そこは静寂に包まれていた。
しかしそれは普段通りでありいつも通りである。
何の異常も、妙な異変も存在しない。
だがその光景は異様なものであった。
「…………………」
一言で表すのならば、そこは墓地であった。
ただの墓地なら何の前置きも不要である。
この墓場は―――このエリアは、地下9階に存在していた。
「……やっぱり此処か。最近すっぽかしすぎだぜ?」
「………………何の用だ」
墓場を何とも思わず、普段通りの笑顔を浮かべながら高千穂仕種はそのエリアへと足を踏み入れる。
それに答えたのは、この場の雰囲気に溶け込みそうな宗像形であった。
その目は現れた高千穂を捉えていたが、とても歓迎しているものでは無い。
しかしこの墓場エリアに蔓延する冷気のように冷たいソレを受けても、高千穂は平然と笑みを浮かべていた。
「別に俺は構わないけど、計画に参加してるんだから研究にはある程度参加しないと不味いんじゃねぇのか?お前の場合、指名手配されてるんだから余計にさ」
「……………ああ。そうだな」
「……ったく、」
高千穂の言葉にも、宗像は普段通りの無表情で静かに答える。
しかし、どこか上の空であった。
そんな宗像を見て、高千穂は宗像のことなど気にせず言葉を零すと同時にため息をはく。
しかしそれを聞いても、宗像はただぼんやりと墓場に立っていた。
「そんなに気にしてんなら会いに行ってくればいいだろ」
「…………?理事長にか?別に、僕は指名手配のことは気にしてない」
「名字なまえだよ」
「………………………」
高千穂の後ろにあった墓石が、真っ二つに切れる。
ズズズ、と動いた墓石の上部が、ドシンと鈍い音を出して地面に落ちた。
しかしそんなことは些細なことだとでもいうように、高千穂はチラリともそちらを見ようとはしなかった。
「あいつがすぐ退院したってのは聞いてんだろ?後遺症も傷跡も無いってこともだ」
「ああ」
「なんだよ。殺人鬼が殺し損ねたから笑いの種にでもされるってのか?」
「………………」
「冗談だよ」
そう笑うが、高千穂は宗像に必要以上には近付かない。
確かに自分の異常性で宗像に殺意を避けてはいるものの、殺されるという感覚を回避することは出来ないのだ。
避けたあとで―――危機が来る。
いつ、殺されてもおかしくはない。
しかしそれでも、高千穂は生き延びる。
「……仮に僕が彼女のことを気にしていたとして、」
「仮にってお前な」
「気にしていたとして、だ。お前にだけは言われたく無い」
「はあ?」
高千穂の顔から笑顔が消え、代わりにその眉間に皺が寄った。
宗像が何を言ったのかが理解出来ないというその表情と声音を、一切隠さずに、反射的に高千穂は表に出していた。
「お前こそ、彼女に会いに行けば良いだろう。一人で会いに行くのが嫌だからと僕を巻き込むな」
「おい、意味がわからねぇぞ」
「僕は会いに行かない。これが答えだ」
それ以上は何も言わないとでもいうように、宗像は高千穂へ背を向けて歩き出す。
高千穂は「おい」とその背中に声をかけるが、立ち止まろうとしない宗像をそれ以上引きとめようとはしなかった。
寒いくらいの冷気に顔をしかめ、高千穂は宗像の姿が見えなくなる前に自分のエリアへと戻る道を歩き出す。
「……ったく、」
珍しく、舌打ちをしたい気分であった。
しかしふと立ち止まる。
「(何の音だ………?)」
立ち止まって耳を澄ましたところで、その音は既に聞こえなかった。
規則正しい、何か軽い音が聞こえた気がしたのだが、高千穂はそれの正体を見つけられないでいた。
「ん?ここはどこだ?」
「――――――!?」
高千穂は、勢い良く振り返る。
それが人間故の反射か、自分の異常性故の反射かはわからなかった。
とにかく、高千穂は驚いた。
反射よりも先に―――だ。
「お。いいところに。悪いが、私にここがどこなのか教えてもらっても構わないかな?」
「………だ、れだお前…」
高千穂は警戒する。
ここは地下九階であり、フラスコ計画の本拠地でもあるのだ。
勿論入るにはそれなりの"異常性"が無ければ無理である。
しかし、高千穂が目の前の青年を警戒対象に入れたのはそんな理由ではない。
・・・・・・・・・・・・・・
「なんでエレベーターを使ってる……!」
「ん?そりゃあ…まあ、便利だからとしか言いようがないな」
そうは言うが。
そのエレベーターは、と高千穂は驚きの眼差しから観察するような視線へ代える。
便利だからといった理由で此処のエレベーターを使えるのなら、自分だって使っている。
高千穂は長い階段を地下一階から地下九階までわざわざ降りてきて、それでいてこれから上ろうとしていたところなのだ。
それは高千穂が身体を動かすのが好きだからなどという理由ではない。
そういった理由も含まれるかもしれないが―――しかし。
・・・・・・・・・
高千穂程度の異常性では、このエレベーターを起動させることは出来ないのだ。
「あの老人には特にエレベーターを使ってはいけないなどということは言われなかったのだがな…ふぅむ。もしかしたら、暗黙のルールとかがあったのか?」
「……んなもんねぇよ。"使える奴"は、エレベーターを使えばいい。俺は"使えない奴"だから階段を使うだけだ」
「…ああ。なるほどな」
その高千穂の言葉だけで、青年は高千穂が言いたいことがわかったらしい。
地下に入る際に扉へ入力するパスコードの機械と同じものを見下ろしながら、青年は未だに口元へ笑みを浮かべていた。
「さっきの質問に答えるが、ここは地下九階。枯れた樹海のエリアだ。ちなみに俺は高千穂仕種。地下一階が一応割り当てられてる」
「ああ。あの迷路か」
地下一階の巨大迷路を体験してきたのか、青年は思い出したように笑みを深くする。
相変わらずその身体はエレベーターの扉に背を預けていたが、何かを思いついたとでもいうようにエレベーターの横に取り付けられているパスコードへと手を伸ばした。
「…………………」
同じだ、と高千穂は思う。
この地下に入る最初の門に自分がパスコードを"適当"に入れるのと同じで、目の前の青年はエレベーター横のパスコードを"適当"に入れている。
しかしそれでも、目の前の青年ならばこの扉を開けるのだ。
自分にも。そして、宗像形にも開けないこの扉を。
「行くぞ高千穂。地下一階だったな?」
「なんだよ。俺がエレベーターを使うくらい貧弱に見えるのか?」
「そんなことは言っていない。ただ、お前が乗ってくれればもう私は階数を間違えなくて済むと思ったんだ」
青年はエレベーターの扉を開けておくボタンを押しながら、高千穂が乗るのを待っている。
高千穂はしばらくそんな青年を見つめていたあと、小さく溜息をこぼすとゆっくりとエレベーターへ乗り込んだ。
そして扉が閉まる頃、青年は静かに地下一階へのボタンを押す。
「自己紹介が遅れた。私は糸島軍規。仲良くしてね」
「ああ…………………………………………よろしく」
言うかどうか、たっぷり悩んでから高千穂はそう一言だけ呟いた。