「……………はあ、」
「どうしたの黒神くん。珍しく上の空だけど」
「ああなまえちゃん。抱きついてもいいかい?」
「日之影くんに殴られてもいいなら」
「なまえちゃんに殴られるなら本望なんだけどね」
そうは言うが、黒神は自身のロッカーの扉に手をかけたままぼーっとロッカーの中を見つめている。
なまえが黒神の後ろにまわり、少し背伸びをしてロッカーの中を覗きこんだ。
しかしそこには教科書とノートが綺麗に並べられているだけで、それが黒神の溜息の原因ではないようだった。
なまえは背伸びをやめ、こちらに背中を向けている黒神に次の授業の教科書を抱えたまま口を開く。
「えーっと、チョコでも食べる?」
そう言ってから、黒神家の長男がそこらへんで売ってる100円もしないチョコを食べるはずないかと次の言葉を探す。
しかしなまえがその言葉を探し終わる前に、黒神はくるりとなまえの方を身体ごと振り返った。
「そうだね。もらおうか」
「え………う、うん。口にあうかはわからないけど…」
「僕もコンビニで売ってるお菓子くらい食べるよ。というかなまえちゃんの中で僕はどういう扱いなんだい」
「変態?」
「いや、まああってるけどさ…」
軽く笑みを零しながら、黒神はなまえに差し出された一口サイズのチョコを受け取って口に入れる。
それから片手でロッカーの扉を閉め、鍵をかけた。
そして黒神が先に教室へ入ると、なまえも後に続く。
既に席について教科書を机の上に置いている日之影が顔を上げた。
「………次は英語だぞ」
「え?知ってるよ」
「手にしてるものをよく見てみろ」
「……あ、ああ…。わざとだよ。どうやら僕には天然キャラというものは似合わないらしい」
「そうだな」
黒神の冗談を適当に返し、日之影は呆れたような心配そうな溜息をはく。
焦った様子も見せず、黒神はゆっくりと教室を出て行った。
なまえはそんな黒神を見送りながら、席についている日之影へと歩み寄る。
「黒神くん、どうしたんだろうね」
「ああまあいや…大体予想はつくがな」
「そうなの?」
「黒神も相当ヤバイ感じだが、そういったかなりの奴と関わってるんだろうよ。それに慣れろっていう方が無理な話だ」
「ふぅん…。みんな授業には出ないのかな」
「むしろ出てる方が稀だろうよ」
「学生の本業は勉強だよ」
「普通みたいなことを言うんだな、名字は」
「?褒めてるの?」
「少なくとも貶してはいないさ」
そこまで会話して、黒神がゆっくりと教室へ戻ってきた。
しかし、その手には何も握られていない。
「あれ?黒神くん、教科書は?」
まさか学業はとうの昔に終えているから教科書など必要ないという反抗の印だろうか、となまえは考えたが黒神の表情を伺う限りどうやらそういうわけではないらしい。
黒神は少し困惑した表情で口を開いた。
「どうやら地下……家に忘れてきたみたいだ。悪いけど見せてもらえないかな?」
そうやって笑う黒神に、なまえは思い出す。
去年、そう言われて教科書を見せた彼はどうしているのだろうか。
「ああ。別に構わないが」
「ありがとう」
日之影が教科書を置いていた場所を移動し、黒神はノートと筆記用具だけを持って自身の席から日之影の隣へと移動する。
なまえは自分の席に座り、ノートと教科書を開いた。
「黒神くんと日之影くん、放課後暇だったりする?」
ノートに貼られた付箋を見て、ふと思い出したようになまえは尋ねる。
今日はこれで授業が終わりだったはずだ、とB4の紙に印刷されている時間割を盗み見た。
「あー、すまん。今日は、というか恐らくこの先放課後は忙しい」
「僕もちょっと難しいかな。なまえちゃんの用事にもよるけど」
