箱庭学園の一年十三組に所属する黒神真黒は、伝説の分析家としてその筋のほうでは有名な人物であった。
しかしそんなマネージメントの天才、魔法使いとまで呼ばれたトレーナーである黒神真黒は小学校に入学するまで他の子供と同じような普通の幼児といった感じに見られていた。
それが彼の異常性であるが故なのかはわからないが、その才覚は中学生になったころに爆発する。
黒神真黒は自分で何もできない代わりに、他人のプロデュースに関して神がかり的に長けていたのだ。
十三歳の頃から実家の企業コンサルティングを陰で担当していて、大きな声では言えないが黒神グループを日本有数の財団から世界有数の財団にまで跳ね上げたのは彼の功績である。
身内仕事だけではなく企業から個人に至るまでありとあらゆるマネージメントを請け負う生まれながらの参謀なのだ。
「お前は上がるものを上げているだけだ。最初から期待していないものを上げようとはしていない」
屋久島が言ったあの言葉が、笑って流したはずのあの言葉が。
黒神真黒の頭の隅にこびりついて離れなかった。
笑えないほどに、それは真黒の過去を思い出させる。
「きみはあまりにも貧弱すぎるな。今の内に離れておいた方が身のためじゃない?」
あれは本心から言ったものだったし、妹が関わっているからと大げさに言ったわけでもなかった。
真黒はRPGが好きで、どんなヘボイキャラでもレベル99まで上げなくては気がすまない異常性であったが―――どんなヘボイキャラでも、"上がるものは上がる"のだ。
それ故に、彼やあの剣道部の生徒達のことなど黒神真黒の眼中には存在しなかった。
しかし、クラスメイトである彼女は違う。
上がるとか上がらないではなく―――上がるのか上がらないのかすらわからない。
黒神真黒は生まれてきて初めての感覚に戸惑うしかなかった。
そして戸惑いを拒絶しようとして、それは排除の殺意へと変わる。
「予測可能回避不可能っていうのはこういう状況のことを言うんだろうね」
黒神真黒は首を絞められて未だ弱っているなまえを後ろから抱きしめるようにして座り直し、殺す気でこちらを睨みつけている宗像を見上げた。
なまえの口は真黒の左手で塞がれていて、喋ることは出来ない。
宗像は握っていた刀の切っ先を真黒に向け、表情を変えることなく口を開いた。
「もう口を開かなくていい。お前は今から僕が殺す」
しかし何故か宗像は無闇に動こうとはしなかった。
真黒もなまえも戦闘が出来るタイプではない。
宗像がすぐさま動けばなまえも真黒も一秒と経たないうちに5回は殺せるだろう――――なのに、宗像はそうしなかった。
宗像は今さっき黒神真黒を殺そうとして、先日は何度もなまえを殺そうとしていたのにも関わらず。
二人殺して終いじゃないかと、なまえはぼんやりとする頭でうっすらとそれを考えた。
しかし真黒は、そんな宗像の行動理由を解っているらしかった。
「それは困る。それに、宗像くん。君になまえちゃんは殺せないだろう?」
「…………何?」
カチャ、と宗像の握っていた刀が少しだけ音を鳴らす。
なまえとだけ言った真黒は、その台詞だけを聞いてみればどうにもなまえを盾にしているようにしか見えない。
しかしその言葉が無ければ、自分の大事な玩具を胸に抱える子供のような、そんな印象を真黒に受ける。
そして宗像は、そんな真黒の言葉を待った。
「君はどうにもなまえちゃんを殺そうとしていたようだけど、そんなことをする理由は無かったんじゃないかな」
「そんなもの」
「邪魔だから。視界に入ったから。お腹が空いたから。天気が良いから。そういった理由があってこその異常な殺人衝動だ。だけど、なまえちゃんを殺そうとする理由は君には無かっただろう」
最後に真黒は断言した。
疑問符も問いかけも無い。それは解析結果だけを述べるように。
「理由なら―――ある」
「そうかい」
宗像の嘘を、真黒は平然と見抜く。
「宗像くん。君が今抱いているその異常なまでの殺人衝動はこの僕に対してであってなまえちゃんに対してじゃ無いんだよ。君は今までに一度だって、なまえちゃんに殺人衝動を抱いたことは無いんだから」
「…………………」
「君だってわかっているはずだ。なまえちゃんをそんな躍起になって殺そうとするのは、なまえちゃんを人間だと思いたいからだろう。殺人衝動を抱けないなまえちゃんが人間なのかどうかを殺して理解しようとしているんだ。自分の異常を否定するなまえちゃんを殺して、自分を存在を確かめようとしている」
それは、宗像のことを言っているのか自分のことを言っているのか。
確定していたはずの解析結果が、なまえが関わると不安定になる。
不確定要素ばかりで、解析不能。
そんなことはありえない。
自分はそういう人間なのに、彼女には一切のそれが効かない。
まるで自分と言う人間を否定されるようななまえの存在に、今まで自分の異常性と共に生きてきた真黒はどうしていいかがわからなかった。
相手のことがまるでわからないというのは普通のことであるけれど、普通以上に相手のことがわかる真黒には、それこそが異常なことで。
異常である黒神真黒は、つまるところ異常な存在であるなまえに、耐え切れなくなってしまったのだ。
「―――そうだ。僕も同じだ」
それは真黒の独り言であったが、真黒は嬉しそうに笑みを零す。
そして空いていた右手をなまえの前に回し、愛しそうになまえの耳元に顔を近づけた。
「殺す」
瞬間、膨れ上がる殺意。
真黒の頬を鋭い痛みが走り、後ろの壁にナイフが突き刺さる。
コンクリートの分厚い壁であるにも関わらず、そのナイフは欠けることなく静かに突き刺さったままだ。
「図星かな、宗像くん。僕の頬を傷付けただけじゃ、いくらひ弱な僕だって死にはしない」
地面に倒れる牛深を挟み、二人のクラスメイトは対峙する。
真黒は自分の頬を流れる血を気にすることなく、銃を握りしめる宗像を睨み上げた。
「残念だけど宗像くん。君の望みは叶えられそうにない」
真黒が言う"望み"とは、先程真黒が言った『自分の存在を確かめる』ということだろう。
宗像はそれを否定も肯定もしなかった。
それは真黒が言ったことが本当のことだったからか、それともただの妄想だろうと聞き流しているだけだったのか。
そして、なまえが絡んでいるとはいえ異常なまでの解析者である黒神真黒が、確信の無い妄想をただ単に突きつけるわけがなかった。
「僕は僕自身のために何が何でもなまえちゃんを解析して、僕の存在を確定させる」
「何度も言わせるな。お前はここで、僕に殺される」
ただ静かな教室で、うるさいくらいにその銃声は鳴り響く。