「にひひひひひ」
見開いた目を閉じようともせず、奈布二音は穴が開くほどに私の右手を見つめている。
奈布二音の顔面すれすれで止まった右手は、私の意思で止まっているわけではない。
「何してんだよ、なまえ」
私の右ひじを掴んだだけで、いとも簡単に私の右腕は動きを止めた。
その掴んだ本人は、帰宅したはずの軍規だった。
なんでここに、とは思ったが、行動を制止されたせいか頭の痛みがぶり返してくる。
そのまま右腕を軍規に預け、ついでに身体も軍規に預けた。
嫌がるそぶりも見せず、軍規は座ったまま上半身を後ろにさげる私を受け止める。
「軍規、軍規…!た、たすけて!この女、アタシを殴ろうと…」
「ん?そうか。だからどうした?」
いつもの口調で、軍規が奈布へたずねる。
きっと表情にはいつもの笑みが浮かんでいるのだろう。
奈布は軍規が何を言ったのか理解出来なかったのか、笑顔を浮べたまま凍りついていた。
「どうした、…って」
「私はなまえに今日の宿題は何処だったかを訊きにきただけだからな」
そういって、軍規は前を向いていた顔を下へ向ける。
私の頭のてっぺんを見下ろすような形になったので、見えなくても気配でそれがわかった。
「何ページだったかわかるか?なまえ」
「えー、あー……確か、37ページ…」
「じゃ、じゃあ!!」
人が痛い頭を動かして宿題のページを教えているというのに、近くで大声を出すな。頭が痛い。
というか、最初にくらった椅子での攻撃が結構ひどかったらしく、左肩が今一番痛いかもしれない。
軍規が帰るついででいいから、保健室に私を運んでくれたりしないかな。
「じゃあなんで!そいつがアタシを殴ろうとしたのを止めたの!?助けてくれたんじゃないの!?」
「あまりに話が長かったから割り込ませてもらおうと思ってな」
なんだか無性におかしかった。頭がぼーっとしていなくて痛みもなければ、思いっきり笑い転げたい気分だ。
そうか、いや、最初からわかっていたけど。
軍規は異常だ。
それがどんな異常なのかは知ったことではないけど、普通じゃない。
こんなところで普通に学校生活を送っていること自体、軍規のような異常ではありえないというのに。
転校して来たというのも前の学校で何かあったのだろう。
憶測にしかすぎないけれど。
「だから、『仲間』……ね」
「ん?何か言ったか?」
「いや…別に」
私は私を睨み付ける奈布さんを見る。
なんとも思わない。何も感じない。とりあえず早く帰って自分の布団でぐっすり眠りたい気分ではある。
彼女は悪くない。私も悪くない。では一体何が悪いというのだろう。
起こりうる矛盾。存在する対立。彼女は私のことが世界で一番大嫌いだ。
「まだ、なまえを傷付けたいと思うのか?」
「見てたならもっと格好良く登場しなよ…」
殴られる前に登場するというのがヒーローというものだろうに。
そんなんじゃ少女漫画には登場出来ないぞ、と思ってすぐに軍規は少女漫画に出てくるようなタイプではないなと思い直す。
それに比べて奈布さんは、この世界が少し違えば少女漫画のヒロインにでもなれただろうに。
誰が悪いのかなんて、わからないけれど。
「当たり前じゃない……だってそいつは、アタシから軍規を奪って、アタシの人生をめちゃくちゃにするんだ」
「ああ、そういえば奈布と私の関係がどうのこうのと言っていたな」
最初からいたのかよ。
「お前と私の関係はクラスメイトだろう?何をそんなに、怒っているんだ」
軍規はそう言うと私を支えながら立ち上がる。
絶望と殺意と悪意と拒絶が膨れ上がった奈布二音は、もう私さえ殴れればどうでもいいような表情をしていた。
信じない。信じられない。信じたくない。信じるわけがない。それを信じるほど、アタシは馬鹿じゃない。
「嘘つけ」
虚偽の世界に入り込み、自分を守る。
どうして自分以外が幸せになるんだと納得いかないといわんばかりに。
「もしもなまえに手を出すというなら、私が相手になることになるけど、それでもいいのか?」
「軍規のことなんて狙わない。アタシはそいつを狙うだけ。それでも軍規に当たっちゃったら、それは軍規が悪いの。アタシは悪くない」
奈布さんの言葉に、後ろで軍規が微かに笑う。
それから左腕で私を後ろから抱き止めると、右手で奈布さんを指差した。
アブノーマル ノーマル
「私 達 はお前達の予想をはるかに超越してトテモオモシロクすさまじい。もしも私達と接したいのなら、今のうちに手持ちの常識をすべて捨てておくことをお勧めするぞ」
後ろの2人は泣いていた。何がそんなに怖いんだろう。