2人とも申し訳無さそうになまえを見ながら言うが、なまえはその返事を特に不満がってはいないようだった。
「ううん。大丈夫だよ。ありがとう」
他の誰かに訊こう、とノートに貼られた付箋を指先で撫でる。
するとシャーペンで書いたからか、書いた文字が伸びて読みにくくなってしまった。
慌てて新しい付箋を取り出し、書いてあった文章と同じ文章を書き始めた。
「…………っとまあ、いつも英語が終わったあとは死んでるなまえちゃんだけど、本当に大丈夫なの?」
英語の授業が終わり、黒神は日之影に教科書のお礼を言ったあと自分の席に戻りながらなまえに尋ねる。
しかしなまえは放心状態で付箋が貼られたノートを見つめていて、聞き取れるかどうかの小さな声で「うん」とだけ呟いた。
「だ、誰か暇そうな人にきいてくるから大丈夫!」
「……昼とか休み時間なら教えてやるから、無理はするなよ」
「日之影くん優しい…」
「勿論僕も手取り足取り…」
「日之影くん優しい!」
「なんで2回言ったの!?」
驚きの声をあげる黒神を無視して、なまえは一転、嬉しそうな表情を浮べたまま鞄に教科書とノートを仕舞い込む。
一番ドアに近い黒神が溜息をはきながらドアを開け、「それじゃあまたね」と教室から出て行こうとした瞬間。
「覚悟!」
「うわ!?」
黒神が、教室内へと倒れこんできた。
その光景に、何事かと日之影となまえは同時に立ち上がる。
「ふふーん。今日はやってやったでぇ!!……って、なんや変態の方かいな」
「あ、鍋島さん」
「よ!元気やったか名字なまえ!!」
「随分とした挨拶だね十一組の子……」
「せやから鍋島猫美っちゅー名前があるゆーてるやろ」
「僕は戦闘員じゃないからいいものの、これが日之影くんだったらドアを開けた瞬間君の頭と胴体は離れ離れになってたところだよ?」
「じゅ、十三組…恐ろしいところやな……次から気ぃつけるわ………」
「おい待てお前ら」
最後の最後に日之影が呆れたようにツッコミを入れるものの、当の本人達は対して気にしていないようだった。
鍋島猫美の十三組奇襲―――これは鍋島猫美が最初になまえを襲った日から、度々起こっていることである。
そのせいか、この3人は既に彼女の登場を日常として受け入れていた。
「にしてもどうして君はなまえちゃんのことを狙うんだい?」
「せやからまずは同じくらいの体格の子から攻略していくのがセオリーやろ。同じレベルからやっていく。そういうもんやで」
「同じレベル、ねえ…」
「ちなみに戦闘員やない変態は下な」
「もはや眼中にないだなんて………」
落ち込む黒神を無視し、鍋島はその瞳でしっかりとなまえの目を見つめる。
なまえは鍋島の言葉を特に気にしているわけでもなく、鞄を持って帰る準備を万端にしていた。
「え、じゃあ日之影くんは?」
ふと思ったなまえが、鍋島にきく。
なまえから質問があるとは思ってなかったのか、鍋島は少し驚いたあと日之影を見て苦笑いを浮べた。
「こんな近接戦最強!みたいな奴倒せっちゅーほうが無理な話しや。軍隊レベルちゃうのん?この人。今のままじゃレベルが足りん」
「え、日之影くんってそんなに強かったんだ…」
「…買い被りすぎだ」
「頼もしいね!」
「頭の良さは僕の方が上だよなまえちゃん!」
「日之影くん頼もしいね!」
「ねえなんで2回言ったのしかも名前付きで!!」
もはやコントだ。
「というかもう部活の時間じゃないのか」
「な!しもた!!遅刻するー!ほな、次はやっつけたるわ!覚えとき!」
「…………なんで彼女はあんなにも噛ませ犬臭がするんだろうか」
「…………さあ…」
黒神の呟きに同調した日之影であったが、その謎は解けなかった。