になるようなことはないよ」
それは安心していいよということなのかわかり辛いな、となまえは花京院の横を歩きながら苦笑いを浮かべた。
どうやら悪い人ではないようだし、なまえは引き下がらない花京院に負けてこうして保健室へ向かっている。
まだ授業は始まらないが、先生は既にいるのだろうかとそちらばかりが気になって仕方が無い。
転校してきたばかりの彼と話すこともなく、沈黙のまま二人は人気の無い廊下を歩いていた。
ふと、花京院が前を向いたまま静かに口を開く。
「……君は、空条承太郎を知ってるかな?」
「え?あ、まあ…。色々と有名だし」
ケンカの相手を何人も病院送りにし、教師を辞めさせ、食い逃げをしたとかなんとか。
何度か牢屋にも入れられているらしく、しかし女子にはモテモテという色々な意味でも最強の高校生だ。
花京院も朝、女子生徒に囲まれている彼をきっと目撃しただろうからその情報を言えばすぐにわかるだろうとそれを言おうか少し悩む。
しかしなまえがそうやって悩んでいる間に、花京院が首をかしげた。
「…?その言い方だと君は彼と仲良くないみたいだね」
「そうだね…。まあ、同じクラスってだけでそんなに話したことは無いから」
元々承太郎自体があまり喋る人間ではない、ということもあるかもしれないという言葉をなまえは飲み込んだ。
なまえが見ていないだけで実際彼は仲良しの人にはかなり喋るタイプなのかもしれないし、と話題の中心である空条承太郎のことをわかる限りで思い出す。
彼とは1年の頃もクラスが同じであり、その見た目のインパクトと腕っ節、そしてあの異常なモテ方からなまえは彼の名前は覚えていたのだ。
「(まあ……それだけじゃないけど)」
それは今関係ないことだろう、と違うことを思い出そうとする。
「ふぅん…でもクラスメイトか。まあ、十分かな」
「十分………?」
横を見上げてみれば、先ほどまでそこにいたはずの花京院の姿が無い。
次いで、後ろで足音が止まる。
一人で納得したように呟いている花京院を、なまえは振り返った。
どうやら考え込んでいて周りのことが見えていなかったらしい。
「(そういえば―――)」
転校したての彼が、どうして空条承太郎のことを知っているのだろうという疑問がふと浮上した。
確かに彼はこの辺りでは有名な不良であるから、大抵の人は彼のことを名前くらいなら知っている。
しかし彼は転校生であるし、そして彼は空条承太郎に出会っていないはずだ―――と考えたところで。
なまえの背筋が、一瞬で凍った。
見間違いなどではない。
彼の―――目の前の花京院典明の顔から一切の表情が消え、その瞳から温もりが失われた。
そして転校生である花京院典明は、クラスメイトの名字なまえをその冷たい瞳でじっと見下ろして。
「少しの間、君の身体を借りるよ―――名字さん」
「え」、名前教えたっけ?